休日の朝って、なんだか少しだけ時間がゆっくり流れているような、そんな気がしますよね。
みなさんは、どんな朝を過ごされているでしょうか。
私はといえば、
せっかくのお休みだからと、
少しだけ早起きをしてみたんです。
朝の静かな空気の中で、
キッチンドアを開ける。
この瞬間が、
私はけっこう好きだったりします。
そして、
今日の朝ごはんはどうしようかなと考えました。
冷凍庫には、
いつ買ったのか忘れかけた小さなパックがある。
そう、
『納豆』です。
こういうのって、
冷蔵庫の奥から出てくると、
なんだかちょっと嬉しくなりますよね。
せっかくなので、
今朝はしっかりと味わって食べようと思いました。
ここで、
ちょっとしたこだわりが出てしまうのが、
私の悪い癖です。
ただパックを開けて、
醤油をかけて、
パパッと混ぜて終わりにする。
それでも、
もちろん美味しいのですが。
なんとなく、
今日の私は違ったのです。
より美味しく食べたい。
そう思った私は、
驚くべき行動に出ました。
『究極の納豆』を作ろうとしたのです。
では、
いったいどうしたのか。
ひたすら、
混ぜる。
ただひたすらに、
混ぜ続ける。
それだけのことです。
でも、
これが思いのほか、
奥が深いというか。
パッケージの裏を見ると、
百回混ぜると美味しい、
なんて書いてあったりしますよね。
百回。
数字だけ聞くと、
大したことないように思えます。
一日の中の、
ほんのわずかな時間です。
でも、
実際にやってみると、
これが想像を絶する過酷さだったりするのです。
私は、
お気に入りのマグカップでお茶を飲みながら、
まずは軽い気持ちで箸を動かしました。
くるくると、
円を描くように。
一回、
二回、
三回。
はじめのうちは、
余裕があります。
お茶を一口飲んで、
テレビのニュースをチラッと見たりして。
順調な滑り出しです。
三十回を過ぎたあたりから、
少しずつ変化が訪れます。
豆が空気を含んで、
ふんわりとしてくる。
色も、
少しずつ白っぽくなってくる。
『粘り』という名の、
見えない抵抗が始まるのです。
これは、
ただの混ぜ作業ではありません。
『納豆との格闘』です。
そう、
思わずにはいられませんでした。
五十回を超えたあたりで、
早くも息が切れ始めます。
あれ?
こんなに重かったっけ?
箸を持つ右手に、
じんわりと負荷がかかってくるのが分かります。
ここで、
引き返せばよかったのかもしれません。
でも、
変なプライドが邪魔をするのです。
途中でやめたら、
これまでの五十回が無駄になってしまう。
美味しい納豆を食べたいという、
純粋な願い。
それがいつの間にか、
『絶対に完璧に混ぜてやる』という、
謎の使命感に変わっていく。
人間って、
不思議なものですね。
些細なことでも、
一度スイッチが入ると、
止まらなくなってしまう。
七十回。
腕の筋肉が、
悲鳴を上げ始めました。
ピクピクと、
二の腕のあたりが痙攣しているような気がします。
大げさではなく、
本当にそんな感じなんです。
ここで、
少し、話しは変わりますが、
ふと思ったことがあります。
私たちは普段、
色々なことを簡単にやり過ごしていますよね。
ボタン一つで家電が動き、
スマホをタップすれば何でも届く。
そんな便利な世の中に、
すっかり慣れきってしまっている。
だからこそ、
こういうアナログな労働、
それも極めて個人的で生産性のない労働に直面したとき、
ものすごく戸惑ってしまうのではないでしょうか。
話をもとに戻しましょう。
いよいよ、
最後の関門です。
八十回。
九十回。
そして、
運命の百回目。
ふう、と息をつきながら、
ようやく箸を止めました。
目の前には、
信じられないほど泡立った、
完璧な納豆が鎮座していました。
まるでメレンゲのような、
フワフワの白い泡。
ここまでくると、
芸術品と言っても過言ではありません。
私は、
達成感に包まれながら、
その特製納豆をほかほかのご飯に乗せました。
そして、
一口食べてみたんです。
口に入れた瞬間、
驚きました。
これは、
いつもの納豆ではありません。
豆の旨味が閉じ込められていて、
口当たりが驚くほど滑らかで、
まるで、
高級なデザートを食べているかのような、
そんな錯覚に陥るほどでした。
苦労した分だけ、
美味しさも何倍にも膨れ上がっている。
そういう意味では、
あの過酷な労働も、
無駄ではなかったのかもしれません。
人間、
たまには汗をかくことも大事なんだなと、
妙に納得してしまいました。
もちろん、
その代償は小さくありませんでした。
朝食を食べ終わったあと、
私の右腕は完全に使い物にならなくなっていました。
マグカップを持ち上げようとしても、
プルプルと震えて、
うまく支えられない。
洗濯物を干すのにも、
いつもより倍以上の時間がかかりました。
たかが納豆。
されど納豆。
こういうのって、
やってみないと分からないものですよね。
みなさんは、
朝のルーティンで、
ちょっとこだわりすぎて失敗したこと、ありませんか。
効率ばかりを求める毎日に、
あえてこんな無駄な時間を挟んでみるのも、
案外悪くないのかもしれません。
でも、
腕の筋肉痛が治るまでは、
しばらく普通の混ぜ方にしようと心に誓いました。
明日の朝は、
もっと優しく、
平和な朝食にしたいなと思います。
少し、
話は変わりますが、
みなさんは、
普段の生活の中で、
『小さなルーティン』
を持っていますでしょうか。
朝起きて、
お白湯を飲む。
夜寝る前に、
軽くストレッチをする。
そういう、
誰に見せるわけでもない、
自分だけの小さな習慣。
こういうのって、
なんとなく心が落ち着いたりしますよね。
私の場合は、
毎日のコーヒータイムが、
まさにそれでした。
朝のバタバタした時間が一段落して、
ようやくひと息つける瞬間。
お気に入りのマグカップに、
お湯をゆっくりと注ぐ。
立ち上る湯気とともに、
ふわっと広がる香ばしい匂い。
それだけで、
「今日も一日、頑張ろうかな」
そんな気持ちになれたりするのです。
でも、
ふと思うことがあります。
この、
「当たり前になったルーティン」
って、
本当に自分の意志で選んでいるのでしょうか。
それとも、
ただの惰性(だせい)になっているだけなのでしょうか。
もちろん、
毎日のルーティンは、
生活をスムーズにしてくれます。
余計なことを考えなくても体が動くから、
朝の忙しい時間には、
本当に助かりますよね。
いわば、
『オートモード』
のようなものです。
でも、
そのオートモードが長すぎると、
なんだか世界が少しだけ色褪せて見える気がするのは、
私だけでしょうか。
毎日の景色が、
同じに見えてしまう。
新しい発見が、
だんだんなくなっていく。
そういうのって、
ちょっともったいないなと思うのです。
せっかく生きているのだから、
もう少し、
目の前のことに対して敏感でありたい。
そう、
あの納豆を一生懸命混ぜていたときのように。
効率よく生きることは、
素晴らしいことです。
時間通りに動いて、
やるべきことをきちんと片付けて、
無駄なストレスを減らす。
現代人にとって、
それは生き抜くための知恵でもあります。
でも、
たまにはその効率の良さを、
ちょっとだけ手放してみる。
あえて遠回りをしてみる。
そういう時間の中にこそ、
本当の意味での贅沢(ぜいたく)が隠されているのかもしれません。
たとえば、
お休みの日に、
わざわざ遠くのパン屋さんまで歩いて行ってみたりする。
近くのスーパーでも買えるのに、
わざわざ時間をかけて、
お気に入りの一斤を買いに行く。
帰ってくる頃には、
足が少し疲れていたりするけれど。
でも、
その道中で見つけた、
小さな野の花の可愛さに気づけたりする。
「あ、もう春なんだな」
そんな季節の移ろいに、
ふと感動できたりする。
そういうのって、
効率だけを求めていたら、
絶対にスルーしてしまうことなんですよね。
そう考えると、
人生における『無駄』や『遠回り』というのは、
決して悪いものではない気がします。
むしろ、
人生を豊かにするための、
大切なスパイスなのかもしれません。
では、いったい、
私たちはどうやってそのスパイスを、
日々の生活に取り入れたらいいのでしょうか。
何も、
毎朝四百回も納豆を混ぜる必要はありません。
あれは、正直かなり大変でしたから。
もっと小さなことでいいのだと思います。
いつもの通勤ルートで、
一歩だけ違う道を歩いてみる。
いつもは聴かないジャンルの音楽を、
イヤホンから流してみる。
夕飯のメニューを、
冷蔵庫の残り物でちょっとだけ冒険してみる。
そんな、
ほんの些細(ささい)な変化で十分なのです。
日常のなかに、
ほんの少しだけ『ゆらぎ』を作ってみる。
それだけで、
凝り固まっていた頭や心が、
ふっと軽くなるのを感じます。
人間って、
不思議なものですね。
少しだけ予測がつかないことがあると、
急にワクワクしだしたりする。
子供の頃、
初めての道を歩くときのように、
胸が少しだけ高鳴る。
大人になると、
そういうドキドキする感覚を、
どこかに置き忘れてきてしまいがちです。
「失敗したらどうしよう」
「効率が悪いのは嫌だな」
そんな大人の理性が、
私たちの冒険心をそっと抑え込んでしまう。
でも、たまには、
その理性にお休みをあげてもいいのではないでしょうか。
失敗したって、
笑い話にすればいいんです。
右腕が筋肉痛になったって、
美味しい朝ごはんが食べられたなら、
それはそれで大成功なのだから。
そういえば、
先週末のことなのですが、
近所の公園を少しだけ散歩してみました。
いつもは素通りしてしまう、
小さな池のほとり。
そこに、
一羽の白鷺(しらさぎ)がじっと立っていたんです。
都市部の、
しかも小さな公園なのに、
なんだかとても神聖な空気が漂っていて。
私は思わず、
その場に立ち止まってしまいました。
風の音と、
水面のゆらめき。
その光景を見ているだけで、
日々の忙しさでカサカサになっていた心が、
じんわりと潤っていくような気がしました。
もし、
いつものようにスマホを見ながら、
急ぎ足で通り過ぎていたら、
絶対に気づかなかった景色です。
「あぁ、生きてるなぁ」
なんて、
ちょっと大げさかもしれませんが、
心からそう思いました。
こういう瞬間に出会えるから、
お散歩はやめられないんですよね。
特別な旅行じゃなくてもいい。
遠くに行かなくてもいい。
自分の足で歩ける範囲の中に、
まだまだ知らない素敵な世界がたくさん眠っている。
そう思うと、
明日からの毎日が、
ほんの少しだけ楽しみになってきます。
もちろん、
月曜日になれば、
また仕事や家事に追われる日々が始まります。
朝はバタバタと慌ただしく支度をして、
電車の時間に間に合うように小走りになって、
ため息をつきたくなることもあるでしょう。
でも、そんなときでも、
あの白鷺の姿を思い出したり、
朝の納豆の香ばしさを思い出したりする。
それだけで、
心のなかに、
ふっと温かい風が吹くような気がするのです。
効率的なだけの人生なんて、
きっと味気ない。
少し不器用で、
少し遠回りばかりしてしまうけれど、
自分の五感をフルに使って生きる。
そういう丁寧な暮らしを、
これからも大切にしていきたいなと思います。
さて、
そろそろ夕飯の支度を始めないといけない時間ですね。
今日の冷蔵庫には、
昨日スーパーで見つけた、
ちょっと変わったお野菜が入っています。
名前は忘れちゃったのですが、
店員さんが「こうやって食べると美味しいですよ」と教えてくれたもの。
どんな味付けにしようかな。
うまくいくだろうか。
ちょっとドキドキするけれど、
失敗したって、それもまた思い出。
今夜は、
そんな小さな冒険を楽しんでみようと思います。
みなさんも、
今夜の食卓に、
ちょっとした『遊び心』を添えてみてはいかがでしょうか。
きっと、
いつもとは違う素敵な夜が、
あなたを待っているはずです。
そういえば、
料理といえば、
思い出すことがあります。
先日、
ずっと気になっていた小さな器を、
思い切って買ってみたんです。
それは、
地元の職人さんが作ったという、
ちょっといびつな形をしたお茶碗でした。
量産品みたいに、
きれいに揃っているわけではありません。
むしろ、
少し歪んでいたり、
釉薬(ゆうやく)の塗りムラがあったりする。
でも、
それを手にとったとき、
なぜだかすごく心惹かれたんです。
こういうのって、
やっぱりいいですよね。
完璧なものよりも、
どこか人間らしさの残るものに、
惹かれてしまう。
では、いったい、
私たちはなぜそういうものに心惹かれるのでしょうか。
問題は、
そこなのかなと思います。
実は、
そこには理由があるのです。
そう考えると、
私たちが日常で求めているものって、
実はとてもシンプルなことなのかもしれません。
効率とか、
便利さとか、
そういうものから少し離れてみる。
そして、
自分の目で見て、
手で触れて、
心が動く瞬間を大切にする。
そういう時間って、
思った以上に、
私たちの生活を豊かにしてくれるんですよね。
朝の白鷺もそうでした。
納豆の香りもそうです。
いびつなお茶碗も、そう。
どれも、
特別で贅沢なものじゃないけれど、
自分の五感にしっかり引っかかってくる。
そういう小さな引っかかりを、
見逃さずに拾っていく。
それが、
自分らしい暮らしをつくる、
一番の近道なのかもしれません。
さて、
本当にそろそろ、
夕飯の支度を始めないと間に合わなくなってしまいますね。
台所に立つと、
窓から入ってくる風が、
少しだけひんやりと感じられます。
季節は、
着実に進んでいるんだな。
そんなことを思いながら、
今日の台所仕事を、
ゆっくり楽しもうと思います。
みなさんの今夜は、
どんな時間になるでしょうか。
温かいお茶でも飲みながら、
今日一日を、
やさしく振り返ってみる。
そんな夜も、
たまにはいいものですよね。
また今度、
私が出会った小さな素敵を、
ここでこっそりお話しさせてくださいね。