パワハラ疑惑後日談〜愛着障害が人生を不幸にする理由〜 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

ブログにお越しいただきありがとうございます^^

 

ASD(自閉症スペクトラム)当事者

女係長 鹿島じゅんです。

 

私の発達障害に関する診断結果

コチラです。

 

専門家でも見分けるのは難しいと言われる、

発達障害と愛着障害。

 

自分は本当は発達障害ではなく、

愛着障害なのではないかと思い振り返った、

私の愛着障害に関する生育歴

コチラです。

 

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部下Aが本社にパワハラを訴えたために、

私にパワハラ疑惑がかけられていたのは、


1.私が4ヶ月間ブログ が更新出来なかった理由




でお伝えして。

その後、部下Aが、
独断専行で仕事を進めてしまったせいで、
私にだけではなく、
課長にまで迷惑をかけたために、
私の部下Aに対する指導が、
パワハラなどではなく、
適正な指導であったことが、
課長に認められたことは、

という記事に書かせていただいたのですが。

実はこの話、
後日談があるのです。

今日は、その話を、
させていただきたいと思います。

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実は、
この【逆転したパワハラ】の出来事の後から、
当然といえば当然なのですが、
課長の部下Aをみる視線は厳しいものとなり、
今まで気付いていなかった、

・電話が鳴っても取ろうとしない

・皆んなで一斉に作業をする時にすぐに動かない

・仕事が終わっていないのに帰宅する
(ただし、私が残業している時だけ残る)

といった部下Aの行動に、
課長も気付きはじめたようでした。
(これらは私が部下Aが入社した当初から、
目について指導していた事項でした)

そんな部下Aの態度に気付いてしまうと、
課長の部下Aに対する評価はどんどん下がり、
課長の部下Aに対する態度は、
当然ながら厳しいものになっていきました。

でも課長の部下Aに対する態度も、
言葉自体は多少厳しくはあったとしても、
決してパワハラなどではなく、
社会人としての言動が身についていない、
部下Aに対する、
一般的な指導の範囲だったのですが、
入社するまで学生として過ごしてきて、
大人の男の人から、
厳しい言葉など言われなかったであろう、
女の子の部下Aにとっては、
女性の私より課長の方が、
怖く感じたのかもしれません。

ある日、
私と部下Aの2人だけが残業していた夜。

事務所の自分の机に座って、
黙々と仕事をこなしていた私の元に、
部下Aは俯きながら近づいてくると、

「係長、、、」

と、
弱々しく私に声をかけてきました。

その声に、
私が書類から目を上げて部下Aの方を見ると、
その目には、
うっすらと涙が溜まっていました。

部下Aはそのまま涙声で、

「係長にだけ話すんですけど、、、」

と、
私に向かって振り絞るように声を出すと、
私の机の隣に立ったまま、
話を続けようとしてきました。

私は部下Aが、
自分に不都合なことがあると、
よく涙を浮かべて、
被害者のような顔をしていたため、
彼女の涙を浮かべた鎮痛な面持ちに対しては、
何の感慨も湧きませんでしたが、
彼女の発した、

"係長だけに話すんですけど"

という、
自分を特別扱いしてくれているフレーズに対しては、
心が舞い上がってしまい、
自分の動悸が早くなったのを感じました。

なぜなら、その言葉は、

・「女の子なら要らない」と生まれた時に父親に言われ

・「お前のことは理解出来ないから放っておく」と母親に言われ

・「お前がいなければうちの家族は上手くいくのに」と兄に言われた

私が、
子供の頃からずっと欲していた、

誰かの特別になれる言葉

だったから、でした。
(私の子供の頃の出来事を知りたい方はコチラをご覧ください)


私は部下Aの話が、
長くなりそうなのを感じたのと、
自分の頬が、
部下Aが自分を特別扱いしてくれた喜びで、
上気したのを悟られないように、
部下Aの言葉を柔らかく遮ると、

「ちょっと座って話そうか」

と自分の机の隣に他の人の椅子を持ってきて、
部下Aを座らせました。


私が仕事の手を止めて、
部下Aと横並びに座って話を聴く姿勢をとると、
部下Aは、

「自分の考えが甘いっていうのは分かってるんですけど、、、」

と前置きしながら、
自分1人だけ毎日残業している現状の辛さを、
私に訴えてきました。

部下Aが、
私の部署で1人だけ残業になっているのは、
業務量が多い訳では決してなく、
単に仕事に慣れておらず、
手際が悪いからだったのですが、

他の人は帰れるのに私だけ残業している


私だけ仕事を多く押し付けられている

という考えに陥ってしまい、
誰も、
残業している自分を手伝ってくれない現状が、
辛くてたまらないようでした。

けれど、
誰も部下Aを手伝ってくれないことも、
実際は、
部下Aが行っている仕事に対して、

「1人で大変だったら手伝うから声をかけてね」

と申し出てくれた先輩に対して、
部下Aが自分から、
手伝いをお願いすることがなかったため、
自分1人で行っていただけのことでした。
(先輩には自分から頼めないから、気を利かせて、
先輩の方から「手伝うよ」と言って欲しかったようでした)

そして。

私が部下Aの仕事を手伝わなかったのは、

部下Aが勤務時間中、
一生懸命に働いていると感じられなかった
(仕事の手を抜いて、やっていないことをやったと嘘を吐かれたりしました)

ことと、

本来は部下Aの仕事だけれど、
まだ任せられない、
難しい案件を私が引き受けていた

からでした。

要するに部下Aに対しては、
勤務時間中に一生懸命に働いていれば、
終わるであろう、
簡単な仕事しか与えていないのに、
その簡単な仕事さえ、
手を抜いて働いておきながら、
自分だけ業務量が多いと泣かれたら、
もうこちらとしては、

一生懸命働いて仕事に慣れて!

と言う以外、
どうしてやりようもないのです。

でも私は、
ここまで理性で分かっていながら、
感情では、
目の前で自分の辛さを泣いて訴えている、
彼女の味方になってあげたいと感じている、
自分に気づいていました。

それはひとえに、

誰かに特別扱いされた喜び

を私が感じていたからでした。

課長でもなく、
手伝いを申し出てくれた先輩でもなく、
"私"に辛さを打ち明けてくれた。


ずっと子供の頃から、
家族から"要らない"と言われてきた私にとって、
部下Aのこの言葉は、
それだけで、
私が部下Aの仕事を全て、
肩代わりしてあげたくなるくらいの、
威力を持っていました。

きっと、

愛着障害が改善していなかった、

以前の私だったら、

頼りにされたことに喜んで、

部下Aの涙ながらの訴えに同情し、

優しく言葉をかけて部下Aを帰宅させ、

その後は自分を犠牲にして、

部下Aが今受け持っている仕事を、

全部引き受けてしまっていたことでしょう。


せっかく部下Aの事実を知って、

自分の味方になってくれた課長と決めた、

部下Aに対する指導方針を無視する形で。


部下Aが、

どのような働き方をしているか、

課長が知ってから、

部下Aを指導することで、

私が悪者にならないように、

課長と私は、

部下Aにどのように指導するかを、

話し合って決めていました。


その指導方針は、


優しい顔をして指導しても、

仕事で手を抜き間違いを犯すから、

厳しい態度で指導して、

社会人としての自覚を持ってもらう


というものでした。


私がこの方針に則って部下Aを指導した場合、

またパワハラだと、

訴えられる恐れがあるため、

万が一の時に備えて、

これは私1人の個人的考えではなく、

課長と私の考えた指導方針だという証拠を、

課長は作ってくれていました。


課長がそこまでしてくれていたのに、

部下Aに特別扱いされたことで、

舞い上がった私が取ろうとしていた行動は、

課長と決めた指導方針とは真逆なものであり、

証拠の信憑性を下げる結果に繋がるもので、


自分の味方になってくれた課長を裏切る行為


でもありました。


私はこの時、

自分の愛着障害が改善していて良かったと、

心から思いました。


部下Aの特別扱いに心躍らされる自分を自覚し、

そんな自分を俯瞰して観ることが出来たから


です。


愛着障害者にありがちな行動で、


人に嫌われるのが怖くて、

全ての人に良い顔をする


というものがあります。

(これは私の経験上の話しで、全ての人がそうだとは限りません)


でも本当は、全ての人に好かれるなんて、

無理な話のため。


最終的には、

全ての人に良い顔をしていたことがバレて、

全ての人から嫌われてしまう


という結末が、

私の人生では繰り返し起こっていました。


イソップ寓話の「ひきょうなこうもり」のように。



私は部下Aの言葉に喜ぶ自分を感じながら、


こうやって愛着障害者は不幸になってしまうんだな


と感じていました。


自分を特別扱いしてくれたことが嬉しくて、

部下Aの味方になって、

部下Aの仕事を肩代わりしていたら、

私がオーバーワークになるのは当然だけれど。


だからといって、

私が肩代わりした部下Aの仕事を、

部下Aにもう一度返したら、

また自分に仕事を押し付けられたと、

部下Aが不満を持つのが目に見えていて。


けれど、

自分の味方をしてくれた課長と、

話し合った指導方針を、

自分で変えてしまった私が、

仕事を返されて不満を持った部下Aから、

またパワハラだと訴えられた場合、

課長が再度味方になってくれるかは、

一度裏切っているため微妙であり。


結局、

味方をした部下Aと、

味方になってくれた課長から、

そっぽを向かれて、

辛い思いをする自分


に、

私の愛着障害が改善されていなかったら、

なっていたのだろうな、

と思いました。


人に愛されたいと思ってとる言動から、

かえって人に愛されなくなる愛着障害


(これは本当に、厄介な病だな)


そう考えながら私は、

最終的にどちらからも嫌われる、

イソップ寓話のコウモリにならないよう、

自分の明確な意思を持って、

心の中で誰を大切にするかを選びました。


部下Aに特別扱いされて喜んでいる、

自分の心の中のもう1人の自分に、


(人に特別扱いされて嬉しいのは分かるけど、

自分を大切にしてくれる人を大切にしようね)


そう話しかけながら。


そうやって、

部下Aの特別扱いに浮かれた心を鎮めると、

私は部下Aの強かさに、

ようやく気がつけるようになりました。


(よくパワハラを受けていると訴えた相手に、

泣きながら相談なんて出来るものだよね)


そんな部下Aの、

厚顔無恥な行動の被害者でありながら、

あまつさえ同情しようとしていた、

自分の愚かさに呆れ返ると同時に、

そんな自分の愚かさに、

なかなか気がつくことの出来ない、

そして例え愚かだと、

人に利用されていると分かっていたとしても、

そこに人に愛される僅かな望みがあるなら、

その望みを胸に抱いて人に尽くしてしまう、

愛着障害の人生に与える深刻さを思いました。


(今の私が、その望みで自分を犠牲にすることはないけれど)


私は愛着障害者の持つ"愛される望み"を、

もう手放してしまっているから。


私は部下Aの涙の訴えを聴きながら、

私をパワハラ疑惑から、

守ろうと協力してくれている課長に、

今日の出来事を、

何と伝えようか考えていました。


そして、そんな私の心の中には、


自分を特別扱いしてくれた相手に、

自分を犠牲にすることなく冷静に対応出来ている自分


に、

微かな誇りが湧き上がっていたのでした。




こんなに長い文章を最後まで読んでいただき、

ありがとうございました。