昨日は、昨年の4月に行ったSIP(自己変革プログラム)でオフ会を開催し、ご飯を食べたりカラオケに行ったりしていました。
みんな一人一人成長していて、ある人は「以前、潤さんに相談したと思うのですが、その相談が何だったのか思い出せません(笑)」と。
悩みが何だったのか分からなくなるほど、その悩みと無縁の人生を送っている。こーいうのはすごく嬉しいですね。
ただ、色々と感じることがあったので書いていきたいと思います。
とにかく頭でごちゃごちゃ考えていると動けない。
で、頭でごちゃごちゃ考えているときというのは結局のところ、「やらない理由」を考えています。
何とか理由をつけて、言い訳を考えて、やらない方向に持っていけないだろうか、ということに必死になっています。
よくあるのは「やって意味はあるんだろうか?」というもの。笑
これはNo1に上がってくるくらい、誰もが考えること。あなただけではなく、誰もがそうやって考えて、やらない理由にしています。
で、大体の場合、実際にやってみたら意味が見つかります。
やってもないのに意味があるかないかと論じる必要はないケースが多く、やってみて初めて「やって良かったな」と思ったり、「自分には必要なかった」と思うわけですよね。
「自分には必要なかった」という気づきだって、それをやる意味だと考えることもできます。
まあ、要は「やっちゃえ」ってことなのですが、頭でっかちになるとなかなかそれができなくなってしまう。
で、そんな考えている自分に酔ってしまったりなんかすると、その頭で考えたことが至極まっとうなことに思えてくるわけです。
その「やらない」という選択が。
そういう人の口癖は、「いやあ、でも…」です。
何を聞いても「そうなんですよねえ…ええ……」みたいな感じで、聞いているのか聞いていないのか分からない。
他人事のようだったりします。
もちろん、全てを「やる」という選択にしろと言っているわけではなくて、やらない理由を探しているだけなのではないか、と向き合ってみることは大事なことだよ、ということ。
とかく人間は現状維持したがります。
そのことを忘れないこと。
自分にとって良い変化だと分かっていても、それができないのが人間です。
不幸を自ら選ぶ、ということがあります。
幸せになるのが怖いんです。だって、今までとは違う選択をしなければならないから。
違う発言、違う態度、違う人間関係、違う心構え、違う生活を選ぶということだから。
それが、不安なんですよね。
頭で先に考えすぎている人は「恐怖」が必要以上に大きい人です。
恐怖が大きいから、その恐怖を避けようとして、考える。
しかし、その恐怖を避けようとする気持ちが大きすぎることで行動できず、結果、成長できない。
その成長できない自分に不満を感じる。
で、どうやったら成長できるかまた頭で考える。
頭で考えると不安要素や恐怖が出て来て、またやらないことを選ぶ。
そして、また不満が増す。
結果、自己嫌悪、自己否定……。
悪循環。
という流れなわけですね。
だから、一旦考えることをストップすることも大事なこと。
考えることも大事だし、考えることをストップすることも大事。
矛盾するようですが、どちらも大事なんですよね。
どちらか一方だけをしていけばいい、ということではない。
自分はどちらに偏りがちなのかを考え、そのバランスを取っていくと良いです。