甲府盆地の縄文遺跡などからの出土品その他が展示されている笛吹市春日居郷土館ですけれど、
ここにはもうひとつ別の名前が冠してあったのでありますよ。曰く、小川正子記念館と。
ま、実際には遺跡発掘品の展示室と同じ館内にある別室ということですので、
小川正子記念室てなところではありましょうけれど、
さて、小川正子記念館とは?をふえふき観光ナビのHPから引いてみるとします。
小川正子記念館は、ハンセン病患者の救済活動に生涯を捧げた春日居町名誉町民第1号の医師・小川正子女史の功績を称え、後世に伝えるべく設置された。
ということで「おお、そうかそうか!」と思う一方、それにしてはその名があまり知られていないなと思うと、
またまた春日居郷土館受付の方の出番となるわけで、ハンセン病患者のために尽くした人は多々あって、
何も小川正子が特別にすごい事績をなしたわけではどうやらなさそうなのですな。
(特別にすごくなくても、すごいとは思っておりますけれど)。
むしろ「ハンセン病患者の施設収容の情景を医師の視点から描」いたとされる手記「小島の春」が注目を浴び、
映画化もされたことで有名になったことで、その中にハンセン病が伝染性が強調され、偏見を強めることになったとして
批判されもしているところもあるようなのですね。
では、あらためてハンセン病とは?ということになりますが、展示解説を参考にしてみることに。
長らく「らい病」と呼ばれて、血統に起因する考えられたことから差別を生んだ歴史があるわけでして、
例えば松本清張の「砂の器」などにも描かれるのは、そうした背景あればこそでありますな。
それが1873年、ノルウェーの医学者アルマウェル・ハンセンが「らい菌」を発見、
遺伝性の病気ではなく伝染性の病気であることが分かったことで、
過去の一族ぐるみ差別されるといった状況から転換するためにも
らい病ではなく新たに「ハンセン病」と呼ばれるようになったのだとか。
されど、伝染病だということになればなったで、また別の差別を生むことにもなる。
隔離せよとなるわけです。「いまから考えれば微弱な感染力でしかない」ということなのですけれど。
ただその名を変えたとはいえ、新たな伝染性の病気であるという新たな知識とともに
古くからの遺伝性の病気であるとの受け止め方は生き続けてしまったのでもありましょう、
強制的な断種や堕胎が行われたということ自体、そうした受け止め方があったからこそであるような。
特効薬とされる「プロミン」が発見されたのが1943年、アメリカでのこと。
当時は太平洋戦争のさなかであったとはいえ、戦争が終われば治療薬も入ってきたことでしょう。
それでも明治以来の「らい予防法」が廃止されたのは1996年、
それまでは患者の隔離を必要とするような法律が生きていたとは…。
今でも訴訟が続いているといった、いくばくかの知識はあっても
改めてハンセン病のことに向き合うとすれば意識的でなくてはそうはなりえないと思えるだけに、
これまた思いがけずも思いがけないところでこうしたことに触れる機会に遭遇したのでありました。