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ASD(自閉症スペクトラム)当事者
女係長 鹿島じゅんです。
私の発達障害に関する診断結果
→コチラです。
専門家でも見分けるのは難しいと言われる、
発達障害と愛着障害。
自分は本当は発達障害ではなく、
愛着障害なのではないかと思い振り返った、
私の愛着障害に関する生育歴
→コチラです。
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部下Aが本社にパワハラを訴えたために、
私にパワハラ疑惑がかけられていたのは、
愛着障害が改善していなかった、
以前の私だったら、
頼りにされたことに喜んで、
部下Aの涙ながらの訴えに同情し、
優しく言葉をかけて部下Aを帰宅させ、
その後は自分を犠牲にして、
部下Aが今受け持っている仕事を、
全部引き受けてしまっていたことでしょう。
せっかく部下Aの事実を知って、
自分の味方になってくれた課長と決めた、
部下Aに対する指導方針を無視する形で。
部下Aが、
どのような働き方をしているか、
課長が知ってから、
部下Aを指導することで、
私が悪者にならないように、
課長と私は、
部下Aにどのように指導するかを、
話し合って決めていました。
その指導方針は、
優しい顔をして指導しても、
仕事で手を抜き間違いを犯すから、
厳しい態度で指導して、
社会人としての自覚を持ってもらう
というものでした。
私がこの方針に則って部下Aを指導した場合、
またパワハラだと、
訴えられる恐れがあるため、
万が一の時に備えて、
これは私1人の個人的考えではなく、
課長と私の考えた指導方針だという証拠を、
課長は作ってくれていました。
課長がそこまでしてくれていたのに、
部下Aに特別扱いされたことで、
舞い上がった私が取ろうとしていた行動は、
課長と決めた指導方針とは真逆なものであり、
証拠の信憑性を下げる結果に繋がるもので、
自分の味方になってくれた課長を裏切る行為
でもありました。
私はこの時、
自分の愛着障害が改善していて良かったと、
心から思いました。
部下Aの特別扱いに心躍らされる自分を自覚し、
そんな自分を俯瞰して観ることが出来たから
です。
愛着障害者にありがちな行動で、
人に嫌われるのが怖くて、
全ての人に良い顔をする
というものがあります。
(これは私の経験上の話しで、全ての人がそうだとは限りません)
でも本当は、全ての人に好かれるなんて、
無理な話のため。
最終的には、
全ての人に良い顔をしていたことがバレて、
全ての人から嫌われてしまう
という結末が、
私の人生では繰り返し起こっていました。
イソップ寓話の「ひきょうなこうもり」のように。
私は部下Aの言葉に喜ぶ自分を感じながら、
こうやって愛着障害者は不幸になってしまうんだな
と感じていました。
自分を特別扱いしてくれたことが嬉しくて、
部下Aの味方になって、
部下Aの仕事を肩代わりしていたら、
私がオーバーワークになるのは当然だけれど。
だからといって、
私が肩代わりした部下Aの仕事を、
部下Aにもう一度返したら、
また自分に仕事を押し付けられたと、
部下Aが不満を持つのが目に見えていて。
けれど、
自分の味方をしてくれた課長と、
話し合った指導方針を、
自分で変えてしまった私が、
仕事を返されて不満を持った部下Aから、
またパワハラだと訴えられた場合、
課長が再度味方になってくれるかは、
一度裏切っているため微妙であり。
結局、
味方をした部下Aと、
味方になってくれた課長から、
そっぽを向かれて、
辛い思いをする自分
に、
私の愛着障害が改善されていなかったら、
なっていたのだろうな、
と思いました。
人に愛されたいと思ってとる言動から、
かえって人に愛されなくなる愛着障害
(これは本当に、厄介な病だな)
そう考えながら私は、
最終的にどちらからも嫌われる、
イソップ寓話のコウモリにならないよう、
自分の明確な意思を持って、
心の中で誰を大切にするかを選びました。
部下Aに特別扱いされて喜んでいる、
自分の心の中のもう1人の自分に、
(人に特別扱いされて嬉しいのは分かるけど、
自分を大切にしてくれる人を大切にしようね)
そう話しかけながら。
そうやって、
部下Aの特別扱いに浮かれた心を鎮めると、
私は部下Aの強かさに、
ようやく気がつけるようになりました。
(よくパワハラを受けていると訴えた相手に、
泣きながら相談なんて出来るものだよね)
そんな部下Aの、
厚顔無恥な行動の被害者でありながら、
あまつさえ同情しようとしていた、
自分の愚かさに呆れ返ると同時に、
そんな自分の愚かさに、
なかなか気がつくことの出来ない、
そして例え愚かだと、
人に利用されていると分かっていたとしても、
そこに人に愛される僅かな望みがあるなら、
その望みを胸に抱いて人に尽くしてしまう、
愛着障害の人生に与える深刻さを思いました。
(今の私が、その望みで自分を犠牲にすることはないけれど)
私は愛着障害者の持つ"愛される望み"を、
もう手放してしまっているから。
私は部下Aの涙の訴えを聴きながら、
私をパワハラ疑惑から、
守ろうと協力してくれている課長に、
今日の出来事を、
何と伝えようか考えていました。
そして、そんな私の心の中には、
自分を特別扱いしてくれた相手に、
自分を犠牲にすることなく冷静に対応出来ている自分
に、
微かな誇りが湧き上がっていたのでした。
こんなに長い文章を最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。