「感染症学との出会い」 | 満行潤一 オフィシャルブログ Powered by Ameba

「感染症学との出会い」

おおはようございます。今日は、広島原爆の日。いま黙祷しました。
今日も暑そうですね。自身の夏バテは、解消されつつあります。
今夜の懇親会も飲めそうです!

さて、私と吹奏楽との出会い、私と感染症学との出会いを書いてみようと思います。
今日は、「感染症学との出会い」を。

「感染症学との出会い」
県議会の質問でも、感染症予防法改正や人畜共通感染症、性感染症、麻しん、予防接種、新型インフルエンザ対策などを幾度となく取り上げてきました。

公衆衛生・感染症対策が私のライフワークのような気もします。
たいそうな知識は持ち合わせていませんが、県議会で取り上げる議員も他になく問題意識を持つ者の使命とも考えます。

私は、31年前に地元の都城高専電気工学科を卒業し、その年の11月に都城市役所に採用されました。採用された職種は、一般行政事務職。漢字の苦手な私が大好きな地元で職を得ることが出来ました。

最初に配属された職場が、衛生課。機構改革で後に健康課となります。

衛生課母子保健係が役所生活19年のスタートでした。
当時の衛生課は、庶務係(予算、畜犬、墓地、火葬場、隔離病舎など)、成人保健係(老健法健診・結核健診)、母子保健係(乳幼児健診、予防接種)の3係体制でした。

最初の課長は、若い頃は組合運動も熱心だったと自負する、元放射線技師のO課長。

私は、母子保健係で見習い兼雑用係。健診や予防接種の会場設営や受付事務が最初の仕事でした。


電気科出身で役に立ったことは、部屋の蛍光灯替え。電気室に行って新品の蛍光灯をもらい、手際よく古い蛍光灯と交換。「さすが電気科。」と言われていました!

その当時は、予防接種は役所が地区の公民館などで直接行う集団接種が主流でした。その後、予防接種ワクチン禍集団訴訟などを経て「問診義務違反」が確定する課程で、医療機関で行う個別接種に移行します。


当時の予防接種施行令等の通知で、夏場の予防接種実施は避けていましたので、この時期は仕事がありません。毎日、法令等の勉強の日々でした。


予防接種の間隔の取り方、問診票の内容など疑問が生じたら、開業小児科医師に会いに行き、意見交換をしていました。のどかな時代でした。でも、しっかり勉強が出来る時代でした。


その後、私は課内全ての業務を回ります。

庶務、予算、新火葬場建設、HIV/AIDS啓発、救急医療センター建設・運営、健康づくりなど、途中で組織改編はありましたが、役所生活19年間のうち17年間を公衆衛生の職場で過ごしました。


事務職として、同僚の保健師、栄養士などが仕事がしやすい環境づくり、後方支援が自分の役割と自認していた時代です。当時は思いどおり予算も確保できました。いま思い返しても充実した毎日でした。


その後、福祉事務所に異動になり、社会福祉主事(生活保護ケースワーカ)として1年半勤務をし、県議選立候補のために12年前の12月に退職することになります。


県議会で、保健・医療・福祉の充実を訴え続けていますが、役所での数々の経験がその源泉となっています。


都市部では助かる命も、地方では助からない。この現実を解消するために今後とも頑張ります。