近所の図書館の新着図書紹介コーナーで目のとまったのが
「官僚ピープス氏の生活と意見」なる一冊。

「はて、ピープスとは聞いた名前の御仁であるな…」とは思うものの、
はっきりとは思い出されない。


そこで一端は借りずに帰って調べたところ、
ひと頃(と言っても1982年ですので30年も前になるのか…)
「ピープス氏の秘められた日記―17世紀イギリス紳士の生活」という岩波新書が
話題になっていたことと繋がって、「ああ、あの!」と。


とはいっても、その岩波新書を読んだわけではなかったので、
このほど改めて「官僚ピープス氏の生活と意見」を借りてまいったのでありました。


官僚ピープス氏の生活と意見/岡 照雄


思うに、先の新書を読まなかったというのは、
相当に猥雑な内容と思われたことでもありましょうか、
主人公氏はたいそう女癖が悪く、官僚としても自らの懐が暖かくなるように暗躍する…
そんなイメージ。


日記を残していかにせんと思ったのかと頭を捻る一方で、
暗号文で書かれているというのもむべなるかなと思ったり。
こうした奇書らしきものを「こんなん、ありまっせ」的に岩波新書が
(日本の)世に広く紹介したと言えましょう。


ですが、このほど読んだ方はと言いますと、
英国海軍の高級官僚であったサミュエル・ピープスなる人物の送った毎日は、
イギリス の国が大きく揺れ動いた時期であって、その激動の日々に
直接的にも関与した人物の残した記録として見ている。
ピープス日記を通じて語る英国史でもあるのですね。


サミュエル・ピープス(1633-1703)はケンブリッジを卒業…というと、
なるほど高級官僚らしいと思ってしまうかもですが、
いわば「大学は出たけれど」であって、当初は事務所の使い走りみたいなことしか
やってなかったんですね。


ですが、一族の中の栄達に見事に寄り添って力量を発揮し、
文官としては最高位とも思われる海軍事務次官のような役割にも到達、
その後は下院議員にも当選して…と、立身出世を遂げた人物でありました。


そうした過程で、今でいう贈収賄的なやりとりがたくさん生ずるんですが、
これも現代の物差しを当てれば「トンデモナイ」となりましょうけれど、
当時の状況は基本的にはむしろ当たり前のことであったようですね。


役割があがることは、さまざまな関わりからの副収入の可能性込み込みで
いい役職かどうかが判断されていたような気がもします。
元よりその役職自体が売買対象になっていた時代のことと考えれば、
今の基準を照らしてみても詮無い話ということになろうかと。


ところで、ピープスが直面した激動の日々とは?ということですけれど、
イギリスに清教徒革命が起こって、クロムウェルが独裁権を握り、
チャールズ1世王の処刑によって、英国は束の間の共和政に。


おそらくクロムウェルはカリスマ性もあったのでしょうけれど、
没後に引き継いだ息子はどうもその器では無かったようで、
かつての強権的な抑えも効かず、国内はあれこれの派閥の主導権争いに陥ってしまう。


そこでだんだんと声が大きくなってきたのが、
大陸に逃れていた皇太子を呼び戻し王政復古を図ろうというもの。
反対派を抑えつけつつ、画策を実現する側が海軍を握って、
いよいよ皇太子を迎えに船出をする…というその船にピープスは乗っていたのでありますよ。


艦隊を指揮するサニッジ卿の秘書官として、実務的な才能を発揮したピープスは
新王チャールズ2世を迎えるという勝ち馬に乗った側に与していますので、
王様の覚え目出たい侯爵と共にその頼れる右腕として出世街道まっしぐら!といった体。


ですが、断続的に継続している英蘭戦争にあって、
ある時オランダ海軍にテムズ河口からの遡上を許してしまうという海軍の大失態が発生。
必ずしもピープスが悪いわけでなないでしょうが、
海軍文官の高位にあれば火の粉が降りかかるのは必定。


議会からの突き上げに誰も怯みまくる中、ただ一人各種資料を取り揃えて
敢然と議会に対峙して滔々と説明に説明を尽くしたのがまた、ピープスであったと。
(この辺り、大臣よりも結局のところ官僚が国を動かしているんですか、みたいな…)


こうした局面だけを見るとピープス大活躍!とも思えるわけですが、
まさに張りつめた情勢下と思える時にも、女性にちょっかいを出して妻に見つかった…
みたいなことを書いているのですね。
プライベートな日記ですからね、しかも暗号文の。


ま、国家の一大事もプライベートな火遊びも、
それはそれ、これはこれということでしょうか。


昔は仕事をきちっとやった上では、呑む打つ買うに忙しいのも男の甲斐性のように
捉えられた時代(男の論理なんでしょうけれど)があったのではと思いますが、
そうしたことと同一延長線上なのでしょうかね。


とまれ、海軍文官が見た歴史の一面、当時の立身出世のあり様、
そして世俗的な部分で当時の考え方などを含んで、歴史研究の史料となっているのでしょうね。

たとえそれが為政者や将軍が書いた歴史的証言みたいな日記ではないとしても。


それにしても、このピープス氏、今だったらとっくに週刊誌にすっぱ抜かれて
尾羽打ち枯らしたぼろぼろの状態になっているものと思いますが、
17世紀に生まれて良かったですなぁ。
病に悩みつつも、70才の天寿を全うしたようですありますから。