生まれ育ち、学歴・職歴など最低線からのスタートとなる。だから今日があると思うと、まんざら貧乏は捨てたものでないと思う。
私は、夢が叶えられなくて絶対的失望はしない。例え頂点に立ったとしても「その後」を思うと「大したこたあない」と考える。他からの羨望的頂点は不安定で、気の毒と思う。
日々・日常の延長線上にあることが、心の安定感をつくり「自分自身である幸せ」を認識することであろう。
今回の「勉三没後90年授業」でも、多くのしくじりをしてしまう。非日常の世界、頭が真っ白になり、言葉がうわずり、忘れ物をしてしまう。
最大なものは、レシピ、カメラを入れた黒い手提げを失ったことである。それでも「大したこたあない」と思うことにしている。これを後日まで引きずればより損害が拡大すると。
だが面白いもので、諦めたものの方が戻ってくる確率が高い。財布など数回紛失したが、必ずというほど手元に戻る。私のはブーメラン財布なのだ。
この手提げも昨日、5日ぶりに戻る。普段はWさんの助手席を使うのだが、この日に限って同乗者があり、私は後部座席を使ったのである。
まして黒色、ようやく見つけ出されたというわけである。レシピはPCに入れてあるから良いとしても、カメラには講演の基調?な画像がある。それを再生、思い起こして自分の人間性・実力のなさを恥じる。まだまだ未完成人間、これからも目の前のものを追い続けるだろう。
