先日出かけた山梨の春日居温泉

あらかじめ「今回はあちこち見て回ることにあまり精を出さずにのんびりと」と申しておりましたので、

勝沼のワイナリーに足を延ばして…てなことはせずに、近くを散策程度で。

そんな中でふいと立ち寄ってみたのが、笛吹市春日居郷土館なのでありました。

 

 

今ではかような名称となっているものの、平成の大合併で笛吹市になる前は春日居町自慢の郷土館だったのでは。

JRで言いますと石和温泉と山梨市という両隣にある駅に比べて無人駅となってしまっている春日居町駅ですが、

「甲斐国最古の都が置かれたといわれる春日居町」(ふえふき観光ナビHP)となれば、侮りがたしであるのかも。

 

 

ロビーにはかくも立派な三重塔の模型は、かつて仏教伝来草創期の7世紀、

大和から遠く離れた甲斐国まで仏教が伝わっていたことを示す寺本廃寺にあったと推定されるものと。

 

展示室へと入りますと、こうした歴史をさらにさかのぼって縄文、弥生時代の遺跡発掘品が

ずらりと並べられているのでありましたよ。惜しげもなく剥き出しの状態で。

 

 

ちなみに知る人ぞ知るといったふうでさりげなくですが(かくいう自身が知らなかったわけですが)山梨県は

「縄文王国山梨」を標榜しているようなのですなあ。山梨県のオフィシャルサイトにもこのような記載が。

山梨県には、縄文時代の遺跡が多く発見されており、多くの素晴らしい土器なども見つかっています。縄文時代からたくさんの人が住んでいたことや縄文時代の文化が華開いた土地であったことなどがわかります。まさしく、山梨県は縄文王国と言えるでしょう。

ということですので、ちと縄文時代にフォーカスしてみたいと思いますが、

この郷土館の受付の方(もしかして学芸員だったのか?)がたっぷりとお話を聞かせてくれた中には

「甲府盆地はかつて大きな湖だった…」てな話も。

 

そのへり(つまりは御坂山地の山すそとか)に沿って点々と縄文遺跡が並んでいるというのですなあ。

やはり水辺というのは生きていく上で大事なのでありましょうね。

 

 

かような山梨の縄文人は土器に特徴ある文様を刻んだというでして、

それが「水煙紋土器」であると。写真は土器上の飾りの部分しか残っていないものですけれど。

 

縄文式土器と聞けば、単純には言葉どおりに縄目の模様、

そして装飾性が強く表されたものの代表選手がよう火焔型の土器である…とは、教科書知識ですが、

水煙を表現した(と後世の者が見立てたというべきなのでしょうか)ものもあったのですなあ。

文様、形状の凝りようは火焔に劣らぬものと思われますですよ。

 

ところで、縄文時代といえば土偶ですなあ。

甲府盆地を取り巻く遺跡からも個性的な土偶が出土しているそうな。例えばこのように。

 

 

元来大きくないものなので写真も小さめにしましたですが、

笛吹市御坂町の桂野遺跡から出土したという、縄文時代中期初頭の土偶という。

出土地近くの小学校で行われた子供たちによる投票でもって「みさかっぱ」と命名されたというのも

なるほどと思える姿かたちをしているではありませんか。

 

と、「みさかっぱ」を見ますと胴体部分に亀裂が入っていて、ここで折れちゃったのだなと思っていますと、

さきほども登場された受付の方(やっぱり学芸員なのですかね…)の曰く、

土偶はたいてい割られた形でみつかるのですよ」と教えてくれたのでありますよ。
 
 
別の土偶(これはこれで「ヤッホー」と愛称があるようです)の出土時のようすとみれば、
埋まっているうちに割れてしまったというようすではありませんなあ。
いかにも二つに割って投げ捨てたといった印象で。
 
と、こうしたこと自体知っておられた方もおいでとは思いますが、
展示解説にはこのようにありました。
土偶はバラバラにされ種のように撒かれることで再生を願う行為、または身代わり行為としてバラバラにされるというふうに考えられています。

先の受付の方に教えてもらったことを付け加えますと、

縄文の人たちは狩猟採集が主でしたから、ある程度の採集の結果として別の土地へ移るわけで、

その際、自分たちの穢れといったものを土偶に託し、これを割って置き去ることで穢れをも置いていく…

そんなことでもあったようです。

 

展示規模は小さいですが、マンツーマン解説まで施してもらってしまい、

思いがけずも滞在時間が長く、たっぷり堪能した春日居郷土館でありましたよ。