この間、サミュエル・ピープス のことを書きましたときに

さらりと「イギリスに清教徒革命が起こって…」てなふうに流しましたですね。


もう何十年か前の受験で世界史選択だったものとしては、

清教徒革命があって、クロムウェルが出てきて、王政復古があって、名誉革命に至る…

てな流れは記憶の隅に残っているものの、はてどんなんだったっけ?と思ったような次第。


そこで、薄めのブックレット・タイプでもって、ちいとばかり復習をと手にしたのが、

「ピューリタン革命と複合国家」という一冊でありました。


ピューリタン革命と複合国家 (世界史リブレット)/岩井 淳


ここでは、清教徒革命=ピューリタン革命が「果たして革命であったのか?」という

歴史学的な喧々諤々の一端にも触れて、「革命というより内戦なのではないか」てな

ご意見も拝聴するに及び、本書のタイトルに付けられた「複合国家」の意味合いが

はっきりしてくるような気が致しましたですよ。


イギリス、英国というと、単純にひとつの国と考えがちなところがありますけれど、

本書の冒頭にも出てくるように、例えばラグビーやフットボールの試合になると

イングランド代表、スコットランド代表、ウェールズ代表みたいなナショナル・チーム(?)の

存在がにわかに(という印象ですが)浮上したりもする。


つまりは、ふだんイギリス、英国と

あたかもひとまとまりであるかのように呼んでしまったいる国のありようが、

正式名称を「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」と言うがごとく、

複数の国が連合している状態なわけですね、今さらですが。


それぞれが別の国ではあるんだけれど、

ひとりの王様を戴いて結びついているということになりましょうかね。

王国連合ではないので。


ですが、その形におちつくには相当なバタバタがあったわけで、

まさに清教徒革命から名誉革命に至る50年ほどの間だけを見ても

「すげぇことになってんなぁ、こりゃ」という印象。


そも清教徒革命と言いますと、

革命前の1620年にメイフラワー号で新大陸へ渡ったピルグリム・ファーザーズがいますので、

さぞ弾圧があり、差別があり、いたたまれず大洋に漕ぎだした人たちもいれば、

残っても進退きわまって革命に及んだ…てなぐあいに、

主役はピューリタンだと思うところですけれど、

経過を見て行く中では必ずしもそう単純な話ではなさそう。


なにしろピューリタンと言われる人たちの中でも

「長老派」、「独立派」、「バプテスト」、「クエーカー」などなど一枚岩ではありませんし、

これにイギリス国教会側やカトリックも絡んで、宗教上の対立が甚だしい一方で、

宗教でない側面でも王党派や共和派、またイングランド、スコットランド、アイルランドそれぞれの

思惑や立場の違い、こうしたものがくんずほぐれず状態で蠢いていたように思われます。


まさに薄いブックレットに一度目を通したくらいでは頭がごちゃごちゃになってくるところですが、

歴史的経緯を無理やり端折って結果だけからみると、この連合王国という形態は、

お互いの違いをはっきりと認識した上で(だから、単純にひとつの国にならない)

できるだけできるだけ折り合いをつけて、なんとかうまくやっていきましょうねという

まとまりなのではないかと。


スコットランドでは、

この9月18日に連合王国からの独立の是非を問う住民投票が行われるようでもあり、

ちょっと振り返ってもユーゴが分裂し、チェコとスロバキアが分かれ…てなことも思い出され、

折り合いをつけるといっても難しいことが多々あるんだろうと想像します。


ですが、その一方で欧州連合みたいな考え方もまた否定されることなくあって、

通貨を統合し、国境の行き来を柔軟にし、連合の議会もあったりするようなことが進められている。


かつて民族自決が叫ばれた背景には、

帝国主義とその領土、植民地の問題があったわけですけれど、

それをいつまでも推し進めるのとはまた違った方向性があるやに思いますですね。

人が帝国主義みたいな考え方を「ありゃ、まずかった」と思えるようになっていたとすれば。


…と、気が付けば脱線甚だしい状況に陥ってしまってますが、

ここでもまた「歴史に学ぶとは何ぞ…」の意識が湧いてくるというものです。


で、清教徒革命から名誉革命にかけての歴史の話、

この時期に出て来た思想家を数え上げれば、ミルトン(「失楽園」)がおり、

ホッブス(「リヴァイアサン」)がおり、ジョン・ロック(「統治二論」)がおり…てな具合に

議論もまたさまざまな状況となれば、これはもそっと探究して、

きちんと理解をする必要があるなぁと思っておりますよ。