石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -30ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

このご時世、テレワークという働き方が増えている。けれどそれもパソコンのみでは成り立たないと思う。何かしらの文具は必要になってくるはず。

 

私の場合、書くこと全般について、メインはパソコンでも、いろいろと必要。

 

アイディアメモを書くのは黒ボールペン、日記はシャーペン、気になる新聞記事の単語は蛍光ペンでマーク。原稿をパソコンに打ち込んだらプリントアウトし、赤ボールペンでチェック。修正後更に直したいときは、その同じプリントアウトに青ボールペンで書き込む(紙とインクの節約……ケチケチやってます)。

 

他、消しゴム定規クリップホチキス付箋。付箋は、細長いもの、大型小型、色もピンク水色黄色と数種類使う。そして、パソコンデータをバックアップしておくUSBメモリ

 

とまあ、最低それだけは筆入れに入れたい。基本的に家での作業だけど、部屋移動やらたまに外、と、どこへ行くにもそれとパソコンさえ持てば完結するような筆入れとしたい……と常々思っているのだけれど。

 

これが20年来満足いかない。どうやっても使い勝手がよくならないのだ。

 

文具売り場や百均にいくと、筆箱コーナーをつい見てしまう。最近は大振りでポケットもあって、ファスナー物でもペン立てのように立てて使えるものもある。

 

私が子供の頃は、「象が踏んでも壊れない」といった売り文句の丈夫なものが主流だった。最近は便利でお洒落なものが増えたなあ、と感心する。ならば今の自分が満足いく筆入れがあるやも知れん、と目を皿のようにして探す。

 

でも、、、

 

持ち歩きに便利なのは袋タイプだろうな……と思いつつ、ファスナーでぐるりと開けなければならないのは面倒。取り出してみないと赤ペンなのかシャーペンなのかわからない。全部出して選んで残りを戻すしかない。そういう風に本作業の前にちょっとでも手こずると、簡単にやる気が削げてしまう……。

 

筆記具というのは不思議で、持ち歩くとペン先が引っ込んでいても蓋がしてあっても、なぜか筆入れの中が汚れる。付箋はその汚れが移るだけじゃなく、角が丸まったり折れたりする。

 

だから、ペン類と付箋は仕切られているとかポケットが欲しい。USBや消しゴムやクリップも分かれて入るといい。できればシャーペンの替え芯ホチキス修正テープハサミカッターなどもうまいこと収めたい。当然、これら中身が見えやすいこと必須。

 

なんていう素敵な筆入れは今のところ見つかっていない。

 

なので、とりあえず家の中では蓋のない缶タイプに並べるようにした。


見える。汚れない。折れない。うん、満たす。


でもあまり大きくなると重たいし落とした時が怖いので、8×18cmくらいの大きさのものに落ち着いている。お洒落とかスマートさにはめちゃくちゃ欠けるが、今のところ一番ストレスがない。

 

でも、それも次第にどうも使いにくくなった。よくよく見れば、いつの間にか山盛り状態になっている。何かを使おうとすると必ずこぼれて苛つく。仕方なく整理してみたら、赤ペンも黒ペンも2本3本、3色ペンまで加わっている。

 

知らぬ間に定規も2つ入っているし、クリップはばらばらと隙間を埋めている。何でなのか、ヘアピン数本やボタン、安全ピン、キャラクターの根付けなんかも入っている。なくしたら困る小さいものをとりあえずのつもりで入れたみらしい自分……。


整理しても整理してもすぐその状態になる。やっぱりこのタイプも私には合わないのか?

 

ああ、ストレスなく使いこなせる理想の筆入れが欲しい。


でもこんなに長いこと見つからないのは、使う人間のせいなのかなあ。ズボラで面倒くさがりで整理下手。それを証明しているのかなあ……。

 

(了)

 

 

 

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2014年を最後に止まってしまっているけれど、5年間ほど映画のブログをあげていた。

 

レビューした映画は244本。

映画館へ行ったものもあればテレビ録画、レンタルで観たものも含む。このブログを書きたいがために、せっせと映画館へ通った時期もあった。

 

(この時分、映画でも観てみようか、でもどれにしよう、と悩んでいる方。ご参考まで→「筋書きのないドラマ、筋書きのあるドラマ」 自分勝手な感想ばかりだけど、一応そこそこ数はあります

 

映画のブログを書こうと思い立った理由は2つ。

 

1つは、映画はよく観ていたこと。

 

シナリオの勉強を始めた時に「とにかくたくさん映画を観なさい」と言われた。それまではあまり興味なかったのだが、とりあえずレンタルビデオ屋に通い始めたら、ハマった。年平均200本くらいで10年以上は続いたから、延べ2000本超。わあ自分でもビックリ。

(↑気に入ったものは何度も観ているので、その重複も数に入ってます)

 

もう1つの理由は、自分の脳内がよくわからなかったこと。これは少女期から長きに渡っての悩みだった。

 

人の意見に引きずられる。他人の意見がすばらしくて正しく思え、自分が感じたことが間違いの気がする、あるいはわからなくなってしまうことすら多い。

 

でも、物を書くようになって、自分自身がどう感じたかがどれだけ大事なのか痛感した。

本当はそうは思わなかったのに、そうであったかのように錯覚してしまう。すると……書き進むうちに「何か違う」と行き詰まってしまうのである。自分の感覚で書いていない、誰かの上澄みを貼り合わせているだけだから、方向や気持ちがずれていく。

 

だから、その映画を世間の評価ではなく、自分自身がどう思ったのか、どう感じたのかを整理して、正直に書き表そうと思った。ああいう感想の人が多いけれど、私はちょっと違ってこう思ったんじゃない? と、自分にわからせるために。

 

こんなアホな悩み、普通の人はないんだろうな。人一倍物を考えられない、突き詰められない自分が情けなかった。映画ブログを書いて、思ったことを素直に吐き出せるようになりたい。そう思ったわけである。

 

5年。244本。

少しは解消しただろうか。効果はあっただろうか。自分でもよくわからないけれど、一つ一つ考えながら言葉を探し出そうとした作業は、無駄じゃなかったと思える。

 

映画レビューのブログを上げている方は多い。その中で、こんな私の感想にうなずいてくれる方もいたのである。世間の方向と違う、マニアックな物言いにでも、である。

嬉しかった。自分なりの感じ方を流してしまわない癖をつけたい、と思った。

 

物語を創るにあたっても、「自分の感覚」があるなしで、平凡な話でも一味変わる。そう感じる。

 

ちなみに、現在その映画ブログを放置してしまっているのは、そういった悩みが解消したからではない。

 

単に忙しさで映画館に頻繁に通えなくなってきた、2時間をまとめて取るのが難しくなってきた。要は手が回らなってきた……といった理由なので……こんなご時世、おうちでまったり映画鑑賞というのも悪くないかと思っている。

 

(了)

 

 

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いまだ衰えが見えない新型コロナの猛威。予定は仕事以外ほとんどキャンセル、電車やバスや買い物さえも憂鬱な日々。

 

自粛がどんどん生活を圧迫してくるので、家にいる時間が増えた。こんなにゆっくり家にいたのは何年ぶりだろうか……。それはそれでマッタリもするので、この滅入る事態の中、無理やりメリットを考えてみた。

 

1.料理が一品増えた。

家にいる時間が長いので、少し手間をかけてもいいかな、という余裕が出たのである。これは結構精神衛生によい。料理は、メインを火にかけている間にサラダを刻んで、とかの段取りに意外と頭を使うので、余計な思考を追い出してくれる。加えて一品多いことに大威張りできる。(←普段が少なすぎる……)

10何年ぶりかにクッキーなど作ってみようか、などと欲も出始めた。


2.野菜類の冷凍。

これまでもカボチャやニンジン、ブロッコリーなどはよく冷凍してきたが、このたび他にも長持ちさせられる野菜はないか? といろいろ参照。すると、キノコや玉ねぎもOKらしいと知る。主婦として1つお利口になった。(←今更すぎる)

 

3.掃除。

掃除も片付けも、普段は嫌い中の嫌い。だからめちゃくちゃテキトーだった。顕著な例として、買ってから1年以上経つタンスに、しまい切れてないものがまだある(年末もサボった)。今がチャンスと、その一部を引き出しに収めてみた。あら気持ちいい。それに使いやすくて便利。(←そのためのタンスだから)


そもそもその中身は何かというと、薬の類。一つ一つ見てみたら、解熱鎮痛剤が出てきた。ニュースで×と言われていたイブプロフェン……一旦落胆したが、別のも出てきた。そっちの成分にはアセトアミノフェンと書いてある……おお、WHO推奨のやつじゃない? うちにあったのね。いつ買ったのかも覚えてないけど、そのときの私、グッジョブ!


恐ろしいのが、使用期限切れの薬がゾロゾロ出てきたこと。2013年なんてのもあり、未練なく捨てた。おかげでスッキリと整理できた。(←これ、普段からやっとかないとマズイと思った……)


以前海外旅行のために買った除菌シートも見つけた。これ今、お宝でない? 貴重な発見続きに浮かれる。この調子でいくと、現金の2、3万くらいも出てきそう、と期待は膨らむ。(←なかった……)

 

さてタンスの続きを、と思ったとき避難用リュックが目に入った。ずいぶんと前にいろいろと詰め込んだけど、その後放りっぱなし。そっちを先にやるべきか? という気になり、タンスの整理は中断。

 

4.防災リュック。

探ると、期限切れの水や缶詰の他、マスク数枚と手袋が入ってる! おお、快哉! 誰が入れたの? (←私のはず。全く忘れてた)

 

いまだマスクはお店で見かけることがない。消毒液や使い捨て手袋も。ほんの少しではあるが、またもお宝大発見。

 

水や缶詰は買い直さなくちゃならないな、という気付きもあったけれど、とりあえずいいや、ということにする。いざとなればちょっとくらいの賞味期限切れ、どうってことないでしょ。


5.電車賃。

外出しない一番のメリットは、交通費がかからないことか。バイトは定期を買うほどの頻度じゃないので、私用のお出掛けには丸々交通費がかさむわけで。



…………………………とまあ、そんな風に頑張ってメリットを掘り起こしましたが。実際なかなかに実りもありましたが。


料理が一品少なくてもタンスの整理が悪くても冷凍技を知らなくても交通費がかかってもお宝発見がなくてもいい。


とにかくコロナ、少しでも早く収まってくれることを願います。


(了)

 


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2017年に「定年女子」というドラマが放送されたとき、軽くめまいがした。そういう時代になったのだ、と感慨が大きすぎて。

 

私が就職したのはバブル期だった。「男女雇用機会均等法」が施行されて数年、期待の女性先輩も多くいた。でも基本的に男社会で対等に進んでいけるのは、やはり特別頭が切れる女性だったように思う。

 

当時は「想い出にかわるまで」「クリスマスイブ」など、私が尊敬する内館牧子さん脚本のドラマが流行った。基本、ドロドロドラマと言われるけれど、女性の職場における立場がリアルに描写されていたことが人気の一因だったはず。

 

まだお茶くみ、コピー取りが主な仕事だった時代、その中で年齢を重ねるうちに肩身が狭くなる。結婚が最大の幸せで円満退社が一番の誇り。男性側の「女の子にこんな仕事させたらかわいそうだから」との思いは、決して悪気ではなくあの頃は本気の誠意だった、等々。

 

仕事をする女性が出てくるドラマもあったが、大体は恋愛ドラマの背景の、例えば不倫相手が会社の同僚といった添え物程度か、医者や弁護士など専門的な職業だった。だから内館さんのドラマに出てくる普通のOLの切なさは強烈だった。

 

その後、ドラマでの女性の仕事は添え物ではなくなっていく。両立のための「ダブルキッチン」とか、OLとひとくくりにできない曲者ぞろいの「ショムニ」なども面白かった。

 

最近は、主人公の女性はほぼ普通に仕事する。「獣になれない私たち」しかり「校閲ガール」しかり。

 

こういった中でドラマシナリオコンクールにはどんなものを出したらいいのか悩む。

 

会社は男社会で女がどうしても不利を感じる話。普通の女性が普通の男性と同じように何も考えなくても同じに進むのは難しい。そういうものを書きたいと思っている。とすると、時代設定は現代にはできないのかな、と思う。けれどこうした風潮が残っている会社もまだ多く、知り合いから聞く愚痴からは、時代遅れの話でもないという気がしている。

 

ドラマは現実を先導する立場なので、今なぜそのテーマなのか、が大事という。内館さんの頃はそういったものがなかったので新鮮だった。でも今は「女性のお仕事もの」は氾濫している。つまり、そういったものを応募しても作品としての新しさはない時代になったということだ。

 

何せ女性の定年退職のドラマが放映される時代。今や仕事を定年まで続ける方も増えた。けれど、バブル期に最善とされた結婚退職をした女性は、それゆえに「自立していない」といった目で見られる不快さもある。

 

そういった多様化を扱えば新しくて面白いドラマにもなるのかな、と思う。思いつつも、扱い切れるかどうか、まだまだ修行の必要も感じる。

 

(了)

 

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主婦歴数十年。料理のレパートリー、一桁。

 

料理した回数だけなら数えきれない私だけど、大抵は市販のカレーの素、中華の素、〇〇焼の素……と、味付けはほぼ外注と言っていい。最近の「素」は下手に手探りで調味料を合わせるより美味しくて間違いを起こさない。早くからそれに気付いていた私は、ヘビーな愛用者なわけで。

 

とはいえ、美味しいものを食べるのは好き。だから美味しそうな料理本をながめるのも料理番組を見るのも好き。気になったものは真似して作りたいと思う気概もある。

 

けれど、その気概が挫かれることは多い。料理本・番組、共にあるワードが出てくると投げ出してしまう。

 

その1「〇〇したらラップで包んで冷蔵庫で一晩おきましょう」


これ、ダメなんだなあ……。料理は嫌いじゃないけど、毎日となるとやる気を起こすのが大変。やる気になったらその貴重なチャンスに一気にやらないと。一晩経ってそのやる気が持続しているかは怪しい。ラップで包んだまま1週間や2週間、平気で過ぎてしまいそうなんである……。

 

その2「魚焼きグリルを使うだけなのでカンタン」


作ること自体はカンタンかも知れないけど、その後が問題。あのグリルの、乗せる台一本一本と受け皿の汚れを洗うのが嫌いで嫌いで。そもそも本来利用するはずの魚さえフライパンにシートを敷いて焼いているくらいなのだ。

 

その3「ここでミキサーにかけます」


これも2と同じ理由で私にはNG。大昔、ビシソワーズというジャガイモのスープ作りに凝っていた時もあるけど、自然消滅してしまったのはそのせい。ミキサーの入れ物と刃をきれいに洗い上げることを考えるだけで憂鬱になるんである。


思えば、お菓子作りにトライしていたこともあった。でもあれは使う用具も多いし、粉が飛び散ることも、バターやらのオイルがこびりつくことも、はたまた焼け焦げる可能性も大。その後片付けは私にとってひとかたならぬ重労働だった。だから、餅焼き網やらザルやらもめったに使わない。

 

要は洗い物が嫌いなせいでレパートリーが狭まっているのかも。世の中のお料理好きな方は、そういうことを面倒だと思わないのかなあ。

 

私の作るのは、なるたけ簡単で洗い物が少なく(食器含めて)短い時間で出来上がるものばかり。結果一皿物が実に多くなっている。

 

手の込んだ超美味しいものを食べたくなったらプロの作るお料理を。つまり外食する。ちょっと目先を変えたくなったり品数が少ないと思ったら、出来合いの総菜を買う。それでいいんじゃないかな。


冷ややかな目で見られても呆れられても動じない。このところ、開き直りだけは上手くなってきた。苦手なことを長く続けるにはそれが一番大事よね、と思う。……これも一種の開き直りか。

 

(了)

 

 

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このところのコロナ騒ぎで、身の回りのケアが本当に煩わしい。

 

外出時には常にマスク。メガネをかけている身には地味に耳が痛くなり、頭痛に発展しつつある。


通勤電車はなるべく人の少ない時間場所を選ぶ。でも、私もそうだが誰もつり革手すりに触らない。急停車したときどうなるか怖い。


石鹼手洗い→アルコール消毒→ハンドクリームを激しく繰り返すので、手はあかぎれし血にまみれてきた。それでも一般市民にできる数少ない対策の1つなのでやめるわけにはいかない。


そして家族全員帰宅後には、家のドアノブや電気スイッチやリモコンを消毒シートで拭いまくる。


ああもう嫌になる。

 

どこまで気を付けてどこまで消毒やお掃除をすればいいのか。服とかお金とか髪の毛とか。気にし始めたらあそこもここも、あっちもこっちも際限ない……。


でも、旦那さんのテレワークや子供の休校が加わってストレス爆発している知り合いを見ると、それがない身でキレるのも申し訳ない……。

 

こんな異常に神経質になるしかない毎日で、思い出したのが1997年の映画「ガタカ」(アメリカ、主演:イーサン・ホーク)。


遺伝子ですべてが管理される近未来、エリートかどうかは生まれながらに決まっている。そんな中、劣性遺伝子を持つビンセントが優秀な遺伝子の男に成りすまし、エリート社会に紛れ込む。が、彼の正体を疑う人間が殺される事件が起き……といった話だったように思う。

 

ストーリー自体はもうおぼろげだけど、鮮明に覚えているのが、このビンセントの涙ぐましい努力。厳重に遺伝子を管理されるので、偽物とバレないためには、髪の毛一本、皮膚ひとかけらも落とせない。涙、汗、血液、唾液。トイレやお風呂も油断できない。いつもピンセットやら消毒布やらで拾い集め拭いまくり。


その、始終気を張って細かく神経を尖らせなければならない日常は、おおざっぱな私なら気が変になると思った。いっそエリートになんかならない方が幸せなんじゃないの? とも。

 

観た当時は、こんな神経質な未来は無理、と一刀両断して済んだ。でも今現在のコロナウィルス防御対策がこれに重なって思え、あの時思った以上にすり減ると痛感している。

 

他にも思い出した映画がある。

1995年の「アウトブレイク」(アメリカ、主演:ダスティン・ホフマン)。


空気感染する未知のウィルスが蔓延していく話だった。その感染の広がり方の描写がリアルで、現場の医師や研究者たちの執念やプロ意識が素晴らしく、とても観応えがあった。好きな映画なので何度か観ている。


けれど、現在の現実が似すぎていて今は観返す気になれない。ただ、この映画のラストは血清を作ることに成功して収束した。現実も早くそうなってほしい。

 

日本でも「感染列島」という映画が2008年にあった(主演:妻夫木聡)。


「アウトブレイク」の日本バージョンという感じだったが、出来はあまりに悪かった。「アウトブレイク」は良質のサスペンスだったけれど、こちらはただむやみに怖がらせようとするだけの安い内容。そういう意味で、今だからというわけではなく、今後も観ないと思う。

 

様々なイベントも次々中止になり、不要不急の外出も避けようとなると、家で映画を観るくらいしか思いつかない。では何を? これ以上すり減りたくはない。

こういうときはリアルなものより、アニメとかファンタジーとか、そういった非現実に逃げたくなる。

 

(了)

 

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昔、保健所でバイトしていたことがある。ちびっ子達の健診の受付が主な業務だった。

 

生まれて3か月とか1年6か月等の節目で、身長体重を測ったり歯の検査をしたりと、順調に成長しているかをチェックするための、国が定めた健診である。

 

走り回り続けママに追いかけさせ続ける子、大泣きを周りに伝染させる子、繰り返し絵本を読み直す子。いろんなタイプのお子さんがいて、見ていて微笑ましかった。

 

平日にも関わらず付き添いはご両親お二人でとか、パパが連れてくるパターンもあって、時代は変わったなあと思わされる風景。

 

そんなちびっ子達と保護者の方、時には兄弟姉妹や祖父母までが一堂に会するので、かなり騒々しい。受付のこちらも声を大にしてお名前を呼んだり説明したり案内したりする必要があった。

 

私の場合、普段から声がこもって通らないので、とにかくまず相手に届くようにしゃべるのに必死だった。なので他の細かい心配りがついうかつになってしまうことが結構あった。中でも今でも申し訳ないと心に引っかかっている失敗がある。

 

受付のたびに「お子さんに食べ物の好き嫌いはありますか」「お母さんは空いているお席におかけになってお待ちくださいね」とか呼びかけるわけだけど、その方には平然と言ってしまったのだ。

お父さん、こちらにご記入をお願いします

 

するとその方、変な顔をして「あの」と言った。「私、母なんですけど」と。

 

一瞬意味がわからなかった。ショートカットで、たっぷりしたジャケットにパンツをかっこよく着こなしていた。何かスポーツをされているのか、すらりと細身で足取りも軽快。1ミリも疑わなかった。現代らしい「イクメン」がいる、と。

 

違う。とってもボーイッシュなママだったのだ。

 

笑って聞き流してくれたら忘れてしまっていただろうけど、今でも「ごめんなさい、すみません、ごめんなさいっ!」と10000回でも叫びたくなるほど、そのお母さんは傷ついた顔をしていた。

 

言い訳をさせてもらうなら、その間違いは侮辱や誹りとかではなく、さばさばしたかっこよさがあって好感度が高かったせい。ソフトボールの上野さんとか女子サッカーの澤さんみたいな。私はそういうのに憧れてしまう部分があるのだろう。後に宝塚に走る自分を予言しているかのようである。

 

でも、そのお母さんにとっては誉め言葉ではなかったのだろう(動揺した私、何とも言い訳もできずにその場を終わってしまったし……)。本当に申し訳ないと今でも思っているのだが、……そのちびっ子ももう中学生か高校生になっている頃。お母さんがかっこいいことに気付いているかもしれない。だとしたら、あの時そう告げられなかった私の代わりに声を大にして伝えて欲しいと願っている。

 

(了)

 

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宝塚ファン歴たった1年弱の、ほぼ初心者の私でもショックだった。2/18に発表された雪組トップ望海風斗さんの退団である。

 

私がハマってからの短い期間にも、星組の紅ゆずるさん、花組の明日海りおさん、と男役トップの方の退団があった。トップでない方の退団もどんどんある。時期はそれぞれだが、みなさんそのように普通に卒業していく。だから、5組のトップの中で今最も上級生である望海さんの退団も、おそらくそう遠くないとファンの方々は覚悟していたはず。

 

でも、ファンの入口に立ったばかりの私ですらこの衝撃……。

 

望海さんの存在感は格別だった。観ずにはいられない、好きにならずにはいられないオーラがあった。つい先だって、オリンピックの聖火ランナーに決まったと聞いて感極まり、そのたった200メートルを見に行こうかと本気で悩んでいた私である。

 

歌、踊り、お芝居、と三拍子そろった素晴らしい男役なのである。初めて望海さんの出演作をDVDで観たのは半年くらい前だけど、その印象たるや強烈だった。たちどころに引き込まれた。その後憑かれたようにいくつか続けざまに観たが、どのお役も計り知れない力強さがあった。

 

「エリザベート」の犯人兼狂言回し、「オーシャンズ11」の邪悪なボス、「るろうに剣心」の仇奴。いやあ、そういう「悪い」奴らを、おっそろしく魅力的に見せてくれて、悪役好きな私はすっぽりハマったのでありました。

 

かと思えば、「ファントム」の孤独な音楽家や「壬生義士伝」の貧しい武士はチャーミングだった。純粋さや家族を守ろうとする愛に溢れていて、それまでの悪役ぶりがウソのような善玉で。振り幅の広い、七色の演技力に再び惚れ直したのでした。


去年のFNS歌謡祭で、ほんの一部披露してくれただけなのに濃い深い闇を広げたトート閣下も素晴らしかった。いつか「エリザベート」の舞台で全部通して観てみたかった。

 

望海さんはトークも楽しい。昔から宝塚オタクで、宝塚が大好きで大好きで仕方なかったそう。少女時代の日記は天海祐希さんへのお手紙としてしたためていたほどという。お芝居でもショーでもその大好きさが伝わってくる。実際ご苦労も多いはずなのに、楽しくてたまらないという気持ちがガンガン響いてくる。そんな方なのだ。

 

「オレは夢を売る男」と彼女が歌い上げたナンバーがある。「オーシャンズ11」での野望に満ちたカジノオーナーの持ち歌である。客にひととき大金持ちになる夢を見させてやるという、汚い金儲けに理屈をつけたものであるから、意味は違う。でも、望海さんは間違いなく舞台上で「夢をくれる男」である。3時間、必ず心踊り震える夢の中へ引っ張って行ってくれる。

 

退団会見の、すがすがしい笑顔がまたとても魅力的だった。寂しいけれど、10月までの舞台と、そして今後のご活躍を楽しみにしたいと思います。

 

(了)

 
 
 

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野村克也さんといえば、私にとってはフルーツサンドの人である。

 

もう10年以上も前になるけれど、何かのバラエティで野村夫婦の1日を追いかけるような番組をやっていた。そのとき妻の沙知代さんが朝食に作っていたのがフルーツサンド。栄養とノムさんの好みを考え、たっぷりスライスしたイチゴやバナナと生クリームをパンに挟み、それをホットサンドメーカーで焼く。

 

これがもう、ものすごく美味しそうでどうしてもどうしても食べたくなってしまい、その日のうちにホットサンドメーカーを購入した私……。

 

が、結局私がフルーツサンドを作ることはなかった。

 

最初にハムチーズサンドにトライしたのだが、この器械、ものすごく細いパンじゃないと入らない。ミミつき8枚切りなんかとても無理。ミミを落としても具材はそうそう詰め込めず、薄いハムとチーズだけでも溶けたチーズがはみ出てしまった。その焦げが器具内にこびりついて洗うのにめちゃくちゃ苦労したため、その後活躍することはなかったのだった……。

 

と、そんな風に家事力のない私、このホットサンドメーカーを使いこなし、更にはノムさんの栄養管理全般に行き届いている沙知代さんを尊敬したわけで

 

ノムさんご本人の話に戻ると、三冠王、プレイングマネージャー、ID野球、ボヤキ、再生工場とキーワードがいくつもある。古田敦也さんや田中将大投手の育ての親としても有名で、それまでの野球の常識を破る数々の素晴らしい実績あふれる方。

 

でもONと同世代だったため、すごい記録やプレイでも、彼らの活躍の陰に隠れてしまった。だから「月見草」と自らを呼んだ。そういう気持ちは大した才能も実績もない私にだってよくわかる。

 

それでも、ノムさんが野球に関してトップオブトップだったことは間違いない。それはファンサービスにおいてもそうだった。

 

ノムさんが楽天の監督をしていたとき、試合帰りのバスに出くわしたことがある。選手達は疲れていたのか、誰も顔を見せてはくれなかった。でもノムさんだけは窓を開け、笑顔で手を振り続けてくれた。

 

そのときの私は相手チームの応援のために球場に出向いていたので、出てきたバスが楽天のものだと分かった途端、一瞬がっかりした。でもその対応に、「ノムさん、どんだけプロなんだ」と心が晴れたっけ。

 

「マー君神の子不思議な子」

ノムさんが田中将大投手をそう評したことがある。でも、ノムさん自身、野球の神様の子供なんじゃないか。そう言ったって、誰も否定しないと思う。

 

今頃は、沙知代さんと天国でフルーツサンドを食べているといいな。

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 
(了)
 
 
 

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私の自慢。

それは何年にも渡って投稿し続けた、シナリオ、小説、その数である。

 

乱投稿と言ってもいいくらい、もう数えることも諦めてしまったほどの量。郵便料金だって考えるのが怖いほど。それらのタイトルを並べたExcelの表は、ギッシリ行を詰めた2枚目がもうすぐ終わる。

 

そのほとんどが落選なわけだけど、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、こともある。ごくたま~に、一番ではないものの、当選したことも一応あるのである。

 

そうなると慣れないことを頼まれる。

「受賞の言葉」というやつを。

 

とにかく、落ちた量が多すぎるので、賞に残ったという実感が湧かない。夢か妄想かドッキリじゃないかとずっと疑っていた。

 

というようなことをつらつらと書いた。どのくらいの量を落ちたのか、どれだけの年数を物書くことに費やしたのか。何かの手違いで、「入選は間違いでした」などと再度連絡がくるのかも、と不安におののいたり。そのくらい、信じられないほど嬉しいと。

 

そして、授賞式というものにも参加させていただいた。とても和やかに、担当の方や選者の方、他の受賞者の方とお話できて、本当に楽しい時間だった。

 

と、その隙間時間に、こそっと担当の方から言われたのが。

「受賞の言葉、とてもうれしいお気持ちが伝わってきました。けれど、受賞作品はどういう思いを持って書かれたのかも知りたいです」と。

 

はっ……。


全くもって抜け落ちていた。その肝心な部分が。何てこと。物語ならば主題の部分だろう。こんなアホなものを書いて自分は物書きを目指していると言えようか……。

 

授賞式から帰ってすぐに書き直し、速攻で送った。その際、直す前の文章を読み返したわけだが、「受賞までの道のり」「どれだけ落ちたか選手権」みたいなとんちんかんな内容。顔から火が出そうだった。

 

それで思い出したことがある。


小学生の夏休み、読書感想文を書いた時のこと。


何の本かは忘れたが、「その本を読みたくて読みたくて探して探してようやく見つけました。とても面白かったです。おわり」というような内容で出した。先生も何とも評しようがなかったのだろう、ただ丸が一つついていただけだったように思う。

 

その時から全く成長していない……。投稿した数を数えるより、もう少し目を向けないといけない欠点、一つ見つけました……。


(了)