こぢんまりとして、古いたたずまいを残す居心地の良い町、メルン 。
すっかりティル・オイレンシュピーゲル 伝説ゆかりの地としてしか見られなくなってますけれど、
かつてはそうしたことに頼る必要もまるでなく、活況を呈していた時期があったそうです。
その辺りのことを窺い知ることができようかと足を運んだのがメルン博物館でありまして、
(足を運ぶと言っても、小さなマルクト広場を横切るだけですが…)
元はRathaus(市庁舎)だった建物の内部を利用して作られています。
これだけ見上げた感じにしますとやたら大層な建物かと思ってしまいますが、
写真を撮るのにはマルクト広場が狭い上に「Altstadtfest」のテントが立ち並んでしまっており、
こうでもしないと撮れなかったというのが実状。お察しください。
建物一階のツーリスト・インフォメーションが博物館の受付を兼ねていて、
見学を申し出ると「あっちが入口」と案内されますけれど、
その入口部分に置かれていたのが、メルン市街の模型であります。
中央の高台の天辺に町いちばんの大きな建物である聖ニコライ教会と
そのすぐ左下にあるマルクト広場と旧市庁舎を中心に、楕円状に市街が広がっています。
小高い丘の上なだけに、あたかもイタリアのアッシジですとか、
そうした都市に近いふうでありますが、もそっと小さいですね、全体的に。
何せ模型の切れている端の部分は、すっかり湖に囲まれておりますので。
こうした町が活況を呈した、その理由は交易にあるのですね。
旅に出る前に「魚で始まる世界史 」を読みましたけれど、
そこにはリューネブルクで産出する塩(「白い金」と言われた)がリューベックに運ばれ、
ハンザ貿易の重要品目のひとつになっていたとありました。
このリューネブルク産の塩をリューベックへ運ぶ際の中継点、
それがメルンだったそうなのですよ。
交易品は当初陸路で、後に運河が開削されて船で運ばれることになりますが、
中には運河の供用開始後には中継点の立場を失う町もあったようですけれど、
メルンは先にも触れたように湖に囲まれて運河との接続も容易だったことから、
一貫してその賑わいを保ったのだとか。
むしろ運河による船の利用は格段に輸送力をアップさせたことが、
博物館のビデオでよおく分かりました(ドイツ語ですので、なんとなく…)。
こんな船で運んでいたそうですが、積荷は樽ばかり。
その樽の中身はこんな具合のようですね。
いやあ展示がチープな作りですなぁ。
とまれ、手前がリューネブルク産の塩、これをリューベックに運んで輸出すると、
戻りは塩漬けの魚が保存食としてたんまり詰まって戻ってくる…てなことを示しているのでしょう。
中世の版画ですから稚拙といえば言えますが、
こうしたふうに網ですくってザクザク採れるってな具合にニシンが豊漁だったようですね。
「Schonen」とありますが、スウェーデンのスコーネ地方 (おそらく当時はデンマーク 領)でのこと。
ですが、いくら採れても保存の使用がない。塩が求められた由縁でありますね。
(ちなみに、天日干しの製塩は日照に乏しい地域では無理だったようで…)
と、交易中継地としてのメルンに関わる解説がたぁんとあったほか、
2階より上の展示は実に雑多な感のする博物館でしたですよ。
ですから、かつて市庁舎であったという建物自体を愛でるという見方もありましょうね。
ところどころ、そうした見方を満足させる部分なんかもありましたですよ。
歴史の流れはすっかりメルンの町を置き去りにしてしまったようではありますけれど…・