今日、
お昼ごはんに、
マクドナルドを食べたんです。
たまに、
無性に食べたくなる時って、
ありませんか。
あの、
ポテトの匂いとか。
あの、
炭酸と一緒に流し込む瞬間とか。
本当に、
たまらない魅力がありますよね。
でも、
そのあとが、
問題なんです。
オフィスに戻ったあと、
ものすごい睡魔に襲われてしまいました。
パソコンの画面を見ているのに、
文字が二重に見えるんです。
まぶたが、
どうしようもなく重い。
これは、
単なる睡眠不足なのでしょうか。
それとも、
何か別の理由があるのでしょうか。
少し、
考えてみたいと思います。
例えば、
お腹いっぱいご飯を食べたとき。
私たちは、
自然と眠くなりますよね。
いわゆる、
「満腹感」というものです。
お腹が満たされると、
体はリラックスモードに入ります。
消化活動のために、
血液が胃腸に集中するからです。
脳に行く血液が減ってしまう。
だから、
頭がぼーっとする。
これは、
ごく自然な体の仕組みです。
では、
マックを食べたあとの眠気は、
それと同じなのでしょうか。
もちろん、
お腹いっぱい食べたという事実も、
あります。
でも、
それだけではないような気がするのです。
もっと、
強烈な何かが、
そこには潜んでいる。
そう感じるのは、
私だけでしょうか。
ここで、
少し視点を変えてみます。
あのハンバーガーやポテトには、
たくさんの「糖質(とうしつ)」や「脂質(ししつ)」が含まれています。
食べた瞬間、
口の中に広がる、
あの美味しさ。
あれは、
エネルギーの塊なんです。
それを体に入れたとき、
何が起きるのでしょうか。
血糖値(けっとうち)という言葉を、
聞いたことがあると思います。
血液の中の糖分の量のことです。
甘いものや炭水化物を急激に摂ると、
この血糖値が、
一気に跳ね上がります。
ジェットコースターのように、
グーンと上がる。
体は、
「大変だ!」と慌てます。
上がりすぎた血糖値を下げようとして、
今度はインスリンというホルモンを、
大量に分泌するんです。
下げるためのホルモンです。
すると、
どうなるでしょうか。
今度は逆に、
血糖値が急降下します。
急上昇からの、
急降下。
この乱高下こそが、
あの猛烈な眠気の正体なのではないかと、
私は思うのです。
体の中のジェットコースターが、
急降下した瞬間。
私たちの脳は、
エネルギー不足だと勘違いします。
「もう動けません」
「休んでください」
そう言って、
強制的に電源を落とそうとする。
それが、
あの午後の睡魔なのだということです。
そう考えると、
あの眠気は、
体からの大切なメッセージなのかもしれません。
「ちょっと、糖分が多すぎましたよ」
「少し、休みましょうね」
体が、
一生懸命に教えてくれている。
そう捉えることも、
できるわけです。
でも、
ここで一つの疑問が浮かびます。
なぜ、
私たちは分かっていながら、
また食べてしまうのでしょうか。
知っているのに、
またマックに行ってしまう。
週末になると、
あの赤い看板に吸い寄せられてしまう。
いったい、
何が起きているのでしょうか。
これは、
単なる「食欲」の話なのでしょうか。
それとも、
もっと深い「人間の本能」に関わる話なのでしょうか。
少し、
話しは変わりますが。
私たちは日々、
たくさんの情報やプレッシャーの中で生きています。
仕事のこと、
将来のこと、
人間関係のこと。
常に頭をフル回転させて、
気を張っている。
そんな状態のとき、
体はどこかで「安心」を求めているのではないでしょうか。
何も考えずに、
ただただジャンクなものを食べる。
ガツンとくる味を、
五感で受け止める。
それは、
日常のストレスから一瞬逃避するための、
最高の方法なのだと思うのです。
マックを食べるという行為は、
単にカロリーを摂取することではありません。
それは、
心の緊張をほどくための、
小さな儀式のようなものなのかもしれません。
そう、
「現代人のシェルター」と言ってもいい。
少し大げさでしょうか。
でも、
本当にそう思うのです。
あの甘くてしょっぱい味の中に、
私たちは日常の重荷を一時的に忘れる。
だからこそ、
食べたあとにドッと疲れが出る。
心が緩んだ分だけ、
体も正直に反応してしまう。
そう考えると、
午後のあのどうしようもない眠気さえも、
なんだか愛おしく思えてきます。
いや、
仕事中なので困るんですけどね。
本当に、
猛烈に眠いんですから。
でも、
その眠気を受け入れたとき、
私たちは少しだけ優しくなれる。
かもしれない。
午後の静かなオフィスで、
必殺の睡魔と戦いながら、
そんなことを考えていました。
明日もまた、
お昼に何を食べようか悩むのでしょう。
そしてきっと、
また同じように眠くなる。
人間の歴史は、
もしかしたら、
こうした「食後の睡魔」の歴史でもあるのかもしれません。
大げさですね。
でも、
日々の生活の中にある、
こういう小さな「なぜ?」を考えてみるのは、
とても面白いことだと思います。
みなさんは、
午後の眠気とどう向き合っていますか。
こっそり教えてほしいものです。
少し、話は変わりますが、
私たちは普段、
時間に追われて生きている。
そうではないでしょうか。
朝起きて、
時計を見て、
満員電車に揺られて、
会社に滑り込む。
やるべきことに追われて、
あっという間に一日が終わる。
まさに、
秒単位のスケジュールです。
ここで、
ちょっと想像してみてください。
もし、
その時計がすべて止まったら、
どうなるでしょうか。
世界中の時計が、
一斉に動きを止める。
スマートフォンも、
パソコンの画面も、
駅のホームの電光掲示板も、
すべて消えてしまう。
時計のない世界。
時間は、
どこへ行ってしまうのでしょうか。
私たちは、
何を手がかりにして生きればいいのでしょうか。
実は、
時計がなかった時代、
人間はもっと違う基準で生きていました。
太陽が昇れば起きる。
お腹が空いたら食べる。
日が沈めば眠る。
そういう、
自然の大きなリズムの中に身を置いていた。
それは、
今よりもずっと自由な時間だったのかもしれません。
でも、
現代の私たちはどうでしょう。
時計という機械(きかい)に、
完全に支配されている。
何時に起きて、
何時に食べて、
何時に寝る。
私たちは、
時間の「囚人(しゅうじん)」になっている。
そう言っても、
過言ではないはずです。
では、
いったい、
なぜ私たちはそんなにも時間に縛られるようになったのでしょうか。
それは、
効率よく生きるためです。
たくさん仕事をして、
たくさん生産して、
たくさん消費する。
そのために、
時間は細かく区切られなければならなかった。
一分一秒を無駄にしてはいけない。
そんなプレッシャーの中で、
私たちは毎日を走っている。
だからこそ、
さきほど話した「食後の睡魔」が、
あんなにも強烈に襲ってくるのです。
あれは、
体からの警告なのかもしれません。
「おい、ちょっと待て」
「そんなに急ぐなよ」
「立ち止まって、
息をしろよ」
体は、
ちゃんと知っているのです。
時計の針を無視して、
ただボーッとする時間の尊さを。
自然の摂理(せつり)の心地よさを。
そう考えると、
私たちの毎日の生活は、
少し不自然なのかもしれません。
便利になったけれど、
忙しすぎる。
豊かになったけれど、
余裕がない。
本当に、
これでいいのでしょうか。
ふと、
そんな疑問が頭をよぎります。
でも、
だからといって、
今さら会社を辞めて山奥で暮らすわけにもいかない。
それは、
現実的ではありませんよね。
では、
どうしたらいいのでしょうか。
時計を捨てることはできなくても、
心の中の時計のネジを、
少しだけ緩めることはできるかもしれない。
そう、
意識的に「時計から降りる」時間を作るのです。
たとえば、
お昼休みの十五分間。
スマートフォンの画面を見るのをやめて、
ただ窓の外の空を見上げてみる。
あるいは、
淹(い)れたてのコーヒーの香りを、
ただボーッと楽しんでみる。
それだけのことで、
世界はまったく違って見えてくる。
流れるスピードが、
ふっと緩やかになる。
時間は、
時計の数字だけではないということに気づく。
時間は、
自分の心の中で感じ取るものなのだと気づく。
それは、
とても小さな変化かもしれません。
でも、
その小さな変化が、
私たちの人生を大きく変えていく。
そう、
思えるのです。
時間に追われる人生から、
時間を味わう人生へ。
忙しい日々の中に、
自分だけの「隙間」を見つける。
それができたら、
どんなに素晴らしいことでしょうか。
きっと、
午後の眠気さえも、
敵ではなく、
良き相棒に思えてくるはずです。
「お疲れ様」
そう言って、
そっと肩を叩いてくれる存在になる。
そう考えると、
私たちの日常も、
なかなか捨てたものではありません。
見方を変えるだけで、
世界は優しく色づき始める。
だから、
明日もまた、
会社に行きます。
時計の針は、
相変わらずカチカチと音を立てて進むでしょう。
でも、
その針の隙間で、
私は私なりの時間を生きる。
そう心に決めるのです。
さて、
そろそろ仕事に戻らなければなりません。
現実の時間が、
私を呼び戻しに来ました。
でも、
大丈夫です。
心の中の時計は、
今、
少しだけゆっくりと動いている気がするから。
みなさんも、
次の休憩時間には、
ぜひ時計の針から目を離してみてください。
そこには、
きっと新しい時間が流れているはずです。
それでは、
また。
パソコンの画面に目を戻すと、
さっきまでカチカチとせわしなく動いていたはずのカーソルが、
なんだか少し、
のんびりと点滅しているように見えます。
気のせいでしょうか。
それとも、
私の目のピントが変わったからでしょうか。
実は、
こういう小さな変化こそが、
私たちの日常を大きく変えるきっかけだったりするのです。
ここで、
少し、話しは変わりますが、
みなさんは「散歩(さんぽ)」をすることはあるでしょうか。
目的地を決めず、
ただ気の向くままに歩く。
お気に入りのスニーカーを履いて、
ただ足を前に出す。
それだけの、
ごく当たり前の行動です。
では、いったい、
その散歩に、
どんな意味があるのでしょうか。
ただカロリーを消費するためでしょうか。
運動不足を解消するためでしょうか。
もちろん、
それもあるかもしれません。
けれど、
それだけではないのです。
歩くという行為(こうい)を通じて、
私たちは、
自分の内側にある世界と、
外側にある世界を、
ゆっくりと繋(つな)ぎ直している。
そう言うこともできるのです。
歩いていると、
ふと、
道の端に咲いている小さな花が目に入ります。
アスファルトの隙間から、
力強く芽を出している雑草(ざっそう)を見つけます。
普段の通勤電車の中では、
決して気づくことのできなかった景色です。
あんなに急いで歩いていた時には、
ただの「背景」にしか見えなかったものが、
ハッキリと「色彩(しきさい)」を持って立ち上がってくる。
これは、
とても不思議な現象です。
時間は同じように流れているはずなのに、
自分の心の状態が変わるだけで、
世界がまったく違った顔を見せる。
そう、
世界が変わったのではありません。
変わったのは、
私たちの「見方(みかた)」なのです。
ここで、
思い出すことがあります。
かつて、
ある哲学者(てつがしゃ)は、
「人間は考える葦(あし)」だと言いました。
風に吹かれれば、
簡単に折れてしまうほど、
弱くて、
頼りない存在。
それが、
私たち人間という生き物です。
強いわけでもなく、
完璧なわけでもない。
いつも悩み、
いつも時間に追われ、
時には、
自分の小ささに絶望してしまう。
そんな、
どうしようもない存在です。
けれど、
だからこそ、
面白い。
だからこそ、
美しいのです。
風に揺られながらも、
必死に空を見上げる。
その姿の中にこそ、
人間の本当の価値があるのではないでしょうか。
効率よく生きること。
失敗せずに進むこと。
人より優れていること。
そんなものばかりを求め続けて、
私たちは、
大切な何かを置き忘れてきてしまったのかもしれません。
時間を管理するつもりが、
いつの間にか、
時間に管理されている。
便利になればなるほど、
心に余裕がなくなっていく。
そんな矛盾(むじゅん)を抱えながら、
私たちは、
今日もこうして生きているのです。
では、いったい、
どうしたらいいのでしょうか。
すべてを投げ出して、
山奥の寺にでもこもるべきなのでしょうか。
仕事もスマホも捨てて、
仙人のような生活を送るべきなのでしょうか。
もちろん、
そんな極端なことをする必要はありません。
そんなことをしなくても、
私たちは、
今この瞬間から、
自分の時間を取り戻すことができるのです。
それは、
ほんの少し、
立ち止まること。
ほんの数秒間、
深呼吸をすること。
それだけでいいのです。
たとえば、
今、
この記事を読んでいるスマホやパソコンの画面から、
少しだけ目を離してみる。
窓の外を見てみる。
遠くの空に浮かんでいる雲を、
ぼんやりと眺めてみる。
ただ、
それだけのことです。
それだけで、
世界はふっと、
優しさを取り戻す。
ギスギスしていた心が、
ほんのりと温かくなっていく。
自分という存在が、
大きな宇宙の中に、
そっと包み込まれているような感覚。
そんな感覚を、
思い出すことができるのです。
これは、
スゴイことです!!
お金をかけなくても、
特別な才能がなくても、
誰にでも、
今すぐできることなのです。
そう考えると、
私たちの人生も、
捨てたものではありません。
いや、
捨てたものではないどころか、
あまりにも豊かで、
あまりにも美しいものなのだと気づくのです。
朝のコーヒーの香り。
昼下がりの心地よい眠気。
夕暮れ時の空のグラデーション。
そして、
時計の針の、
カチカチという音。
そのすべてが、
私たちを祝福してくれている。
そう思えるのです。
明日もまた、
朝が来ます。
目覚まし時計の音が、
うるさく鳴り響くでしょう。
満員電車に揺られて、
ため息をつくこともあるかもしれません。
仕事のプレッシャーに、
押しつぶされそうになる夜もあるはずです。
でも、
大丈夫です。
私たちは、
もう知っています。
その忙しさの裏側に、
自分だけの静かな時間があることを。
時計の針の隙間に、
無限の広がりが隠されていることを。
だからこそ、
私たちは、
どんな時でも、
自分の足で立っていられる。
どんなに世界が早く回っても、
自分のリズムで歩いていける。
そう信じることができるのです。
さて、
そろそろ本当に、
仕事に戻る時間ですね。
現実は、
相変わらず待ってはくれません。
でも、
今の私には、
さっきまでとは違う風が吹いています。
心の中に、
自分だけのオアシスができました。
だから、
胸を張って、
席に戻りましょう。
キーボードに手を置いて、
また、
新しい文字を打ち始めます。
カチカチ、
カタカタ。
音は同じでも、
そこに込められた私の温度は、
きっと、
さっきとは少しだけ違っているはずです。
みなさんの今日という日が、
時計の針に縛られるだけの時間ではなく、
自分だけの豊かな物語で満たされますように。
そんな願いを込めて、
私は今日も、
私の時間を生きていきます。