思えば世界史の授業というのは、何とまあ通り一遍であったことか…。

先日、清教徒革命 から名誉革命に至るあたりのことを振り返ってみて、

今さらながらに思うところですけれど、通り一遍的にやらないとひととおり終わらないのも事実。

だいたいからして、授業時間は現代史に触れるかどうかのあたりで終わってしまいますしね。


ですから、背景として知らなかったことなどは山のようにあるわけで、

かつて世界史の授業でひとわたり勉強したから…なんつうのは、

半可通以下なのかもしれません(もっぱら自戒の意味でありますが…)。


たまたま手にした「魚で始まる世界史」なる一冊で、

またその思いが強まることになろうとは、何とも巡り合わせでありますなぁ。


魚で始まる世界史: ニシンとタラとヨーロッパ (平凡社新書)/平凡社


「魚で始まる世界史」といいながら、著者が歴史学者でも水産学者などでもない、

シェイクスピア 研究家であるというところからして、意表をついてますですね。


なんでもとっかかりは、シェイクスピア作「テンペスト」に出てくる

「おまえを干ダラにしてやるからな」というセリフだったそうな。


乾燥させてカッチカチになったタラを食べるためには、

ぶったたいてぶったたいて、いささかほぐれたかというところで

水に漬けて一晩おかないと調理のしようがないものらしい。


ですから、「干ダラにしてやる」(正確には「干ダラのようにしてやる」の意でしょう)とは、

「袋叩きにして、東京湾に沈めてやるぜ」くらいのニュアンスになろうかと思うわけです。


で、こうした比喩表現ですが、シェイクスピアの時代の人々にとって

「干ダラにしてやる」=「袋叩き、東京湾ならぬテムズ川」みたいな連想が容易になされたからこそ

シェイクスピアが作中に取り入れたということになりますですね。


はて、ヨーロッパの人たちって主に肉食であって、あんまり魚は食さないのでは?

それなのに、こうした魚に絡む表現が違和感なく受け止められていたのか?…てなところから、

調べてみた結果、こうした本ができあがりましたということのようです。


でもって、その結果のほどでありますが、

ヨーロッパの人たちが肉ばかり食していると考えるのはどうも思い込みであったようで。

農耕技術が発達して牧草の育成がきちんとできるようになって始めて、

食肉の安定供給ができるようになったというのですよ。


さらに、古い時代のキリスト教(カトリック)では断食日的な扱いとして

「フィッシュ・デイ」という日を設けており、その日には文字通り魚を食べなさいと。

多いときには1週間に3度もあったりしたものですから、その頃のキリスト教徒は

ざっくりいって1年のうち半分近く魚を食している状況でもあったのだとか。


その魚の中の王様(よく採れて、よく食べられたという意味ですが)が

ニシンであり、タラであったそうですが、いずれも冷蔵庫が無い時代の保存技術であった

塩漬け、天日干し、そして燻製というものに馴染むところがあったのでしょう。


ですが、ヨーロッパ、特にイギリス、オランダ、北ドイツ、北欧といった北に位置する国々は

必ずしも日照条件がよろしくありませんから、基本的には塩漬けがメイン。

そして、この塩の出どころというのが、北ドイツはリューベックから内陸にはいったところの

リューネブルクで噴出した岩塩の泉であったそうな。


リューネブルク産の塩の輸出がリューベックがハンザ都市としての確立を助け、

北欧へ送り出された塩はニシンの塩漬けとなってドイツの食糧事情を助けるもとになったという。


また回遊ルートが突然に変化するニシン漁では、バルト海が主な漁場であった頃には

ハンザ都市も北欧諸国もその恩恵に預かりましたが、ふいと漁場が北海に移ってしまうと

躍進するのはオランダということになり、いちやく海洋国家として浮上するオランダの

大いなる助けとなったとか。


これに対抗するのが英国ということになりますけれど、

タラ漁に目を転ずれば、新大陸まで巻き込んだ話となってくるわけです。

ピルグリム・ファーザーズがたどり着いたマサチューセッツ州プリマスから程近い岬には

ケープ・コッドという名がつけられますが、コッドすなわちタラでありますからねえ。


話としてはかなり端折ってますが、

ハンザ都市の盛衰も、イギリス・オランダの争いも、背景には魚利権があったとは、

おそらく高校の世界史の授業では出てこない話でありましょうね。

やっぱり歴史は上っ面で理解したつもりになってはいけませんですよ。