私の心にまだ傷付く余地が残っていたとは思いませんでした.1 | ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

ASD【自閉症スペクトラム】女係長 鹿島じゅんの日常生活はサバイバル!

25年以上1つの会社に健常者として勤務し、係長として人の上に立つようになった私が、
どのようにASD(自閉症スペクトラム)の特性と折り合いをつけて生活しているか、
その方法をお伝えしていきたいと思います。

ブログにお越しいただきありがとうございます^^

 

ASD(自閉症スペクトラム)当事者

女係長 鹿島じゅんです。

 

私の発達障害に関する診断結果

コチラです。

 

専門家でも見分けるのは難しいと言われる、

発達障害と愛着障害。

 

自分は本当は発達障害ではなく、

愛着障害なのではないかと思い振り返った、

私の愛着障害に関する生育歴

コチラです。

 

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また、随分、

久しぶりのブログ更新となりました。


もう何度も、

更新が4ヶ月以上、

空くことになってしまったこのブログ。


まだ読んでくださる方がいてくれるのなら、

なぜ私に、

タイトルのようなことが起こってしまったのか、

私の独白に、

お付き合い頂けたらと思います。


以前の記事で、

前回、ブログの更新が4ヶ月空いた理由は、

部下にパワハラの疑いをかけられたからだと、

お伝えしていましたが、

その状況による困難に対しては、

ASDで愛着障害者である私が、

今まで取ることが出来なかった、


協力者を得る


という方法で、

克服することが出来ました。



パワハラ疑惑がかけられている間は、

協力者を得るために、

プライベートの時間を犠牲にして、

仕事をしていた私は、

心身共に疲れ果てていて、

以前は月に1回ほどは必ず、

休日に様子を見に行っていた、

車で30分の距離に独りで住んでいる母の元へ、

顔を出す元気もありませんでした。


そして11月頃にようやく、

私に対するパワハラ疑惑が濡れ衣だと、

周囲の認識も落ち着いてきて、

心身に余裕が出てきた私は、


「これでようやく母の元へ顔を出せる」


と、

母の元へいつ顔を出そうかと考えて、

自分のスケジュールを確認した時に、

私はある事実に気付いて、

酷く自分のことを責める気持ちに陥りました。


それは、、、


休日は心身共に疲れていて、

母の元に顔を出す元気が無いと言いながら、

母の家に行くよりも遠い、

趣味の絵画教室には、

毎週末、通っていたということ。



そのことに気付いた私は、

週末は疲れているからといいつつ、

年老いて、

近くに私しか頼る人のいない母を捨て置き、

自分の趣味にばかりかまけていた自分を、


何て自分のことばかり考えた、

心無い人間なのだ


と、

自分が大変酷い人間に感じられたのでした。


本当に、

私はパワハラ疑惑の件が片付くまで、

週末に絵画教室に行くことは、

自分にとって当たり前のことのように感じて、

何の疑問も持っていなかったけれど。


よくよく考えてみれば、

車で片道1時間ほどかけて絵画教室へ行き、

4時間もの間、

絵を描き続ける体力があるのなら。


車で片道30分ほどかけて母の元へ行き、

トータルで20分もかからない、

母の唯一の生きがいといってもいい、

お墓参りに連れて行ってあげることくらい、

やろうと思えばやれたはずだったのです。


でも、私はやりませんでした。


母の住んでいる家からお墓は遠く、

電車やバスも通っていないため、

車を手放してしまった母は、

私が連れていってあげない限り、

お墓参り出来ないことくらい、

十分、知っていたはずなのに。


そして、母は、

私がお墓参りに連れていってあげなければ、

殆ど家から出ることもなく、

孤独に過ごしていると、

分かっていたはずなのに。



そんな自分のことを、


思いやりのない親不孝な娘


だと感じた私は、

今まで母に構ってあげなかった分、

年末年始は、

母へ尽くしてあげようと考えました。


そのため。


以前は母の住む実家から、

車で4時間ほどの距離に住んでいた私は。


年末に何時間もかけて車を運転し、

クタクタになって実家に帰ってきた私に母が、

年始に帰省してくる兄のために、

兄が大好きな刺身やビールの買い出しに、

車で連れて行って欲しいと言ってくるのが、

兄に対する気遣いばかりで、

疲れている私に対する心遣いは無いのかと、

毎年、悲しく腹立たしい気持ちに、

なっていたのですが。


今年は転勤のため、

母の近くに住んでいたこともあり、

何より母を蔑ろにしてしまったことへの、

罪滅ぼしのつもりで、

精いっぱい母の要望に応えて、

年末の、

車を停めることさえ大変な、

人でごった返しているスーパーへ、

快く母を乗せて、

兄のための買い出しに行ったのでした。


そしていつも年末年始は、

旦那様の実家で過ごす私の娘も、

旦那様が怪我をしてしまったために、

旦那様の実家に行く予定が流れ。


保育園もお休みしている年末年始に、

4ヶ月と3歳の、

2人の子供の面倒を、

自宅で娘1人でみるのは大変だから、

(旦那様は自分のことは出来るけど、

怪我で子供の面倒までみることは出来ない)

おばあちゃん(私)に、

遊び相手になって欲しいと、

孫を連れて帰省してきたため、

私は娘と孫が、

母の住む家に滞在するように促し、

孫(母にとってはひ孫)に、

久しぶりに会った母が、

孫とたくさん触れ合えるようにと、

一生懸命に母と孫との間を取り持ちました。



母は高齢で疲れやすく、

娘は生後4ヶ月の、

子供のお世話で忙しかったため、

母が疲れていそうな時には、

私が積極的に3歳の孫と一緒に遊びました。


必然的に、

やんちゃ盛りの3歳の孫と私が、

一緒に動き回って色んな遊びをして、

その部屋とは別な部屋で、

赤ちゃんの面倒を見る娘と母が、

一緒の部屋にいる場面が多くなりました。


多分、それが、

いけなかったのだと思います。


娘と2人きりになることが多かった母は。


決して言ってはいけない言葉を、

私の娘に言ってしまっていたのでした、、、


長くなったので、次に続きます。