受験コーチ池田潤が教える参考書学習法 -13ページ目

受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

‐志望校に合格する勉強法と思考法‐

新プログラム募集、昨日で終わりましたが、何と150名を越える参加者が集まってくれました。


これだけ多くの仲間が集まってくれたことがすごく嬉しいです。


気合い入れていきたいと思います。早速、シルバーゴールドの合同オフ会をやりたいと思っています。


この後、4月中旬~5月にかけて「勉強プログラム」の募集も行う予定なので、こちらに参加することを考えている方は詳細情報をお待ちくださいね。


ブログの内容も、それに合わせて徐々に勉強系統の話も多くなっていくかな、と思います。


では、今日の本題へ。


昨日、メルマガに書いたのですが、どうせいつかは人生終わりが来ます。死ぬときがやってくる。


で、何かそのことを考えると虚しくなってしまう人もいるみたいなのですが、


私は全然そうは思いません。むしろ、終わりがあるから今が輝く、と思います。


どうせ終わるんだから、好き勝手生きてやろう、と。怖れることはないぜ、って。


この人生から、生きる楽しみを絞り尽くすわけです。


人によって、好きなことって全然違います。


仕事が好きな人もいれば、家族との時間が好きな人もいるし、本を読むのが好き、映画をこよなく愛している。


色々、好きの種類はあると思います。


私の場合、書くこと、伝えること、考えること、読むこと、観ること、などが好きです。


だから、結果的に一人でいることも多くなりますね。


それが好きなことであって、やりたいこと。


好きで楽しくて、やりたいからやっている。


大事なのは、可能な限り『人生を好きで満たす』こと。


自分が幸せになることで、周囲も幸せになっていく。


自分が不幸な人は、周囲の人も不幸にしようとしますから。


いつもイライラしていたら、他人に当たり散らしたり、他人を妬んだりしてしまったりするかもしれません。


誰かのためになりたいなら、自分が幸せになったらいいんですよね。


そうしたら、自然に周りのためになっているし、周りのために何かすることに幸せを感じられる自分にもなっていきます。


で、自分を満たしたいなら、自分が何が好きなのか知ることです。


この「自分の好きの探求」というのは絶対にやった方がいい。


自分の好きを理解して、その好きを軸に人生を創っていったらいいんですよね。


探求していくと、自分の意外な一面を知ることができたりします。


「あー、俺って人と一緒にいたいんだな」と思ったり。「一緒に笑い合って生きていきたいんだな」とか。


そういうことに気づいたりもします。分かりませんが。それは人それぞれ。


決まった答えとか、こう生きなければならない、とか一切ありません。


人生の真理とかそういうものがどうでもよくなったとき、本当の意味で自分の人生が始まるのだと思います。


私たちを縛るものなど、何も無い。


自由。自由すぎるほどに、自由。


縛るものがあるとすれば、自分の思い込みだけ。


唯一普遍の幸せよりも、自分にとっての幸せとは何なのかに目を向けた方が、よっぽどいいです。


好き勝手生きて、好き勝手楽しんで、いつか終わりを迎える。


終わりを迎えるそのときまで、ただ生きたいように生きるのみ。


生きたいように生きるというのは好きなことをして生きるということですから、


まずは自分の好きを探求することが大事なんですね。


お試しあれ。


それでは、今日はこのへんで。

勉強で結果を出していきたいなら、その勉強期間は「モード」に入る必要があります。


モードとは、『勉強することに価値を見出す心の姿勢』のことです。


人生には、大切なことはたくさんあります。


人も、自由な時間も、遊ぶ時間も大事でしょう。


しかし、そんなことを言っていると勉強する時間を確保することができなくなっていくし、


勉強することに価値を見出せなくなってしまうかもしれません。


だからこそ、意図的に「モード」に入っていく。


私の場合は、「修行」と呼ぶことが多いです。


とにかく、今自分がやる必要のあることに対してフォーカスして、そこに価値を見出すのです。


その勉強をすることで自分がどうなれるか。


当然、そういった未来志向性も大事ですし、


目の前の「今この瞬間」を勉強によってどう充実したものにできるか、という「現在」にフォーカスした心の姿勢も大事。


結局、人間は価値を感じることをやろうとし、価値を感じないものはやろうとしません。


自分が望むものを手に入れるために勉強が必要であるなら、その勉強に価値を見出していかないといけないわけです。


逆に、勉強以外のものには価値を感じないようにしていく。


それは、人をないがしろにしろとかそういうことではなくて、


人が大事なら「この勉強をすることで、将来家族を養っていくことができる」「友達と豪快に遊ぶことができる」などと関連づけてもいいですね。


志が大事なら「この勉強をすることで多くの人を救えるようになる」でもいいです。


勉強するときに大事なのは、勉強は結局未来の自分の姿を実現する手段である部分があるわけですから、


その未来の自分の姿を描き続けることです。


これができないと、「楽」に流れていきます。


楽に流れることが良いことだ、という風に思うようになっていく。


頑張って何の意味があるんだろう、みたいな感覚です。


それは、未来の自分を描くことを忘れてしまったからです。未来を描かなければ、現在に何の不満もないわけですから、


同じ日々を繰り返すようになるのは当然のことです。


さらに、そうやって未来を描いた上で、目の前の「今」を勉強によってどう充実させるかも考える。


要は、楽しむってことです。


断言できますが、何もすることがない暇な日々っていうのは、一番最悪です。


勉強することがある方がよっぽど楽しいし、目標に向かって進んでいくことも楽しいです。


勉強が悪いものだと思い込まないようにすることが大事。「意図的」に。


そこに「意味」を自分で見出すことです。


どう役に立つか、どういう風にしたら楽しめるか。


修行のつもりでやってもいいですよね。


そうなると、やらなければならないことがあることが、喜びになってきたりもします。


自分の未来を描き、その未来のイメージを持ち続け、勉強していって欲しいと思います。

3日間の東京遠征が終わり、現在新幹線で大阪に帰還しているところです。


今日は適当に、そのとき出て来た言葉を書いていきます。


今回もたくさんの仲間に会うことができ、楽しい時間を過ごすことができました。


最近、東京に来る目的は好きな人たちに会うことになっている気がしています。笑


人生で大事なことはもちろん色々ありますが、「好きな人たち」というのは最上級に大事なものと言えると思います。


結局人間は、「愛されたい」「愛したい」という欲求が根本にあるわけで、


そこが満たされないからこそ、色んな問題が起こってくるわけですよね。


例えば、今悩み苦しんでいる人がいたとしても、それを分かってくれる人が一人でもいたら、それで救われたり。


私は最近、「自分は弱い」とかそういうことを言っていて、それは事実なのですが、


何で言っているかというと、それでもやっていけるんだぜってところを知って欲しいから。


人間は時に、自分だけが苦しい思いをしている、自分だけがつらいと思ってしまうもの。


しかし、実際にはそうではありません。


人はそれぞれ弱さを抱え、苦しみながらも、そこに楽しさや希望を見出しながら生きています。


楽しいことばかりではないのかもしれないけれど、つらいことばかりでもない。


みんなそれぞれ問題を抱えながらも、順風満帆ではないかもしれないけれど、頑張って生きている。


そして人は、「自分だけじゃないんだ」と思えることで、なぜか勇気を持つことができるものなんです。


受験勉強が上手くいかなくて苦しいときも、同じような苦しみを持っている人はいるんですよね。


私だってそうでした。


どれだけ勉強しても結果が出ず、自分は根本的にバカなんじゃないかと何度も自分を疑いました。


家を破壊するレベルで、自分にイラついていました。


自分が大嫌いでした。


それでも何とか諦めず研究を続け、自分なりに自問自答を重ねる中で、どうすればいいのかということが見えるようになってきて。


で、その方法を伝えるようにもなりました。


その方法を伝えることで、もしかしたら救われる人もいるのかもしれない、と思いながら。


何かつらいことや虚しさみたいなものが今あったとしても、それはあなただけではないし、


私も様々悩んできました。


で、言えることは「大丈夫だ」ということ。とにかくこれに尽きる。


この記事を読んで、何となくでも心が軽くなる人がいれば嬉しいです。


さて、帰ったら少しだけゆっくりしてすぐに仕事を開始します。


新プログラムスタートが待っているので!


それでは^^

最近あまり勉強法系の記事を書いていないのですが、過去記事ですでに散々書いて来ていて、カテゴリ分けもしてあるので、勉強法系の記事が読みたいという方は過去記事をガンガン読んでいってください。


必ず今のあなたに必要な情報があるはずです。


さらに、YouTubeにも無料の動画が多数アップされています。そちらでも大事なことを語っているので、そちらもぜひご覧くださいね。


また勉強プログラムについては4月に募集を開始する予定です。2ヶ月の短期間で方法論とメンタルを詰め込んでいきます。


昨日は、元世界チャンピオンのボクサーである川嶋勝重さんとお会いし、色々と話を伺ってきました。


ボクシングの世界で世界チャンピオンになった人はどんなことを考えてそこまでやってきたのか。


非常に興味深い話を聞くことができました。


川嶋さんは、普通にサラリーマンとして働いていたそうで、サラリーマンになる前まで一切ボクシングなどはやってこなかったそう。


あるとき、友人にボクサーがいて、その人に「自分の試合を観に来てくれ」と言われ、


そのとき初めてボクシングを観に行ったそうです。


で、そこで川嶋さんの心がノックアウト。


その頃、サラリーマンとしての自分の人生に対して「このままでいいのかな」「このままこの会社で一生を終えていくのかな」という気持ちがあり、


ボクシングという世界で命がけで戦っている男たちを見て、「自分もこんな風に生きたい」と思った。


そうしたらいてもたってもいられず、会社に辞表を出し、ボクシングジムに入った。


20歳を過ぎていて、何もないゼロの状態。ボクシング経験もゼロ。


しかも、トレーナーに「お前には才能がない」とまで言われ、


何とプロテストを受けることすら許してもらえなかったそうです。


2度も断られながらも、それでも踏ん張って練習して、ようやくプロ試験に。そして、プロに。


そこから世界チャンピオンまでの道を歩んでいきます。


色々と書きたいことがあるので次回以降また書いていこうと思うのですが、


川嶋さんの人生の変化ってすごい面白いと思うんですよね。


一番のきっかけが「友人の誘い」なんです。


もし「ボクシング見に来いよ!」と言われて、何らかの理由をつけて『行かない』ことを選択したなら、


ずっとサラリーマンで人生を終えていたかもしれません。


明らかに違う人生を歩んでいたと思うんですよね。


ただ、当時川嶋さんには「このままでいいのか」という思いがあった。


何かしらのきっかけだったり、自分の命を燃やせる場所みたいなものが欲しかったんだと思うんですね。


そんなときに、いや、そんなときだからこそ、舞い込んできた友人の誘い。


そこに飛び込んでみたこと。ボクシングなど見たこともないけど、飛び込んだこと。


それが、川嶋さんの人生を変えていった。


実は、人生を変えるのってホントにこんな感じなんだと思うんです。


誰かに誘われたとか、たまたま出会ったとか。


実はそれは自分が無意識に求めているからなのですが、その無意識が引き寄せたものに飛び込めるか。


心が気になってしょうがないものにどう反応するか。


ということが大事なんだと思うんです。


頭で考えれば、いくらでもやらない理由は出てきます。言い訳は無限に思いつくこともできる。


川嶋さんだってそうだったでしょう。


お金もないから8年間バイトし続けたそうです。


トレーナーには「才能がない」と言われ、プロテストを受験することすら許されず。


やめる理由なんていくらでもあっただろうし、むしろ周りからは止められてばかり。


でも、本人はやりたくてしょうがない。


この「やりたくてしょうがない」ものに対して素直になれるか。


やりたくてしょうがないからこそ、バイトだってできるし、とめられようが突き進んでいける。


元世界チャンピオンの話は、ホントに面白く、お会いできたことに感謝。


また、色々と書いていければと思います。

私たちは、何かの「価値の基準」だったり、「生き方」だったり、「楽しみ方」まで規定されてしまった社会を生きています。


例えば、学歴が高い人、年収が多い人が価値があるとかっていうのは、社会が決めた尺度であって、社会が決めた基準であって、


それに振り回されている限りは、自分を信じることなどできないわけですから、自信も手に入りません。


だって、学歴が高ければ自信が持てるなんておかしな話で、それは学歴を信じているわけであって自分を信じているわけではないですよね。


自信とは自分を信じることです。


生き方についても、大学に行って企業に勤めて、ということが当たり前。


「そうしなければならない」という空気があるわけです。


で、みんなイヤイヤながらその空気の中に埋没していって、「~しなければならない」ばかりの世界で生きて行くことになります。


楽しみ方だってそう。


本来、人生には多種多様な楽しみ方があるにも関わらず、大体みんな似たり寄ったり。


先日「ステレオタイプの大学生」というメルマガにも書きましたが、大学生だったらやることはみんな似たり寄ったりになってしまう。


服まで似てたり。


社会人になったら、旅行やグルメか飲みに行くかゲームかカラオケかスポーツ観戦かスポーツか。みたいな。


大抵の場合、それはみんなやりたいからやっていたりするわけですが、


ただ「この枠の中で考えてね」と言われている範囲の中でしか、考えることができないでいたりするわけです。


言うなれば、「奴隷型テーマパーク」。


そのテーマパークの中に知らない間に入れられ、そのテーマパーク内のもので遊ぶことだけは許されている。


しかし、外には出られない。出ようしないように教え込まれる。


しかも、案外そのテーマパークも楽しい。楽しいからこれでいい、と思ってしまう。


外の世界にももっと面白いものがあるかもしれないのに。


結局、そのテーマパーク内で人生を終えていく。


梅原大吾さんという世界No1ゲーマーで、ギネスブックにも載っている方の本の中で面白い話があります。


学校で将来の職業みたいな冊子が配られたときの梅原さんの一言。


「これ、冒険家とか入ってませんけど?」


この一言が本質を突いているんですよね。


つまり、「枠の中で考えなさい」「この職業の中から選びなさい」ということを教え込まされるわけです。


枠からはみ出してはいけませんよ、きちんとレールの上を歩くんですよ、それが幸せな人生ですよ、と。


恐ろしい。


教えを忠実に守ってきた優秀な人間ほど、枠の中で考えるようになり、答えを求め続けるようになり、

ありきたりな道に進んでいく。


大企業や公務員が最高のゴールなのだと一途に思い込んで生きていく。


もちろんそれがゴールになる人もいると思いますが、それは洗脳から解放された上で初めて分かることであって、


洗脳状態で決めたことは所詮は自分の頭で考えてはいないんですよね。


今までの自分の幸せの基準や価値の基準というものは、与えられてきたものなわけです。


で、その与えられてきたもので自分を判断していたわけ。


周囲の人間の基準によって自分の価値を判断していた。


なら、自分に自信なんか持てるわけないし、劣等感にも苦しむでしょう。


無意味な優越感でほくそ笑んだりもするでしょう。


人といつも自分を比べ、一喜一憂する人生を送ることになります。


もうそういうのは終わりにしよう、ということが言いたいんですね。


大事なのは自分がやりたいことをやることであって、自分で価値の基準を創ること。


自分を信じ、自分を愛する事です。


それが、今の時代に求められることだと思っています。


奴隷型のテーマパークに満足するのではなく、自分で人生の楽しみを創り出していきましょう。

この人生で大事なのは、「これでいい」と心から思える生き方をすることだと思っています。


インチキではなく、本当にそう思えること。


例えばよくある例だと、女の子に本当はモテたいと思っているのに、「女なんてくだらない」とか、


モテている男を見て「あいつはちゃらい!俺はあんなんじゃない」と言って明らかに嫉妬しているのとかは、違う。笑


これは、自分に嘘をついているんですよね。で、大体、周囲にも嘘をついていることがバレバレだったりします。


お金が本当は欲しいのに、「お金は汚い!」「金持ちは悪い奴!」と言って、お金を稼いでいる人を攻撃するのも違う。


大体、声高に攻撃している人は、本当は自分も「それ」が欲しいのだけど、そうなれないと諦めているから攻撃しているんですよね。


で、そういった本当の思いを我慢して、諦めて、それで「俺は幸せ」と思う。


もちろん、幸せは主観的なものであって、今あるものに感謝することでもあるわけですから、その同じ状況下で幸せを感じることはできます。


しかし、今回の場合は、「自分に嘘をついている」わけです。


自分をごまかして、正当化して、抑えている。


だから、心から「これでいい」とは思えていないはず。


結果、何かイライラしたり、他人にムカついたり、嫉妬したり、批判したくなったりするわけです。


心から「俺はこれでいい」と思っている人は、意味もなくそんな風には思わないものです。


「求めない生き方」とかってありますが、人間は生きている限り求め続けるものであって、


何も求めずにただ生存しているだけなら、死にながら生きているようなもの。


求めることは悪いことではありません。


求めるから成長だってできるし、それが結果的に人のためになったりもする。


だから、無理矢理それを抑える必要はない。


しかし、です。


その求めているものが本当に欲しいものではなかったりするんですよね。


ここが一つ、大きな問題。


そういう場合には、行動できなかったりしますし、結果も出にくい。


しかも手に入っても幸せじゃない。


幸せだ、と言いながら実は退屈していたりとか。何か不満で、必死になって暇つぶしをしているとか。


それも自分的には違う。


仕事をいつも通り変化なくこなして、休日はよくある娯楽に精を出して、何とか休日を潰す。


次から次へとレジャーに手を出し、だんだんすることがなくなってくる。


周囲に「リア充」であることをアピールするかのようにfacebookに楽しんでいる写真をアップ。


でも、実は心は満たされていない。「これでいいのかな?」と思っている。


「これでいい」と思えていない点で、それも違うかなと思っています。


その生き方で、自分が「これでいい」と本気で思えているならいいのです。


大事なのは、自分が心から納得しているかどうか。


私が目指している世界というのは、


心からこれでいい、と思える生き方。


周囲と比べるでもなく、自分が自分であって、生を楽しんでいる。


精神的にも満足していて、自分を愛していて、他人も愛せる。


それでいて、目標達成もできる。なりたい自分になれる。チャレンジも楽しめている。


毎日が充実していて、自分に満ち足りていて、人生を楽しんでいる。


そんな風にどうすればなれるのか、ということを追求してきたのかもしれません。


で、かなりそれが見えてきました。


とにかく、自分をごまかすのをやめること。


素直な自分の気持ちに目を向けて、自分を満足させること。


そして、自分を好きになること。愛する事。その結果、周囲も愛せる自分になること。


そういう人生を生きるっていうのはかなり楽しいですよ。


私の情報発信も、それが根幹になっています。


どうすれば充実した人生を送れるのか。


そのために、自分を愛することは必須なんですよね。


だから、最近熱く語っているわけです。笑


これからもそんな感じで情報発信していきます。


今日は、このへんで終わりです。

新プログラムは、間もなく詳細公開、募集を開始します。


私の今までの集大成をこのプログラムに込めます。


これまでたくさんの教材を出してきましたが、それらの教材も現在は販売していません。


私自身が進化したからです。より良いものを出せる、という自信があるがゆえに販売していない状態です。


そして今回、教材の中などで語ってきたことも全てこのプログラムの中で語っていきますので、興味のある方はこのプログラムに参加してください。


このプログラムは有料ですが、有料でないと意味がないと思っています。


お金を払ってでも学びたいという真剣な人しか来ても意味がないからです。


その「真剣さ」こそが、何かを学ぶときには必要です。


そのことが分かる人にだけ、参加していただきたいと思っています。


では、本題へ。


私が今まで考え続けてきたことは、「人間の可能性」について。


どうすれば人は今の苦しみから解放されるのか、どうすれば目標達成できるのか、なぜ人は苦悩するのか。


なぜ勉強で結果を出すことができないのか。どうしてやる気を失ってしまうのか。


自分を愛するとはどういうことか、なぜそれが必要なのか、なぜ人間関係が上手くいかないのか。


人生とは何か。


モテるモテないの根本にあるものは何なのか。


そんなことまで真剣になって研究を重ねてきました。


その結果、かなり精度の高いところにまで迫ることができるようになり、私自身の人生もそれに比例するかのように良くなっていきました。


そして、これから何かあったとしても乗り越える自信があります。


なぜそういう研究が始まったかというと、私自身が相当に苦しんできたから。何度も言っていますが。


自分を救いたい一心で研究してきました。


ただ、その自分を救いたいという心でやってきたことが、誰かのためになれることを知りました。


だから、こうやって毎日ブログを書いたりして情報発信している部分があります。


現在は、大抵の人間の悩みの原因、その解決策を言語化することができていますし、人を変えていけるという確信もあります。


そう知ったとき、私の今までの苦悩や弱さをも、愛せるようになりました。


過去の苦しみも何もかも、全て必要なことだったんだ、と悟ったからです。


今の自分を愛するということは、自分の過去を愛するということと同じです。


あなたはもしかしたら「あのときああだったら」とか「あの人のせいで」「あの出来事のせいで」と思い、

被害者意識を持ちながら生きているかもしれません。


しかし、被害者意識はどんどん自分を、自分の人生を破壊していきます。


そうではなく、今の自分を愛する、今の自分を認める。


それができるようになったとき、過去起こってきたこと全てに対して、感謝の気持ちが生まれてきます。


なぜなら、その過去の出来事がなければ今の自分はいないからです。


今の自分を作りあげてきたのは過去の出来事であって、そのどれが欠けても今のあなたはいません。


そう悟ったとき、今までの全てに愛だったり感謝の気持ちを抱くようになります。


ダメだと思っていたこと、最悪だと感じていたことが、実は自分のためになり、今の自分を創っていることに気づきます。


むしろ、最悪の出来事こそが、最高だったんだと気づきます。


そのことによって、成長したり、誰かを思える優しさを得たりしているからです。


あなたは被害者ではないし、問題を誰かのせいにして自分の問題から逃げる必要はありません。


許せない人がいても、自分のために許すこと。


「悪人を罰するのは神様のお仕事だよ。私たちは許すことを学ばなければならないんだよ(嵐が丘)」


あなたが許せないと思っている人を、あなたが罰する必要はありません。


その人には、その人に応じた人生が待っています。


それは、天に任せてしまえばいい。


あなたはあなたのために、許す。


許すということは、その人のために行うものではなく、あなた自身のために行うものなんです。


あなたがあなたの人生を生きるために、許す。のです。


話がかなり脱線しましたが(笑)、


今日も書きたいように書きました。


何かしら感じることがあったり、響くところがあれば嬉しいです。

何かに挑戦できない、やりたいことができない、何となく毎日が楽しくない…


そこにある根本的な原因は、ほんの少しの勇気や愛や自信が足りないことかもしれません。


ここで言う勇気や愛や自信というのは、何があっても受け入れるという気持ちのこと。


例えば、挑戦ができないときというのは、失敗を怖れているわけですよね。


失敗が怖くて、傷つくのが怖くて、そうであってはいけない、そんなことになったら自分の価値はなくなってしまうという「怖れ」がそこにはあります。


しかし、失敗したからといって自分の価値がなくなるわけではないし、


果たして、上手くいくばかりの人生が良い人生と言えるのかも疑問です。


人生全体を見たときに、悲しさや苦しみ、せつなさのようなもの「味がある人生」には必要なことなのかもしれません。


そういった感情を深く知っている人の方が愛情深い人間になり、その人自身がより深い幸せを感じたりもします。


大事なのは、自分にはできると深く知っていること、そして、一時的に上手くいかないことがあったとしても受け入れる余裕があること。


それは、「人生を楽しむ余裕」とも言えるでしょう。


一時的に上手くいかないことも受け入れ、それも自分の人生だと、それでも自分は自分なのだと認めていることが、本当の自信なのかもしれません。


そんな自分すら愛せたら、生きることはもっと軽くなり、楽しく生き甲斐のあるものになるでしょう。


そして、そんな本当の自信、ゆとりや余裕のある自信が芽生えたとき、もっと人生にチャレンジができます。


しかも、日々を楽しみながらのチャレンジ。チャレンジしていることそれ自体に喜びを感じながら。「今」を生きながら。


さらに、もっと周囲の人や物や事を愛すことができる自分になって、毎日の充実感も増すでしょう。


あなたが心から欲しいと思うものは手に出来るようになっています。


ただ、一時的に思うようにいかないな、と感じることもあるはずです。


しかし、それも必要だから起こっていること。


上手くいかない自分も肯定し、学びを得て、また前に進んでいけばいいです。


必ず、あなたが心から願っていることは実現します。


人間の潜在力を信じ、自分を信じて、どんどんやりたいことをやってくださいね。


それでは、今日はこのへんで。

昨日は、SIP卒業生(自己変革プログラム)とご飯を食べに行き、その後、カラオケへ。


ここでしか会えないメンバーで、久しぶりに会った人も多くて懐かしい感じでした。


SIP生は自分のフィールドの中でリーダー格になっている子が多く、それぞれがリーダーとしての苦悩を抱えていて、こちらとしては嬉しい限り。


この記事を読んでいるあなたも、ぜひ自分のフィールドの中で周囲の人にパワーを与えるような人になってもらいたいと思っています。


では、今日の本題へ。


人にパワーを与える、という話をしましたがここで大事なことがあります。


それは、あなたが幸せであること、あなたが成功することそれ自体が、人のためになるということ。


そのことを、今日は知って欲しいと思います。


あなたがあなたを幸せにして、上機嫌だったとします。


そうすると、あなたは周囲の人にも優しくなるし、愛を持って接することができます。


結果、周囲の人も喜び、あなたを好きになります。


逆に、あなたが不機嫌で、イライラしていたとすると、そのオーラは周囲に伝わります。


もしかしたら周りにキツく当たってしまうかもしれません。


言いたいのは、


あなたがあなたを幸せにすることそれ自体で、実は人のためになっているということです。


さらに、あなたが何か目標を持って、その目標を達成するために頑張っているとしましょう。


作家を目指して毎日本を読み、文章を書いていたとします。


あなたはあなたの夢に向かって頑張っていきますが、そこでメキメキと力をつけ、ついに作家になれ

たとしましょう。


すると、あなたの本が本屋さんに並びます。


誰かがその本を買います。あなたから学びを得ます。


その結果、その人の人生が好転していくかもしれません。


これは、あなたがあなたであることによって、その人のためになったということです。


スポーツ選手も、自分の夢のために努力をしています。


私たちはその姿を見て、勇気をもらうことはないでしょうか?


「俺も頑張ろう!」と思ったことはありませんか?


壮絶な人生を生きた人の話を聞いて感動し、大切な何かに気づいた経験はありませんか?


その人がその人である、その人が懸命に自分の人生を生きる。


ただそれだけで、実は人のためにもなっている。


それを忘れないで欲しいんです。


だから、私たちは思う存分自分を幸せにすればいいし、自分の夢を叶えていけばいい。


あなたがあなたであるということで、人のためになれるから。


あなたが生きているということそれ自体で、喜んでくれる人がいます。


あなたがあなたの夢を叶えることは、利己的なことではありません。


もちろん、誰かを騙すとか、人を傷つけるとか、そういうことはしてはなりません。


そうではなく、純粋にあなたがしてみたいと思うこと、楽しい、好きと思えることをやること。


あなたが幸せであること。


それだけで、人のためになれる。


だから、どんどん幸せになり、どんどん夢を叶えてください。


その姿を見た人が、勇気や元気をもらい、その人もまた夢を叶えていく。


そんな風になれば良いなと思います。

今、大阪ですが、今日はこれから東京へ向かいます。元SIP生と会う予定。


プログラムが終わってからもこうやって集まることができるのは嬉しいことですね。


今回の新プログラムもそういったものになればと思っています。


直接的に関わる機会もどんどん作っていきます。


ネット上だけで完結するのではなくて、ご飯を食べたり、何かに一緒に参加したり、カフェでセッションしてみたり。


そんなことまで可能なプログラムにしていきます。


では、今日の本題。


ずーと言っていることなのですが、世の中にはネガティブな情報が多く、人を一定の価値観で判断したり、値踏みしたりする空気があります。


人の価値を学歴で判断したりとか。


大学というのはその人が自分の人生を生きるための通過点であり、一つの手段なわけですから、


大学が不要な人は高学歴になる必要は全くありません。


であるにも関わらず、学歴という一つの社会が定めたモノサシで人間を判断する、ということがおかしいことは分かると思います。


一番良くないのは、そうやって学歴で人の価値や能力を判断することで、自己評価が下がってしまうこと。


「オレなんて所詮、この程度…」と思ってしまうことで、どんどん夢や目標が小さくなってしまう。


それが一番良くないんですよね。


学歴が高いことは良いのです。しかし、それが人間の価値と直結して考えられるのは良くないし、


大学は「手段」なのだということを忘れないこと。


必要な人は必要な大学に行けばいいし、必要でないなら行かなくてもいい。


ただ、それだけのこと。


もちろん、希望する会社に入るために、就職のために、高い学歴がメリットになるということで、そういう意味で学歴が有利に働くからということを考えることも必要かもしれません。


それも変わってきてはいますが。


そして、まだ明確に何をするかが決まっていないから、できる限り良い環境で学びたい、行くなら上に行きたい。


それも、良いのです。


大事なのは「自己評価」。これを下げられないことです。


自分自身の価値は、学歴では計れません。


学歴と自分の価値を直結させて考えすぎると、上手くいかなかったときに無用な劣等感に悩まされたり、


上手くいったときに醜い優越感に浸ることになってしまう可能性があります。


劣等感と優越感は表裏一体であって、共に「人と自分を比較する」ということが根本にあります。


バカにし、バカにされ、という世界観で生きることになります。


人をバカにすればバカにするほど、バカにされる恐怖が増すことになります。


偏差値というのは「比較」が根本にあるわけですから、その世界観の中で生きてきた私たちはどうしても人と比較する思考を持ってしまいがちです。


しかし、本来人と人は比べられない。


一人一人の人生があり、生き方があり、やりたいことがあります。


私たちは、ただそれを全うするだけ。


自分の人生を、生きていくだけ。そこに比較の思考が入り込む必要はありません。


大学受験も、恐怖からではなく、愛からチャレンジして欲しいと思っています。


比較や、自分の価値を学歴と直結させる思考では、恐怖からチャレンジすることになります。


「この受験に失敗したら自分は価値がない…」そういう思考です。


この思考が元になった勉強は「~しなければならない」が最も大きなモチベーションになってしまいます。


だから、苦しいのです。


しかし、上手くいく人は「あの大学に入ったらこんな楽しいことが待っている!」「あの大学は自分にふさわしい!」「行きたい!」「楽しみ!」そういう気持ちが一番大きい。


これは、「したい!」に基づくので、日々がやりがいに満ち、楽しいものとなります。


そして、たとえ上手くいかなかったとしても、自分を肯定しているので「これもベスト!」と思えます。


プログラム生は、そんな風に考えられる子が多いです。そういうことを伝えてきたからです。


この違いは、すごく大きいと思っています。


私はこういった「愛」に基づく考え方が世の中に広まれば、もっともっと自信や愛のある人たちが増え、


一人一人が自分の才能を生かして生きていける世の中になると思うんです。


一人一人、才能の在処も、役割も、得意なことも、好きなことも、全部違います。


何もかもが違う。


にも関わらず、一定の価値観で、モノサシで人を計ることなどできません。


その一定の価値観の中で上位にいる人は自分を好きで、そうでない人は自分を愛せない。自信が持てない。


それは違うんじゃないか、と思っています。


一人一人が輝けるものを持っているし、才能を持っています。


一定のモノサシで見るから、それが分からないだけです。


あなたはあなたのモノサシで、自分がしたいと思ったことをやっていく。


その場で、自分のベストを尽くす。


それで、いいんです。


世の中から少しでも人を苦しめる思い込みが消えて、人を喜ばせる考え方が広まれば嬉しく思います。