トーンの位置は目より耳をたよりにするべきだ。 箱や客の服装によっても音質は変わる。
強いて言うなら、大音量では高音を絞って、小音量では高音を出すくらいだ。それ以外は耳をたよりにするしかない。
もし、プロのミュージシャンがトーンを上げて演奏している映像を見たとしても、それを真に受けてはいけない。 クラプトンのようにギターの中にプリアンプを内蔵して、音を丸めていることもある。あるいは、内部のコンデンサーの容量を変えている場合もある。
プロほど基本から外れているものだ。形だけ真似しても、中にどんな仕掛けがあるか判らない。
自分の意思や感情が、出力された音に反映されているかどうか。耳を澄ます以外に方法はない。
ちなみに僕のエレキギターは、トーンがあやまってフルテンになっても、ハイがスルーパスしないように内部回路を改造してある。 トーン位置はどうせ1から7の位置でしか使わないからだ。ツマミをフル10にすれば通常のギターでいう7くらいのトーンの音が出る。目視せずに一瞬で7にできるように抵抗を挟んで改造した。
エリック・クラプトンは若いころ、しばしばギターのトーンツマミを0か1にして演奏していた。
日本のギタリストには信じられない話かも知れないが、海外の有名なギタリストの多くは、シングルピックアップコイルのギターを使う場合、そのほとんどがトーンを落として使用している。むしろフル10で使うことのほうが少ない。
ストラトをフル10で使っていたら、笑われてしまうかもしれない。
クラプトンの奏でるトーンツマミを絞りきったその音質はウーマントーンと呼ばれ、大音量でも耳が痛くならないという利点があった。 人間の耳は音量が大きいほど高音が大きく聞こえるからだ。
やがて、クラプトンはストラトキャスターにプリアンプを内蔵したギターを特注するようになった。ディスクリートで組み立てた立派なアンプだ。
ギター側で中音域をブーストし、中域を中心に歪ませる。さらに、アン プ側で高域を上げてバランスをとっている。中域では激しく歪んでいるが、高域ではダイナミックレンジが残っているという設定だ。
音の遠投力は高音部のダイナミックレンジに比例するから、このセッティングで強く弾けば音は遠くへ飛び、弱く弾けば音はメロウに漂う。 聴衆には音が「面」ではなく「矢」のように飛んでくる印象になるというわけだ。
日本のギタリストには信じられない話かも知れないが、海外の有名なギタリストの多くは、シングルピックアップコイルのギターを使う場合、そのほとんどがトーンを落として使用している。むしろフル10で使うことのほうが少ない。
ストラトをフル10で使っていたら、笑われてしまうかもしれない。
クラプトンの奏でるトーンツマミを絞りきったその音質はウーマントーンと呼ばれ、大音量でも耳が痛くならないという利点があった。 人間の耳は音量が大きいほど高音が大きく聞こえるからだ。
やがて、クラプトンはストラトキャスターにプリアンプを内蔵したギターを特注するようになった。ディスクリートで組み立てた立派なアンプだ。
ギター側で中音域をブーストし、中域を中心に歪ませる。さらに、アン プ側で高域を上げてバランスをとっている。中域では激しく歪んでいるが、高域ではダイナミックレンジが残っているという設定だ。
音の遠投力は高音部のダイナミックレンジに比例するから、このセッティングで強く弾けば音は遠くへ飛び、弱く弾けば音はメロウに漂う。 聴衆には音が「面」ではなく「矢」のように飛んでくる印象になるというわけだ。
多くのエレキギターにはトーンというツマミが付いていて、このツマミを絞ることによって、高い音を絞ることができる。このツマミは、エレキギターを演奏する上でとても重要なものだ。
ギターの高音をアンプのツマミで絞る場合と、ギターのトーンツマミで高音を絞る場合とでは、それぞれ音質が異なる。
一般的に、アンプのトーンイコライザー部は、パワー部の手前。プリ部の後段に近い場所に位 置している。
たとえば、ギターでトーンを絞っておいて、アンプの初段やエフェクターで音を歪ませた場合、音は中域と低域を中心に歪む。
ギターの側でトーンを絞らず、アンプのツマミで高音を絞った音質はどうか。 この場合、高音を量的に絞っても、既に高音に歪が乗っている。
ギターの高音をアンプのツマミで絞る場合と、ギターのトーンツマミで高音を絞る場合とでは、それぞれ音質が異なる。
一般的に、アンプのトーンイコライザー部は、パワー部の手前。プリ部の後段に近い場所に位 置している。
たとえば、ギターでトーンを絞っておいて、アンプの初段やエフェクターで音を歪ませた場合、音は中域と低域を中心に歪む。
ギターの側でトーンを絞らず、アンプのツマミで高音を絞った音質はどうか。 この場合、高音を量的に絞っても、既に高音に歪が乗っている。
高音質CDと書かれているのに高音質ではないCD。巷には、そんなCDが並んでいる。
よく売れた名盤、名演奏の録音は後になって、音の再ミックスや調整が加えられ、再販される。
それが高音質CDだ。
往々にして、高音質CDは初版よりも平均音量が大きく仕上げてある。つまり、音がデカい。
この手のCDで初版よりも6dBくらい大きい音にしてあるなどはザラだ。酷いものは割れんばかりの音量に仕上げてある。
普通の人は、A、B比較視聴して、音が大きいほうがいい音だと思うものなのだ。だから、レコード会社は音量を上げて高音質盤として売り出す。
楽音の音量を上げて吹き込むとどうなるか?
当然だが、曲の盛り上がりの部分で音が大きくなりすぎて、音が割れる。だから、盛り上がりの部分で音が割れないように、音が上がりきらないように特殊な加工をする。これがリミッターと呼ばれるエフェクトである。
小さな音は大きく、大きな音は小さくする加工する。この装置をコンプレッサーと呼ぶ。これをかけると、音がデカくて起伏のないCDが出来る。
当然、そのようなCDで聞く音楽は、盛り上がりに欠ける。
これが音の悪い高音質CDの正体だ。
そして、困ったことに、粗末な再生装置では、このように潰された音のほうが良い音に聞こえる。
なぜなら、音がつぶされずに録音されたものを、低級な装置で再生すると、アンプやスピーカーのほうで音が歪んでしまうからだ。
リミッターのように音声のピークで音量が小さくなるのではなく、そこで歪んだ音が出てしまう。
だから、リスナーが音が悪いと感じてしまう。
また、リミッターの施されていない録音は音量が小さく、粗末な装置で聞くとノイズが浮いてくる。
本来の意味で高音質の録音とは、装置が高級になるにしたがって、音質が良く聞こえるはずだが、近年ではその逆の現象がおきている。
実際の生の音は、音の大小がきわめて広い。この音の大小をダイナミックレンジというが、それは、マイクロフォンを通ることによって縮小され、更に、アンプなどの増幅装置を通ることで縮小され、録音される段階でまた縮小される。
最終的にスピーカーから出てきた音。その音は、生で聞くより随分と音の大小が潰されているものだ。オーディオの悲しみはそこにある。
それを更に潰して吹き込んだものが、最近、高音質CDとして売られている。
それをハイエンド(最上級)の高級オーディオマニアが買いあさっている。
次第に、彼らは音楽を聴いてどう感じたかということより、どれだけ元気な音が出たかという事ばかりに心を奪われるようになる。
そして、音響メーカーは、そのような「潰された録音のCDがいかによく聞こえるか」ということに、日々奮闘しているわけだ。
悲しいのは、このような録音技術の変遷によって、音の強弱について鈍感なプレイヤーが多くなってしまった事だ。
こんなことを書くと、僕がコンプレッサーやリミッターを敵視しているように思われるかもしれないが、僕はむしろコンプレッサーやリミッターについては肯定派だ。おおいに音を潰すべきだ。
一般的な家庭における音響装置で、最もよく聞こえるようにCDを作る。それ自体はとても良いことだ。
ただ、僕が危惧しているのは、本当に良い音のする装置やCDが、この世から存在しなくなることだ。そして、本当に良いプレイヤーが潰されていく今の業界システムに対して、釈然としない思いを抱いている。
しかし、このような時代もいつかは終わるだろう。
おそらく、未来のオーディオ装置では、レコードから平均音量を導き出し、自動で音量を設定する音響機器が現れると思われる。
そして、機械のパネルには「平均レベル」というツマミが付くのだろう。
それが20年後か100年後かはわからない。
さらにその先は、リミッターやコンプレッサーを再生装置側が掛ける時代が来る。
そうなると、今日の音響の常識はいっぺんにひっくり返る。今の高級装置は見向きもされなくなる。そんな時代を見てみたいものだ。
最後におさらいすると
・CDを比較視聴した場合、音量が小さいほうが高級な音質である。
・CDを比較視聴して、音量が大きいほうが音が良いと感じた場合は再生装置が粗末である。
今では非常識なこの理論が、未来では常識になるときがくる。
むろん、これは原則的な話だ。各種条件によって結果は異なる。しかし、原則としてはこの理論が通る時代が必ずくると信じている。
しかし、せっかくだから、今は潰れた音の全盛期を満喫するのも悪くない。
よく売れた名盤、名演奏の録音は後になって、音の再ミックスや調整が加えられ、再販される。
それが高音質CDだ。
往々にして、高音質CDは初版よりも平均音量が大きく仕上げてある。つまり、音がデカい。
この手のCDで初版よりも6dBくらい大きい音にしてあるなどはザラだ。酷いものは割れんばかりの音量に仕上げてある。
普通の人は、A、B比較視聴して、音が大きいほうがいい音だと思うものなのだ。だから、レコード会社は音量を上げて高音質盤として売り出す。
楽音の音量を上げて吹き込むとどうなるか?
当然だが、曲の盛り上がりの部分で音が大きくなりすぎて、音が割れる。だから、盛り上がりの部分で音が割れないように、音が上がりきらないように特殊な加工をする。これがリミッターと呼ばれるエフェクトである。
小さな音は大きく、大きな音は小さくする加工する。この装置をコンプレッサーと呼ぶ。これをかけると、音がデカくて起伏のないCDが出来る。
当然、そのようなCDで聞く音楽は、盛り上がりに欠ける。
これが音の悪い高音質CDの正体だ。
そして、困ったことに、粗末な再生装置では、このように潰された音のほうが良い音に聞こえる。
なぜなら、音がつぶされずに録音されたものを、低級な装置で再生すると、アンプやスピーカーのほうで音が歪んでしまうからだ。
リミッターのように音声のピークで音量が小さくなるのではなく、そこで歪んだ音が出てしまう。
だから、リスナーが音が悪いと感じてしまう。
また、リミッターの施されていない録音は音量が小さく、粗末な装置で聞くとノイズが浮いてくる。
本来の意味で高音質の録音とは、装置が高級になるにしたがって、音質が良く聞こえるはずだが、近年ではその逆の現象がおきている。
実際の生の音は、音の大小がきわめて広い。この音の大小をダイナミックレンジというが、それは、マイクロフォンを通ることによって縮小され、更に、アンプなどの増幅装置を通ることで縮小され、録音される段階でまた縮小される。
最終的にスピーカーから出てきた音。その音は、生で聞くより随分と音の大小が潰されているものだ。オーディオの悲しみはそこにある。
それを更に潰して吹き込んだものが、最近、高音質CDとして売られている。
それをハイエンド(最上級)の高級オーディオマニアが買いあさっている。
次第に、彼らは音楽を聴いてどう感じたかということより、どれだけ元気な音が出たかという事ばかりに心を奪われるようになる。
そして、音響メーカーは、そのような「潰された録音のCDがいかによく聞こえるか」ということに、日々奮闘しているわけだ。
悲しいのは、このような録音技術の変遷によって、音の強弱について鈍感なプレイヤーが多くなってしまった事だ。
こんなことを書くと、僕がコンプレッサーやリミッターを敵視しているように思われるかもしれないが、僕はむしろコンプレッサーやリミッターについては肯定派だ。おおいに音を潰すべきだ。
一般的な家庭における音響装置で、最もよく聞こえるようにCDを作る。それ自体はとても良いことだ。
ただ、僕が危惧しているのは、本当に良い音のする装置やCDが、この世から存在しなくなることだ。そして、本当に良いプレイヤーが潰されていく今の業界システムに対して、釈然としない思いを抱いている。
しかし、このような時代もいつかは終わるだろう。
おそらく、未来のオーディオ装置では、レコードから平均音量を導き出し、自動で音量を設定する音響機器が現れると思われる。
そして、機械のパネルには「平均レベル」というツマミが付くのだろう。
それが20年後か100年後かはわからない。
さらにその先は、リミッターやコンプレッサーを再生装置側が掛ける時代が来る。
そうなると、今日の音響の常識はいっぺんにひっくり返る。今の高級装置は見向きもされなくなる。そんな時代を見てみたいものだ。
最後におさらいすると
・CDを比較視聴した場合、音量が小さいほうが高級な音質である。
・CDを比較視聴して、音量が大きいほうが音が良いと感じた場合は再生装置が粗末である。
今では非常識なこの理論が、未来では常識になるときがくる。
むろん、これは原則的な話だ。各種条件によって結果は異なる。しかし、原則としてはこの理論が通る時代が必ずくると信じている。
しかし、せっかくだから、今は潰れた音の全盛期を満喫するのも悪くない。
ビートルズがアビーロードスタジオで日常的に使っていたEMIのモニタースピーカー*を聞いたことがある。
このスピーカーでビートルズを聞いくと、「なるほど」と唸ってしまう。
面白いことに、このスピーカーで聴くビートルズの英語の発音には、かつてどこのバンドでも聞いたことのないほどのスリルを感じさせる。
ビートルズの声はスレンダーで、いかにも英国人らしい雰囲気があった。
とくにポール・マッカートニーの声の印象は、このスピーカーで覆された。
多くのスピーカーはポールの声をモタついて聞かせてしまう。
このスピーカーは、高音が量的に出ていないにも関わらず、音の像が鮮明でクッキリしている。
普通のスピーカーならば、高音を絞ると音はモソモソになってしまうものだが、このスピーカーは違う。
音の帯域バランスが現代のスピーカーとはまったく違うと感じた。このスピーカーが開発された頃は、まだスピーカーはフリクエンシー特性を測定して作るものではなかった。
耳のいい技術者がカンと経験で作っていた時代のスピーカーなのだ。そういう時代のスピーカーには異次元のリアリティーを感じる。逆にダメなスピーカーは、まるでダメな時代だったろう。
どうやらビートルズの録音は、高音を量的に出すことでクッキリと聞かせている現代のスピーカーでは、再生が不可能な音のバランスに整えられているようだ。
音色は若干暗めで、音楽に潜む情景感には、デンマークのスピーカーにも似た憂いを魅せる。おそらくイギリスという風土が生み出したものだろう。
もし、ビートルズが東芝EMIに移籍しなかったら、ビートルズの音楽はまったく異なったものになったと思う。
このスピーカーはインピーダンス特性が不安定で逆起電力が起こりやすい。出力トランスをもったアンプで再生することをお勧めする。
このスピーカーでビートルズを聞いくと、「なるほど」と唸ってしまう。
面白いことに、このスピーカーで聴くビートルズの英語の発音には、かつてどこのバンドでも聞いたことのないほどのスリルを感じさせる。
ビートルズの声はスレンダーで、いかにも英国人らしい雰囲気があった。
とくにポール・マッカートニーの声の印象は、このスピーカーで覆された。
多くのスピーカーはポールの声をモタついて聞かせてしまう。
このスピーカーは、高音が量的に出ていないにも関わらず、音の像が鮮明でクッキリしている。
普通のスピーカーならば、高音を絞ると音はモソモソになってしまうものだが、このスピーカーは違う。
音の帯域バランスが現代のスピーカーとはまったく違うと感じた。このスピーカーが開発された頃は、まだスピーカーはフリクエンシー特性を測定して作るものではなかった。
耳のいい技術者がカンと経験で作っていた時代のスピーカーなのだ。そういう時代のスピーカーには異次元のリアリティーを感じる。逆にダメなスピーカーは、まるでダメな時代だったろう。
どうやらビートルズの録音は、高音を量的に出すことでクッキリと聞かせている現代のスピーカーでは、再生が不可能な音のバランスに整えられているようだ。
音色は若干暗めで、音楽に潜む情景感には、デンマークのスピーカーにも似た憂いを魅せる。おそらくイギリスという風土が生み出したものだろう。
もし、ビートルズが東芝EMIに移籍しなかったら、ビートルズの音楽はまったく異なったものになったと思う。
このスピーカーはインピーダンス特性が不安定で逆起電力が起こりやすい。出力トランスをもったアンプで再生することをお勧めする。
モニタースピーカーとは、録音時に技師や演奏家が聞くためのスピーカーのことである。
かつて、モニタースピーカーの音には国籍が存在した。
例えばNHKが20世紀に正式採用していたダイヤトーン社の2S305(別名R305)というスピーカー。これは、とてつもなく美しい音の出るスピーカーシステムだった。
残念ながら、現存しているこれらのスピーカーの多くは壊れていて専門的な修理を必要としているのだが、修理を行う技師も、歪んでいる事に気づく耳を持ったリスナーもいないという状況に陥っている。
とはいえ、完全な状態で聞くこのスピーカーの音は、とてつもなく滑らかで、子音と母音の結びつきが実に自然な音を奏でるのである。特に子音と母音の結びつきの強い日本語においては、その特徴は遺憾なく発揮され、このスピーカーを聞いた後で聞く他のすべてのスピーカーが、すべてハスキーに聞こえてしまうほどだ。海外の著名なオーディオ評論家の中でも、「史上もっとも美しい音がするスピーカー」と言い切る人がいるくらいだ。
音の強弱はダイナミックで、1台で凄まじい音量を稼ぐこともできた。モニターとしては、かなり情動的な部類に入るスピーカーだろう。
NHKではホールでのハウススピーカーにさえこのスピーカーを使っていた。おそらく20世紀の間はAMラジオ以外は、ほとんどこのスピーカーでモニタリングしていたのではないだろうか。日本の音と文化を根底から支えたスピーカーであったと言っても過言ではない。
当時も現在も、音楽再生において一流品と認められた国産のスピーカーは、片手の指で数えるほどしかない。
このスピーカーは物理特性も2WAYシステムとしては世界最高で、特性面と音質面の両面で世界のトップを走っていた。
しかし、この製品もついに生産されなくなり、メーカーの修理も受け付けなくなってしまった。そして、ここ10年ほどで、わが国のアナウンサーの発音は大きく様変わりした。これはスピーカーの変更と大きな関連性がある。
グローバル、グローバルと人は言うが、世界のどこに行っても、同じような価値観の人々がいて、同じような思想で統一されることがグローバルなのだろうか。
人類ひとりひとりが真に自由な発想をもち、人々が互いの違いを許しあうことが真のグローバルだったはずなのなのだが。
かつて、モニタースピーカーの音には国籍が存在した。
例えばNHKが20世紀に正式採用していたダイヤトーン社の2S305(別名R305)というスピーカー。これは、とてつもなく美しい音の出るスピーカーシステムだった。
残念ながら、現存しているこれらのスピーカーの多くは壊れていて専門的な修理を必要としているのだが、修理を行う技師も、歪んでいる事に気づく耳を持ったリスナーもいないという状況に陥っている。
とはいえ、完全な状態で聞くこのスピーカーの音は、とてつもなく滑らかで、子音と母音の結びつきが実に自然な音を奏でるのである。特に子音と母音の結びつきの強い日本語においては、その特徴は遺憾なく発揮され、このスピーカーを聞いた後で聞く他のすべてのスピーカーが、すべてハスキーに聞こえてしまうほどだ。海外の著名なオーディオ評論家の中でも、「史上もっとも美しい音がするスピーカー」と言い切る人がいるくらいだ。
音の強弱はダイナミックで、1台で凄まじい音量を稼ぐこともできた。モニターとしては、かなり情動的な部類に入るスピーカーだろう。
NHKではホールでのハウススピーカーにさえこのスピーカーを使っていた。おそらく20世紀の間はAMラジオ以外は、ほとんどこのスピーカーでモニタリングしていたのではないだろうか。日本の音と文化を根底から支えたスピーカーであったと言っても過言ではない。
当時も現在も、音楽再生において一流品と認められた国産のスピーカーは、片手の指で数えるほどしかない。
このスピーカーは物理特性も2WAYシステムとしては世界最高で、特性面と音質面の両面で世界のトップを走っていた。
しかし、この製品もついに生産されなくなり、メーカーの修理も受け付けなくなってしまった。そして、ここ10年ほどで、わが国のアナウンサーの発音は大きく様変わりした。これはスピーカーの変更と大きな関連性がある。
グローバル、グローバルと人は言うが、世界のどこに行っても、同じような価値観の人々がいて、同じような思想で統一されることがグローバルなのだろうか。
人類ひとりひとりが真に自由な発想をもち、人々が互いの違いを許しあうことが真のグローバルだったはずなのなのだが。
世界中のどこのスタジオでも同じようなモニタースピーカーが設置されている事は嘆かわしいことだ。
(モニタースピーカーとは録音時に技師や演奏家が聞くためのスピーカーのこと)
20世紀後半のレコード会社は、それぞれ音楽に対する考え方も、音の捉え方も、それぞれ異なっていた。そして、各社が個性的でそれぞれの主張があった。
では、21世紀の音が個性的ではないかと言うと、そうでもない。私には現在の音楽シーンが作り出している音は100年後に振り返ったら、非常に個性的な音だった言われるだろう。ただ、現在、世界中どこのスタジオも同じような音を作っているという点では無個性だ。
これは不特定多数の人に気に入られたいと思うスタジオや、ミュージシャンが増えたからだと思う。また、近年のそのような思想の根源は、現代社会におけるイデオロギーの単一化による弊害だと思っている。
今日のこのような傾向は、現在の資本主義社会の末期的症状の反映だと思えてならない。大量消費社会が破綻を来たし、人類が新たなイデオロギーを模索し始めた時、世界の音はおのずと変化するだろう。
もし、あなたが個性的なレコード(音声の記録)を作ろうと思うならば、あるいは、時代に流されないものを作ろうとか、今ではない新たな時代の音を作りたいという気持ちがあるのならば、私は、人とは違うモニタースピーカーをお勧めしたい。
(モニタースピーカーとは録音時に技師や演奏家が聞くためのスピーカーのこと)
20世紀後半のレコード会社は、それぞれ音楽に対する考え方も、音の捉え方も、それぞれ異なっていた。そして、各社が個性的でそれぞれの主張があった。
では、21世紀の音が個性的ではないかと言うと、そうでもない。私には現在の音楽シーンが作り出している音は100年後に振り返ったら、非常に個性的な音だった言われるだろう。ただ、現在、世界中どこのスタジオも同じような音を作っているという点では無個性だ。
これは不特定多数の人に気に入られたいと思うスタジオや、ミュージシャンが増えたからだと思う。また、近年のそのような思想の根源は、現代社会におけるイデオロギーの単一化による弊害だと思っている。
今日のこのような傾向は、現在の資本主義社会の末期的症状の反映だと思えてならない。大量消費社会が破綻を来たし、人類が新たなイデオロギーを模索し始めた時、世界の音はおのずと変化するだろう。
もし、あなたが個性的なレコード(音声の記録)を作ろうと思うならば、あるいは、時代に流されないものを作ろうとか、今ではない新たな時代の音を作りたいという気持ちがあるのならば、私は、人とは違うモニタースピーカーをお勧めしたい。
モニタースピーカーの選び方にも色々ある。
例えばノイズ監視用のモニタースピーカー。これは、音楽を聴くためではなく、ノイズがよく聞こえなくてはならない。ノイズとは、ザーーーといった暗騒音や、あるいは、ピアノの椅子がきしむ音、つまり、音楽家が聞かせたくない音。音楽とは関係の無い音のことだ。
ノイズ監視用のスピーカーの特性は、現実世界の音よりも小さい音が大きく聞こえなければならない。逆に、大きい音はそれほど大きく聞こえないという特徴を持ったものが良い。現在、世界中のスタジオで使われているY社の白いコーンのモニタースピーカーは、ノイズ監視に最適なスピーカーだ。
ただし、そのような傾向を持つスピーカーは、音の強弱が潰されているということも忘れてはならない。つまり、ダイナミックレンジが狭い。このような性質を持つスピーカーではノイズの監視はできても、音楽の監視はできないという事を知っておこう。ノイズ監視用のスピーカーでは、演奏の機微や情感は伝わりにくいからだ。
細かな音がたくさん聞こえる音が、音楽的に良い音だと思っている人が多い。しかし、それはオーディオマニアの幻想にすぎない。
本当は音の強弱が潰れて小さな音がより大きく聞こえているだけである。
高級なスタジオでは数種類のスピーカーが設置されている。音楽を監視するためのスピーカー、ノイズを監視するためのスピーカー、さらには、旋律を監視するためのスピーカー、リズムの機微を監視するためのスピーカー、ハーモニーを監視するためのスピーカー・・・、と、突き詰めればモニタースピーカーは無限に増え続けてしまう。
例えばノイズ監視用のモニタースピーカー。これは、音楽を聴くためではなく、ノイズがよく聞こえなくてはならない。ノイズとは、ザーーーといった暗騒音や、あるいは、ピアノの椅子がきしむ音、つまり、音楽家が聞かせたくない音。音楽とは関係の無い音のことだ。
ノイズ監視用のスピーカーの特性は、現実世界の音よりも小さい音が大きく聞こえなければならない。逆に、大きい音はそれほど大きく聞こえないという特徴を持ったものが良い。現在、世界中のスタジオで使われているY社の白いコーンのモニタースピーカーは、ノイズ監視に最適なスピーカーだ。
ただし、そのような傾向を持つスピーカーは、音の強弱が潰されているということも忘れてはならない。つまり、ダイナミックレンジが狭い。このような性質を持つスピーカーではノイズの監視はできても、音楽の監視はできないという事を知っておこう。ノイズ監視用のスピーカーでは、演奏の機微や情感は伝わりにくいからだ。
細かな音がたくさん聞こえる音が、音楽的に良い音だと思っている人が多い。しかし、それはオーディオマニアの幻想にすぎない。
本当は音の強弱が潰れて小さな音がより大きく聞こえているだけである。
高級なスタジオでは数種類のスピーカーが設置されている。音楽を監視するためのスピーカー、ノイズを監視するためのスピーカー、さらには、旋律を監視するためのスピーカー、リズムの機微を監視するためのスピーカー、ハーモニーを監視するためのスピーカー・・・、と、突き詰めればモニタースピーカーは無限に増え続けてしまう。
パチンコ屋のような騒音の中で話そうとする時、人は自分が思っている以上にがなってしまうものだ。このパチンコ屋と同じような現象がステージ上でも起こっている。
ライブハウスのステージの上では、客席よりもスピーカーから出るボーカルの音量が小さく設定されている。だいたい客席側のスピーカーよりも12デシベルくらい小さい音量でボーカルの返しが設定されている。デシベルという単位は3デシベルで2倍だから、12デシベルと言うとエネルギー比としては16分の1である。つまり、ステージでは客席で聞いている音の16分の1しかボーカルの音量が出ていないということになる。
歌い手は、このような状況でも音を外さず歌わなければいけない。だから、ボーカルは大変なのだ。
このような理由から多くのボーカリストはステージで、がなって歌ってしまう。自分の声が聞こえないから だ。自分の声が聞こえないとき、人はがなってしまう。このようなことはラジオのディスクジョッキーの間でも、まれに起きていることだ。そのことが歌手生命やDJ生命を脅かすことも少なくない。
オペレーターの感覚と歌手の感覚が隔たっていることも、歌手ががなる原因の一つだ。オペレーターが楽器の音量を上げれば、歌手はがなる。歌手ががなると、オペレーターは更に楽器の音量を上げる。このような悪循環が各地のライブハウスで蔓延している。
ライブハウスのステージの上では、客席よりもスピーカーから出るボーカルの音量が小さく設定されている。だいたい客席側のスピーカーよりも12デシベルくらい小さい音量でボーカルの返しが設定されている。デシベルという単位は3デシベルで2倍だから、12デシベルと言うとエネルギー比としては16分の1である。つまり、ステージでは客席で聞いている音の16分の1しかボーカルの音量が出ていないということになる。
歌い手は、このような状況でも音を外さず歌わなければいけない。だから、ボーカルは大変なのだ。
このような理由から多くのボーカリストはステージで、がなって歌ってしまう。自分の声が聞こえないから だ。自分の声が聞こえないとき、人はがなってしまう。このようなことはラジオのディスクジョッキーの間でも、まれに起きていることだ。そのことが歌手生命やDJ生命を脅かすことも少なくない。
オペレーターの感覚と歌手の感覚が隔たっていることも、歌手ががなる原因の一つだ。オペレーターが楽器の音量を上げれば、歌手はがなる。歌手ががなると、オペレーターは更に楽器の音量を上げる。このような悪循環が各地のライブハウスで蔓延している。
ライブではエレキギターの音は、ギターアンプとハウススピーカーから出てくる。
2つ位置からから音が出るということは、ある周波数においては音が打ち消しあって音量が減るということである。
おおげさに言えば“ファ”の音の時だけ音量が減ってしまうといったようなことだ。
わかりやすく言うとこんな感じだ。
ドレミファソラシド
しかも、恐ろしいことにこのような現象は客席でしか聞こえない。だから、多くのギタリストはこの事を知らない。フットモニターなどのスピーカーからはあまりエレキギターの音を返さないから、このような現象はステージ上では起こりにくいのだ。
良い音を出すには、一つのスピーカーから、あるいは特性の揃った一対のスピーカーから音を出すことだ。種類の異なる2つのスピーカーは干渉しあい混濁した歪みをもたらす。
例えば狭いクラブハウスで演奏するなら、ギターアンプのみから音を出してもいい。つまり、ハウススピーカーからはギターの音は出さない。
広いライブハウスやコンサートホールならば、ギターアンプの音は絞りぎみにして、ハウススピーカーの音を客席に届けるべきだ。
その中間が最も音が悪い。
2つ位置からから音が出るということは、ある周波数においては音が打ち消しあって音量が減るということである。
おおげさに言えば“ファ”の音の時だけ音量が減ってしまうといったようなことだ。
わかりやすく言うとこんな感じだ。
ドレミファソラシド
しかも、恐ろしいことにこのような現象は客席でしか聞こえない。だから、多くのギタリストはこの事を知らない。フットモニターなどのスピーカーからはあまりエレキギターの音を返さないから、このような現象はステージ上では起こりにくいのだ。
良い音を出すには、一つのスピーカーから、あるいは特性の揃った一対のスピーカーから音を出すことだ。種類の異なる2つのスピーカーは干渉しあい混濁した歪みをもたらす。
例えば狭いクラブハウスで演奏するなら、ギターアンプのみから音を出してもいい。つまり、ハウススピーカーからはギターの音は出さない。
広いライブハウスやコンサートホールならば、ギターアンプの音は絞りぎみにして、ハウススピーカーの音を客席に届けるべきだ。
その中間が最も音が悪い。