石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -31ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

このご時世、学校もオンライン、帰省もオンライン、飲み会もオンライン。政府が推奨するものはみんなオンラインで、お仕事も同じく、それがいわゆるテレワーク。

 

私がやっているバイトは、ざっくり言ってしまえば「データ入力」で、このほどその噂のテレワークというやつを初体験した。

 

そもそも紙ベースの物をパソコンに入力する仕事なので、その紙がないとできないんだし、と諦めていた。それがどうにかできるように環境を整えてもらえた。


むろん、一気に在宅へ100%切り替えられるわけじゃなく、出社日もある。でも、たとえ半分の日数でも安心感は全然違う。

 

ただし、割と泥縄的にバタバタとレクチャーされてあとはよろしくね、って感じだったので不安もあった。家で一人で、さてこれから業務開始するぞ、ってときに、「パソコンが会社のサーバにつながらない!」なんてことになったら。つながっても途中でワケわからんフリーズでもしたら。

 

けれどあっさりクリア。意外に何のトラブルもなくサクサク進む。紙分のデータ自体をパソコンに取り込んでもらえたので、それをいつものデータとして入力する形。紙がないのは画面上を行ったり来たりとイマイチやりにくいが、それも慣れるとどうにかなってくる。

 

何より通勤がないのが楽すぎる。片道1時間、化粧や着替えやお弁当などの支度、万が一のための余裕分を含めると、3時間ほどが浮く。


今は電車に乗ること自体が怖いので、それがないとストレスが全く違う。家を出ないのでマスクも節約でき、助かる。平時の時でもラッシュや何かの事故で遅れた大混雑などもあった。その、会社に着いただけで今日の仕事は終わった的な体力消耗とも無縁。

 

「今日は午後から通り雨が」なんて天気予報があっても洗濯物を外に干せて、昼に取り込める。今の時期、それで十分乾く。

 

水筒で持参していたコーヒーも、メーカーで保温したまま、好きな時にカップに注いで飲む。その際のおやつとして、前日にクッキーとかケーキなどを焼いておく。これを楽しみに仕事のテンションも上がる。


気温変化の激しいこの時期、服選びに失敗し、
会社で震えっぱなし、または汗だくなんてことも。あるいは冷房戦争。それもない。こころゆくまで着ぶくれすることも可。


そういえば、オリンピック開催が決まってから、今年の夏の通勤を恐れていたっけ。真夏のクソ暑さには毎年やられ、必ず体調を崩す。それに加え、オリンピックの大混雑に巻き込まれたらと思うと憂鬱で。


世の中にテレワークという手があるということは知っていたけど、まあ自分には無縁だろうと思っていた。でも来年オリンピックが開かれるとしたら使えるだろうと思うと気が楽だ。

 

ただ、通勤は意外に歩数を稼いでいた。それが全くなくなった。でもお菓子の摂取量は増えている。……そういえば私、糖尿病予備軍だったんだっけ……。

 

それに。

 

ビデオ会議だと映像が粗いということに気付いてしまった。そうなると化粧もせず服は上半身だけそこそこ、という技を使うように。元々少ない女子力が落ちるばかり……噂に聞いてはいたが。


物を書くために会社を辞めた大昔を思い出す。テレワークなんて影も形もない時代だったけど、毎日通わなきゃいけない先がなくなり、「わーい」と日がな一日物を書いていた(そのうち書けなくなって心地悪くなったけど)。ほぼほぼ家に籠っていたのは一緒。女子力が落ちたのも一緒。運動不足も食べ過ぎも一緒。


あれから何年? 世の中はこんなに変わったというのに、同じ轍を踏みまくっている自分に、ちょっと唖然としている……いや、喉元過ぎてめっちゃ忘れていたというべきか。


(了)

 

 

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フランスのノトモイツさんという方が、7メートルのベランダを3000往復し、42.195キロを完走したとのこと。


このところの外出自粛で運動不足が懸念される。

 

私の普段の運動といえば、週1のテニスがメインだったのだけど、今は休止。それ以外は柔軟体操、腹筋背筋、腕立てとマエケン体操(肩甲骨を回すやつ)くらいだった。でも「なるべく、できたらやるね」というレベル。


まずいなあと思って、Eテレのテレビ体操を録画し、とにかく毎日のどこかでその10分だけは死守することにした。


他にないかと考えた末、思いついたのはマンションの階段の上り下り。でもこれ、どのくらいの運動になる?

 

今の時代、ありがたいことにスマホに普通に歩数計がついている。歩数だけでもわかれば目安にはなる。

 

何とか自粛前の1日平均56000歩は稼ぎたい。階段なら結構いけるだろう、と、マンション最上階までムダに上り、1階までムダに下りる。


けれどこれが稼げない。1往復でたかだか600歩前後ってことに愕然とした。6000歩には10往復しなくてはならない! 体重を引き上げる分、なかなかに負荷はかかるのでかなりへこたれる。おまけに私はよく足を踏み外すので、ものすごく要注意。滑って足でも折って病院行き、なんて絶対ならぬ。


ということで、とりあえず自分に甘く、2往復くらいでよしとする。

 

じゃあ、と、周辺をひとまわり走ってみる。息が切れたところでイヤになり、見ると300400歩。うーむ、全然足りない。

 

くじけそうになっていたところに、冒頭のノトモイツさんのニュースを見た。フルマラソンに幾度も参加する方だそうで、こんな環境でも42.195キロを走った。ベランダで。


これを、やってみる?

 

うちのベランダじゃ、7メートルもなくて、せいぜい3メートル。ま、3.5あることにして、そうすると単純計算で往復数はノトモイツさんの倍。……6000往復? ……気絶していいですか?

 

そんな壮大な野望は無理だけど、せめて100往復くらいは頑張ってみてもいいんじゃない? というより頑張らないと体力の危機。とやる気を奮い起こす。

 

でも……100往復=3.5m×100×2=700m……目が回りそうな割に距離は伸びない。

 

とりあえず雨なので家の中を行ったり来たりしてみた。けれど、ちまちま端数を埋めるくらいの歩数。景色も変わらないし、飽きるなあ。やっぱりベランダの方が多少なりともやる気になるかも。


しかし翌日は風が強かった。翌々日は寒かった……とかグズグズ。(私見ですが、球技が好きな人種は「走るだけ」とか「筋トレだけ」とかが苦手だと思う)

 

仕方ない、ニンジン作戦。


頑張れたらおやつに自家製のバナナケーキをたっぷり食べよう。(←おうち時間が増えてから作ってみた。うまくできたので再度作る予定)。おいしい紅茶も淹れて。うんうん、それなら頑張れるかも。

 

けどすぐ「食」に興味が向くのもヤバイ。それじゃあせっかく走っても元の木阿弥か、マイナスか。ついでに言うなら、ろくに運動していないのにお酒も飲みたくなる。外に出ないので昼から気兼ねなく飲めちゃうのが怖いところ。

 

やはり検討段階でグズグズしている場合ではない。42.195キロは無理としても、ベランダマラソンを今日から始めよう。始めるべき。始めねば。

 

(了)

 

 

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年度末の恒例なのか、こういうご時世のための激励特番なのか。このところ、テレビで歌のスペシャル番組が多い。懐かしいものから新しいものまで一気に聴けて嬉しい。歌は心を癒すし思い出とリンクするし口ずさめば発散にもなるし。

 

そんなのを見ているうちに気付いた。私の中で、一つ聴くともう一つを思い出すというセットになっている歌がある。今のところ自覚したのは二組だけど。

 

一組は、プリンセスプリンセスの「M」⇔槇原敬之の「もう恋なんてしない」。(敬称略)

 

「もう恋なんてしない」は、同棲していた彼女と別れてしまったらしく「いつもよりながめがいい 左に少しとまどってるよ」とある。


こういう表現、好き。

いつも隣にいた彼女がいなくなったから、その陰になっていた景色が見えるようになった。「寂しい」とは言っていないのにひしひしとそれが伝わってくる。

 

シナリオなり小説なり、こういう書き方をしたいなあ、と思う。

 

M」でも「あなたのいない右側に 少しは慣れたつもりでいたのに」と、同じような感覚が歌われている。それで私の中で「もう恋なんてしない」とリンクしてしまったみたい。

 

何でいつも男が右で女が左なんだろう、と、そのたびに思うのだけれど。(車道でその並びで歩くと、男が女を車から守る格好になる、というような話を聞いたことがあるけど、私はしてもらった記憶はありません………………)

 

もう一組は、竹内まりやの「駅」⇔寺尾聡の「ルビーの指輪」。(同じく敬称略)

どちらも別れてしまった相手を思い出している歌。


「駅」の出だしは「見覚えのあるレインコート 黄昏の駅で胸が震えた」。おそらく私と同世代なら、その続きもそらで歌ってしまうはず。

 

「ルビーの指輪」は「街でベージュのコートを見かけると 指にルビーのリングを探すのさ」が印象的。これだって歌詞を見ないで歌えちゃう。

 

でも、あまり意味を考えずに覚えてしまえる年頃だった当時は、ただ音とリズムに言葉を乗っけていただけだった。私の場合、カラオケなどであるとき突然「こんな歌詞だったのか」と気付く歌は多く、この二つもそうだった。

 

どちらも失恋相手を思い出すきっかけは、見かけた誰かの着ていたコート。ただそれだけで私の中でリンクしてしまっているようだ。

 

「駅」も「ルビーの指輪」も、まだ元カレ元カノを吹っ切れていない。そしてどちらの歌も、別れてから2年が経っている。

 

何で2年なんだろう。傷が癒えているか微妙な年月だってことなのか……。恋愛経験が豊かではない私には何とも言えないけれども。

 

ただ、この2曲も、とても素敵な言葉選び。未練、心残り、切なさ。そんな単語を使わずに思いが伝わってくる。

 

この二組の歌がそれぞれリンクしたのは、歌詞の内容に似たものを感じたせいもある。でも、物語を書くにあたって、常々思っていることがある。直接的じゃない表現で思いを感じ取らせる書き方をしたい、と。そういうお手本の歌詞だと感じたせいもあるかと思う。


他にもそういったお手本はいくらでもありそう。いい歌、好きな歌の歌詞を改めて見直してみようかな。

 

 

(了)

 

 

 

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このご時世、テレワークという働き方が増えている。けれどそれもパソコンのみでは成り立たないと思う。何かしらの文具は必要になってくるはず。

 

私の場合、書くこと全般について、メインはパソコンでも、いろいろと必要。

 

アイディアメモを書くのは黒ボールペン、日記はシャーペン、気になる新聞記事の単語は蛍光ペンでマーク。原稿をパソコンに打ち込んだらプリントアウトし、赤ボールペンでチェック。修正後更に直したいときは、その同じプリントアウトに青ボールペンで書き込む(紙とインクの節約……ケチケチやってます)。

 

他、消しゴム定規クリップホチキス付箋。付箋は、細長いもの、大型小型、色もピンク水色黄色と数種類使う。そして、パソコンデータをバックアップしておくUSBメモリ

 

とまあ、最低それだけは筆入れに入れたい。基本的に家での作業だけど、部屋移動やらたまに外、と、どこへ行くにもそれとパソコンさえ持てば完結するような筆入れとしたい……と常々思っているのだけれど。

 

これが20年来満足いかない。どうやっても使い勝手がよくならないのだ。

 

文具売り場や百均にいくと、筆箱コーナーをつい見てしまう。最近は大振りでポケットもあって、ファスナー物でもペン立てのように立てて使えるものもある。

 

私が子供の頃は、「象が踏んでも壊れない」といった売り文句の丈夫なものが主流だった。最近は便利でお洒落なものが増えたなあ、と感心する。ならば今の自分が満足いく筆入れがあるやも知れん、と目を皿のようにして探す。

 

でも、、、

 

持ち歩きに便利なのは袋タイプだろうな……と思いつつ、ファスナーでぐるりと開けなければならないのは面倒。取り出してみないと赤ペンなのかシャーペンなのかわからない。全部出して選んで残りを戻すしかない。そういう風に本作業の前にちょっとでも手こずると、簡単にやる気が削げてしまう……。

 

筆記具というのは不思議で、持ち歩くとペン先が引っ込んでいても蓋がしてあっても、なぜか筆入れの中が汚れる。付箋はその汚れが移るだけじゃなく、角が丸まったり折れたりする。

 

だから、ペン類と付箋は仕切られているとかポケットが欲しい。USBや消しゴムやクリップも分かれて入るといい。できればシャーペンの替え芯ホチキス修正テープハサミカッターなどもうまいこと収めたい。当然、これら中身が見えやすいこと必須。

 

なんていう素敵な筆入れは今のところ見つかっていない。

 

なので、とりあえず家の中では蓋のない缶タイプに並べるようにした。


見える。汚れない。折れない。うん、満たす。


でもあまり大きくなると重たいし落とした時が怖いので、8×18cmくらいの大きさのものに落ち着いている。お洒落とかスマートさにはめちゃくちゃ欠けるが、今のところ一番ストレスがない。

 

でも、それも次第にどうも使いにくくなった。よくよく見れば、いつの間にか山盛り状態になっている。何かを使おうとすると必ずこぼれて苛つく。仕方なく整理してみたら、赤ペンも黒ペンも2本3本、3色ペンまで加わっている。

 

知らぬ間に定規も2つ入っているし、クリップはばらばらと隙間を埋めている。何でなのか、ヘアピン数本やボタン、安全ピン、キャラクターの根付けなんかも入っている。なくしたら困る小さいものをとりあえずのつもりで入れたみらしい自分……。


整理しても整理してもすぐその状態になる。やっぱりこのタイプも私には合わないのか?

 

ああ、ストレスなく使いこなせる理想の筆入れが欲しい。


でもこんなに長いこと見つからないのは、使う人間のせいなのかなあ。ズボラで面倒くさがりで整理下手。それを証明しているのかなあ……。

 

(了)

 

 

 

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2014年を最後に止まってしまっているけれど、5年間ほど映画のブログをあげていた。

 

レビューした映画は244本。

映画館へ行ったものもあればテレビ録画、レンタルで観たものも含む。このブログを書きたいがために、せっせと映画館へ通った時期もあった。

 

(この時分、映画でも観てみようか、でもどれにしよう、と悩んでいる方。ご参考まで→「筋書きのないドラマ、筋書きのあるドラマ」 自分勝手な感想ばかりだけど、一応そこそこ数はあります

 

映画のブログを書こうと思い立った理由は2つ。

 

1つは、映画はよく観ていたこと。

 

シナリオの勉強を始めた時に「とにかくたくさん映画を観なさい」と言われた。それまではあまり興味なかったのだが、とりあえずレンタルビデオ屋に通い始めたら、ハマった。年平均200本くらいで10年以上は続いたから、延べ2000本超。わあ自分でもビックリ。

(↑気に入ったものは何度も観ているので、その重複も数に入ってます)

 

もう1つの理由は、自分の脳内がよくわからなかったこと。これは少女期から長きに渡っての悩みだった。

 

人の意見に引きずられる。他人の意見がすばらしくて正しく思え、自分が感じたことが間違いの気がする、あるいはわからなくなってしまうことすら多い。

 

でも、物を書くようになって、自分自身がどう感じたかがどれだけ大事なのか痛感した。

本当はそうは思わなかったのに、そうであったかのように錯覚してしまう。すると……書き進むうちに「何か違う」と行き詰まってしまうのである。自分の感覚で書いていない、誰かの上澄みを貼り合わせているだけだから、方向や気持ちがずれていく。

 

だから、その映画を世間の評価ではなく、自分自身がどう思ったのか、どう感じたのかを整理して、正直に書き表そうと思った。ああいう感想の人が多いけれど、私はちょっと違ってこう思ったんじゃない? と、自分にわからせるために。

 

こんなアホな悩み、普通の人はないんだろうな。人一倍物を考えられない、突き詰められない自分が情けなかった。映画ブログを書いて、思ったことを素直に吐き出せるようになりたい。そう思ったわけである。

 

5年。244本。

少しは解消しただろうか。効果はあっただろうか。自分でもよくわからないけれど、一つ一つ考えながら言葉を探し出そうとした作業は、無駄じゃなかったと思える。

 

映画レビューのブログを上げている方は多い。その中で、こんな私の感想にうなずいてくれる方もいたのである。世間の方向と違う、マニアックな物言いにでも、である。

嬉しかった。自分なりの感じ方を流してしまわない癖をつけたい、と思った。

 

物語を創るにあたっても、「自分の感覚」があるなしで、平凡な話でも一味変わる。そう感じる。

 

ちなみに、現在その映画ブログを放置してしまっているのは、そういった悩みが解消したからではない。

 

単に忙しさで映画館に頻繁に通えなくなってきた、2時間をまとめて取るのが難しくなってきた。要は手が回らなってきた……といった理由なので……こんなご時世、おうちでまったり映画鑑賞というのも悪くないかと思っている。

 

(了)

 

 

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いまだ衰えが見えない新型コロナの猛威。予定は仕事以外ほとんどキャンセル、電車やバスや買い物さえも憂鬱な日々。

 

自粛がどんどん生活を圧迫してくるので、家にいる時間が増えた。こんなにゆっくり家にいたのは何年ぶりだろうか……。それはそれでマッタリもするので、この滅入る事態の中、無理やりメリットを考えてみた。

 

1.料理が一品増えた。

家にいる時間が長いので、少し手間をかけてもいいかな、という余裕が出たのである。これは結構精神衛生によい。料理は、メインを火にかけている間にサラダを刻んで、とかの段取りに意外と頭を使うので、余計な思考を追い出してくれる。加えて一品多いことに大威張りできる。(←普段が少なすぎる……)

10何年ぶりかにクッキーなど作ってみようか、などと欲も出始めた。


2.野菜類の冷凍。

これまでもカボチャやニンジン、ブロッコリーなどはよく冷凍してきたが、このたび他にも長持ちさせられる野菜はないか? といろいろ参照。すると、キノコや玉ねぎもOKらしいと知る。主婦として1つお利口になった。(←今更すぎる)

 

3.掃除。

掃除も片付けも、普段は嫌い中の嫌い。だからめちゃくちゃテキトーだった。顕著な例として、買ってから1年以上経つタンスに、しまい切れてないものがまだある(年末もサボった)。今がチャンスと、その一部を引き出しに収めてみた。あら気持ちいい。それに使いやすくて便利。(←そのためのタンスだから)


そもそもその中身は何かというと、薬の類。一つ一つ見てみたら、解熱鎮痛剤が出てきた。ニュースで×と言われていたイブプロフェン……一旦落胆したが、別のも出てきた。そっちの成分にはアセトアミノフェンと書いてある……おお、WHO推奨のやつじゃない? うちにあったのね。いつ買ったのかも覚えてないけど、そのときの私、グッジョブ!


恐ろしいのが、使用期限切れの薬がゾロゾロ出てきたこと。2013年なんてのもあり、未練なく捨てた。おかげでスッキリと整理できた。(←これ、普段からやっとかないとマズイと思った……)


以前海外旅行のために買った除菌シートも見つけた。これ今、お宝でない? 貴重な発見続きに浮かれる。この調子でいくと、現金の2、3万くらいも出てきそう、と期待は膨らむ。(←なかった……)

 

さてタンスの続きを、と思ったとき避難用リュックが目に入った。ずいぶんと前にいろいろと詰め込んだけど、その後放りっぱなし。そっちを先にやるべきか? という気になり、タンスの整理は中断。

 

4.防災リュック。

探ると、期限切れの水や缶詰の他、マスク数枚と手袋が入ってる! おお、快哉! 誰が入れたの? (←私のはず。全く忘れてた)

 

いまだマスクはお店で見かけることがない。消毒液や使い捨て手袋も。ほんの少しではあるが、またもお宝大発見。

 

水や缶詰は買い直さなくちゃならないな、という気付きもあったけれど、とりあえずいいや、ということにする。いざとなればちょっとくらいの賞味期限切れ、どうってことないでしょ。


5.電車賃。

外出しない一番のメリットは、交通費がかからないことか。バイトは定期を買うほどの頻度じゃないので、私用のお出掛けには丸々交通費がかさむわけで。



…………………………とまあ、そんな風に頑張ってメリットを掘り起こしましたが。実際なかなかに実りもありましたが。


料理が一品少なくてもタンスの整理が悪くても冷凍技を知らなくても交通費がかかってもお宝発見がなくてもいい。


とにかくコロナ、少しでも早く収まってくれることを願います。


(了)

 


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2017年に「定年女子」というドラマが放送されたとき、軽くめまいがした。そういう時代になったのだ、と感慨が大きすぎて。

 

私が就職したのはバブル期だった。「男女雇用機会均等法」が施行されて数年、期待の女性先輩も多くいた。でも基本的に男社会で対等に進んでいけるのは、やはり特別頭が切れる女性だったように思う。

 

当時は「想い出にかわるまで」「クリスマスイブ」など、私が尊敬する内館牧子さん脚本のドラマが流行った。基本、ドロドロドラマと言われるけれど、女性の職場における立場がリアルに描写されていたことが人気の一因だったはず。

 

まだお茶くみ、コピー取りが主な仕事だった時代、その中で年齢を重ねるうちに肩身が狭くなる。結婚が最大の幸せで円満退社が一番の誇り。男性側の「女の子にこんな仕事させたらかわいそうだから」との思いは、決して悪気ではなくあの頃は本気の誠意だった、等々。

 

仕事をする女性が出てくるドラマもあったが、大体は恋愛ドラマの背景の、例えば不倫相手が会社の同僚といった添え物程度か、医者や弁護士など専門的な職業だった。だから内館さんのドラマに出てくる普通のOLの切なさは強烈だった。

 

その後、ドラマでの女性の仕事は添え物ではなくなっていく。両立のための「ダブルキッチン」とか、OLとひとくくりにできない曲者ぞろいの「ショムニ」なども面白かった。

 

最近は、主人公の女性はほぼ普通に仕事する。「獣になれない私たち」しかり「校閲ガール」しかり。

 

こういった中でドラマシナリオコンクールにはどんなものを出したらいいのか悩む。

 

会社は男社会で女がどうしても不利を感じる話。普通の女性が普通の男性と同じように何も考えなくても同じに進むのは難しい。そういうものを書きたいと思っている。とすると、時代設定は現代にはできないのかな、と思う。けれどこうした風潮が残っている会社もまだ多く、知り合いから聞く愚痴からは、時代遅れの話でもないという気がしている。

 

ドラマは現実を先導する立場なので、今なぜそのテーマなのか、が大事という。内館さんの頃はそういったものがなかったので新鮮だった。でも今は「女性のお仕事もの」は氾濫している。つまり、そういったものを応募しても作品としての新しさはない時代になったということだ。

 

何せ女性の定年退職のドラマが放映される時代。今や仕事を定年まで続ける方も増えた。けれど、バブル期に最善とされた結婚退職をした女性は、それゆえに「自立していない」といった目で見られる不快さもある。

 

そういった多様化を扱えば新しくて面白いドラマにもなるのかな、と思う。思いつつも、扱い切れるかどうか、まだまだ修行の必要も感じる。

 

(了)

 

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主婦歴数十年。料理のレパートリー、一桁。

 

料理した回数だけなら数えきれない私だけど、大抵は市販のカレーの素、中華の素、〇〇焼の素……と、味付けはほぼ外注と言っていい。最近の「素」は下手に手探りで調味料を合わせるより美味しくて間違いを起こさない。早くからそれに気付いていた私は、ヘビーな愛用者なわけで。

 

とはいえ、美味しいものを食べるのは好き。だから美味しそうな料理本をながめるのも料理番組を見るのも好き。気になったものは真似して作りたいと思う気概もある。

 

けれど、その気概が挫かれることは多い。料理本・番組、共にあるワードが出てくると投げ出してしまう。

 

その1「〇〇したらラップで包んで冷蔵庫で一晩おきましょう」


これ、ダメなんだなあ……。料理は嫌いじゃないけど、毎日となるとやる気を起こすのが大変。やる気になったらその貴重なチャンスに一気にやらないと。一晩経ってそのやる気が持続しているかは怪しい。ラップで包んだまま1週間や2週間、平気で過ぎてしまいそうなんである……。

 

その2「魚焼きグリルを使うだけなのでカンタン」


作ること自体はカンタンかも知れないけど、その後が問題。あのグリルの、乗せる台一本一本と受け皿の汚れを洗うのが嫌いで嫌いで。そもそも本来利用するはずの魚さえフライパンにシートを敷いて焼いているくらいなのだ。

 

その3「ここでミキサーにかけます」


これも2と同じ理由で私にはNG。大昔、ビシソワーズというジャガイモのスープ作りに凝っていた時もあるけど、自然消滅してしまったのはそのせい。ミキサーの入れ物と刃をきれいに洗い上げることを考えるだけで憂鬱になるんである。


思えば、お菓子作りにトライしていたこともあった。でもあれは使う用具も多いし、粉が飛び散ることも、バターやらのオイルがこびりつくことも、はたまた焼け焦げる可能性も大。その後片付けは私にとってひとかたならぬ重労働だった。だから、餅焼き網やらザルやらもめったに使わない。

 

要は洗い物が嫌いなせいでレパートリーが狭まっているのかも。世の中のお料理好きな方は、そういうことを面倒だと思わないのかなあ。

 

私の作るのは、なるたけ簡単で洗い物が少なく(食器含めて)短い時間で出来上がるものばかり。結果一皿物が実に多くなっている。

 

手の込んだ超美味しいものを食べたくなったらプロの作るお料理を。つまり外食する。ちょっと目先を変えたくなったり品数が少ないと思ったら、出来合いの総菜を買う。それでいいんじゃないかな。


冷ややかな目で見られても呆れられても動じない。このところ、開き直りだけは上手くなってきた。苦手なことを長く続けるにはそれが一番大事よね、と思う。……これも一種の開き直りか。

 

(了)

 

 

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このところのコロナ騒ぎで、身の回りのケアが本当に煩わしい。

 

外出時には常にマスク。メガネをかけている身には地味に耳が痛くなり、頭痛に発展しつつある。


通勤電車はなるべく人の少ない時間場所を選ぶ。でも、私もそうだが誰もつり革手すりに触らない。急停車したときどうなるか怖い。


石鹼手洗い→アルコール消毒→ハンドクリームを激しく繰り返すので、手はあかぎれし血にまみれてきた。それでも一般市民にできる数少ない対策の1つなのでやめるわけにはいかない。


そして家族全員帰宅後には、家のドアノブや電気スイッチやリモコンを消毒シートで拭いまくる。


ああもう嫌になる。

 

どこまで気を付けてどこまで消毒やお掃除をすればいいのか。服とかお金とか髪の毛とか。気にし始めたらあそこもここも、あっちもこっちも際限ない……。


でも、旦那さんのテレワークや子供の休校が加わってストレス爆発している知り合いを見ると、それがない身でキレるのも申し訳ない……。

 

こんな異常に神経質になるしかない毎日で、思い出したのが1997年の映画「ガタカ」(アメリカ、主演:イーサン・ホーク)。


遺伝子ですべてが管理される近未来、エリートかどうかは生まれながらに決まっている。そんな中、劣性遺伝子を持つビンセントが優秀な遺伝子の男に成りすまし、エリート社会に紛れ込む。が、彼の正体を疑う人間が殺される事件が起き……といった話だったように思う。

 

ストーリー自体はもうおぼろげだけど、鮮明に覚えているのが、このビンセントの涙ぐましい努力。厳重に遺伝子を管理されるので、偽物とバレないためには、髪の毛一本、皮膚ひとかけらも落とせない。涙、汗、血液、唾液。トイレやお風呂も油断できない。いつもピンセットやら消毒布やらで拾い集め拭いまくり。


その、始終気を張って細かく神経を尖らせなければならない日常は、おおざっぱな私なら気が変になると思った。いっそエリートになんかならない方が幸せなんじゃないの? とも。

 

観た当時は、こんな神経質な未来は無理、と一刀両断して済んだ。でも今現在のコロナウィルス防御対策がこれに重なって思え、あの時思った以上にすり減ると痛感している。

 

他にも思い出した映画がある。

1995年の「アウトブレイク」(アメリカ、主演:ダスティン・ホフマン)。


空気感染する未知のウィルスが蔓延していく話だった。その感染の広がり方の描写がリアルで、現場の医師や研究者たちの執念やプロ意識が素晴らしく、とても観応えがあった。好きな映画なので何度か観ている。


けれど、現在の現実が似すぎていて今は観返す気になれない。ただ、この映画のラストは血清を作ることに成功して収束した。現実も早くそうなってほしい。

 

日本でも「感染列島」という映画が2008年にあった(主演:妻夫木聡)。


「アウトブレイク」の日本バージョンという感じだったが、出来はあまりに悪かった。「アウトブレイク」は良質のサスペンスだったけれど、こちらはただむやみに怖がらせようとするだけの安い内容。そういう意味で、今だからというわけではなく、今後も観ないと思う。

 

様々なイベントも次々中止になり、不要不急の外出も避けようとなると、家で映画を観るくらいしか思いつかない。では何を? これ以上すり減りたくはない。

こういうときはリアルなものより、アニメとかファンタジーとか、そういった非現実に逃げたくなる。

 

(了)

 

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昔、保健所でバイトしていたことがある。ちびっ子達の健診の受付が主な業務だった。

 

生まれて3か月とか1年6か月等の節目で、身長体重を測ったり歯の検査をしたりと、順調に成長しているかをチェックするための、国が定めた健診である。

 

走り回り続けママに追いかけさせ続ける子、大泣きを周りに伝染させる子、繰り返し絵本を読み直す子。いろんなタイプのお子さんがいて、見ていて微笑ましかった。

 

平日にも関わらず付き添いはご両親お二人でとか、パパが連れてくるパターンもあって、時代は変わったなあと思わされる風景。

 

そんなちびっ子達と保護者の方、時には兄弟姉妹や祖父母までが一堂に会するので、かなり騒々しい。受付のこちらも声を大にしてお名前を呼んだり説明したり案内したりする必要があった。

 

私の場合、普段から声がこもって通らないので、とにかくまず相手に届くようにしゃべるのに必死だった。なので他の細かい心配りがついうかつになってしまうことが結構あった。中でも今でも申し訳ないと心に引っかかっている失敗がある。

 

受付のたびに「お子さんに食べ物の好き嫌いはありますか」「お母さんは空いているお席におかけになってお待ちくださいね」とか呼びかけるわけだけど、その方には平然と言ってしまったのだ。

お父さん、こちらにご記入をお願いします

 

するとその方、変な顔をして「あの」と言った。「私、母なんですけど」と。

 

一瞬意味がわからなかった。ショートカットで、たっぷりしたジャケットにパンツをかっこよく着こなしていた。何かスポーツをされているのか、すらりと細身で足取りも軽快。1ミリも疑わなかった。現代らしい「イクメン」がいる、と。

 

違う。とってもボーイッシュなママだったのだ。

 

笑って聞き流してくれたら忘れてしまっていただろうけど、今でも「ごめんなさい、すみません、ごめんなさいっ!」と10000回でも叫びたくなるほど、そのお母さんは傷ついた顔をしていた。

 

言い訳をさせてもらうなら、その間違いは侮辱や誹りとかではなく、さばさばしたかっこよさがあって好感度が高かったせい。ソフトボールの上野さんとか女子サッカーの澤さんみたいな。私はそういうのに憧れてしまう部分があるのだろう。後に宝塚に走る自分を予言しているかのようである。

 

でも、そのお母さんにとっては誉め言葉ではなかったのだろう(動揺した私、何とも言い訳もできずにその場を終わってしまったし……)。本当に申し訳ないと今でも思っているのだが、……そのちびっ子ももう中学生か高校生になっている頃。お母さんがかっこいいことに気付いているかもしれない。だとしたら、あの時そう告げられなかった私の代わりに声を大にして伝えて欲しいと願っている。

 

(了)

 

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