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公衆衛生の基本は、「正しい知識の普及」

今日も暑いですね。熱中症にはくれぐれも注意しましょう。

昨日は、議会控え室で宮崎日日新聞の県政記者から取材を受け。
「東国原流考」第2弾の取材とか。
「口蹄疫と東国原知事」の質問を受けました。
「現場主義で臨み、必要な事項ははっきり国にもの申されており、評価している。しかし、山田(副)大臣とのバトルはいただけない。」と回答しました。
その記者から、「満行さんのブログ見ています。」と。

その後、同紙のN記者と携帯で話すと、「ブログ見てます!」
そうですか、みなさんすごいですね。宣伝もしていないのに。

今朝は6時前に起床。メールチェックもそこそこにAmebloへ。(中毒ですね、これ!)

ペタを頂いたみなさんのブログをチェック。
特に、ちょくちょくおいで頂いている、うさきち様のブログを拝読。ただ者ではない書き込みが。参考になります。

「口蹄疫と消毒」 私見をかいてみたい気が起こりましたが、結論が「現行の消毒方法は無意味!」となるわけでして、勇気がありません。

公衆衛生の基本は、「正しい知識の普及」
基本が大切なのに、いつの間にか忘れ去れていますね。きっと。今回も生かされていないと思います。

危機意識の欠如。
生物兵器(ウイルス兵器や細菌兵器)テロにどう対処するのかこの国は。(県庁の政府対策本部に医官も来ていましたが。)

「沈まぬ太陽」

今日の朝日新聞に、日航調査委員会が結論を出し近く報告書を提出すると載っています。

日本航空の破綻原因を調べている同社の独立機関「コンプライアンス調査委員会」は、歴代経営者の不作為が原因で破綻したと結論づけ。

危機意識の欠如。「親方日の丸」企業体質。組織の肥大化。もろい財務体質。政官とのもたれ合い。「ナショナル・フラッグ・キャリア」のおごり。
報告書にならぶ厳しい指弾の文字。

この記事を読んでいて、映画「沈まぬ太陽」を思い出しました。

原作は読んだことはありませんが、15年前、山崎豊子氏が週刊新潮で連載を始め大反響を巻き起こしたことを覚えています。よくこんな過激な・衝撃的なストーリーが(日航関係者を敵に回し)書けるものだと。

そして、映画
「沈まぬ太陽」の封切り。時は折しも日航の破綻状態の今日。
映画化も日航の相当な反発があったようですが、よくもまあこの時期に封切りを。

映画のストーリーは衝撃的な内容でした。まさに、日航調査委員会が指摘した悪しき体質の場面が次から次にでてきます。

この報告書で、山崎豊子氏は既に15年前に的確に日航の問題点を掌握していたことがはっきりしました。





今日の宮崎日日新聞特集・東国原流考2

おはようございます。

昨夜はお盆の帰省客の来訪などいろいろあり就寝が遅くなりました。
いまから朝食の予定ではあります。

さて、昨日の内容に一部訂正があります。「質問1番のくじを誰が引くのか。」

正確には、9月定例会は一般質問の前に代表質問があり、代表質問の一番目は最大会派の自民党に割り振られています。だので、知事の政治姿勢を最初に聞くのは自民党議員ということになります。訂正!


今日の宮崎日日新聞。特集・東国原流考の見出しは「在京テレビ局を重視」

東国原知事のメディア戦略が今日のテーマ。

地元メディアと在京キー局の扱いの違いは明らかに「メディア戦略」でしょうね。

「敏感に対応使い分け」 そうですね。

この辺りが、長年芸能界にいた経験がものをいっていると思います。

就任4年目になろうとも90%を越える驚異とも言える高い支持率。

去就表明する9月議会に全国の注目が集まるのは必然です。


東国原知事進退9月議会表明 宮崎日日新聞今日から特集を組む

うさきちさん、「口蹄疫レポート」の感想ありがとうございます。励みになります。

今朝の地元紙、やってくれました。
宮崎日日新聞は今日から知事の進退を含め大型特集を組むようであります。
題して、「東国原流考」 今日は、第1部 異色の知事 ㊤

地元紙ならではの鋭い考察を大いに期待しています。が、しかし、今日の内容は。

大方の意見は、2期目に立候補し、任期途中で国政(衆院選)転身。

私が主張している(予想している)東京知事選出馬は、「
地方代表としての発言力強化を求めて、東京知事選に挑むのでは、との見方もある。」ここでは少数派です。

うーん、どうなんでしょう。鳥インフルエンザ、口蹄疫の難問に現場主義で国と対等に発言、行動。高い支持率。地方宮崎に収まる器ではすでにないと思いますが。

いずれにせよ、9月議会で態度表明されるようですから。10日の定例記者会見で明言されています。

県議会側は、昨年11月議会から「質問のなかで態度表明を聞きたい」とアプローチしておりましたが、「参議院選が終わるまでは答えられない。」と待たされておりました。

9月議会は9月3日開会、質問は翌週から始まります。質問1番のくじを誰が引くのか。当日は、久しぶりに県庁中庭には中継車が並び、報道記者があふれるばかりの盛況になることでしょう。

前知事時代から慣れっこになった県議会風景ではありますが。



お肉のデータ

お盆にお肉の話もいかがなものかとも思いながら。関係ありませんか!

日本人は、仏教伝来で「殺生」の教えから食肉を敬遠したり食肉禁止令が出されたりで近年まであまり食されてきませんでした。

江戸時代は、知恵を絞り?「薬」として食していたとも記されています。

明治に入り、肉を食する事が「文明開化」だと大きな変化が現れます。

「すき焼き」の語源は、
昔野良作業のなか農耕具の鋤(すき)、鍬(くわ=すき)で、肉、野草を焼いて食べたとことからついたとも言われれています。(ほんとうかな)


近年、日本人の食する肉の消費量は低下気味と言われています。それでも、50年前(1960年)と比べると5倍以上に増えています。

戦後の経済成長で日本が豊かになるにつれ、食卓のおかずが魚から、鶏、豚、牛にシフトしていき、食生活が大きく変わりました。

おもしろい資料があります。県庁所在地世帯の肉購入量。大きな開きが。
(総務省家計調査2009年)

牛肉購入量多い市、①広島市 11.1kg②和歌山市11.0kg③熊本市10.61kg以下奈良、大阪と続きます。

牛肉購入量少ない市、①水戸市3.9kg②福島市4.0kg③秋田市4.3kg以下札幌市、前橋市が続きます。


豚肉購入量多い市、①青森市23.7kg②静岡市22.4kg③秋田市22.2kg以下札幌市、福島市。

豚肉購入量少ない市、①
徳島市14.2kg②佐賀市14.55kg③松山市14.63kg以下高知市、鳥取市。

明らかに大きな地域差がありますね。驚きました。販路拡大、営業戦略も地域の特性を甘味しないと。


戦後伸び続けた肉の消費量も近年は伸び悩み、特に牛肉は昨年、ピークだった1995年の6割弱に落ち込んでいるようです。BSEや健康志向が影響しているとか。その分、鶏肉、豚肉が延びています。

このデータを議会の質問に使いたいので備忘録として載せました。あしからず!
(newsがわかる9月号 毎日新聞発行より)





口蹄疫損失2350億円ー今後5年間 県が試算

毎日暑い日が続きます。南国宮崎といってもさすがにつらいですね。

右左吉さん、BINさんのコメントに返事を書いてもAmebaスタッフに削除されるみたいです。そういえば、「勝手に返答しないで下さい。」との注意書きがあったような。

台風4号の今後の進路も気にかかります。日本海側のみなさん、くれぐれもお気をつけ下さい。

夏の甲子園 隣県同士の戦いとなった 延岡学園VS大分工 延長の末に延学勝利!
大分のみなさんは、釈然としない敗退ではなかったのかとお察し申し上げます。


さて、宮崎県が、口蹄疫による経済損失が今後5年間に2350億円に上ると試算したと報道されています。

内訳は、畜産・畜産関係が1400億円。小売りや観光など他分野が950億円。
ああ、相当な損失ですね。再生への道のりは険しいですね。

もう一つ、県独自に「口蹄疫対策検証委員会」を設置し、一連の防疫対策や感染ルート解明に乗り出すとのことです。

東国原知事は、会見で、国の疫学調査が不十分だとの声が農家から出ている。」と設置理由を述べています。

私達も農家から同様の(大きな)声を聞きました。「国の疫学調査チームは、水牛農家だけヒアリングして他の農家にはしていない。不十分だ。」と。


国の検証委員会とも連携してしっかりした調査を行い、今後の防疫対策、危機管理に生かせるよう期待しています。





口蹄疫レポートをwebにアップしました。

ブログでもご案内しておりましたが、口蹄疫に関する現状と課題について私見を含めレポートとしてまとめました。

 時間が経過すると関係する資料が散在しそうだし、現時点での自分の意見もまとめておきたくて、毎日新たな事項を更新・修正・補強を繰り返していたら3ヶ月が過ぎました。

 7月27日で県内全ての家畜移動・搬出制限区域が解除され一応の区切りがつきましたので、99日間の報告としてまとめました。

最初は関係者だけに印刷して配布しようと考えていましたが、「公開してほしい。」とのご意見もあり印刷物と同じ内容をwebで公開することにしました。

「1例目はどこ!」とか、「感染拡大の最たる原因は!」など、もっと過激に大胆に書きたいところもありましたが、公開することを意識して控えました。(*^o^*)

議員という立場で私的にまとめたレポートを公に公表することは、勇気がいります。
しかし、このレポートをとおし県議会及び議員活動の一端が理解いただけたら幸いです。

みなさまのご意見をお待ちしております。

 
  口蹄疫レポート(pdfファイル)

宮崎空港から

こんばんは、宮崎空港は、いま大雨です。少しは小降りになったかな。


昨日は、関東にいる息子の迎え、今日は関西にいる娘の迎えで、2連荘で宮崎空港に来ています。


お盆も近い日曜日というのに、宮崎空港はガラガラです。

もう、8時半すぎだからでしょうか?


全国の皆さん、宮崎にいらっしゃいませ。今が狙い目です。


おもてなしの心で精一杯お迎えしますよ!


お盆休みまでもう少し。がんばりましょう。



「口蹄疫レポート」のWEB上アップは、お盆までにはどうにかしたいと思います。



それでは。。。。






吹奏楽との出会い

全国高総文祭宮崎大会が終わりました。

宮崎県で開催されたのでいくつもの部門、とりわけパレードやマーチング、管弦楽などの音楽部門を身近で鑑賞できました。本当にありがたい事です。


ちいさい頃からいろんな事に興味があり、音楽、特に楽器演奏にも興味がありました。


小学校中学年頃から特にアマチュア無線に興味がありましたが、親の理解が得られず国家試験を受験できないまま中学校に進学します。


中学校入学時の部活紹介で、剣道部と吹奏楽部に興味を持ちました。どっちにしようと悩みましたが、やったことのない吹奏楽部を選びました。剣道は、小学校の剣道クラブで3年間やっていましたから。


吹奏楽部に入って先輩から割り当てられた楽器は、金管のバス。チューバをばかでかくした楽器です。


主旋律を演奏するわけでないので楽なパートです。最初は楽勝だったんですが、ある時期から閉口することになります。


もともと、楽譜をすらすら読めるわけでもないし、楽譜はほぼ暗記していましたが、そのうち♭が3つもある譜面をもらうことになり、もう頭はぐちゃぐちゃ。


3年生に進級し部長に抜擢されます。真面目さだけで顧問から指名されたんだろうと今でも思います。同級生、後輩ともども大変だった事でしょう。

部長は、練習の指揮をしますが、これがまた大変で。


私は、高専に進学して剣道部とアマチュア無線部のどちらに入部するか迷いましたが、アマチュア無線部に入部しました。

以降卒業までの5年間、アマチュア無線漬けとなります。


娘2人は、縁があって吹奏楽部に所属していました。

私も相変わらず吹奏楽、、管弦楽の生演奏に興味を持ちます。

市中パレードやコンテスト、発表会、今でも懐かしい思い出です。





「感染症学との出会い」

おおはようございます。今日は、広島原爆の日。いま黙祷しました。
今日も暑そうですね。自身の夏バテは、解消されつつあります。
今夜の懇親会も飲めそうです!

さて、私と吹奏楽との出会い、私と感染症学との出会いを書いてみようと思います。
今日は、「感染症学との出会い」を。

「感染症学との出会い」
県議会の質問でも、感染症予防法改正や人畜共通感染症、性感染症、麻しん、予防接種、新型インフルエンザ対策などを幾度となく取り上げてきました。

公衆衛生・感染症対策が私のライフワークのような気もします。
たいそうな知識は持ち合わせていませんが、県議会で取り上げる議員も他になく問題意識を持つ者の使命とも考えます。

私は、31年前に地元の都城高専電気工学科を卒業し、その年の11月に都城市役所に採用されました。採用された職種は、一般行政事務職。漢字の苦手な私が大好きな地元で職を得ることが出来ました。

最初に配属された職場が、衛生課。機構改革で後に健康課となります。

衛生課母子保健係が役所生活19年のスタートでした。
当時の衛生課は、庶務係(予算、畜犬、墓地、火葬場、隔離病舎など)、成人保健係(老健法健診・結核健診)、母子保健係(乳幼児健診、予防接種)の3係体制でした。

最初の課長は、若い頃は組合運動も熱心だったと自負する、元放射線技師のO課長。

私は、母子保健係で見習い兼雑用係。健診や予防接種の会場設営や受付事務が最初の仕事でした。


電気科出身で役に立ったことは、部屋の蛍光灯替え。電気室に行って新品の蛍光灯をもらい、手際よく古い蛍光灯と交換。「さすが電気科。」と言われていました!

その当時は、予防接種は役所が地区の公民館などで直接行う集団接種が主流でした。その後、予防接種ワクチン禍集団訴訟などを経て「問診義務違反」が確定する課程で、医療機関で行う個別接種に移行します。


当時の予防接種施行令等の通知で、夏場の予防接種実施は避けていましたので、この時期は仕事がありません。毎日、法令等の勉強の日々でした。


予防接種の間隔の取り方、問診票の内容など疑問が生じたら、開業小児科医師に会いに行き、意見交換をしていました。のどかな時代でした。でも、しっかり勉強が出来る時代でした。


その後、私は課内全ての業務を回ります。

庶務、予算、新火葬場建設、HIV/AIDS啓発、救急医療センター建設・運営、健康づくりなど、途中で組織改編はありましたが、役所生活19年間のうち17年間を公衆衛生の職場で過ごしました。


事務職として、同僚の保健師、栄養士などが仕事がしやすい環境づくり、後方支援が自分の役割と自認していた時代です。当時は思いどおり予算も確保できました。いま思い返しても充実した毎日でした。


その後、福祉事務所に異動になり、社会福祉主事(生活保護ケースワーカ)として1年半勤務をし、県議選立候補のために12年前の12月に退職することになります。


県議会で、保健・医療・福祉の充実を訴え続けていますが、役所での数々の経験がその源泉となっています。


都市部では助かる命も、地方では助からない。この現実を解消するために今後とも頑張ります。