フィレンツェからの夜行列車
は地続きの欧州大陸らしい何事も無さでスイスに入りました。
「国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった」という川端康成の「雪国」ではありませんけれど、
まさにイタリアとスイスの国境をなすアルプスの下を穿ってシンプロン・トンネルが作られています。
北の方にはベルン、バーゼル、果てはパリに至るまで、
南はミラノ、フィレンツェを抜けてローマをも結ぶ幹線中の幹線でありますね。
とはいえ、夜行列車の中で朝目覚めたら「雪国だった」かどうかの記憶は残念ながらありませんです、はい。
ベルンの手前、シュピーツの駅でローカル線に乗り換え。
山間を縫ってルツェルンに至る路線で、トーマス・クックのタイムテーブルにも
「Scenic Routes」のひとつとして紹介されるような風光明媚さを備えているのですが、
ここではさほどの乗車時間もないままにインターラーケン・オスト駅に到着となります。
インターラーケンは地名から想像されるとおり、
ブリエンツ湖、トゥーン湖というふたつの湖の間に位置する高原リゾート。
ここでもずいぶん「スイスに来たぞ!」感はたぁっぷりなのですが、
さらにベルナーオーバーラント鉄道という登山電車に乗り換えて、目指すはグリンデルワルトです。
(ちなみに、ドイツ語的には「グリンデルヴァルト」ですが、ご当地方言では「ワルト」とwikiにありました)
イタリアからの国境を越えてきて、いったいどこら辺から白銀の世界になっていたのか…
覚えていないとは前にも言いましたけれど、さすがにグリンデルワルトでは
一面の雪模様であったとはっきりと覚えているのですね。
天気も良くって、陽の光を反射する雪壁が大層眩かったものですから。
ところで、ちょうど2月のスキー・シーズンの真っただ中、
そんな折にこのウィンター・リゾートではどこに泊まるも高かろうと思うところですが、
最初からここではユースホステル利用と目星をつけておいたのでありました。
ただ、当然ユースホステルが交通至便なところにあるはずもなく、
駅前通りのホテルやら土産物屋やらが尽きたあたりから雪道をひと登りして、
ようやく高台の目的地に辿りついたのでありましたよ。
しかし、何だってここでやおらユースホステルかといえば、
「地球の歩き方」に紹介されていたからなのでして、
実際はあてがわれたドミトリーに入ってみると何だか日本人ばかりといった印象。
ここで出会ったのも何かの縁…ではありましょうけれど、
どうも日本人ばかりでつるんで盛りあがってる様子には、
その手のことについつい引き気味になる性質としてはあんまりこの宿のことは記憶にないですね。
ただ一つだけ忘れられない出来事がありました。
と言いますのも、このホステルでは「ドミトリーの中に洗濯物を干すな」という規則があって
かなり厳格に守られていた(守らされていた)模様。
ですが、着いたばかりの新参者としては夜行列車で移動してきたところでもあり、
下着の水洗いくらいはしておくかなとパンツを洗って干しておいたわけです。
他の人たちもそれぞれに干していましたから、その厳格さに気付かずに。
そんな洗濯物の下での夕刻の団欒のひととき。
ペアレント(ユースホステルではこういうのでしたですね)のおじさんがドミトリーに駆け込むや否や、
怒り狂ったようすで洗濯物をひきはがしにかかり、そのうちの一枚を窓から外へ放り出すという一幕。
一同、シーンとなって、身動きするものもいない。
嵐が去った後にはだんだんとそれ以前の団欒へと返っていったわけですが、
心穏やかでないのは、窓から放り出された洗濯物の行方。
それが自分のパンツであれば、それも当然であろうと思っていただけるところかと。
夜ともなれば外は雪というより氷の世界であって、真っ暗。
止む無く翌朝になって探しにでますと、
板のように平べったくかちんかちんになったパンツを発見したのでありました。
というようなことのあったグリンデルワルトのユースホステル滞在ですけれど、ここでも2泊したような。
やはりゲレンデまでの利便性と安さでありましょうかね。
最初は登山電車に乗ってゲレンデへ、次の日には何とも長距離なチェアリフトに乗ってゲレンデへ。
2カ所でスキー三昧に明け暮れたですが、その辺りのことから先はまた後ほどということで。(つづく)