思わぬところから現れたパワハラ疑惑に関する伏兵 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

ブログにお越しいただきありがとうございます^^

 

ASD(自閉症スペクトラム)当事者

女係長 鹿島じゅんです。

 

私の発達障害に関する診断結果

コチラです。

 

専門家でも見分けるのは難しいと言われる、

発達障害と愛着障害。

 

自分は本当は発達障害ではなく、

愛着障害なのではないかと思い振り返った、

私の愛着障害に関する生育歴

コチラです。

 

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職場で、

部下Aへのパワハラ疑惑を持たれた私も、

課長という協力者を得て、


私の部下Aへの指導が多いのは、

私がパワハラを働いているのではなく、

単純にミスやいい加減な仕事が多いから


だということを、

周囲の人達に知らしめることが出来、

なんなら部下Aの、

あまりに酷い失態の数々を知ってもらうことで、

疑惑を晴らすどころか、

私の部下Aへの指導の苦労を知ってもらえて、

すっかり安心していたのですが。


先日、思わぬところから、

私に対するパワハラ疑惑が再燃していたことを、

課長から知らされました。



その思わぬところ、とは。


部下Aの親


でした。


なんと、

部下Aから職場の話を聞いた彼女の親が、

うちの本社の人事部に設置してある、

パワハラ・セクハラなどの相談窓口に、


うちの娘が職場でパワハラに遭っている


と、電話で訴えてきたらしいのです。



この部下Aの親の電話があった時期には、

すでに課長を通して、

周囲の人達に状況を理解してもらっていたため、

あらためて私に対して、

パワハラ疑惑の再調査はなかったのですが、

私はこの話を聞いた時、

ハンマーで頭を殴られたようなショックに、

しばらく茫然自失の状態でした。


だって、ですよ。

例え自分の子供であったとしても、ですよ。


20歳を過ぎた大人の親が、

パワハラに遭ってるという、

子供の話を鵜呑みにして、

会社(しかも働いてる営業所ではなく本社!)に、

クレームを入れてくる


なんて事態は、

私の想定の範囲外だった訳です。


でも、ここで私は悩んでしまいました。


私は機能不全家族出身で、

家族愛とは無縁に生きてきた人間です。


私はちょうど今の部下Aと同じ20歳の時に、

元夫が家に愛人を連れてきたことに耐えられず、

自殺未遂をしたのですが、

私の父は私に自殺未遂の理由を訊くこともなく、


「こいつ(私のこと)が全て悪いんだろう」


と元夫に対してのたまって、

被害者である私の頭を、

加害者である元夫に対して無理矢理下げさせる、

といった暴挙を行うくらい、

私と親の関係は破綻したものになっていました。



だから私は、悩んでしまったのです。


私の親の私に対する言動が、

あり得ないほどに酷いものだということは、

私の過去を、

ブログで読んで下さった方達の反応で、

理解していましたが。

(このブログを読んで下さった皆さんの反応が無ければ、

私には生まれた時から自分の置かれた環境が日常だったため、

そこまで酷い生い立ちだったとは気付かなかったと思います。

気付かせてくださって、ありがとうございました)


普通の愛情ある親の言動がどういうものかは、

私は学べていませんでした。


もしかして部下Aの親の言動が普通なの??


もし、そうならば。


私は世間の親というものに対する認識を、

修正しなければなりませんでした。


なぜなら私がこの話を聞いた時、

正直、心の中でこう思ったからでした。


子が子なら、親も親だな!

そんなだから、

子供がこんな甘ったれに育つんだよ!!o(`ω´ )o



自分に何か辛いことがあったら、

自分の力で頑張って、

その環境を変えようとするのではなく、

泣いて他人に訴えて、

その環境を変えてもらおうとする、

部下Aのことを、

私は甘えが過ぎると感じていて、

快く思っていませんでした。



でも、そのことを、

部下Aに対して口に出して言わなかったのは、


自分の過去の経験が一般的で無いこと


を、理解していたからでした。


でも、そのことを差し引いても、

部下Aも、部下Aの親も、

私の目には甘えと甘やかしが過ぎる、

と映っていました。


(そんなんで、よく生きてこられたな、、、)


私は見下すように、

部下Aに対してそのようなことを思いました。


自分の食事が父親に取られるのは日常茶飯事、

成長したら父親から玩具のように扱われて、

身の安全さえ脅かされていた私は、

いつからか、


私は12歳で死ぬんだ


という、

根拠の無い生命の終わりを夢見ることで、

なんとか日々を生き抜いていました。



私が部下Aのような人間だったなら、

子供のうちに精神を壊していたことでしょう。


もしかしたら、

そのような環境で生きていくために、

私は今のような心の強さを、

身に付けたのかもしれません。


それなら、私は。


親に愛されて育ってきた部下Aより、

親に虐待されて育ってきた自分の人生の方が良かった


と、

負け惜しみではなく心からそう思いました。


人生では子供として生きる時間より、

大人として生きる時間の方が、

圧倒的に長いのです。


子供の頃に大切にされた部下Aは、

大人になって、

親の庇護なく生きていくことに、

不安を覚えますが、

子供の頃に虐待を受けた私は、

大人になって、

親の呪縛から解放されて生きていけることに、

希望を見出すことが出来ます。


子供という時間を、

親から逃れるために耐え忍んできた私と、

守られて生きてきた部下Aとの間に、

これだけ生きる力に差が出るのならば。


私は子供の頃に、

"大人の力貯金"を貯めていたのだと考えました。



それは人によっては、

子供らしい時期を過ごすことが出来なかったと、

可哀想にみる人もいるでしょう。


でも、

過去に起こった出来事は変えられません。


なら、


大人になってから幸せになるために、

自分の力を蓄えていたのだ


と考える方が、

ずっと幸せじゃないですか。


何より私は。


今の自分自身に満足している


のだから。



過去は変えられないけれど、

過去に起こった出来事の捉え方は変えられる。


親に愛されて育ってきた部下Aをみて、

全く羨ましく思うことなく、

そんなことを改めて思った日。


思わぬところから現れた、

パワハラ疑惑に関する部下Aの親という伏兵は。


今の自分を肯定するために、

一役買ってくれたのでした。