このたびの吉田政勝氏来松について考えたのだが、ここに横たわる一連性は「無私」に尽きるように思う。「辛酸をなめつくすは我が家の流」という依田佐二平の言葉に始まる人生ドラマである。
それが無謀ともいえる十勝開拓:依田勉三「晩成社」となり、十勝野が拓かれる。そして教師のかたわらつぶさに勉三研究される萩原実先生。それに感動:銅像建立に多大な資金投入の中島武市氏。氏は歌手:中島みゆきさんの祖父である。
私は、勉三戯曲「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」で、県芸術祭に佳作入選、そのころ西伊豆役場勤務の山本邦夫氏の指示「著作権にもかかわる」の一言で、萩原先生へつながる。
私のような無名な人間にも即答してくださる萩原先生。それにより私の勉三は膨らんでいく。それが拙書「風吹け、波たて」となる。そのことが日経新聞に紹介され、屈指の政治家:N氏との出会いをもつ。
私は、「歴史は共有物」という持論をもつ。ライフワークの依田勉三、小沢一仙にしろ全部をネット公開をしている。それにより吉田氏と出会えたのである。
そして「依田勉三没後90年:オープン授業」となり、渡辺功、土屋晴樹両氏がアッシーの務めを快く引き受けてくださる。涙がでるほどの感激である。
そして吉田氏をまじえ、それぞれの人生観をぶつけ合うことにより今まで気づかなかった事象を発見、次なるスッテプ台がつくられる。まさに勉三の縁による「無私のリレー」である。<font>font color="#0000FF">