のらりくらりす。

のらりくらりす。

ゲーム好き!ゲーム音楽好き!ゲーム攻略本好き!な
ゲーマー兼オタク兼カメコです。

休日って、

あっという間に過ぎてしまいますよね。

 

みなさんは、

いかがお過ごしでしょうか。

 

私はといえば、

先日、思い立って、

家の片づけをしてみたんです。

 

それは、

ほんの些細なきっかけでした。

 

「少し、

部屋をすっきりさせようかな。」

 

そんな軽い気持ちで、

クローゼットの奥をのぞいたのです。

 

そこで、

私の目の前に現れたのが、

かつて買った謎の健康グッズでした。

 

もう何年も、

使っていないものです。

 

ホコリをかぶって、

まるで発掘された古代の遺物のように、

ひっそりと佇んでいました。

 

これは、

単なる不用品ではありません。

 

人によっては、

それ以上の意味を、

持っているのです。

 

では、いったい、

どういうことなのでしょうか。

 

問題は、

『人間の心』

というものです。

 

そう、

「いつか使うかもしれない」

という呪いの言葉です。

 

思い返せば、

テレビの深夜番組で、

これを見たとき。

 

私は、

ものすごく感動したんです。

 

「これさえあれば、

私のお腹周りも、

一気に引き締まるはずだ!」

 

そう本気で信じて、

ポチッと購入ボタンを押したのです。

 

届いたときの、

あの高揚感。

 

箱を開けたときの、

ワクワクした気持ち。

 

それは、

まるで新しい人生が始まるような、

そんな大きな期待感でした。

 

けれど、

現実というのは、

なかなか厳しいものです。

 

届いてから数日は、

やる気満々で使っていました。

 

テレビを見ながら、

「ふん、ふん」と汗を流したのです。

 

これは、

ちょっと嬉しかったです。

 

「私、

健康のために頑張ってる!」

 

そんな充実感を、

味わっていました。

 

でも、

人間とは不思議なもので、

だんだん飽きてくるんですよね。

 

最初はリビングの特等席にあったそれが、

いつの間にか部屋の隅へ追いやられ。

 

気づけば、

洗濯物を一時的にかける、

ただのハンガーと化していたのです。

 

こういうのって、

よくありますよね。

 

みなさんは、

どうでしょうか。

 

家の中に、

「いつか使うゾーン」の住民、

いませんか。

 

使っていないのに、

捨てられないもの。

 

そこに、

ものすごいドラマが隠されているんです。

 

ここで、

少し、話しは変わりますが、

 

私の友人であるA子ちゃんが、

先日こんなことを言っていました。

 

「実家の倉庫を片づけたら、

昭和の香りがする謎の壺が出てきたのよ。」

 

それを聞いたとき、

私は思わず笑ってしまいました。

 

でも、

笑えない話でもあるんです。

 

なぜなら、

私たちはみんな、

『未来の可能性』

という名のゴミを、

抱え込んでいるからです。

 

「もしかしたら、

またブームが来るかもしれない。」

 

「高かったから、

捨てるのはもったいない。」

 

そうやって、

過去の自分と、

未来の幻想にしがみついているのです。

 

ようするに、

モノを捨てられないということは、

過去の自分を手放せないということなのかなと思います。

 

そう考えると、

あの健康グッズを捨てることは、

ただのゴミ出しではありません。

 

『過去の自分との決別』

という、

大いなる儀式なのです。

 

では、いったい、

どうして私たちは、

そんなにモノに執着してしまうのでしょうか。

 

問題は、

『自己否定したくない心』

にあるのです。

 

「これを捨てたら、

あのとき買ったお金と時間が、

すべて無駄になってしまう。」

 

そう認めるのが、

怖くてたまらないんですよね。

 

だからこそ、

私たちは、

何年も放置してしまうのです。

 

見ないふりをして、

心の奥底にフタをする。

 

「いつか使うから大丈夫!」

と、

自分に嘘をつき続ける。

 

こういう時間って、

意外とエネルギーを使うんですよね。

 

ふうっと、

思わずため息が出てしまいます。

 

でも、

思った以上に、

この気づきは大きかったです。

 

ただの片づけのつもりが、

なんだか人生の哲学にまで、

足を踏み入れてしまったような気分です。

 

ここで、

私は決意しました。

 

「よし、

今日はこれを手放そう!」

 

そう心に決めて、

ゴミ袋を手に取ったのです。

 

袋に入れる瞬間、

ちょっとだけ手が震えました。

 

「ごめんね、

あまり使ってあげられなくて。」

 

心の中で、

そんな謎の謝罪を呟きながら、

 

エイッと思い切って、

袋の中に押し込んだのです。

 

その瞬間、

部屋の空気が、

スッと軽くなったような気がしました。

 

これは、

本当に不思議な感覚でした。

 

荷物が減っただけなのに、

心まで軽くなる。

 

自分が身軽になったような、

そんな爽快感を味わいました。

 

モノを手放すって、

こういうことなんだなと、

しみじみ実感したのです。

 

自分だけではありません。

 

きっと、

自分の周りにある空気も、

少し綺麗になったはずです。

 

そして、

その環境までも、

なんだか心地よいものに変えていく。

 

そういう連鎖が、

生まれるような気がします。

 

世の中には、

たくさんの便利グッズがあふれています。

 

SNSを開けば、

「これさえ買えば人生が変わる!」

という甘い言葉が、

たくさん流れてきますよね。

 

ついつい、

欲しくなってしまう気持ち、

すごくよく分かります。

 

私も、

誘惑に負けそうになることが、

何度もあります。

 

でも、

今回の片づけを通じて、

ちょっとだけ大人になった気がします。

 

「本当に必要なものは、

そんなに多くないのかもしれない。」

 

そんなふうに、

思えるようになったのです。

 

もちろん、

これからもお買い物は大好きですし、

可愛い雑貨を見つけたら、

きっと買ってしまうと思います。

 

たまには、

こういう勢い買いも、

人生のスパイスとして必要ですよね。

 

でも、

家に迎えるときは、

ちゃんと大切にできるか、

少しだけ考えてからにしよう。

 

そんな教訓を、

得ることができました。

 

休日の片づけ、

最初は面倒くさいなと思っていましたが、

やってみて本当によかったです。

 

予想外のドラマがあり、

笑いがあり、

ちょっとした学びもありました。

 

みなさんのクローゼットにも、

もしかしたら、

眠っている主が、

いるかもしれません。

 

もし見つけたら、

そっと話しかけてみてください。

 

「今までありがとう」って。

 

そして、

思い切って手放してみるのも、

いいかもしれません。

 

きっと、

想像以上にすっきりしますよ。

 

さて、

ここまで大げさに語ってきましたが、

そろそろ現実に戻ります。

 

まだクローゼットの端っこに、

手をつけていない段ボールが、

いくつか残っているんです。

 

目をそらし続けたいところですが、

まあ、それはまた次の機会に。

 

せっかくのお休みですし、

今度は美味しいものでも食べに行って、

リフレッシュしたいなと思います。

 

近くにできた新しいカフェのパンケーキ、

ずっと気になっていたんですよね。

 

自分へのご褒美ということで、

今日のところは、

これでよしとしましょう。

 

こういう何気ない日常が、

やっぱり一番好きだなと思います。

 

みなさんは、

このお休みを、

どんなふうに過ごされるでしょうか。

 

また、

何か面白い発見があったら、

ここでこっそりお話ししますね。

 

それでは、

また次回のブログでお会いしましょう。

少し、

話しは変わりますが、

 

みなさんは、

普段の飲み物って、

どうされていますか。

 

私は最近、

ちょっとしたマイブームがありまして。

 

おうちでのティータイムを、

少しだけ特別にするのが、

密かな楽しみなんです。

 

といっても、

そんな高級なものじゃありません。

 

スーパーで買ってきた、

ちょっとだけパッケージの可愛い紅茶とか。

 

お気に入りのマグカップとか。

 

そういう小さなこだわりを、

楽しんでいるだけなんですけどね。

 

でも、

これが思いのほか、

気分転換になるんですよね。

 

忙しい毎日の中だと、

お茶を飲む時間さえ、

ただの作業になってしまったりします。

 

マグカップにお湯を注いで、

立ったまま飲んでしまったり。

 

テレビを見ながら、

なんとなく口に含んでいたり。

 

そういうことって、

ありませんか。

 

私は、

けっこうあるんです。

 

気がついたら、

カップが空になっていて、

 

「あれ、今どんな味だったっけ?」

 

なんて思うこともしばしば。

 

せっかく美味しいお茶なのに、

少しもったいないことをしているなあって、

ふと気づいたんです。

 

そこで、

ちょっとだけ、

やり方を変えてみました。

 

お湯が沸くまでの間、

ほんの数分だけ、

ボーッとする時間を作ってみる。

 

窓の外を眺めながら、

鳥が飛んでいるのを探してみたり。

 

お気に入りの音楽を、

小さな音で流してみたり。

 

そんなふうに、

ほんの少しだけ、

自分のための時間を作ってみるんです。

 

たったそれだけのことで、

日常の景色が、

少しだけ違って見えるから不思議です。

 

いつもと同じリビングなのに、

なんだか、

ちょっとしたカフェにいるような気分になって。

 

そういう時間って、

実は、

すごく贅沢なのかもしれません。

 

お金をかけなくても、

遠くまで出かけなくても、

 

自分の心次第で、

いくらでも豊かな時間を作ることができる。

 

そう思うと、

日々の暮らしが、

少し愛おしくなってきたりします。

 

もちろん、

毎日そんなふうに優雅に過ごせるわけではありません。

 

夕方のバタバタした時間なんかは、

もう戦争状態です。

 

洗濯物を取り込まなきゃいけないし、

晩御飯の支度もしなきゃいけないし。

 

子どもたちの「お腹すいたー」コールに、

タジタジになってしまうことも、

しょっちゅうあります。

 

余裕なんて、

どこへやら。

 

そんな自分に、

ため息をつきたくなる日だって、

たくさんあります。

 

でも、

だからこそ、

なおさら思うんです。

 

ほんの一瞬でもいいから、

自分の呼吸に立ち返る時間って、

大切なんだなって。

 

あわただしい日常の中に、

ふと、

自分だけの静かな空間を作る。

 

それは、

逃避なんかではなくて、

明日を元気に生きるための、

ちょっとした栄養補給みたいなものなのかもしれません。

 

そういえば、

先週行った雑貨屋さんで、

素敵なガラスのティーポットを見かけました。

 

丸っこい形をしていて、

光にあたると、

キラキラと綺麗に反射するんです。

 

あのとき、

買おうかどうしようか、

すごく迷ったんですよね。

 

お値段も、

そんなに高くはなかったのですが、

 

「うちには、まだ使える急須があるしなあ」

 

と思って、

その時は諦めてお店を出てきました。

 

でも、

こうして家でお茶を淹れていると、

なんだか、

あのティーポットのことが、

また思い出されてきたりして。

 

こういうのって、

やっぱり、

「ご縁」みたいなものがあるのでしょうか。

 

次に前を通ったとき、

もしまだ残っていたら、

お迎えしちゃおうかな。

 

なんて、

今からこっそり計画を立てています。

 

こういう小さな楽しみが頭にあるだけで、

次の週末のお出かけが、

一段と楽しみになるんですよね。

 

「今度のお店では、どんなカップに出会えるかな」

 

「新しいお茶の葉っぱも、探してみようかな」

 

そんなふうに、

未来の自分にワクワクする。

 

大人になると、

大きなイベント以外では、

なかなか胸が踊らなくなったりしますが、

 

こういう日々の小さな楽しみを見つけるアンテナだけは、

いつまでも大切に持っていたいなと思います。

 

みなさんは最近、

どんな小さな楽しみを見つけましたか。

 

もしよかったら、

こっそり教えてくださいね。

 

それでは、

そろそろ夕飯の支度を始めないと。

 

今日のメニューは、

冷蔵庫の残り野菜をたっぷり使った、

あったかいスープにしようと思います。

 

お肉は、

昨日買っておいた豚ロースがあるから、

生姜焼きがいいかな。

 

ジュージューと焼ける音を想像するだけで、

お腹が鳴ってきそうです。

 

主夫の夫も、

今日は少し残業だと言っていたので、

温め直してすぐ食べられるように、

準備しておかないとですね。

 

日々の暮らしは、

こうして淡々と続いていきます。

 

大変なことも、

面倒くさいことも、

もちろんたくさんあります。

 

でも、

その隙間にある、

ささやかな「好き」や「心地よさ」を、

見逃さないように生きていきたい。

 

そう思いながら、

今日もキッチンに立ちます。

 

みなさんも、

素敵な夕方の時間をお過ごしくださいね。

 

あたたかいお茶でも飲みながら、

ホッと一息ついてください。

 

それでは、

また。

 

今日も、

我が家のリビングを見渡していました。

 

ふと、

目に入ったものがあります。

 

それは、

テレビの横にちょこんと置いてある、

小さなプラスチックの箱です。

 

中身は、

何だかよく分からないケーブルとか、

もう使っていない古いポイントカードとかが入っています。

 

いわゆる、

「とりあえず入れ」というやつです。

 

では、

いったい、

その箱をどうしたのか。

 

今日は、

その話を少しさせてください。

 

たった小さな箱一つを片付けただけなのですが、

なんだか私の人生観まで変わりそうな大事件が起きたのです。

 

少し、

話しは変わりますが、

 

みなさんは、

部屋の中のモノを捨てるとき、

どんな気持ちになりますか?

 

「あぁ、もったいないな」

 

と思ったり、

 

「いつか使うかもしれないから、

取っておこう」

 

と思ったりするのではないでしょうか。

 

実は、

私も全く同じでした。

 

モノを捨てるというのは、

どこか自分の思い出まで捨ててしまうような、

そんな切なさを伴うものです。

 

だからこそ、

普段はあまり見ないようにして、

そっと蓋をしておくのです。

 

ですが、

今日は違いました。

 

なんだか妙にやる気に満ちあふれていたのです。

 

では、いったい、

なぜそんな気分になったのでしょうか。

 

それは、

朝のコーヒーを飲んでいるときに、

テレビで片付けの特集を見たからです。

 

テレビの中の達人が、

キラキラした笑顔でこう言っていました。

 

「モノを減らすと、

人生が動き出します」

 

それを聞いた瞬間、

私は思ってしまったのです。

 

「私の人生も、

今すぐ動かしたい!!」

 

そう思ったのです。

 

単純ですね。

 

本当に、

単純な人間です。

 

でも、

人間なんて、

そんなものかもしれません。

 

何か大きなきっかけが欲しいとき、

私たちは身近な小さな変化に飛びつくのです。

 

そこで、

私は立ち上がりました。

 

テレビの横にあった、

例のプラスチックの箱に向かって歩いていきました。

 

そして、

そっと蓋を開けたのです。

 

中から出てきたのは、

かつてガラケーを使っていたときの充電器でした。

 

『FOMA(フォーマ)』

 

と書いてあります。

 

懐かしいですね。

 

もう今のスマホには、

絶対に刺さりません。

 

宇宙船のパーツと言われても、

信じてしまいそうな形状をしています。

 

もちろん、

使い道はありません。

 

完全な無生物(むせいぶつ)です。

 

しかし、

ここで手が止まりました。

 

「待てよ」

 

と、

私の心の声がささやきます。

 

「これは、

いつか博物館に寄贈できるかもしれない」

 

そんなわけがありません。

 

ただのゴミです。

 

でも、

人間というのは不思議なもので、

一度自分の所有物になったものに対して、

妙な愛着を持ってしまう生き物なのです。

 

これは、

心理学の言葉で言うと、

『保有効果(ほゆうこうか)』というらしいです。

 

自分が持っているものには、

実際の価値よりも高い価値を感じてしまう、

そういう人間の脳の仕組みなのだそうです。

 

そう考えると、

あの古い充電器を手放せないのも、

私の心が弱いからではなく、

脳の仕組みのせいだということになります。

 

脳のせいにすると、

なんだか少し気が楽になりますね。

 

「しかたない、

これは脳のせいだから」

 

と、

自分を正当化しながら、

私は充電器をそっとゴミ袋に入れようとしました。

 

けれど、

ここで事件が起きたのです。

 

ゴミ袋に入れた瞬間、

なぜか胸がキュッと締め付けられました。

 

まるで、

長年連れ添った相棒を、

冷酷に手放してしまったような、

そんな罪悪感に襲われたのです。

 

たかが充電器です。

 

もう電源すら入らない、

ただのプラスチックと銅線の塊です。

 

それなのに、

私の心は激しく揺さぶられました。

 

では、いったい、

なぜそんなにも心が揺れるのでしょうか。

 

それは、

私たちがモノを見るとき、

モノそのものを見ているのではないからです。

 

私たちは、

モノと一緒に、

「その時代を生きていた自分」を見ているのです。

 

あの充電器を使っていた頃、

私は何をしていたでしょうか。

 

若かったな、とか。

 

あのときはあんなことで悩んでいたな、とか。

 

そういう、

過去の自分の記憶が、

モノの形を借りて目の前に存在しているのです。

 

だから、

モノを捨てるということは、

過去の自分の一部を切り捨てるような、

そんな感覚になってしまうのかもしれません。

 

そう考えると、

断捨離(だんしゃり)というのは、

単なるお片付けではありません。

 

『自己対話(じこたいわ)』なのです。

 

自分の過去と向き合い、

そして、

今の自分に必要なものを見極める、

非常に厳かな儀式なのです。

 

そう。

 

私は今、

リビングの片隅で、

壮大な儀式を行っているのです。

 

なんだか、

大げさになってきましたね。

 

でも、

本当にそんな気持ちだったのです。

 

ゴミ袋の前で、

私はしばし立ち尽くしました。

 

手に持った充電器を見つめ、

自分の人生を見つめ、

そして、

未来を見つめました。

 

では、

このまま充電器をゴミ袋に戻すべきか。

 

それとも、

もう一度箱にしまって、

未来の孫に託すべきか。

 

問題は、

ここからです。

 

私の下した決断は、

スゴイことでした。

 

私は、

意を決して、

ゴミ袋の口を縛りました。

 

そして、

勢い余って、

その箱だけでなく、

本棚の奥にあった謎の冊子も、

クローゼットの奥にあったいつ買ったか分からないTシャツも、

次々と放り込みました。

 

『断捨離(だんしゃり)の狂気』

 

という言葉があるかどうかは分かりませんが、

まさにその状態でした。

 

やればやるほど、

楽しくなってくるのです。

 

捨てる。

 

また捨てる。

 

どんどん捨てる。

 

気がつくと、

部屋の中のものが半分くらいになったような気がしました。

 

視界が広がり、

リビングの壁が見えます。

 

こんな色の壁紙だったんだなと、

数年ぶりに思い出しました。

 

モノを減らすことで、

空間が生まれたのです。

 

ただの空間ではありません。

 

『余白(よはく)』が生まれたのです。

 

この『余白』こそが、

現代人には必要なのだと思います。

 

モノが多すぎると、

私たちの心も同じようにパンクしてしまいます。

 

部屋が散らかっていると、

頭の中まで散らかってしまうのは、

そういう理由からです。

 

空間と心は、

完全に繋がっているのです。

 

そう考えると、

部屋を片付けることは、

自分の心を整理整頓することそのものなのだと言えるでしょう。

 

本当に、

スゴイ発見です。

 

たった一つの古い充電器から始まった物語が、

まさかこんな哲学的な境地にたどり着くとは、

自分でも思っていませんでした。

 

ここで、

少し話しを広げます。

 

私たちの日常には、

物理的なモノだけではなく、

色々な不要なものが溜まっています。

 

例えば、

スマホの中の写真フォルダです。

 

同じようなピンぼけの写真が、

何枚も保存されていませんか。

 

例えば、

人間関係です。

 

なんとなく連絡を取っているけれど、

今の自分にはあまり必要ではない繋がりが、

ありませんか。

 

例えば、

古い思い込みです。

 

「こうでなければならない」という、

自分で自分を縛り付けているルールが、

ありませんか。

 

そういう見えないモノも、

私たちの部屋の片隅にある、

あのプラスチックの箱と同じなのです。

 

蓋を開けて、

中身を確認して、

そして、

手放す勇気を持つこと。

 

それが、

私たちを軽くしてくれるのです。

 

では、いったい、

どうやってそれを見極めたらいいのでしょうか。

 

それは、

今の自分にとって、

本当に『ワクワクするもの』かどうか。

 

それだけなのだと思います。

 

過去にしがみつくのではなく、

未来の不安に怯えるのでもなく、

ただ「今、この瞬間」の自分にとって心地よいかどうか。

 

そこを基準にするだけで、

人生は驚くほどシンプルになります。

 

今日も、

私は大きなゴミ袋を抱えて、

玄関に向かいました。

 

中身は、

古い充電器と、

謎のTシャツと、

いつか読むつもりだった古い雑誌です。

 

重いはずのゴミ袋なのに、

なぜか私の足取りは、

驚くほど軽やかでした。

 

心の中に、

爽やかな風が吹いているような気がします。

 

モノを捨てただけなのに、

まるで新しい自分に生まれ変わったような、

そんな大きな達成感に包まれています。

 

もちろん、

明日になったらまた何かを買ってしまうかもしれません。

 

また新しい「とりあえず入れ」を作ってしまうかもしれません。

 

人間は、

そんなに完璧には生きられません。

 

すぐに元に戻ってしまうかもしれないのです。

 

でも、

それでいいのだと思います。

 

完璧を目指すのではなく、

時々こうして立ち止まり、

自分の周りを見渡し、

不要なものをそっと手放す。

 

その繰り返しこそが、

人生を豊かにしていくのではないでしょうか。

 

今日、

私は小さな箱を片付けました。

 

たったそれだけの小さな出来事です。

 

けれど、

その小さな一歩が、

私の世界を少しだけ広げてくれたのです。

 

明日も、

またどこかの引き出しを開けてみようと思います。

 

そこには、

どんな過去の自分が眠っているでしょうか。

 

ちょっと怖いような気もしますが、

それ以上に、

とても楽しみでもあります。

 

みなさんも、

もし最近ちょっとモヤモヤするなと感じたら、

まずは一番身近な引き出しを、

そっと開けてみてください。

 

そこには、

思わぬドラマが待っているかもしれません。

 

そして、

不要なものを手放したとき、

あなたの心にもきっと、

新しい風が吹くことでしょう。

 

それは、

本当に、

素晴らしいことなのです・・

新しい風が吹く。

 

そうすると、

不思議なことが起きます。

 

自分の心が軽くなると、

なぜか周りの景色まで、

違って見えてくるのです。

 

たとえば、

いつもは何気なく通り過ぎていた道。

 

そこに咲いている小さな花にも、

ふと目が留まるようになります。

 

「あぁ、綺麗だな。」

 

そう思える心の余裕が、

生まれてくるのです。

 

これは、

とても大切なことだと思います。

 

では、いったい、

なぜそんなことが起きるのでしょうか?

 

それは、

心の中にあった『余白(よはく)』が、

関係しているのです。

 

不要なものでパンパンに詰まっていた心には、

新しいものが入る隙間がありませんでした。

 

でも、

引き出しの整理をして、

古いものを手放した。

 

その瞬間に、

心の中に『空間(くうかん)』ができたのです。

 

その空間が、

外からの美しいものや、

優しい気持ちを、

すんなりと受け入れてくれる。

 

つまり、

こういうことです。

 

自分の身の回りを片付けることは、

そのまま、

自分の『心の世界』を広げることにつながっているのです。

 

そう考えると、

片付けというのは、

単なる家事ではありません。

 

もっと深い、

自分自身と向き合うための時間なのだと言えます。

 

少し、

話は変わりますが、

 

私たちは普段、

たくさんの情報の中で生きています。

 

SNSを開けば、

誰かのキラキラした生活が飛び込んでくる。

 

ニュースを見れば、

不安になるような話題であふれている。

 

頭の中は、

いつも情報でいっぱいになっています。

 

まるで、

自分の部屋の床一面に、

使わないモノが散らがっているような状態です。

 

これでは、

心が疲れてしまうのも無理はありません。

 

では、

いったいどうしたらいいのでしょうか?

 

大きな部屋を一気に片付けようとすると、

途方に暮れてしまいますよね。

 

だからこそ、

小さな場所から始めるのです。

 

今日開けた引き出しのように、

ほんの一角でいい。

 

そこで、

不要なものを一つ見つけて、

「ありがとう」と言って手放す。

 

それだけでいいのです。

 

そうやって、

少しずつ、

自分の中の『ノイズ』を減らしていく。

 

いらないものを削ぎ落としていく。

 

そうすることで、

本当に大切なものだけが、

くっきりと見えてくるようになります。

 

それは、

自分の本当の気持ちかもしれません。

 

あるいは、

ずっと忘れていた夢かもしれません。

 

あるいは、

そばにいてくれる大切な人の温もりかもしれません。

 

見えなくなっていた大切なものが、

クリアに浮かび上がってくるのです。

 

これは、

スゴイことだと思います!!

 

自分の手で、

自分の世界をシンプルにしていく。

 

そうすると、

人生の景色そのものが、

ガラリと変わってしまうのです。

 

何か特別なことをしなくてもいい。

 

お金をかけなくてもいい。

 

ただ、

目の前にある小さな引き出しを一つ開けて、

不要なものを手放す。

 

たったそれだけのことで、

私たちは、

いつでも生まれ変わることができるのです。

 

そう、

いつでも、

何度でも。

 

人生は、

いつからだって新しく始められます。

 

大きな決意なんていりません。

 

大げスな目標もいりません。

 

ただ、

目の前の小さな一歩から、

すべてが始まるのです。

 

だから、

明日も明後日も、

自分のペースでいきましょう。

 

完璧じゃなくていい。

 

少しずつ、

ゆっくりと。

 

不要なものを手放しながら、

軽やかな足取りで、

自分の人生を歩いていきたい。

 

そう思います。

 

あなたの心の中にも、

今日も、

新しい風が吹き抜けますように。

 

そして、

あなたの世界が、

もっともっと広がっていきますように。

 

そんなことを思いながら、

今日も私は、

小さく片付けた引き出しの前で、

静かに深呼吸をしています。

 

休日のお昼下がり、

みなさんは、

どのように過ごされているでしょうか。

 

私はといえば、

せっかくのお休みだったので、

ちょっとお部屋を綺麗にしようかなと思いました。

 

いつもは平日にバタバタしていて、

なかなか隅々まで掃除ができないので、

こういう時間を使って、

すっきりと片付けたいなと思ったのです。

 

こういうのって、

やっぱりいいですよね。

 

お部屋が綺麗になると、

心まで晴れやかになるような気がします。

 

でも、

現実は、

そう甘くありませんでした。

 

ここで、

問題になるのが、

 

『片付け』

 

というものです。

 

洋服を畳もうとクローゼットを開けたら、

なぜか奥から懐かしいアルバムが出てきたりします。

 

それを開いてしまったが最後、

手が止まってしまうのです。

 

「懐かしいなあ」

 

なんて見入ってしまって、

気がつけば、

小一時間が経っていたりします。

 

こういう時間って、

意外と楽しかったりもするのですが、

今日の目的は、

あくまでお部屋を片付けることです。

 

私は気を取り直して、

再び作業に戻りました。

 

次は、

リビングの棚の整理です。

 

細かい雑貨がたくさん置いてあるので、

いったん全部、

床に出してみることにしました。

 

そう、

これが、

すべての間違いの始まりだったのです。

 

床に並べた雑貨の数々。

 

それは、

思った以上に、

大量でした。

 

細かいものから、

いつ買ったのか分からない謎の置物まで、

次から次へと出てきます。

 

気づいたときには、

リビングの床が見えなくなっていました。

 

足の踏み場がない、

というのは、

まさにこのことです。

 

ここで、

私は愕然としました。

 

綺麗にするはずが、

余計に散らかっているのです。

 

むしろ、

最初よりも、

状況が悪化しているような気がします。

 

これは、

一体どういうことなのでしょうか。

 

私の頭の中は、

「?」でいっぱいになりました。

 

でも、

引き返すことはできません。

 

一度出したものは、

元に戻さないといけないのです。

 

そう考えると、

なんだか途方もない気持ちになってきます。

 

世の中のきれいなお部屋に住んでいる人たちは、

どうやってこの難関を突破しているのでしょうか。

 

特別な技術でも、

持っているのでしょうか。

 

あるいは、

私のやり方が、

根本的に間違っているのでしょうか。

 

たとえば、

一度に全部をやろうとするのが、

いけないのかもしれません。

 

少しずつ、

小分けにしてやればよかったのです。

 

でも、

はじめてしまったものは、

仕方がありません。

 

私は覚悟を決めました。

 

今日は一日かけて、

この部屋と格闘してやろうと、

心に誓ったのです。

 

そこで、

私は作戦を変えることにしました。

 

一気にやろうとせず、

カテゴリーごとに分けて、

一つずつ片付けていくのです。

 

まずは、

本棚から始めてみました。

 

本を並べ替えていると、

昔読んだ小説が出てきて、

またページをパラパラと捲ってしまいます。

 

いけません、

また罠にハマるところでした。

 

私はぐっとこらえて、

本を棚に戻しました。

 

そうやって、

少しずつ、

少しずつ、

作業を進めていきます。

 

時間はあっという間に過ぎていきました。

 

気がつけば、

夕方のニュースが始まろうとしています。

 

あれだけ意気込んで始めたのに、

まだリビングの半分も終わっていません。

 

私の体は、

すっかり疲れ果ててしまいました。

 

でも、

不思議と、

嫌な気持ちはしませんでした。

 

むしろ、

普段使っていない筋肉を使ったような、

心地よい疲労感があったりします。

 

それに、

床に散らばっていたものたちも、

だんだんとそれぞれの居場所に戻りつつあります。

 

やっぱり、

手を動かすって、

大事なことなんだなと思いました。

 

結果として、

部屋は完全にきれいになったわけではありません。

 

むしろ、

ソファの上には、

まだ片付けきれていない洋服の山が、

小さな山脈のようにそびえ立っています。

 

でも、

最初の大爆発状態に比べれば、

大きな進歩と言えるでしょう。

 

完璧にはできなかったけれど、

動いたことには意味がある。

 

そう自分に言い聞かせて、

今日のところは、

これで良しとすることにしました。

 

休日の過ごし方としては、

ちょっとバタバタしてしまったけれど、

こういう日も悪くありません。

 

みなさんは、

お部屋の片付けで、

途方に暮れてしまった経験はないでしょうか。

 

もしあったら、

どうやって乗り切っているのか、

こっそり教えてほしいくらいです。

 

さて、

夕食の時間が近づいてきました。

 

まだソファの上には山がありますが、

それはまた次の機会に頑張ろうと思います。

 

今度のお休みは、

無理をせず、

少しずつ計画的に片付けを進めていきたいなと、

心から思いました。

夕方のニュースを見ていると、

なんだかお腹が空いてきました。

 

体を動かしたからか、

いつもよりも、

しっかりとエネルギーを消費したような気がします。

 

こういう日の夕食って、

無性に温かいものが食べたくなりませんか。

 

手の込んだものは作れないけれど、

お腹の底からホッとするような、

そんな食事が恋しくなります。

 

そこで、

今日の夕ごはんは、

冷蔵庫の残り野菜をたっぷり入れた、

豚汁にすることにしました。

 

根菜類をゴロゴロと大きめに切って、

お鍋の中でコトコトと煮込む。

 

この、

お鍋を見つめている時間というのが、

私は結構好きだったりします。

 

お部屋の片付けでは、

あんなにバタバタとしていたのに、

キッチンに立つと、

不思議と気持ちがスッと落ち着いていくのを感じます。

 

お料理って、

ある種の気分転換なのかもしれませんね。

 

包丁で野菜を切る音、

お出汁のいい香り、

お鍋から聞こえてくる小さなどこか楽しげな音。

 

そういう五感で感じるものが、

疲れた心を優しくほぐしてくれるような気がするのです。

 

豚汁の具材は、

大根に人参、

それからゴボウにコンニャク、

忘れちゃいけないお豆腐と豚肉です。

 

冷蔵庫の野菜室を開けたら、

ちょうどよく残っていたものたちを集めてみました。

 

こういう、

「あり合わせの食材」で作るお料理が、

意外と一番美味しかったりするんですよね。

 

ぐつぐつと煮立ってきたお鍋に、

お味噌をふんわりと溶かし入れます。

 

お味噌の香りがキッチンいっぱいに広がって、

それだけでお腹がグーッと鳴ってしまいました。

 

こういう瞬間って、

なんだかとても贅沢だなと思います。

 

特別な高級食材を使わなくても、

旬のお野菜をたっぷり使った温かいスープがあれば、

それだけで十分に幸せな気持ちになれるのです。

 

食卓には、

湯気の立ったお椀と、

炊き立ての白いごはん、

それから冷蔵庫にあった数日前の副菜を少しだけ。

 

地味なメニューかもしれませんが、

今の私にとっては、

これが最高にごちそうだったりします。

 

さっそく、

「いただきます」をして、

フーフーと息を吹きかけながら豚汁を一口。

 

うん、

やっぱり美味しいです。

 

お出汁がしっかりと染み込んだ大根が、

口の中でホロリと崩れていきます。

 

お野菜の甘みが溶け出したスープが、

疲れた体に染み渡るようです。

 

あんなに散らかったソファの上のことなんて、

この瞬間はすっかり忘れて、

ただ目の前のおいしさに集中してしまいます。

 

こういう時間があるから、

明日からもまた頑張れるのかな。

 

そんなふうに思ったりもします。

 

お休みの日の過ごし方って、

人それぞれだと思うんです。

 

朝からお出かけして、

おしゃれなカフェで美味しいケーキを食べたり、

話題のスポットで新しい刺激をもらったり。

 

そういうお出かけも、

もちろん大好きです。

 

でも、

今日みたいに、

おうちの中でドタバタしながら過ごす休日も、

振り返ってみると、

案外悪くなかったりするんですよね。

 

むしろ、

自分のペースで家の中と向き合って、

最後は温かいご飯で締めくくる。

 

それはそれで、

とても豊かな一日の使い方なのかもしれません。

 

みなさんは、

最近どんなお休みを過ごされたでしょうか。

 

もし、

すてきなお出かけの予定があったり、

あるいは、

おうちでのんびりリフレッシュできたよというエピソードがあったら、

いつかこっそり聞いてみたいなと思います。

 

さて、

お腹もいっぱいになって、

体もポカポカと温まってきました。

 

外を見上げると、

すっかり日も暮れて、

夜の静かな空気が広がっています。

 

ソファの上の洋服の山は、

相変わらずそのままですが、

今の私には、

それすらもなんだか愛おしく見えてくるから不思議です。

 

完璧じゃなくていい。

 

少しずつ、

自分のペースで進んでいければ、

それで十分なんだと思います。

 

明日は月曜日。

また新しい一週間が始まりますね。

 

今夜は早めにお風呂に入って、

たっぷりと睡眠をとって、

すっきりと新しい朝を迎えたいなと思います。

 

みなさんも、

温かくして、

ゆっくり休んでくださいね。

 

また次の小さなお出かけや、

日々の楽しみを見つけたら、

ここで少しずつお話しできたらいいなと思っています。

 

それでは、

おやすみなさい。

ふと、

リビングの時計を見上げてみました。

 

まだ、

そんなに遅い時間ではないのですが、

週末の夜特有の、

あの独特の静けさが漂っています。

 

昼間の賑やかさが、

まるで嘘のように感じられる瞬間です。

 

こういう時間の流れ方、

私はけっこう好きだったりします。

 

お出かけして、

美味しいものを食べて、

お気に入りの場所を歩いて。

 

それだけでも十分なのですが、

こうやって一日を静かに締めくくる時間まで含めて、

一つの大きなお出かけだったのかなと思ったりするのです。

 

そういえば、

今日歩いた道の途中、

小さな花壇に季節の花が咲いていました。

 

名前は、

正直よく分かりません。

 

でも、

黄色くて小さな花が、

風に揺られて、

一生懸命に咲いている姿が見えました。

 

その時は、

「可愛いな」

と通り過ぎただけだったのですが、

今こうして思い返してみると、

なんだか胸の奥がじんわりと温かくなるような気がします。

 

日常の中にある、

こういう小さな景色に気づける余裕。

 

それって、

すごく大切なものなのかもしれません。

 

忙しい毎日を送っていると、

どうしても目の前のことだけで精一杯になってしまいますよね。

 

洗濯物をたたむこと。

晩ご飯の献立を考えること。

明日の仕事の準備をすること。

 

やらなければいけないことが、

次から次へと押し寄せてきます。

 

気がつくと、

心がカサカサに乾いてしまっているような、

そんな感覚になることもあります。

 

私の場合は、

まさにそんな状態でした。

 

だからこそ、

ちょっとだけ日常から離れてみる。

 

いつもとは違う道を歩いてみる。

知らないお店のドアを開けてみる。

温かいスープをゆっくりと味わってみる。

 

そんな小さな変化が、

凝り固まった心を、

少しずつほぐしてくれるのです。

 

人間って、

本当に不思議ですよね。

 

ほんの少しのきっかけで、

世界の見え方がガラリと変わったりするのですから。

 

見える景色は同じはずなのに、

自分の心の状態ひとつで、

モノクロの風景が、

一気に色鮮やかな世界に変わる。

 

それは、

特別な旅行に行かなくても、

遠くのテーマパークに行かなくても、

近所の散歩道や、

いつもの街角でも、

十分に体験できることなのだと思います。

 

ようするに、

どこに行くかではなくて、

どんな気持ちでそこにいるかなのかもしれません。

 

そう考えると、

これからの休日の過ごし方も、

少しずつ変わってくるような気がします。

 

次は、

どこの本屋さんに行こうかな。

それとも、

まだ入ったことのない小さな喫茶店を探してみようかな。

 

そんなふうに、

先の楽しみを考えているだけで、

明日からの平日も、

なんだか頑張れそうな気がしてくるから単純なものです。

 

完璧な週末じゃなくていい。

 

予定通りにいかないことがあったって、

それはそれでいい思い出です。

 

大切なのは、

自分が心地いいと感じる瞬間を、

自分で見つけてあげることなのかもしれません。

 

みなさんは、

次の休日、

どんなことをして過ごしたいですか。

 

もしよかったら、

そんな小さな楽しみも、

いつか教えてくださいね。

 

さて、

そろそろ本当に、

お布団に入ろうと思います。

 

ひんやりとしたシーツに潜り込むあの瞬間が、

今からすでに楽しみでなりません。

 

良い夢が見られますように。

 

そして、

みなさんの明日も、

小さなどきめきと優しさに満ちた一日になりますように。

 

それでは、

おやすみなさい。

また、

ここでお会いしましょう。

 

お休みの日のことでした。

なんとなく、

リビングの片隅を眺めていたのです。

 

そうすると、

少しだけ、

気になるところが目につきました。

 

たとえば、

テレビ台の裏側のホコリです。

 

こういうのって、

普段はあまり見えないので、

ついつい見ないふりをしてしまいますよね。

 

でも、

ふとした瞬間に気になってしまうと、

なんだか無性に直したくなる。

 

私の場合は、

まさにそんな感じでした。

 

では、いったい、

そこから何が始まったのか。

 

それは、

『大掃除』

の始まりでした。

 

最初は、

本当に軽い気持ちだったのです。

 

「ちょっと、

ホコリを拭くだけにしよう。」

 

そう思っていました。

 

ところが、

いざ始めてみると、

不思議なことが起こります。

 

テレビ台の裏を拭いたら、

その隣の棚が気になり始める。

 

棚の上の本を動かしたら、

今度はその下の引き出しを開けたくなってしまう。

 

こういう経験、

みなさんはありませんか?

 

私は、

すっかりその世界に引き込まれてしまいました。

 

『無限ループ』

という言葉がありますが、

まさにそんな状態です。

 

気がついたら、

リビング全体を片付けることになっていました。

 

ここで、

少し話しは変わりますが、

 

みなさんは、

掃除をしている最中に、

昔のアルバムや、

懐かしいものを見つけてしまったこと、

ありませんか?

 

実は、

今回の私の掃除でも、

まさにそれが起きたのです。

 

引き出しの奥から、

何年も前に買った雑貨が出てきました。

 

「あ、

これ、

若い頃に旅行先で買ったやつだ。」

 

そう思って、

手に取ってみる。

 

そこから、

当時の思い出がよみがえってきて、

手が止まってしまう。

 

掃除をしているはずなのに、

気づけば思い出に浸っている。

 

そういう時間って、

なんだか不思議ですよね。

 

効率よく進めたいのに、

どうしても手が止まってしまう。

 

でも、

それも含めて、

休日の楽しみなのかなと思ったりします。

 

そう考えると、

掃除というのは、

単なる家事ではないのかもしれません。

 

人によっては、

自分自身の記憶を整理する時間。

 

または、

過去の自分と出会い直す場所。

 

そういう意味では、

なかなかに奥が深いものなのです。

 

もっとも、

そんなことを考えているうちに、

時間はどんどん過ぎていきました。

 

気がつけば、

お昼を過ぎ、

夕方になりかけていたのです。

 

ここで、

問題が発生しました。

 

家の中が、

逆に、

すごいことになっていたのです。

 

リビングの真ん中に、

本や雑貨が山のように積み上げられている。

 

足の踏み場が、

ほとんどない。

 

「あれ?」

 

「これ、

本当に片付けられるのかな…。」

 

さすがに、

少し焦ってしまいました。

 

最初は、

ただテレビ台の裏を拭くだけの予定だったのに。

 

なぜ、

こうなってしまったのでしょうか。

 

思い返してみると、

すべては、

「ついでにここも」

という軽い気持ちから始まっていました。

 

人間の心理というのは、

おもしろいものです。

 

きれいな部分を見ると、

その周辺の汚れが急に気になり出す。

 

少しだけ綺麗にすると、

完璧にしたくなってしまう。

 

そういう欲求が、

次から次へと湧いてくるのです。

 

だから、

途中でやめることができなくなる。

 

これは、

ある種の『罠』のようなものかもしれません。

 

でも、

不思議と、

嫌な気持ちはしませんでした。

 

むしろ、

「ここまでやったんだから、

最後までやりきろう。」

 

そんな謎の闘志が、

湧いてきたりして。

 

こういうのって、

やっぱり、

日常の中のちょっとした冒険なのかなと思います。

 

それから、

さらに数時間が経過しました。

 

ひたすら拭いて、

整理して、

不要なものを分けて。

 

体は、

かなりクタクタになりました。

 

腰も痛いし、

腕もだるい。

 

でも、

部屋全体を見渡したとき、

そこには、

見違えるような景色が広がっていたのです。

 

ピカピカになった床。

 

すっきりと片付いた棚。

 

窓から差し込む夕日が、

なんだかいつもより明るく感じられます。

 

「あぁ、

やってよかったな。」

 

心から、

そう思いました。

 

この瞬間が、

なんとも言えません。

 

疲れた体にしみわたるような、

心地よい達成感。

 

自分が作り出した空間が、

自分の心を、

すっきりとさせてくれる。

 

部屋が綺麗になると、

不思議と頭の中まで整理されたような気持になる。

 

そういう経験、

ありませんか?

 

空間が変わると、

気分まで変わる。

 

人間の心と部屋というのは、

しっかりと繋がっているんだなと、

改めて実感しました。

 

もし、

あのとき、

気になったホコリを見過ごしていたら。

 

この爽快感を、

味わうことはできなかったでしょう。

 

そう考えると、

最初の小さな「気になる」というのは、

とても大切なサインだったのかもしれません。

 

休日の過ごし方として、

一日中掃除をして終わるというのは、

もしかしたら、

少しもったいないように思えるかもしれません。

 

お出かけしたり、

美味しいものを食べたりするのも、

もちろん素晴らしい休日です。

 

でも、

家の中でこんな風に汗を流して、

すっきりとリフレッシュする時間も、

悪くないどころか、

むしろ最高だなと思いました。

 

夕暮れ時のリビングで、

一人でお茶を飲みながら、

そんなことをぼんやりと考えていました。

 

すっかり綺麗になった部屋を見渡しながら、

お気に入りのマグカップで飲むお茶は、

いつもよりも美味しく感じられたりして。

 

こういう何気ない一日が、

日々の生活に、

ちょっとした彩りを添えてくれる。

 

そんな気がします。

 

みなさんは、

最近、

お部屋の掃除をしましたか?

 

もし、

どこか気になるところがあったら、

思い切って手をつけてみるのも、

いいかもしれません。

 

最初は大変かもしれないけれど、

最後に待っている景色は、

きっと想像以上だと思います。

 

次にまとまったお休みができたら、

今度はキッチンの引き出しあたりを、

攻めてみようかな。

 

そんなことを、

ひそかに計画している今日の私です。

少し、話しは変わりますが、

実は先日、

ずっと気になっていた場所へ、

足を伸ばしてみたんです。

 

それは、

駅から少し離れたところにある、

小さな雑貨屋さんでした。

 

住宅街の中にひっそりと佇む、

古民家を改装したお店です。

 

前を通りかかるたびに、

気になってはいたのですが、

なかなか入る機会がなくて。

 

でも、

せっかくの休日だし、

思い切ってドアを開けてみたのです。

 

扉を開けると、

カランコロンと、

心地よい鈴の音が響きました。

 

店内には、

どこか懐かしいような、

木の香りがふわりと漂っています。

 

こういう空間って、

いるだけで、

なんだか心が落ち着きますよね。

 

並べられているのは、

作家さんが手作りしたという、

陶器の器や、

リネンのエプロン、

ガラスの花瓶などでした。

 

どれも、

決して派手ではないけれど、

丁寧な暮らしの気配が感じられるものばかりです。

 

私は、

その中の一つのコーナーに、

足を止めました。

 

そこに置いてあったのは、

小さなどこか素朴な、

一輪挿しでした。

 

手のひらにすっぽりと収まるくらいの、

小さなサイズです。

 

色は、

マットな白で、

少しざらっとした手触りでした。

 

こういうのって、

お部屋に飾ったら、

なんだか素敵だろうな。

 

そう思ったのです。

 

でも、

すぐに買おうとはせず、

しばらく手に持って、

じっと眺めてしまいました。

 

家にある他の家具と合うかな、

どこに置こうかな、

そんなことを考えている時間も、

買い物の楽しみの一つだったりします。

 

結局、

私はその小さな一輪挿しを、

連れて帰ることにしました。

 

お会計を済ませて、

丁寧に包まれた包みを受け取るとき、

店員さんが、

「大切に使ってあげてくださいね」

と、

優しく微笑んでくれました。

 

その一言が、

なんだかとても嬉しかったです。

 

ものは、

ただの「もの」かもしれません。

 

でも、

それをどこで買って、

誰から受け取って、

どんな気持ちで持ち帰ったか。

 

そういう記憶が重なることで、

特別な宝物に変わっていく。

 

そう考えると、

お買い物って、

奥が深いなと思います。

 

家に帰ってきてから、

さっそく、

リビングの棚の一角を片付けて、

その一輪挿しを置いてみました。

 

中には、

庭の隅に咲いていた小さな野花を、

一輪だけ挿して。

 

白い陶器と、

素朴な草花の組み合わせが、

想像以上にしっくりきました。

 

ソファに座るたびに、

ふと視線の先にあるその一輪挿しが目に入って、

そのたびに、

なんだか温かい気持ちになります。

 

大きな模様替えをしたわけではありません。

 

高い家具を買ったわけでもありません。

 

それでも、

生活の中に、

ほんの小さな新しい風が吹いたような、

そんな爽やかな気分になりました。

 

こういう小さな変化を、

自分で作っていくこと。

 

それは、

日々の暮らしを大切にするということなのかなと思います。

 

私たちは、

毎日同じようなルーティンの中で、

なんとなく過ごしてしまいがちです。

 

仕事をして、

家事をして、

買い物をして。

 

気がつけば、

一日が終わっている。

 

そんな日も、

たくさんあります。

 

それはそれで、

平穏で幸せなことですが。

 

でも、

たまにはちょっとだけ視点を変えてみる。

 

いつもの道を曲がってみる。

気になっていたお店に入ってみる。

お部屋の隅っこを綺麗にしてみる。

 

そんな小さな一歩を踏み出すだけで、

日常の景色は、

少しずつ違って見えてくるのです。

 

問題は、

それを面倒くさいと思うか、

それとも楽しもうと思うか。

 

ほんの少しの好奇心を持つこと。

 

それができれば、

毎日をもっと面白くできる気がします。

 

みなさんは、

最近、

どんな新しい発見をしましたか?

 

日常の中で、

ちょっとしたときめきを感じる瞬間はありましたか?

 

もし、

なんとなく毎日が同じだなと感じていたら、

明日のお出かけの帰りに、

いつもと違う道を歩いてみるだけでもいいかもしれません。

 

それだけで、

思いがけない素敵な出会いがあったりします。

 

さて、

夕方のニュースの音が聞こえてきましたそろそろ、

今日の夕ご飯の支度を始めないとですね。

 

メニューは、

冷蔵庫にあるもので、

簡単に温かいスープでも作ろうかな。

 

今日綺麗にしたリビングを眺めながら、

台所に立つ足取りも、

なんとなくいつもより軽い気がします。

 

また今度、

素敵なお店を見つけたら、

ここでシェアさせてくださいね。

 

みなさんも、

どうぞ温かくして、

穏やかな夜をお過ごしください。

そういえば、

さっき台所に向かいながら、

ふと思ったことがあります。

 

それは、

『日常の小さな楽しみ』

ということについてです。

 

私たちは普段、

どうしても大きな幸せを探してしまいがちです。

 

旅行に行ったり、

高いお買い物をしたり、

特別なイベントがあったり。

 

もちろん、

そういうのもすごく楽しいですし、

私も大好きです。

 

でも、

よく考えてみると、

毎日の生活の大半を占めているのは、

なんでもない日常の時間なんですよね。

 

だからこそ、

その何でもない時間を、

どうやって心地よく過ごすか。

 

そこが、

とても大切なんだなと思うのです。

 

たとえば、

お気に入りのマグカップでお茶を飲むこととか。

 

ベランダの植木鉢に、

新しい芽を見つけることとか。

 

そういう、

ささやかな出来事の中にこそ、

本当の意味での豊かさが隠れている気がします。

 

みなさんは、

どうでしょうか?

 

忙しい毎日に追われて、

そういう小さな感動を、

見落としてしまってはいないでしょうか。

 

たまには、

ゆっくり空を見上げてみたり、

淹れたてのコーヒーの香りに癒やされてみたり。

 

そんな余裕を、

心の片隅に持っていたいものですね。

 

そう考えると、

人生って、

案外悪くないなと思えたりします。

 

むしろ、

思っていた以上に、

面白いことで溢れているのかもしれません。

 

さて、

そろそろお湯が沸いたようです。

 

お鍋から立ち上る湯気を見ているだけで、

なんだかほっとした気持ちになります。

 

こういう、

あたたかい時間。

 

こういう、

穏やかなひととき。

 

こういうのって、

やっぱりいいですよね。

 

今日の夕ご飯は、

きっといつもより美味しく感じられるはずです。

 

みなさんの今夜の食卓にも、

あたたかな笑顔がたくさん溢れていますように。

 

それでは、

また次回のブログでお会いしましょうね。

 

おやすみなさい。

 

たとえば、

朝起きて、

空を見上げる。

 

そんな何気ない瞬間が、

あります。

 

今日も、

いつもと同じような朝でした。

 

雲ひとつない青空が、

広がっていました。

 

見事なまでの、

『洗濯日和』

だったのです。

 

これは、

本当に気持ちのいいことです。

 

私は、

嬉しくなりました。

 

すぐに、

洗濯機を回しました。

 

ガーッと、

威勢よく音が響きます。

 

溜まっていた服を、

次々と放り込みました。

 

タオルも、

シャツも、

全部まとめて綺麗にする。

 

そんな、

小さな達成感がありました。

 

洗濯が終わるのを待つ間に、

掃除を済ませました。

 

そして、

ピンと晴れた空の下へ、

洗濯物を干していきました。

 

太陽の光を浴びて、

服が気持ちよさそうに揺れている。

 

そんな姿を見るのが、

私は大好きです。

 

「今日も、

カラッと乾くぞ。」

 

そう思っていました。

 

完璧な朝のルーティンです。

 

何もかもが、

順調に進んでいました。

 

では、

いったい、

何が起きたのでしょうか?

 

ここで、

少し、

時計の針を進めてみます。

 

お昼を少し過ぎた頃のことでした。

 

私は、

家の中で作業をしていました。

 

ふと、

窓の外を見たのです。

 

すると、

どうでしょう。

 

さっきまでの青空は、

どこへ行ったのか。

 

空全体が、

どんよりと灰色に染まっていたのです。

 

それだけではありません。

 

遠くの空で、

何かが光りました。

 

ゴロゴロと、

低い音が聞こえてきます。

 

雷です。

 

私は、

目を疑いました。

 

「まさか、

そんなはずは……。」

 

心の中で、

そう呟きました。

 

天気予報を、

思い出しました。

 

朝見た予報では、

「終日晴れマーク」

がついていたはずです。

 

雨の気配など、

微塵もありませんでした。

 

それなのに、

目の前で、

雲がどんどん厚くなっていきます。

 

生乾きの恐怖が、

頭をよぎりました。

 

せっかく洗ったあの服たちが、

あの大量の洗濯物が、

どうなってしまうのか。

 

想像するだけで、

冷や汗が出ました。

 

では、

いったい、

どうしてこんなことになってしまうのでしょうか?

 

問題は、

ここからです。

 

なぜか、

私たちが「今日こそは」と意気込んで洗濯をした日に限って、

空は、

まるでそれを狙っていたかのように、

雨を降らせるのです。

 

これは、

ただの偶然なのでしょうか?

 

それとも、

何か見えない力が働いているのでしょうか?

 

少し、

考えてみます。

 

世の中には、

『マーフィーの法則』

というものがあります。

 

「心配していると、

その通りの悪いことが起きる」

という、

あれです。

 

でも、

今回の場合は、

少し違います。

 

心配どころか、

完全に油断していました。

 

「今日は絶対に大丈夫だ」

と、

心の底から信じ切っていたのです。

 

それなのに、

この仕打ちです。

 

本当に、

理不尽な話だと思います。

 

ここで、

別の例を出してみます。

 

たとえば、

傘を持たずに家を出た日に限って、

急な夕立に降られる、

という現象があります。

 

これも、

多くの人が経験していることではないでしょうか。

 

「今日は降らないだろう」

と、

空模様のチェックを怠った瞬間に、

空は、

容赦なく水を落としてきます。

 

それと同じように、

洗濯物を外に干したという全幅の信頼を裏切るかのように、

自然は、

気まぐれに牙を剥くのです。

 

そう考えると、

私たちの日常というのは、

常に予測不可能な何かに満ちている、

ということになります。

 

天気という、

人間の力ではどうにもならない巨大なシステムの前で、

私たちは、

あまりにも無力です。

 

どれだけ綺麗にスケジュールを組んでも、

どれだけ完璧に準備をしても、

たったひとつの雨粒によって、

すべてが台無しになる可能性を孕んでいるのです。

 

これは、

非常にスリリングなことだと言えるかもしれません。

 

毎日が、

自然との真剣勝負なのです。

 

では、

いったい、

私たちはどう向き合えばいいのでしょうか?

 

雨が降るたびに、

空を恨めしく見上げるしかないのでしょうか?

 

あるいは、

部屋干しを極めるべきなのでしょうか?

 

問題は、

そこではありません。

 

もっと深いところにあるのです。

 

ここで、

視点を変えてみます。

 

洗濯物を干すという行為は、

ただ服を乾かす作業ではありません。

 

それは、

未来の自分に対する、

小さな『信頼の証』なのです。

 

「明日も晴れるだろう」

「乾いた服を着て出かけられるだろう」

という、

未来への期待を込めて、

私たちは外に干します。

 

つまり、

洗濯物を干すことは、

未来を信じる行為そのものなのだと思います。

 

だからこそ、

そこに雨が降ると、

単に服が濡れるという物理的な被害以上のダメージを受けるのです。

 

未来への期待が、

一瞬で打ち砕かれるような、

そんな切なさを感じるのではないでしょうか。

 

そう考えると、

あの突然の雨には、

もっと大きな意味があるのかもしれません。

 

自然は、

私たちにこう語りかけているのです。

 

「あまり、

先のことを決めつけすぎてはいけないよ」

 

「思い通りにならないことだって、

人生にはあるんだよ」

 

と。

 

本当に、

自然は厳しい先生です。

 

でも同時に、

どこかユーモアすら感じさせます。

 

私たちが「よっしゃ!」と気合を入れた瞬間に、

絶妙のタイミングで水をぶっかけてくる。

 

それはまるで、

大きな存在からの、

ちょっとした『イタズラ』のようでもあります。

 

そう思えば、

急な雨に慌てて洗濯物を取り込む自分の姿も、

なんだか少し滑稽で、

愛おしく思えてくるから不思議です。

 

イライラするどころか、

「またやられたな」と、

苦笑いするしかないのです。

 

私たちは、

日々の生活の中で、

すべてをコントロールしようとします。

 

予定通りに物事が進むことが、

正しいことだと信じ込んでいます。

 

でも、

本当はそうではないのです。

 

コントロールできないことがあるからこそ、

人生は面白い。

 

予定通りにいかないからこそ、

ドラマが生まれる。

 

洗濯物が濡れたという、

ただそれだけの小さな出来事の裏側には、

そんな大きな宇宙の真理が隠されている……のかもしれません。

 

大げさだと思うでしょうか?

 

でも、

私は本気でそう思っています。

 

今日も、

空は気まぐれに雲を流しています。

 

洗濯物を干すか、

部屋干しにするか。

 

それは、

人類永遠の悩みです。

 

そして、

私たちが生きている限り、

この戦いは終わらないのです。

 

次に雨が降ったとき、

あなたは、

どう思うでしょうか。

 

空を見上げて、

ただ溜息をつくでしょうか。

 

それとも、

自然の大きさに思いを馳せるでしょうか。

 

どちらにしても、

次に洗濯物を干すときは、

少しだけ覚悟をしておいた方がいいかもしれません。

 

空の向こうで、

奴らが待ち構えているかもしれないのですから。

 

本当に、

油断も隙もあったもんじゃありません。

 

でも、

そんな予測不可能な日々だからこそ、

私たちは今日も、

元気に生きていけるのだと、

私は信じています。

たとえば、

朝、

家を出るときに、

ふと靴紐がほどけることがあります。

 

急いでいるときに限って、

そういうことが起きます。

 

これは、

単なる偶然でしょうか。

 

それとも、

何か別の意味があるのでしょうか。

 

ようするに、

私たちは日々、

数え切れないほどの些細な出来事に囲まれています。

 

電車に乗り遅れたり、

買おうと思っていたお菓子が売り切れていたり。

 

そんなことの連続です。

 

ここで、

少し、話しは変わりますが、

 

みなさんは、

『量子力学(りょうしきがく)』

という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

 

難しそうな物理の話です。

 

簡単に言うと、

極めて小さな世界、

目に見えないほど小さなミクロの世界でのルールを研究する学問です。

 

実は、

その世界では、

私たちの常識がまったく通用しません。

 

粒子が、

波の性質を持ったりします。

 

観測するまで、

そこにあるかどうかすら分からない。

 

そんな、

不思議な現象が起きているのです。

 

では、いったい、

それが私たちの日常と、

どう関係しているのでしょうか。

 

問題は、

ここからです。

 

そう考えると、

靴紐がほどけたことも、

洗濯物が雨に濡れたことも、

 

すべては、

この巨大な宇宙の仕組みと、

どこかで繋がっているのではないでしょうか。

 

大げさな話に聞こえるかもしれません。

 

でも、

そう考えてみると、

世界の見え方が少しだけ変わってきます。

 

ただの不運が、

宇宙からのメッセージに見えてきたりするのです。

 

もちろん、

科学的な証明なんてありません。

 

ただの私の妄想かもしれません。

 

それでも、

私たちは、

何かに導かれるようにして生きています。

 

ここで、

もう一つの視点を導入したいと思います。

 

それは、

『縁(えにし)』

という概念です。

 

縁。

 

日本語の、

とても美しい言葉です。

 

偶然のようでいて、

実は必然であるような、

不思議な巡り合わせのことです。

 

たとえば、

街で見知らぬ人とすれ違うとき。

 

その人とぶつかりそうになったり、

あるいは、

全く何事もなく通り過ぎたりします。

 

もし、

ほんのコンマ数秒、

家を出るのが遅れていたなら。

 

私たちは、

その人と出会うことはなかったはずです。

 

そう思うと、

この世界は奇跡の連続で成り立っていると言えます。

 

すべての出来事が、

絶妙なバランスで保たれているのです。

 

だからこそ、

目の前で起きるすべてのことに、

意味があるのかもしれません。

 

いや、

意味があると信じたほうが、

人生は絶対に面白くなります。

 

ここで、

思い出すことがあります。

 

昔、

私の祖母がよく言っていました。

 

「すべてのことに感謝しなさい」

と。

 

当時は、

何を当たり前のことを言っているんだろうと思っていました。

 

嫌なことがあっても感謝なんてできるわけがない。

 

そう反発していた時期もあります。

 

でも、

歳を重ねるごとに、

その言葉の本当の意味が分かってきたような気がするのです。

 

祖母が言いたかったのは、

綺麗事ではありません。

 

自分のコントロールできない現実に対して、

どう向き合うかという、

人生の知恵だったのです。

 

雨が降ったら、

雨に感謝する。

 

靴紐がほどけたら、

立ち止まる時間をくれたことに感謝する。

 

そんな風に生きられたら、

どんなに素晴らしいでしょうか。

 

もちろん、

常にそんな風に聖人のようには生きられません。

 

イライラすることもあるし、

文句を言いたくなることもあります。

 

それも人間です。

 

完璧じゃなくていい。

 

不完全なままで、

私たちは生きている。

 

だからこそ、

愛おしいのです。

 

自分自身のことも、

周りの人のことも、

そして、

この理不尽な世界のことも。

 

少し、

話が大きくなりすぎたでしょうか。

 

でも、

そろそろ最初の話に戻りましょう。

 

洗濯物の話です。

 

空模様を気にしながら、

外に干すか、

中に干すか迷う。

 

そんな日常のワンシーン。

 

そこに、

宇宙の真理があり、

量子力学があり、

人と人との縁があり、

祖母の教えがある。

 

すべては、

繋がっているのです。

 

小さなことから、

大きなことまで。

 

一つの線で、

綺麗に結ばれている。

 

そう考えると、

目の前にある洗濯カゴが、

なんだか神々しく見えてきませんか。

 

見えてこないですね。

 

さすがにそれは無理があります。

 

でも、

それでいいのです。

 

日常は、

そんなに深刻なものじゃありません。

 

もっと、

軽やかで、

もっと、

ユーモアに満ちているべきです。

 

次に空を見上げて、

黒い雲を見つけたとき。

 

私たちは、

また同じように悩むでしょう。

 

取り込むべきか、

このまま放置すべきか。

 

その瞬間、

あなたは宇宙と対話しているのです。

 

大げさではなく、

本気でそう思います。

 

だから今日も、

私たちは空を見上げる。

 

雲の流れを読む。

 

風の匂いを感じる。

 

そして、

それぞれの答えを出していく。

 

それが、

人間というものです。

 

明日もきっと、

何かが起きます。

 

予定通りにいかないことも、

嬉しいサプライズもあるでしょう。

 

準備はいいですか。

 

私たちは、

今日も元気に、

この予測不可能な世界へ飛び出していくのです。

 

靴紐をしっかりと結び直して。

 

深呼吸を一つして。

 

さあ、

顔を上げて歩き出しましょう。

 

何が待っていようとも、

きっと、

面白い一日になるはずですから。

 

先日、

久しぶりに、

よく晴れた休日でした。

 

せっかくのお休みなので、

朝から、

たくさんの洗濯物をしました。

 

シーツも、

タオルも、

家族の洋服も、

まとめて、

一気に洗いました。

 

こういうのって、

やっぱり気持ちがいいですよね。

 

お日さまの匂いがする洗濯物を想像すると、

それだけで、

ちょっと嬉しくなります。

 

我が家では、

晴れた日には、

必ずたくさんの洗濯物を干すようにしています。

 

これは、

我が家の、

ちょっとしたこだわりです。

 

では、

いざ干そうと、

洗濯カゴを持ち上げました。

 

すると、

どうでしょう。

 

『洗濯物』

 

が、

思った以上に、

大量に入っていました。

 

カゴから、

あふれんばかりの、

洋服たちです。

 

ここで、

問題になるのが、

 

『終わりの見えない量』

 

というものです。

 

一つひとつは、

ただの靴下だったり、

タオルのような、

日常の小さな布きれです。

 

けれど、

それが集まると、

まるで、

巨大な山のように見えてきます。

 

ベランダに出て、

物干し竿を見上げました。

 

空は、

どこまでも青く、

風が心地よく吹いています。

 

でも、

私の心は、

少しだけ曇ってしまいました。

 

『これ、

本当に今日中に終わるのかな…』

 

思わず、

そんな言葉が、

口をついて出てしまいました。

 

こういうときって、

ありますよね。

 

洗濯機を回したときは、

あんなに爽やかな気持ちだったのに。

 

いざ干す段階になると、

途方に暮れてしまう。

 

これは、

私の家だけでしょうか。

 

それとも、

全国の主婦のみなさんも、

同じような経験をしているのでしょうか。

 

ここで、

ちょっと、

話しは変わりますが、

 

よく、

テレビや雑誌なんかで、

効率的な家事のコツ、

みたいな特集をやっていますよね。

 

パパッと終わらせて、

自分の時間を作りましょう、

という感じのものです。

 

見ているときは、

「なるほどなあ」

なんて思うのですが。

 

いざ、

自分の現実に戻ってみると、

まったく役に立ちません。

 

『現実の洗濯物』

 

は、

そんな綺麗な理論通りには、

動いてくれないのです。

 

ハンガーが足りなくなったり、

干す順番を間違えて、

途中でスペースがなくなったり。

 

小さな絶望が、

何度も、

やってきます。

 

ピンチハンガーに、

靴下をひとつずつ挟んでいきます。

 

右に靴下。

左にも靴下。

 

まるで、

終わりのない、

単純作業のようです。

 

こういう作業をしていると、

ふと、

色々なことを考えてしまいます。

 

私は、

何のために、

こんなにたくさんの布を、

毎日洗っているのだろう、と。

 

人間は、

服を着る生き物です。

 

だから、

汚れます。

 

汚れるから、

洗います。

 

洗うから、

干します。

 

干すから、

また着ます。

 

そう考えると、

これは、

終わりのない、

無限ループなのではないでしょうか。

 

『洗濯の輪廻(りんね)』

 

とでも言うのでしょうか。

 

大げさかもしれませんが、

ベランダの端っこで、

そんな哲学的なことを、

考えてしまいました。

 

少し、

手が疲れてきました。

 

まだ、

カゴの底には、

たくさんの衣類が眠っています。

 

底の見えない、

底なし沼のような、

洗濯カゴです。

 

こういうとき、

私はいつも、

あることを思います。

 

もしも、

魔法使いが現れて、

「この洗濯物を、

一瞬ですべて綺麗に畳んであげましょう」

と言ってくれたら。

 

私は、

迷わず、

全財産を差し出すかもしれません。

 

いや、

そこまで言うのは、

ちょっと大げさですね。

 

でも、

それくらい、

今の私にとっては、

大問題なのです。

 

ふうっと、

小さく息をつきました。

 

ベランダの柵に手をかけ、

遠くの空を眺めてみます。

 

お隣の家からも、

たくさんの洗濯物が風に揺られています。

 

みんな、

同じように戦っているんだな。

 

そう思うと、

なんだか、

少しだけ勇気が湧いてきました。

 

自分だけじゃない。

 

世界中の家庭で、

今この瞬間も、

同じような戦いが繰り広げられている。

 

そう考えると、

この終わらない洗濯物も、

愛おしく……は、

やっぱりならないのですが。

 

でも、

生活をしているという証拠なのかな、

とは思います。

 

綺麗に洗って、

干して、

乾かして、

また身につける。

 

この当たり前の毎日の繰り返しこそが、

私たちの生きている証なのかもしれません。

 

なんて、

かっこいいことを考えつつも、

現実は、

まだ半分以上残っています。

 

ぼーっとしている暇は、

ありません。

 

ここで、

手を止めたら、

今日の夕方までに終わらなくなってしまいます。

 

気持ちを切り替えて、

再び、

ハンガーを手に取りました。

 

「よいしょ、

よいしょ」

 

声に出しながら、

一枚ずつ、

丁寧に干していきます。

 

不思議なもので、

あんなに絶望していたのに、

手を動かし始めると、

だんだん調子が出てくるものです。

 

リズムよく、

タオルをピンと伸ばし、

風通しが良くなるように、

間隔を空けて並べていきます。

 

青空の下、

きれいに並んだ洗濯物たちを見ていると、

さっきまでの大げさな不安が、

嘘のように消えていきました。

 

『達成感』

 

という言葉が、

ぴったりの状態です。

 

すべてのハンガーが埋まり、

洗濯カゴが空っぽになった瞬間。

 

それは、

小さな冒険を終えたような、

そんな爽快感でした。

 

疲れたけれど、

嫌いじゃない。

 

むしろ、

こういう時間に、

自分の心が整えられているような気がします。

 

家事って、

面倒くさいことばかりです。

 

終わりがないし、

誰も褒めてくれないし、

すぐにまた元に戻ってしまう。

 

それでも、

やっぱり、

私はこういう日常が好きなんだと思います。

 

お日さまの匂いがするベランダで、

深呼吸をひとつしました。

 

風が、

とても心地よかったです。

 

さて、

洗濯物が乾くまでの間に、

ちょっと、

温かいお茶でも飲もうかなと思います。

 

がんばった自分への、

小さなご褒美です。

 

みなさんは、

今日の休日を、

どのように過ごしているでしょうか。

 

もしかしたら、

同じように、

終わらない家事に、

悪戦苦闘しているかもしれませんね。

 

そういうときは、

無理をせず、

途中で休憩しながら、

自分のペースで進めていきましょう。

 

終わらないものなんて、

この世にはありません。

 

いつかは必ず、

終わりがやってきます。

 

だから、

大丈夫なのです。

 

今度は、

天気のいい日に、

お気に入りのカフェへでも、

足を伸ばしてみようかな。

 

そんなことを考えながら、

リビングへ戻る、

今日の私なのでした。

あたたかいお茶を淹れるために、

キッチンへ向かいました。

 

お気に入りのマグカップを取り出して、

お湯を沸かします。

 

シュンシュンと湯気が立ち上る音が、

静かな部屋に響きます。

 

こういう音って、

なんだか心が落ち着くんですよね。

 

カップに注いだのは、

ほうじ茶です。

 

香ばしい香りが、

ふわりと広がります。

 

ひとくち飲むと、

体の芯からじんわりと温まっていくのが分かります。

 

あぁ、

生き返るような心地がします。

 

こういう時間こそが、

私にとっての『贅沢』なのかなと思います。

 

特別な場所に出かけなくても、

高いものを買わなくても、

日常の中に、

幸せの種はたくさん転がっているのです。

 

問題は、

それに気づけるかどうか、

それだけな気がします。

 

忙しい毎日を送っていると、

どうしても目の前のことだけに囚われてしまいます。

 

あれもしなくちゃ、

これもしなくちゃ、

そんなふうに焦ってしまうこともありますよね。

 

私の場合は、

心がトゲトゲしてくると、

だいたい部屋の中が散らかってきます。

 

不思議なもので、

心の状態と部屋の状態って、

見事にリンクしているんですよね。

 

だからこそ、

そんなときは、

あえて立ち止まるようにしています。

 

無理に動くのをやめて、

お茶を飲んだり、

ぼんやり空を眺めたりする。

 

そうやって、

一度リセットすることが大切なんだと思います。

 

みなさんは、

心が疲れたとき、

どのようにして癒やしているでしょうか。

 

甘いものを食べることでしょうか。

それとも、

お風呂にゆっくり浸かることでしょうか。

 

人によって、

その方法はさまざまだと思います。

 

どれが正解ということはありません。

 

自分が心地よいと感じるなら、

それが一番の正解なのです。

 

そういえば、

先週買った本が、

リビングのテーブルの上に置きっぱなしになっていました。

 

少し、

話しは変わりますが、

最近読んでいる小説が、

とっても面白いんです。

 

普段は、

実用書や雑誌を選ぶことが多いのですが、

たまには小説の世界に浸るのもいいなと思って手に取りました。

 

物語の舞台は、

古い港町です。

 

潮の香りが漂ってきそうな描写や、

そこで暮らす人々の温かいやり取りに、

すっかり魅了されてしまいました。

 

ページをめくる手が止まらなくて、

夜更かししてしまったほどです。

 

こういう出会いがあるから、

本を読むのってやめられないんですよね。

 

読書をしている間は、

現実の忙しさを忘れて、

まったく別の人生を体験することができます。

 

いわば、

心の小旅行といったところでしょうか。

 

お出かけする時間がないときでも、

本を開くだけで、

どこか遠くへ行ったような気分になれるのです。

 

そういう意味では、

本も立派なお出かけの相棒と言えるかもしれません。

 

次の休日は、

お気に入りの本を持って、

近所の公園のベンチで読書でもしようかな。

 

木漏れ日の下でページをめくるなんて、

想像しただけで、

なんだか優雅な気持ちになってきます。

 

想像するのは自由ですからね。

 

それだけでも、

ちょっとワクワクしてきます。

 

お茶を飲み終えて、

マグカップを洗いました。

 

シンクがきれいになると、

それだけで気分がすっきりします。

 

やっぱり、

水回りが片付いていると気持ちがいいですね。

 

洗濯物も、そろそろ乾いた頃でしょうか。

 

ベランダに出てみると、

お日さまの光をたっぷり浴びた洗濯物が、

気持ちよさそうに揺れていました。

 

一枚ずつ丁寧に畳んでいきます。

 

タオルからは、

お日さまのいい匂いがします。

 

この匂いを嗅ぐと、

なんだか幸せだなとしみじみ感じてしまいます。

 

大きな出来事なんてなくてもいい。

 

美味しいお茶を飲んで、

本の世界に浸って、

洗濯物がきれいに乾く。

 

そんな当たり前の日常のなかにこそ、

本当の豊かさがあるような気がします。

 

そろそろ、

夕飯の支度を考えないといけない時間ですね。

 

今日の献立は、

何にしようかな。

 

冷蔵庫の中身を思い出してみます。

 

豚肉とキャベツがあったはずだから、

野菜炒めでも作ろうかな。

 

たまには、

ちょっとニンニクを効かせて、

スタミナのつく味付けにするのもいいかもしれません。

 

料理も、

面倒くさいときは本当に億劫ですが、

こうして献立を考えている時間は、

嫌いじゃありません。

 

家族が「美味しいね」と言って食べてくれる姿を想像すると、

もうひと頑張りしようかなという気持ちになります。

 

毎日の繰り返し。

 

それは時に退屈で、

逃げ出したくなることもあるけれど、

その中にある小さな楽しみを見つけていくことで、

彩りのある毎日になっていくのだと思います。

 

今日の休日は、

いつもと変わらない普通の休日でした。

 

特別なドラマは何も起きていません。

 

それでも、

私の心は、

とても穏やかで満たされています。

 

こういう日があるから、

また明日から頑張れるんですよね。

 

夕暮れ時の空が、

少しずつオレンジ色に染まってきました。

 

グラデーションの空を見上げながら、

今日も一日、

よく頑張りましたと、

自分に心の中で声をかけてあげます。

 

さて、

エプロンをつけて、

夕飯の準備を始めるとしましょうか。

 

みなさんも、

どうぞ温かくして、

穏やかな夕方の時間をお過ごしください。

 

また次の休日には、

どこか素敵な場所へ出かけられますように。

 

今日は、

本当によいお天気でしたね。

 

こういう晴れた日には、

なんとなく、

家の中のことを、

一通り片付けたくなってしまいます。

 

せっかくのお休みですし、

思い切って、

大きなお布団を、

外に干してみることにしました。

 

私の場合は、

こういう晴れの日を選ぶとき、

なんとなく、

心が弾んでしまいます。

 

お布団をベランダまで運んで、

しっかりとお日様の光に当てる。

 

これだけでも、

なんだか、

すごく丁寧な暮らしをしているような、

そんな気分になれるから不思議です。

 

ここで、

ちょっとした疑問が浮かびます。

 

なぜ、

人はお日様の匂いがすると、

あんなにも、

幸せな気持ちになるのでしょうか。

 

それは、

おそらく、

私たちのDNAに、

太陽の光を愛する記憶が、

しっかりと刻まれているからなのかなと思います。

 

なんて、

そんな穏やかなことを考えながら、

私はお布団をパンパンと叩いていました。

 

気持ちの良い風が吹いていて、

今日は本当に、

いい休日だなと思っていました。

 

そう、

この時はまだ、

完全に油断していたのです。

 

まさか、

あんな大変なことが起こるなんて、

思ってもみませんでした。

 

少し、

お茶でも飲みながら休憩しようと、

リビングに戻った時のことです。

 

ふと、

窓の外を見て、

私は我が目を疑いました。

 

空が、

急に、

ものすごく、

怪しい色に変わっていたのです。

 

さっきまでの青空はどこへやら、

遠くの方から、

真っ黒な雲が、

猛烈なスピードで近づいてきていました。

 

これは、

大変なことになったぞと、

私の心臓が、

バクバクと音を立て始めました。

 

こういうのって、

よくあることなんですよね。

 

洗濯物あるあると言いますか、

出かけた瞬間に雨が降るような、

そういう、

マーフィーの法則みたいなものがある気がします。

 

でも、

今回は、

洗濯物のレベルではありません。

 

何せ、

我が家のすべての布団が、

いま、

まさに、

無防備な姿でベランダにさらされているのです。

 

私は、

大慌てで窓を開けました。

 

外の空気は、

すでにさっきとはまったく違っていて、

冷たい風がビュービューと吹き荒れていました。

 

お布団は、

風にあおられて、

物干し竿から落ちそうになっています。

 

では、

いったい、

どうすればいいのでしょうか。

 

私の頭の中は、

一気に、

パニック状態になりました。

 

ここで、

悠長に写真を撮っている場合ではありません。

 

とにかく、

急いで取り込まなければいけない。

 

そう思った私は、

猛ダッシュでベランダに出ました。

 

けれど、

風が強すぎて、

重たいお布団が、

まるで生き物のように暴れるのです。

 

重い、

とにかく重い。

 

お日様を浴びて、

ふっくらしたはずのお布団が、

なぜか、

ものすごい凶器のように私に襲いかかってきます。

 

一枚目を引っ張り、

二枚目を引きずり込み、

三枚目を回収しようとした、

その瞬間でした。

 

ポツリ、

と、

冷たいものが、

私の頬に落ちてきました。

 

あ、

雨だ。

 

思った以上のスピードで、

大粒の雨が落ちてきたのです。

 

私の心の中で、

何かが、

プツリと音を立てて切れたような気がしました。

 

せっかく、

ふかふかに干したお布団が。

 

今まさに、

雨に濡れようとしている。

 

いや、

もうすでに、

少し濡れてしまったかもしれない。

 

そういう絶望感の中で、

私は必死に、

最後のお布団を室内に引きずり込みました。

 

窓をピシャリと閉めたときには、

私の息は上がり、

髪はボサボサになっていました。

 

優雅な休日の午後は、

一体どこに行ってしまったのでしょうか。

 

リビングの真ん中で、

私は呆然と立ち尽くしていました。

 

部屋の中に積み上げられたお布団からは、

ほんのりとお日様の匂いがするような、

しないような。

 

でも、

よく見ると、

角のあたりが少し、

湿っている気がします。

 

気のせいであってほしいと願いましたが、

何度触っても、

やっぱり少し湿っていました。

 

こういうとき、

みなさんはどうするのでしょうか。

 

もう一度部屋干しするのか、

それとも、

乾燥機に突っ込むのか。

 

私の場合は、

とりあえず、

その場に座り込んで、

遠い目をしてしまいました。

 

思った以上に、

ダメージが大きかったです。

 

でも、

よく考えてみると、

こういうハプニングも含めて、

休日の過ごし方なのかもしれません。

 

何事もなく終わる一日よりも、

少しドラマチックだったと言えば、

聞こえはいいでしょうか。

 

いや、

やっぱり、

ただただ疲れただけですね。

 

でも、

お布団を取り込むときのあの必死さは、

普段の生活では絶対に味わえないものでした。

 

ある意味、

良い運動になったと、

前向きに捉えることにします。

 

人間、

ピンチのときこそ、

底力が発揮されるものなのですね。

 

それにしても、

自然の力というのは、

本当にすごいものです。

 

人間の予定なんて、

簡単に吹き飛ばしてしまうのですから。

 

次に布団を干すときは、

必ず天気予報を隅々まで確認しようと、

心から誓いました。

 

みなさんも、

お天気がいい日にお布団を干すときは、

どうか、

急な天気の変化にお気をつけください。

 

こういう何気ない日常のなかに、

突然の冒険が潜んでいるからこそ、

人生はおもしろいのかもしれません。

 

なんて、

少しカッコいいことを言ってみましたが、

今日のところは、

濡れかけたお布団をどうするか、

真剣に考えたいと思います。

 

今度は、

コインランドリーの乾燥機でも使ってみようかな。

 

新しい体験ができるかもしれないと、

ちょっとだけ前向きになりながら、

今日のドタバタ劇を終わりにしたいと思います。

そういえば、

コインランドリーの乾燥機って、

なんだかちょっとわくわくしませんか。

 

普段は、

自宅の洗濯機で、

いつものように済ませてしまうからこそ、

たまに違う場所を使うだけで、

小さなイベントのようになるのです。

 

大きなドラムが、

ぐるぐると回りながら、

洗濯物を乾かしていく姿を、

ただぼんやりと見つめている。

 

それだけの時間なのに、

不思議と心が落ち着いたりします。

 

これは、

一種の息抜きなのかもしれません。

 

ちょっと、

話しは変わりますが、

みなさんは、

普段の家事に、

どんな工夫をしていますか。

 

毎日のことだからこそ、

どうしても、

義務感になってしまいがちですよね。

 

洗濯をして、

ご飯を作って、

お掃除をして。

 

気がつくと、

一日があっという間に過ぎていきます。

 

ふと時計を見ると、

もう夕方だったりして、

なんだか少し切なくなったりもします。

 

でも、

そんな何気ない毎日のなかに、

自分なりの小さなお楽しみを、

見つけることができたら。

 

きっと、

それだけで、

毎日の景色が、

少しだけ明るく見えてくると思うのです。

 

たとえば、

お気に入りの香りの柔軟剤を使ってみる。

 

それだけでも、

お洗濯の時間が、

ちょっとだけ楽しみになりますよね。

 

あるいは、

普段は入らないような、

少しだけおしゃれなスーパーに立ち寄ってみる。

 

そこで、

見慣れないお野菜や、

おいしそうな調味料を見つけるだけで、

今夜のご飯を作るのが、

急に楽しみになったりします。

 

こういうのって、

本当にささやかなことなのですが、

生活のなかの、

ちょっとしたスパイスになる気がするのです。

 

完璧にこなそうとすると、

どうしても疲れてしまいますよね。

 

時には、

手を抜いてもいいし、

違うやり方を試してみてもいい。

 

今日の私のように、

お布団が急な雨に濡れてしまっても、

それを笑い話にできるくらいの余裕を、

持っていたいなと思います。

 

人生、

計画通りにいかないことのほうが、

多いのかもしれません。

 

でも、

だからこそ、

思いがけない出会いや、

新しい発見があったりするのです。

 

そう考えると、

あの急な雨も、

悪いことばかりではなかったのかなと、

思えてきたりもします。

 

濡れてしまったお布団は、

ちょっと大変でしたが、

そのおかげで、

コインランドリーの便利さに気づくことができました。

 

人間、

ピンチにならないと、

新しい一歩を踏み出せないものなのかもしれませんね。

 

大げさかもしれませんが、

そんなことを考えてしまいました。

 

さて、

濡れたお布団の心配はこれくらいにして、

そろそろ夕飯の支度を始めないとですね。

 

今日のメニューは、

温かいお味噌汁と、

簡単な炒め物にしようかな。

 

こういう肌寒い日には、

やっぱり、

温かいものが一番です。

 

家族みんなで、

「今日こんなことがあってね」と、

笑いながら食卓を囲む。

 

そんな、

いつもの穏やかな時間が、

何よりも大切で、

ありがたいものだなと感じます。

 

特別じゃなくていい。

派手じゃなくていい。

 

ただ、

自分の足で歩いて、

自分の目で見て、

心で感じながら暮らしていく。

 

そういう丁寧な毎日を、

これからも大切にしていきたいなと思います。

 

みなさんは、

今日、

どんな一日を過ごされたでしょうか。

 

もし、

少し疲れてしまったという方がいたら、

今夜はぜひ、

あたたかいお風呂にゆっくり浸かって、

ご自身をたくさん労ってあげてくださいね。

 

私はこれから、

温かいお茶でも淹れて、

ホッと一息つこうと思います。

 

明日も、

みなさんにとって、

穏やかで素敵な一日になりますように。

 

それでは、

また。

そういえば、

この間、

スーパーの帰り道で、

ふと空を見上げたんです。

 

そしたら、

すっかり秋の高い空になっていて、

うろこ雲がふわふわと広がっていました。

 

こういう季節の変わり目って、

なんだか少し、

切ないような、

ワクワクするような、

不思議な気持ちになりませんか。

 

夏が終わって、

秋がやってくる。

 

時間の流れって、

本当にあっという間だなと思います。

 

ちょっと、

話しは変わりますが、

 

みなさんは、

季節の変わり目に、

何かしたくなることってありますか。

 

私の場合は、

なぜか無性に、

お部屋の模様替えをしたくなるんです。

 

ラグを少し厚手のものに変えてみたり、

クッションカバーを温かみのある色にしてみたり。

 

ほんの小さな変化なんですけどね。

 

それだけでも、

お部屋の雰囲気がガラリと変わって、

新鮮な気持ちになるから不思議です。

 

こういうのって、

やっぱり、

気分転換にすごくいいんですよね。

 

思い返してみると、

私は昔から、

そういう細かなしつらえというか、

日々の暮らしを整えることが好きだった気がします。

 

凝ったことはできません。

 

高いインテリアを揃えるわけでもありません。

 

でも、

お気に入りのマグカップでお茶を飲んだり、

お部屋に小さなお花を飾ったりするだけで、

心がふっと軽くなるんです。

 

忙しい毎日を送っていると、

どうしても自分のことが後回しになってしまいがちですよね。

 

家事に、

育児に、

お仕事に。

 

気がついたら、

一日が終わっている。

 

「あれ、今日自分の時間ってあったかな」

 

そんなふうに、

ため息をつきたくなる日も、

正直あります。

 

でも、

そんなときこそ、

ほんの少しでいいから、

立ち止まってみる。

 

深呼吸をしてみる。

 

窓の外の景色を、

ただぼんやりと眺めてみる。

 

そういう、

何気ない余白の時間こそが、

私たち大人には、

どうしても必要なのかもしれません。

 

完璧じゃなくていい。

 

少しぐらいサボったっていい。

 

自分が心地よいと思える空間と、

自分を大切にできる時間があれば、

それだけで十分なんだと思います。

 

そう考えると、

日々の暮らしの中には、

小さな幸せのタネが、

たくさん転がっているんですよね。

 

道端で見つけた可愛いお花とか。

 

焼きたてのパンのいい香りとか。

 

お気に入りの音楽を聴きながら飲むコーヒーとか。

 

どれも、

特別高価なものじゃありません。

 

でも、

そういう些細なことに気がつける自分でいたいなと、

最近は特に強く思います。

 

心がささくれ立っているときは、

きっとそういうものが見えなくなってしまうから。

 

だからこそ、

自分の心のアンテナを、

いつも優しく磨いてあげたいですね。

 

さて、

そろそろ本当にお湯を沸かさないと、

せっかくの温かいお茶が冷めてしまいますね。

 

今夜は、

どのカップを使おうかな。

 

お気に入りの、

ちょっとぽってりとした形のマグカップにしようと思います。

 

手によく馴染んで、

持っているだけでホッとするんです。

 

みなさんも、

今夜はぜひ、

お気に入りの温かい飲み物を片手に、

ご自身の好きなことをして過ごしてくださいね。

 

本を読むもよし。

音楽を聴くもよし。

ただボーッとするもよし。

 

何もしない贅沢を、

たっぷり味わってください。

 

それでは、

そろそろ失礼します。

 

また、

おしゃべりしに来てくださいね。

 

天気がいい日に、

ふと、

近所を歩いてみたんです。

 

せっかくのお休みだから、

どこか遠くへ行こうかとも思ったのですが、

なんとなく、

近所を歩くことにしました。

 

こういうのって、

意外といいんですよね。

 

普段は車で通り過ぎてしまう道も、

歩いてみると、

色々な発見があったりします。

 

いわゆる、

『日常の再発見』

というやつです。

 

では、いったい、

近所を歩いて何があったのか?

 

実は、

大したことは起きていないのです。

 

ただ、

近所を歩いただけなんです。

 

でも、

それが思っていた以上に、

楽しかったのです。

 

ここで、

少しだけ私の話を聞いてください。

 

私は普段、

家事や育児や仕事で、

けっこう忙しくしています。

 

自分の時間なんて、

ほとんどありません。

 

自分の時間がないというのは、

どういうことか。

 

それは、

心がすり減っていくということです。

 

心に余裕がなくなると、

小さなことでもイライラしてしまいます。

 

例えば、

子どものちょっとしたわがままとか。

 

旦那さんの脱ぎっぱなしの靴下とか。

 

そういうものに対して、

「もう!」

となってしまうのです。

 

これは、

私の心が、

すっかり乾燥している証拠です。

 

まるで、

干からびたスポンジのようです。

 

そんな状態で、

近所を歩いてみたのです。

 

すると、

どうなったでしょうか。

 

カチカチだった心が、

少しずつ、

ほぐれていくのを感じました。

 

これは、

ものすごい大発見でした。

 

遠くのハワイに行かなくても、

ディズニーランドに行かなくても、

 

近所の、

いつも通っているはずの道に、

心の癒やしが落ちていたのです。

 

ここで、

問題になるのが、

 

「なぜ、近所の散歩だけで癒やされるのか」

 

という点です。

 

不思議だと思いませんか?

 

ただ歩いているだけなのに。

 

お金も使っていないのに。

 

ただ、

足の裏でアスファルトを感じながら、

トボトボと歩いているだけなのに。

 

それは、

おそらく、

『スピード』

の問題なのだと思います。

 

車に乗っていると、

景色がすごい勢いで流れていきます。

 

自転車に乗っていても、

風を切って走ります。

 

でも、

自分の足で歩くとき、

人間のスピードは、

ものすごくゆっくりになります。

 

この、

『ゆっくりなスピード』

こそが、

現代人にとって必要な薬なのかもしれません。

 

歩くスピードになると、

色々なものが目に入ってきます。

 

例えば、

道の端にひっそりと咲いている、

名前も知らない雑草とか。

 

お隣さんの庭から漂ってくる、

夕飯のカレーの匂いとか。

 

遠くの空で、

ゆっくりと形を変えている雲とか。

 

こういうものって、

車に乗っているときは、

絶対に気づかないのです。

 

見えているはずなのに、

見えていない。

 

そういうものを見つけるたびに、

私は、

「あぁ、生きているんだな」

と感じるのです。

 

ちょっと大げさかもしれませんが、

本当にそう思うんです。

 

そういえば、

途中で可愛い猫ちゃんに会いました。

 

電柱の陰から、

じっとこちらを見つめている猫ちゃんです。

 

こういうのって、

やっぱりテンションが上がりますよね。

 

私は心の中で、

「こんにちは」

と声をかけました。

 

猫ちゃんは、

迷惑そうに、

フイッと顔をそむけました。

 

その塩対応も含めて、

なんだかとても愛おしかったのです。

 

動物というのは、

そこに存在しているだけで、

周りを幸せにする力を持っています。

 

自分が幸せになる。

 

自分だけではありません。

 

自分の周りも、幸せになる。

 

そして、その環境までも、

なんだか優しい空気に変えていく。

 

猫ちゃんを見ていると、

そんなことを考えてしまいました。

 

ただの野良猫なのに、

すごい哲学者に見えてきます。

 

こういう、

くだらないことを、

ひとりでボーと考えながら歩く時間。

 

これこそが、

大人の贅沢というものなのではないでしょうか。

 

お金持ちにならなくても、

遠くに行かなくても、

 

身近なところで、

人は十分に幸せを感じられる。

 

そう考えると、

日々の生活も、

捨てたもんじゃないなと思えてきます。

 

もちろん、

家に戻れば、

相変わらず散らかったリビングが待っています。

 

洗濯物の山も、

私を待ち構えています。

 

現実逃避は、

長くは続かないのです。

 

でも、

散歩に行く前と後では、

私の心の中のスポンジの水分量が、

明らかに違います。

 

みずみずしいスポンジに戻った私は、

きっと、

さっきよりも優しい母親でいられるはずです。

 

「お母さん、ただいま」

と自分で自分に言ってあげたい気分です。

 

みなさんは、

最近、

近所をゆっくり歩いていますか?

 

忙しい毎日だとは思いますが、

たまには、

スマホをポケットにしまって、

ただ歩くだけの時間を作ってみてください。

 

新しい発見があるかもしれませんし、

何もないかもしれませんが、

 

少なくとも、

足は疲れます。

 

でも、

心地よい疲労感です。

 

こういう時間って、

意外と大事なのかもしれません。

 

今度のお休みも、

天気がよかったら、

また同じ道を歩いてみようかなと思います。

 

今度は、

少し違うルートを開拓してみるのも、

楽しそうです。

 

スーパーの裏の細い路地とか、

まだ入ったことのない公園とか。

 

探検隊の気分になって、

歩いてみたいです。

 

みなさんも、

気の向くままに、

ぶらりと歩いてみませんか。

 

きっと、

心が軽くなるのを実感できるはずです。

そういえば、

歩きながら、

ふと思ったんです。

 

歩くことって、

ただ足を動かしているだけなのに、

どうしてこんなにも気持ちがスッキリするんでしょうね。

 

これは、

単なる運動不足の解消、

というだけではない気がします。

 

ようするに、

『心のお洗濯』

みたいなものなのかなと思います。

 

ちょっと大げさかもしれませんが、

私の場合は、

そう感じずにはいられません。

 

ここで、

少し、話しは変わりますが、

 

みなさんは、

最近、

何か新しいことに挑戦してみましたか?

 

忙しい日々を過ごしていると、

どうしても、

毎日が同じことの繰り返しになりがちです。

 

朝起きて、

朝ご飯の支度をして、

洗濯機を回して、

お仕事や家事をして、

 

夜になると、

「あぁ、今日も一日が終わっちゃったな」

なんて、

ソファでため息をつく。

 

そういう生活も、

それはそれで平和でいいのですが、

 

たまには、

いつもと違う道を通ってみたり、

初めて入るお店でコーヒーを頼んでみたり、

 

そういう、

小さな変化を取り入れるだけで、

世界が少しだけ広がったような気がするんです。

 

思えば、

今日の散歩も、

そんな小さな変化の一つでした。

 

いつもなら、

スーパーへの往復で通り過ぎてしまうだけの道。

 

そこに、

あえてゆっくりと足を運んでみた。

 

それだけのことで、

こんなにもたくさんの新しい発見があったのです。

 

これは、

とっても贅沢なことだなと思います。

 

お金をかけなくても、

遠くまで出かけなくても、

 

自分の工夫次第で、

日常はいくらでも楽しくできる。

 

そういうことに気づけたことが、

今日の一番の収穫だったのかもしれません。

 

そう考えると、

私たちの毎日の暮らしの中には、

 

まだまだ、

見落としている宝物が、

たくさん眠っているのではないでしょうか。

 

たとえば、

お気に入りのマグカップで飲むお茶の時間だったり、

 

ベランダから見える夕日のきれいな色だったり、

 

通りすがりの猫と目が合った瞬間だったり。

 

そういう、

見過ごしてしまいそうな小さな幸せを、

一つずつ丁寧に拾い集めていくこと。

 

それが、

心を豊かにするための、

一番の近道なのかもしれません。

 

あ、

そういえば、

この間、

近所のパン屋さんで、

新しい食パンを買ってみたんです。

 

いつも買っているものより、

少しだけお値段の張る、

ちょっぴり高級な食パン。

 

「せっかくのお休みだし、たまにはいいよね」

なんて自分に言い訳しながら、

カゴに入れてしまいました。

 

次の日の朝、

その食パンをいつもより少し厚めに切って、

トースターでこんがりと焼いてみたんです。

 

バターをぬって、

一口食べてみたら、

 

これが、

もう、

びっくりするほど美味しかったんです。

 

外側はサクッとしていて、

中はもちもち。

 

噛むほどに、

小麦の甘みが口の中に広がって、

 

「あぁ、美味しいなぁ」

って、

思わず声に出てしまいました。

 

たかが食パン、

されど食パン。

 

でも、

その朝の時間は、

いつもの朝食とはまるで違っていました。

 

なんだか、

ホテルの朝食会場にいるような、

ちょっと優雅な気分を味わえたのです。

 

こういうのって、

やっぱりいいですよね。

 

日常の中に、

ほんの少しの特別感をプラスする。

 

それだけで、

一日の気分がガラリと変わるから不思議です。

 

問題は、

それを忘れてしまうことでしょうか。

 

忙しさにかまけていると、

ついつい、

効率や時短ばかりを優先してしまって、

 

「とりあえずお腹に入ればいいや」

「ちゃちゃっと済ませちゃおう」

となってしまいがちです。

 

でも、

たまには、

そういう手間を惜しむのも大事ですが、

 

あえて、

時間をかけて丁寧に暮らしてみる。

 

お気に入りの器を使ってみたり、

お部屋にお花を飾ってみたり、

 

そういう、

なくても生きていけるけれど、

あると心が潤うもの。

 

そういうものを大切にしていきたいなと、

最近、

しみじみと感じています。

 

みなさんは、

自分の機嫌を直すための方法、

何か持っていますか?

 

イライラしたり、

落ち込んだりしたとき、

 

「これをすれば元気になる」

という、

自分なりの秘密のスイッチ。

 

私の場合は、

今日みたいなお散歩だったり、

美味しいパンを食べる時間だったりします。

 

人によっては、

それが映画鑑賞だったり、

お風呂にゆっくり浸かることだったり、

お友達とおしゃべりすることだったりするのでしょうね。

 

どれが正解とかではなくて、

自分が「心地いいな」と感じられるなら、

それが一番なんだと思います。

 

そういえば、

そろそろ夕暮れ時ですね。

 

さっきまで明るかった空が、

だんだんとオレンジ色に染まってきました。

 

こういうマジックアワーの空を見上げていると、

一日の終わりをしみじみと感じます。

 

今日の晩ご飯は、

何にしようかな。

 

冷蔵庫にあるもので、

ちゃちゃっと作るのもいいけれど、

 

せっかく散歩でリフレッシュできたんだから、

ちょっとだけ、

いつもより手の込んだものを作ってみるのも、

いいかもしれません。

 

玉ねぎをあめ色になるまで炒めて、

じっくり煮込んだスープとか、

 

旬のお野菜を使った、

温かいおかずとか。

 

想像しているだけで、

お腹が空いてきちゃいました。

 

主婦の仕事に、

終わりはありません。

 

明日になれば、

また同じように洗濯をして、

ご飯を作って、

掃除をして、

一日が始まります。

 

でも、

今日たっぷりと水分を吸い込んだ私のスポンジは、

きっと、

明日も柔軟に対応してくれるはずです。

 

ちょっとくらい子供が散らかしても、

「はいはい、片付けましょうね」

って、

笑顔で言える気がします。

 

……なんて、

心の中で思っているうちは大丈夫ですね。

 

実際のところはどうなるか分かりませんが、

少なくとも、

今のこの穏やかな気持ちを、

大切にしたいなと思います。

 

さてそろそろ、

お夕飯の支度を始めないとですね。

 

腰を上げるのが、

ほんの少しだけ億劫ですが、

 

今日買ってきたお気に入りのエプロンをつけて、

鼻歌でも歌いながら、

キッチンに向かうことにします。

 

今度のお休みは、

どこのパン屋さんにいこうかな、

なんて考えながら。

 

みなさんも、

素敵な夕方の時間をお過ごしくださいね。

 

それでは、

また。

 

今日は、

ちょっと遠くのスーパーまで、

歩いて行ってきました。

 

いつも行く近所のスーパーではなく、

わざわざ、

少し離れた場所にあるスーパーです。

 

なぜ、

そんな遠くのスーパーに行ったのか。

 

それは、

なんとなく、

いつもと違う空気を吸いたかったからです。

 

ただ、

それだけの理由でした。

 

少し、

話しは変わりますが、

 

私たちは普段、

自分の行動範囲というものを、

無意識に決めて生活しています。

 

ここからここまで、

という、

目に見えない境界線(きょうかいせん)のようなものです。

 

その境界線の内側だけで、

毎日を過ごしている。

 

それは、

効率的で、

安全な生き方なのかもしれません。

 

けれど、

たまにはその境界線を越えてみる。

 

そうすると、

そこには、

思いがけない発見があったりするのです。

 

たとえば、

いつもと違う道を歩くだけで、

見たことのない花を見つけたりします。

 

新しい自動販売機を発見したりします。

 

では、いったい、

なぜ私たちは、

いつもと同じ道ばかり歩いてしまうのでしょうか。

 

それは、

迷いたくないからです。

 

失敗したくないからです。

 

要するに、

安心したいのです。

 

自分自身の足元(あしもと)を、

しっかりと固めておきたい。

 

そういうことなのだと思います。

 

でも、

今日は違いました。

 

あえて、

少し遠くのスーパーを目指したのです。

 

天気も良く、

風も心地よい、

そんな素晴らしい午後でした。

 

歩きながら、

私は、

自分の足音を聞いていました。

 

カツ、

カツ、

と、

アスファルトを叩く音です。

 

普段の生活では、

自分の足音なんて気にも留めません。

 

でも、

時間に余裕があるとき、

心に少しだけ余白があるとき、

 

私たちは、

自分の身体の感覚を、

取り戻すことができるのです。

 

これは、

スゴイことです!!

 

本当に、

小さなことなのですが、

生きている実感を味わう瞬間なのです。

 

では、

遠くのスーパーに着いてから、

何があったのでしょうか。

 

実は、

特別な事件が起きたわけではありません。

 

ただ、

いつもと違う野菜が売っていたり、

見慣れないお惣菜(おそうざい)が並んでいたりしただけです。

 

「ほう、

この地域では、

こういうものが好まれるのか。」

 

そんなふうに、

一人で納得していました。

 

カゴの中身も、

いつもとは少し違ったものになりました。

 

いつもの定番商品ではなく、

パッケージの可愛さに惹かれて買った、

謎のお菓子。

 

そんな小さな冒険を、

私たちは、

日常の中で求めているのかもしれません。

 

そう考えると、

遠くのスーパーに行くという行為は、

単なる買い物ではありません。

 

人によっては、

それ以上の意味を、

持っているのです。

 

それは、

冒険です。

 

自分の中の小さな旅なのです。

 

ここで、

少し大きな話をさせてください。

 

私たちは人生において、

どれだけの「新しい場所」に行けているでしょうか。

 

どれだけの「新しい視点」を、

持てているでしょうか。

 

毎日、

同じ会社に行き、

同じような人と話して、

同じような夜を過ごす。

 

それはそれで、

尊い日常です。

 

否定するつもりは、

毛頭ありません。

 

平和な毎日は、

何よりも代えがたい宝物です。

 

でも、

たまには、

いつもと違うスーパーに行ってみる。

 

そんな些細(ささい)な行動が、

私たちの凝り固まった脳を、

ほぐしてくれるのです。

 

脳がほぐれる。

 

心が軽くなる。

 

そして、

世界が少しだけ広く見えるようになる。

 

本当に、

不思議なものです。

 

ここで、

もう少し考えてみたいと思います。

 

「遠くのスーパー」とは、

物理的な距離だけの話でしょうか。

 

もちろん、

最初はそうです。

 

歩いて二十分かかる場所。

 

自転車で十五分かかる場所。

 

そういう場所のことです。

 

でも、

それだけではないような気がするのです。

 

私たちにとっての「遠くのスーパー」とは、

「未知の世界」の比喩(ひゆ)なのかもしれません。

 

まだ見たことのないもの。

まだ体験したことのないもの。

まだ味わったことのない感情。

 

そういうものすべてが、

私たちにとっての、

「遠くのスーパー」なのです。

 

では、いったい、

私たちはどうして、

その「遠く」に向かいたくなるのでしょうか。

 

それは、

現状に満足していないからでしょうか。

 

いいえ、

そうではないと思います。

 

むしろ、

今ある日常を、

もっと愛するために、

あえて遠くに行く必要があるのです。

 

自分の居場所を確かめるために、

あえて外に出てみる。

 

外の風に吹かれて、

自分の小ささを知る。

 

そして、

温かい自分の家に帰ってきたとき、

なんとも言えない安堵感(あんどかん)に包まれる。

 

「やっぱり、

我が家が一番だなぁ。」

 

そう思える瞬間を作るために、

私たちは、

少し遠くまで歩くのです。

 

今日の帰り道、

両手に持ったスーパーの袋はずっしりと重く、

腕が少し痛くなりました。

 

でも、

その重さが、

心地よかったのです。

 

自分が今日、

しっかりと歩いて、

自分の足で新しい空気を感じてきたという、

その証拠(しょうこ)だからです。

 

夕日が、

アスファルトの道を長く伸ばしていました。

 

影法師が、

トコトコと私と一緒に歩いています。

 

日常は、

いつだって、

私たちがどう見るかで、

その姿を変えていきます。

 

退屈な日常も、

見方を変えれば、

大冒険の舞台になるのです。

 

だから、

明日もまた、

いつもの道を歩くかもしれません。

 

でも、

心のどこかでは、

いつでも「遠くのスーパー」を探している。

 

そんなふうに、

生きていけたらいいなと思います。

 

人生とは、

遠くのスーパーへ向かう、

長い散歩のようなものなのかもしれません。

 

寄り道をしたり、

珍しいものを見つけて驚いたり、

少し疲れて休んだりしながら、

自分のペースで歩いていく。

 

そんなふうに、

一歩一歩、

進んでいきたいですね。

 

今日買った、

ちょっと変わったお菓子を、

今からお茶と一緒に食べるのが、

とても楽しみです。

 

本当に、

小さな幸せですが、

こういう瞬間を大切にしていきたいと思います。

 

皆さんも、

たまには、

いつもと違う道を通ってみてください。

 

いつもと違うスーパーに足を延ばしてみてください。

 

きっと、

何か新しい発見が、

あなたを待っているはずです。

 

それは、

大げさなことではなく、

でも、

あなたの心を少しだけ温めてくれる、

そんな小さな奇跡なのだと思います。

 

それでは、

今日はこのへんで。

 

また、

日々の何気ない出来事を、

書いていきたいと思います。

 

最後まで読んでいただき、

本当にありがとうございました。

ふと、

空を見上げてみると、

いつの間にか、

綺麗な夕焼けが広がっていました。

 

今日という一日が、

静かに終わろうとしています。

 

あんなに騒がしかった街も、

夜の帳(とばり)に包まれて、

少しずつ、

落ち着いた表情を取り戻していく。

 

そう考えると、

一日というのは、

本当にあっという間ですね。

 

朝、

目を覚ましたときは、

あんなに長く感じられた時間も、

こうして振り返ってみれば、

ほんの一瞬の出来事のように思えます。

 

では、

私たちは、

この限られた時間の中で、

いったい何を追い求めているのでしょうか?

 

お金でしょうか。

名誉でしょうか。

それとも、

誰かに認められることでしょうか。

 

もちろん、

それらも大切なことなのかもしれません。

 

でも、

本当に大切なものは、

もっと別のところにあるような気がしてなりません。

 

それは、

たとえば、

今さっき話したような、

「ちょっと変わったお菓子を食べる時間」だったりするのです。

 

誰に褒められるわけでもなく、

誰に自慢するわけでもない。

 

ただ、

自分が「美味しいな」と感じる、

その静かな瞬間。

 

その瞬間の中にこそ、

人生の本当の豊かさが、

隠されているのではないでしょうか。

 

ここで、

少しだけ、

話のスケールを大きくしてみたいと思います。

 

私たちは、

宇宙(うちゅう)という、

果てしない広がりの中に生きています。

 

地球(ちきゅう)という、

小さな青い星の上で、

それぞれが、

それぞれの人生を歩んでいる。

 

夜空を見上げれば、

何億光年も離れた星の光が、

今、

私たちの目に届いています。

 

信じられないほど遠い場所から届いた光が、

今、

私たちの網膜(もうまく)を刺激している。

 

そう思うと、

なんだか不思議な気持ちになりませんか。

 

私たちが、

今日、

いつもと違う道を通ったこと。

 

いつもと違うスーパーで、

珍しいお菓子を見つけたこと。

 

それらの出来事は、

すべて、

この広大な宇宙の歴史の中で、

奇跡的に起きたことなのです。

 

気の遠くなるような確率の積み重ねの上に、

今の自分という存在が成り立っている。

 

そう考えると、

日々の些細(ささい)な悩みなんて、

ほんのちっぽけなことに思えてきます。

 

「悩んでいる暇があったら、

美味しいお菓子を食べよう。」

 

そう思えてきませんか。

 

本当に、

人生は一度きりです。

 

明日、

何が起きるかなんて、

誰にもわかりません。

 

だからこそ、

今、

この瞬間を、

精一杯、

味わい尽くしたいのです。

 

遠くのスーパーへ向かう道すがら、

足元の石ころにつまずくこともあるでしょう。

 

突然の雨に降られて、

お気に入りの服が濡れてしまうこともあるかもしれない。

 

でも、

そんなときこそ、

思い出してほしいのです。

 

雨が降らなければ、

虹は出ない。

 

遠回りをしたからこそ、

出会えた景色がある。

 

人生のすべては、

無駄なことなど何一つなくて、

すべてが、

私たちを成長させるための、

大切なプロセスなのだと思います。

 

そう、

すべては繋(つな)がっているのです。

 

目の前の小さな幸せと、

果てしない宇宙の営みが、

一本の糸で結ばれている。

 

それを感じられたとき、

私たちの心の世界、

つまり、

境涯(きょうがい)は、

ぐっと広がっていくのです。

 

自分ひとりで生きているような気になっていても、

実は、

見えないところで、

たくさんのものに支えられている。

 

太陽の光に支えられ、

大地の恵みに支えられ、

周りの人たちの優しさに支えられて、

私たちは、

こうして生きている。

 

そう考えると、

感謝の気持ちが、

自然と湧き上がってきませんか。

 

「ありがとうございます。」

 

言葉に出して言ってみるだけで、

なんだか心が温かくなる。

 

不思議ですね。

 

言葉には、

それだけの力があるのです。

 

良い言葉を使えば、

良い現実を引き寄せる。

 

優しい言葉を使えば、

周りの人だけでなく、

自分自身の心も優しく包み込んでくれる。

 

だから、

日々の暮らしの中で、

できるだけたくさんの、

温かい言葉を使っていきたいですね。

 

「今日も一日、お疲れ様でした。」

 

自分自身に向けて、

そう声をかけてあげる。

 

それだけで、

今日という日が、

とても愛おしいものに変わっていく。

 

完璧な人間なんて、

どこにもいません。

 

みんな、

悩みながら、

迷いながら、

それでも一生懸命に生きている。

 

転んだっていい。

遠回りしたっていい。

 

立ち止まって、

空を見上げることができれば、

それだけで十分なのです。

 

私たちは、

いつだって、

新しく生まれ変わることができる。

 

昨日の自分とは違う、

今日の自分。

 

今日の自分とは違う、

明日の自分。

 

一歩一歩、

確実に、

私たちは前へ進んでいるのです。

 

だから、

焦る必要なんてありません。

 

あなたのペースで、

あなただけの道を、

歩いていけばいいのです。

 

時には、

地図を忘れて、

迷子になってみるのも面白いかもしれない。

 

思いがけない場所で、

思いがけない素敵な出会いが、

あなたを待っているかもしれませんから。

 

人生という名の、

果てしない冒険の旅。

 

その途中で、

また、

面白いものを見つけたら、

ここでシェアさせてくださいね。

 

あなたの毎日が、

たくさんの小さな奇跡と、

温かい笑顔で満たされますように。

 

心から、

そう願っています。

 

それでは、

本当に、

おやすみなさい。

 

また、

お会いしましょう。

 

先日、

久しぶりに、

ショッピングモールへ行きました。

 

本当に、

何気なく、

足を運んだのです。

 

休日の、

大きな、

ショッピングモールです。

 

たくさんの人が、

歩いていました。

 

家族連れや、

カップルや、

友だち同士が、

楽しそうにしていました。

 

活気がある、

空間でした。

 

これは、

単なる、

お出かけではありません。

 

人によっては、

週末の、

一大イベントだったりするのです。

 

では、

いったい、

そこで何があったのでしょうか。

 

実は、

ちょっとした、

事件が起きたのです。

 

少し、

話は変わりますが、

みなさんは、

普段どんなところで買い物をしますか。

 

スーパーだったり、

ネット通販だったり、

いろいろあると思います。

 

私も普段は、

近所のスーパーで済ませることが多いです。

 

だからこそ、

巨大なショッピングモールに行くと、

それだけで、

ちょっとした、

非日常感を味わえるのです。

 

キラキラした、

ショーウィンドウ。

 

美味しそうな、

匂いのするフードコート。

 

どこを見ても、

ワクワクします。

 

『楽園(らくえん)』

 

と言っても、

過言ではありません。

 

私は、

その楽園の中を、

ただ、

ぶらぶらと歩いていました。

 

特に、

買うものがあったわけではありません。

 

ただ、

ウィンドウショッピングを楽しんでいただけです。

 

洋服屋さんを覗いたり、

雑貨屋さんを見たりしていました。

 

可愛い小物が、

たくさんありました。

 

見ているだけで、

癒やされるような、

そんな空間です。

 

ここで、

一つ目の、

問題が発生しました。

 

それは、

『誘惑(ゆうわく)』

 

というものです。

 

あちこちに、

「セール開催中」の文字があります。

 

「今だけお買い得」

 

というポップが貼られています。

 

私は最初、

「今日は見るだけだから大丈夫」

そう思っていました。

 

固い決意を、

持っていたのです。

 

しかし、

人間の心というのは、

そんなに強いものではありません。

 

可愛いお皿を見つけました。

 

手頃な値段でした。

 

「これなら買ってもいいかもしれない」

 

そう思ってしまったのです。

 

それが、

終わりの始まりでした。

 

では、いったい、

何が起きたのでしょうか。

 

問題は、

『買い物の連鎖(れんさ)』

 

という現象です。

 

一つ買ってしまうと、

タガが外れてしまうのです。

 

「せっかく来たんだから」

 

「これくらい、いいよね」

 

そんな悪魔のささやきが、

頭の中に響き渡ります。

 

お皿を買いました。

 

次に、

美味しそうな焼き菓子を見つけました。

 

これも買いました。

 

さらに、

新しい春物の服を見つけました。

 

試着室に入っていました。

 

気がついたら、

両手にたくさんの、

紙袋を抱えていたのです。

 

これは、

スゴイことです!!

 

本当に、

あっという出来事でした。

 

さっきまでの、

「見るだけ」という決意は、

どこへ行ったのでしょうか。

 

消えてしまいました。

 

ようするに、

人間の意思の弱さを、

まざまざと見せつけられた、

ということです。

 

そう考えると、

ショッピングモールという場所は、

人間の欲望を刺激するように、

完璧に作られているのだと思います。

 

空間の広さも、

音楽も、

照明の明るさも、

すべてが計算し尽くされているのです。

 

私たちは、

その大きな仕組みの掌の上で、

踊らされているだけなのかもしれません。

 

少し、

大げさに聞こえるでしょうか。

 

でも、

本当にそう感じたのです。

 

たかが買い物。

 

されど買い物。

 

その小さな行動の裏には、

人間の心理や、

現代社会のシステムが、

凝縮されているのです。

 

ここで、

さらに話を広げてみたいと思います。

 

私たちは、

普段の生活の中で、

どれくらい自分の意志で、

行動しているでしょうか。

 

「自分で選んでいる」

 

そう思っていることの多くが、

実は、

誰かに用意された選択肢の中での、

出来事だったりするのです。

 

ショッピングモールでの買い物も、

まさにそれと同じです。

 

「これが欲しい」と思って買ったはずのものが、

実は、

お店の雰囲気や、

巧みな演出によって、

「買わされていた」としたら。

 

そう考えると、

ちょっと恐ろしい気もします。

 

でも同時に、

非常に面白いとも思います。

 

人間の心理というのは、

本当に、

繊細で、

脆(もろ)いものです。

 

ちょっとしたきっかけで、

簡単に変わってしまいます。

 

だからこそ、

面白いのです。

 

では、いったい、

私たちはどうすればいいのでしょうか。

 

すべてを疑って、

何も買わないように生きるべきなのでしょうか。

 

それは、

ちょっと違います。

 

そんな窮屈な生き方は、

楽しくありません。

 

大切なのは、

自分が今、

どういう状態にあるのかを、

自覚することなのだと思います。

 

「あ、今自分は雰囲気に流されているな」

 

そう気づくだけで、

景色が変わって見えます。

 

今回の私は、

完全に流されていました。

 

両手いっぱいの紙袋を抱えて、

反省しました。

 

でも、

不思議と、

嫌な気持ちはしませんでした。

 

むしろ、

清々(すがすが)しい気持ちだったのです。

 

なぜなら、

買ったものたちは、

どれもお気に入りで、

これからの生活を豊かにしてくれるものだからです。

 

お皿は毎日の食事を楽しくしてくれるし、

お菓子は疲れた体を癒やしてくれるし、

洋服は明日からの出勤をワクワクさせてくれます。

 

そう考えると、

あの散財も、

決して無駄ではなかったのです。

 

むしろ、

必要な投資だったと、

言うこともできるかもしれません。

 

人生には、

こういう「予定外の寄り道」が、

必要なのです。

 

計画通りにいかないからこそ、

面白い。

 

思いがけない出会いがあるからこそ、

毎日が彩られる。

 

ショッピングモールでの失敗は、

私にそんなことを教えてくれました。

 

これは、

スゴイ気づきです!!

 

ただの買い物が、

人生の教訓に変わった瞬間でした。

 

大げさだと思うかもしれません。

 

でも、

日常の些細な出来事の中にこそ、

大きな真理が隠されているのです。

 

そう考えると、

私たちの毎日は、

驚きと発見に満ちあふれています。

 

どこにでもありふれた休日のひとときが、

自分だけの特別な物語に変わるのです。

 

だからこそ、

目の前の出来事を、

ただやり過ごすのではなく、

面白がることが大切なのです。

 

次にショッピングモールに行くときは、

どんな誘惑が待っているでしょうか。

 

今度こそ、

誘惑に負けないようにしよう。

 

そう心に誓いつつも、

内心、

また同じことを繰り返す気がしています。

 

人間は、

そう簡単には変われません。

 

それでいいのです。

 

完璧じゃなくていい。

 

少し失敗して、

反省して、

また笑って。

 

そんな日々を、

これからも送っていきたいと思います。

 

久しぶりに行ったショッピングモールは、

私の財布を軽くしましたが、

心はしっかりと満たしてくれました。

 

本当に、

行ってよかったなと思います。

 

みなさんも、

次の休日には、

ちょっと大きなショッピングモールに足を向けてみてはいかがでしょうか。

 

思わぬ自分の一面や、

新しい発見に出会えるかもしれません。

 

そこには、

想像以上のドラマが待っているのです。

 

私の、

ちょっとした休日の出来事でした。

 

また何か面白いことがあったら、

ここで報告したいと思います。

 

それでは、

今回はこの辺で・・

ふと、

そんなことを考えていると、

なんだか世界が少しだけ違って見えてきます。

 

いつも歩いている道も、

毎日乗る電車も、

ただの移動手段ではありません。

 

そこには、

たくさんの人の工夫や、

願いや、

ドラマが詰まっているのです。

 

たとえば、

駅のホームにある売店を思い出してみてください。

 

小さな売店です。

 

お菓子や飲み物が、

ぎっしりと並んでいます。

 

あれも、

じつによく考えられています。

 

ついつい手が伸びてしまう位置に、

新商品が置いてある。

 

レジの横には、

小さなチョコレートが控えている。

 

これは、

偶然ではありません。

 

人の心理を徹底的に研究した結果なのです。

 

そう考えると、

私たちは、

見えない蜘蛛の巣のなかを歩いているようなものです。

 

どこを歩いても、

誰かの仕掛けた罠がある。

 

罠、

というと少し聞こえが悪いかもしれません。

 

でも、

それは優しい罠なのです。

 

私たちの退屈を紛らわせ、

少しだけワクワクさせてくれる罠なのです。

 

では、

いったい、

なぜそんな罠が必要なのでしょうか。

 

それは、

人間が退屈に耐えられない生き物だからです。

 

何も起きない日常は平和ですが、

あまりに続くと、

心が乾いてしまいます。

 

だからこそ、

私たちは刺激を求める。

 

新しいものを見たい。

面白い体験をしたい。

 

そう願う生き物なのです。

 

ショッピングモールの仕掛けも、

駅の売店の工夫も、

すべてはその願いに応えるためのものです。

 

そう思うと、

世界の見え方がガラリと変わります。

 

世界は、

優しさで満ちている。

 

商売の裏側にある、

人間の知恵や情熱が、

いたるところに見えてくるのです。

 

これは、

スゴイことです!!

 

私たちは、

ただ生きているのではありません。

 

誰かが作った物語のなかで、

主人公として生きているのです。

 

もちろん、

時にはお金を使いすぎて後悔することもあります。

 

ダイエット中なのに、

ケーキを食べてしまうこともあります。

 

でも、

それも含めて人生です。

 

完璧な人間なんていません。

 

誘惑に負けて、

失敗して、

笑って、

また進んでいく。

 

その繰り返しこそが、

人間らしさなのだと思います。

 

そう考えると、

自分の弱ささえも愛おしくなってきます。

 

少し、

話は大きくなりますが、

これは宇宙の仕組みにも似ているかもしれません。

 

宇宙は、

すべてが完璧に秩序立っているわけではありません。

 

星がぶつかり合ったり、

新しい星が生まれたり、

混沌と秩序が入り混じっています。

 

私たちの心も同じです。

 

理性と本能がぶつかり合い、

葛藤しながらも、

バランスをとっている。

 

その揺らぎのなかにこそ、

生命の輝きがあるのです。

 

だから、

完璧を目指さなくていい。

 

もっと気楽に、

もっと面白がって生きればいいのです。

 

次に何か誘惑に出会ったら、

こう思ってみてください。

 

「おっ、

また私を引っ掛けようとしているな」

 

と。

 

そうやって、

自分の心を客観的に眺めてみる。

 

それだけで、

日常が少しだけユーモアに満ちたものに変わります。

 

人生は、

壮大な実験場です。

 

自分がどう動くか、

どう誘惑に負けるか、

それを観察するだけでも、

十分に面白い。

 

難しく考える必要はありません。

 

目の前にある小さな出来事を、

ただ味わう。

 

ただ楽しむ。

 

それだけで、

人生は豊かなものになっていくのです。

 

今回のショッピングモールの一件で、

私はそんなことを学びました。

 

大げさなように聞こえるかもしれませんが、

日常のなかにこそ、

真理が隠されているのです。

 

さて、

そろそろお茶でも淹れようかと思います。

 

マグカップは、

先日一目惚れして買ったお気に入りのものです。

 

お湯を沸かす音を聞きながら、

今日の出来事を振り返る。

 

そんな何気ない時間が、

私はとても好きです。

 

みなさんも、

今日という日を、

どうか面白がってみてください。

 

きっと、

思いがけないドラマが、

すぐそばで待っているはずですから・・

湯気立つマグカップを、

両手でそっと包み込む。

 

ふわりと立ち上る香りに、

心の力がふっと抜けていくのを感じます。

 

あたたかい。

 

ただそれだけのことが、

こんなにも愛おしく思える。

 

不思議ですね。

 

さっきまで、

あんなに大きなテーマについて考えていたのに。

 

宇宙の真理だとか、

人間の心だとか、

そんな大げさなことよりも今は、

 

目の前にある一杯のお茶が、

何よりも尊いものに感じられる。

 

でも、

実は、

それこそが答えなのだと思います。

 

遠くにある幸せを追いかけることではなくて。

 

特別な何かを手に入れることでもなくて。

 

今、

この瞬間を、

ただ味わうこと。

 

そこに気づけたとき、

私たちの世界は、

一瞬で色鮮やかなものに変わります。

 

世界が変わったわけではありません。

 

見ている自分が、

少しだけ変わったのです。

 

そう考えると、

人生とは、

本当にシンプルなものなのかもしれません。

 

複雑にしているのは、

いつだって私たち自身の心だから。

 

だから、

明日もきっと、

色々な誘惑や、

迷いに出会うことでしょう。

 

でも、

もう大丈夫です。

 

「おっ、

また始まったな」

 

と、

心の中で笑えばいい。

 

そして、

あたたかいお茶を一口飲んで、

また自分の足で歩き出す。

 

それだけでいいのです。

 

さあ、

そろそろお茶が冷めてしまいますね。

 

みなさんも、

お気に入りの一杯を片手に、

ご自身の物語を、

今日も存分に楽しんでください・・