ふっと唐突に、誠にもって唐突にある疑問が浮上してきたのですなあ。落語の『時そば』とはよく知られた噺ですけれど(関西では『時うどん』になるとか…)、あの蕎麦屋さんは客に「なんどきだい?」と尋ねられて、なぜ時刻を即答できたのであろうか?と、そんな疑問が浮かんできたのでありますよ。
だもんで、やおら思い至ったのが「チャットGPT」に問いかけてみるか…ということ。近頃、というにはすでに出遅れ気味ではありますが、ネット検索をするに際して「GPTになんでも聞いてください」的な誘い文句が出てくるのをスルーしておりましたが、この際、試しに「落語『時そば』のそばやはどのように時刻を知ったのか」を問いかけてみたわけです。
しばしの間に「時そばのあらすじを検索しています」、「回答を生成しています」という表示があったのち、チャットくんはまず「時そば」のあらすじを教えてくれた上で(ま、そのこと自体は尋ねてませんが)、こんな結論を導き出したのですなあ。
…このように、「時そば」のそばやは、江戸時代の時刻の数え方と現代の時刻の違いを知らなかったために、客にだまされたのです。
「ん~、そういうことが聞きたいんじゃないのだよねえ」と。まあ、機会相手にもそっと回答に近づきやすい聞き方というものがあるのかもしれませんが、それにしても…。しかも続けて「この話のオチは…」とネタバレに言及するかと思えば、現代の時刻との違いが間違いの元という、「そりゃ、絶対違うだろう」ということが紹介されている。やれやれです。
ですので、結局のところ従来どおりにあれこれとキーワード検索を掛けましたが、その方がかゆいところに手が届いたような気がしたものでありますよ。
かの蕎麦屋が掲げた看板は「二八そば」でして、今ならば蕎麦粉が8割、つなぎが2割で、その割合が二八そばと言われるでしょうけれど、噺の中では「お代はにはちの十六文」と値段由来であることを示しておりますな。どうやら、江戸時代にも物価は上昇するわけで、慶応年間、つまりは幕末ころにはそば一杯が20文を超えるようになって、値段と看板の折り合いがつかなくなった頃に蕎麦粉の割合に根拠が求められるようになったとか(日穀製粉株式会社の「そば辞典」参照)。
ということで、値段のことはともかくとして、『時そば』の噺は値段が一杯16文の時代ですので、幕末以前の江戸時代ということになるわけですが、その蕎麦屋が時刻を知るには、当時として庶民が頼るべきは「時の鐘」であったろうと思うところです。
江戸末期にはからくり儀右衛門などが時計製作をしたりするわけですが、流しの蕎麦屋が手に入れられるような代物ではなかったでしょうしね。
で、「時の鐘」は当初一日に朝、昼、晩と3回(明け六つ、昼九つ、暮れ六つ)撞かれていたようですが、やがて皆の利便性を考慮して一刻(2時間)に一回撞かれるようになったとか。最初の客は小銭を八つまで数えて時刻を尋ね、蕎麦屋が「九つで」と答えたのに続けて、十文以降を数えていった結果、一文をちょろまかした。夜鳴きそばという言葉どおりに客が立ち寄ったのは夜中の九つ(午前0時)で、そんな夜中にも鐘は撞かれていたのですかね。それなら、分からないこともない。
では二人目の客のしくじりは…となるわけですが、これに触れると完全にネタバレになりますので(といっても、多くの方がすでにご存知の噺でしょうけれど)、とりあえずは「時の鐘」が(夜中じゅうも鳴っていたのかどうかは分かりませんが)2時間おきに時を告げていたことを拠り所としていたと想定できました。
そんなこんなで、情報を探すにあたっては相変わらずキーワード検索を頼ることになろうかなと思ったのものなのでありましたよ。