ご飯の上に色とりどりの粉をかけただけで、まさか宇宙を感じることになるとは… | のらりくらりす。

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ゲーマー兼オタク兼カメコです。

毎日、三食ごはんを食べています。

私たちにとって、ごはんは身近なものです。

炊飯器を開ければ、そこには白いお米が広がっています。湯気が立ち上り、いい匂いがします。

日本人なら誰もが毎日目にする光景です。

 

では、ここで少し考えてみたいと思います。

その白いご飯を、そのまま口に運ぶ。

それだけでも十分に美味しいものです。

お米の甘みが広がり、噛めば噛むほど味わい深くなります。

けれど、時々思うのです。

「何か、足りない」と。

 

たとえば、

そこに、

『ふりかけ』

をかけるとどうでしょうか。

 

鮭のフレークだったり、卵の黄色だったり、海苔の緑色だったりします。

パラパラと、ご飯の上に振りかけます。

それだけで、いつもの白いご飯が、急に華やかになります。

 

これは、単なる調味料ではありません。

味を変えるだけのもの、ではありません。

人によっては、

それ以上の意味を、

持っているのです。

 

少し、話しは変わりますが、

私の今日の昼食の話をさせてください。

お腹がペコペコで家に帰りました。

おかずが何もない。

冷蔵庫を開けても、あるのはキャベツの芯と、賞味期限ギリギリの卵だけ。

途方に暮れました。

「今日のお昼は、どうしよう…」

そう思いました。

 

でも、安心してください。

引き出しの奥から、救世主が出てきました。

『梅ゆかり』です。

鮮やかなピンク色の、あの有名なふりかけです。

 

温かいご飯をよそいます。

そこに、

『梅ゆかり』

を、惜しげもなく、サーッとかけました。

真っ白だったキャンバスに、赤い絵の具が散ったような美しさです。

一口、食べてみました。

 

「うまっ!!」

 

思わず声が出ました。

本当に、スゴイことだと思います。

たかがふりかけ、されどふりかけです。

おかずが何もなくても、ふりかけさえあれば、人間はこんなにも満たされるのです。

 

では、いったい、

なぜ私たちは、ふりかけをかけるだけで、こんなにも満足してしまうのでしょうか。

問題は、

『人間の心』

というものです。

 

私たちは、日々、いろいろなものを求めて生きています。

もっと美味しいものを食べたい。

もっと贅沢な暮らしがしたい。

もっと認められたい。

そんな風に、次から次へと欲望が湧いてきます。

 

でも、本当にそうでしょうか。

本当に、それだけが必要なのでしょうか。

 

ここで、

『足るを知る』

という言葉を思い出します。

 

ようするに、

「今の状態で十分だ」

と思うことです。

高級なステーキを食べなくても、フランス料理のフルコースがなくても、

ご飯にふりかけをかけるだけで、

「あぁ、幸せだな」

と感じられる。

その心の状態こそが、

『絶対的幸福』

なのだと思います。

 

そう考えると、

ふりかけというのは、ただの粉ではありません。

私たちの乾いた心に、潤いを与えてくれる、魔法の粉なのです。

 

では、さらに話を広げてみましょう。

ふりかけをかけるという行為は、小さな日常のワンシーンです。

でも、その背景には、もっと大きな宇宙の真理が隠されているのではないでしょうか。

 

宇宙の真理、と聞くと大げさに聞こえるかもしれません。

でも、よく考えてみてください。

宇宙には、何千億という星があります。

その中で、私たちが地球という奇跡の星に生まれ、お米を育て、ふりかけを発明しました。

そして今、私の目の前で、赤いふりかけがご飯の上で輝いています。

 

これは、

奇跡の連続です。

 

もし、人類の歴史の中で誰かがふりかけを発明しなかったら。

もし、私が今日、引き出しの奥の『梅ゆかり』に気づかなかったら。

私の人生は、ただの「おかずのない悲しいお昼ご飯」で終わっていたはずです。

 

そう考えると、

ふりかけ一枚の存在が、私の人生を救ったと言っても過言ではありません。

大げさに聞こえるかもしれませんが、本当にそう思っているのです。

 

日常のささいな出来事。

そこに、どれだけのドラマが詰まっているでしょうか。

私たちは、普段、あまりにも多くのことを見過ごして生きているのかもしれません。

 

スマホばかり見て、ご飯の味もろくに味わわず、ただ胃袋に流し込む。

そんな生活を送っていないでしょうか。

少し、耳が痛い話です。

私もそうです。

 

でも、たまには立ち止まってみるのもいいかもしれません。

温かいご飯を用意する。

お気に入りのふりかけを手に取る。

そして、パラパラと優しくかける。

 

それだけで、世界が変わります。

自分の心が満たされる。

満たされた心は、やがて周りの人への優しさに変わっていきます。

自分が幸せになると、不思議と隣の人にも優しくしたくなる。

そして、その優しい気持ちが、世界平和の第一歩になるのかもしれません。

 

なんだか、ふりかけの話から、とんでもないところまで来てしまいました。

でも、本当にそう思うのです。

 

小さなご飯の一杯から始まる、大きな幸せ。

ふりかけという小さな粉が教えてくれた、人生の大切なレッスン。

 

次にあなたがご飯を食べるとき。

ふりかけをかける瞬間を、少しだけ想像してみてください。

そこに、

新しい宇宙が広がっているかもしれません。

 

本当に、人生って面白いですね。

今日のランチの『梅ゆかり』に感謝しながら、また午後からも頑張りたいと思います。

午後からの仕事に向かう足取りが、

いつもより少しだけ、軽くなっている自分に気づきます。

 

たかがふりかけ。

されどふりかけ。

 

そんな小さな存在が、

私たちの乾いた心を、

そっと潤してくれるのです。

 

ここで、

少し、話しは変わりますが、

 

みなさんは、

『植物の種』

を見たことがあるでしょうか。

 

たとえば、

朝顔の種です。

 

あの、

ちっぽけで、

黒くて、

カサカサした、

小さな小さな種。

 

本当に、

ただのゴミのように見えるかもしれません。

 

でも、

その小さな種の中に、

いったい何が詰まっているのでしょうか。

 

実は、

あの小さな種の中には、

 

『大輪の花』

 

という未来が、

丸ごと眠っているのです。

 

信じられますか?

 

あんな小さな殻の中に、

鮮やかな青や赤の色彩が隠されている。

 

水をやり、

太陽の光を浴びせ、

大切に育てる。

 

そうすると、

まるで魔法のように、

種は殻を破り、

芽を出し、

美しい花を咲かせるのです。

 

これって、

すごく不思議なことだと思いませんか?

 

種は、

ただの種ではありません。

 

未来の生命(いのち)の塊なのです。

 

そう考えると、

私たちの日常も、

これと全く同じなのではないでしょうか。

 

日々の生活の中にある、

ちっぽけな出来事。

 

朝のコーヒーの香り。

すれ違った猫の愛らしさ。

お気に入りのふりかけをかける瞬間。

 

どれもこれも、

一見すると、

すぐに消えてしまうような、

取るに足らないことに見えるかもしれません。

 

でも、

本当にそうでしょうか。

 

実は、

そこには、

大きな可能性が秘められているのです。

 

小さな感動を見逃さないこと。

日常の些細な幸せを味わい尽くすこと。

 

それは、

心のなかに、

美しい花を咲かせるための、

大切な『種まき』なのです。

 

私たちは、

もっと大きな成功や、

もっと劇的な変化を求めがちです。

 

宝くじが当たるとか。

仕事で大抜擢されるとか。

誰もが羨むようなドラマチックな展開を、

心のどこかで期待してしまう。

 

でも、

本当に人生を豊かにするのは、

そういう派手なイベントではないのかもしれません。

 

むしろ、

足元にある小さな種に水をやるような、

地味で、

ささやかな日々の積み重ね。

 

そこにこそ、

本当の豊かさが隠されているのです。

 

ここで、

もう一つの例を出してみましょう。

 

『音楽』です。

 

みなさんは、

お気に入りの曲を聴いたとき、

胸が熱くなった経験はないでしょうか。

 

ほんの数分間のメロディ。

ギターの音色。

ボーカルの歌声。

 

それだけなのに、

聴いた瞬間に、

子どもの頃の思い出がよみがえったり、

失くしたはずの情熱が湧いてきたりする。

 

音楽は、

形のないものです。

手で掴むこともできません。

 

でも、

私たちの心を、

大きく揺さぶる力を持っています。

 

音符という小さな点と点が集まって、

一つの美しい旋律になり、

それが私たちの心に響く。

 

人生も、

これとよく似ています。

 

一日一日という音符。

出会った人というリズム。

味わった食事というハーモニー。

 

それらが組み合わさって、

あなただけの素晴らしい楽曲を奏でているのです。

 

では、いったい、

その楽曲の指揮者は誰なのでしょうか。

 

それは、

他の誰でもありません。

 

『あなた自身』

なのです。

 

あなたは、

自分の人生というオーケストラの、

指揮者なのです。

 

どんなテンポで生きるのか。

どんな音色を響かせるのか。

 

すべては、

あなたの心の持ちようで、

決まってきます。

 

忙しいからといって、

スタッカートばかりで、

慌ただしく生きるのもいいでしょう。

 

でも、

たまには、

フェルマータのように、

その場で長く音を伸ばしてみるのもいい。

 

ゆっくりと、

目の前の一皿を味わう。

 

ただそれだけで、

あなたの人生という楽曲は、

驚くほど深みを増していくのです。

 

そう考えると、

生きるということは、

なんとクリエイティブで、

なんと美しい作業なのでしょうか。

 

私たちは、

ただ生きているのではありません。

 

毎瞬、毎瞬、

自分の人生という芸術作品を、

創り上げているのです。

 

ふりかけをかけるという行為すら、

その芸術の一部なのだとしたら。

 

なんだか、

日常の景色が、

少し違って見えてきませんか。

 

灰色のコンクリートの街も、

満員電車の息苦しさも、

オフィスのパソコンの画面も。

 

そのすべてが、

自分の心を映し出すキャンバスなのだとしたら。

 

私たちは、

もっと自分の日常を、

愛おしく扱えるはずです。

 

もっと丁寧に、

もっと優しく、

目の前の出来事に触れていけるはずです。

 

もちろん、

毎日そんなふうに高尚なことを考えて生きるのは、

難しいかもしれません。

 

疲れているときは、

愚痴も出るでしょう。

投げやりになることもあります。

 

私も、

しょっちゅうです。

 

面倒くさいことは嫌いだし、

楽をしたいし、

時々すべてを放り出したくなります。

 

でも、

それでいいのです。

 

完璧である必要なんて、

どこにもありません。

 

大切なのは、

ふとした瞬間に思い出すこと。

 

「あ、今、私は自分の人生を創っているんだな」

 

そう気づくことだけで、

十分なのです。

 

その気づきが、

乾いた心に、

一滴の水を与えてくれます。

 

そして、

その一滴が、

また新しい種を目覚めさせる。

 

小さなご飯の一杯から始まった物語は、

いつの間にか、

自分の命の根源にまで繋がっていました。

 

宇宙の広がりと、

茶碗の中のふりかけの粒が、

不思議な線で結ばれる。

 

そんな風に世界を感じられたなら、

人生はもう、

退屈なものではなくなります。

 

どこにいても、

何をしていても、

そこには発見があり、

感動がある。

 

今日の夕暮れも、

きっといつもより美しく見えることでしょう。

 

帰り道、

スーパーに寄ってみようと思います。

 

今度はどんなふうにご飯を食べようか。

そんなことを考えるだけで、

胸が少しだけ温かくなる。

 

明日は、

いつもと違う味を試してみるのもいいかもしれません。

 

新しい味は、

新しい自分との出会いです。

 

さあ、

今日の夕食を楽しみに、

もう少しだけ、

目の前の時間を大切に過ごしてみましょう。

 

あなたの今日の食卓が、

温かい光で包まれますように。

ふと、

そんなふうに思いました。

 

食べること。

 

それは、

ただ生きるための作業ではありません。

 

もっと、

深いものです。

 

もっと、

温かいものです。

 

では、いったい、

食事とは何なのでしょうか?

 

ここで、

少し考えてみたいと思います。

 

私たちは毎日、

当たり前のように口を動かしています。

 

朝食を食べて、

昼食を食べて、

夕食を食べる。

 

時には、

忙しくて適当に済ませてしまうこともあるでしょう。

 

コンビニのパンを、

歩きながらかじる。

 

そんな日もあると思います。

 

けれど、

少しだけ立ち止まってみる。

 

『食卓』

 

という空間を、

ほんの一瞬でも意識してみる。

 

すると、

そこには全く違う世界が広がっています。

 

目の前にあるお皿の上には、

たくさんの命が乗っている。

 

野菜を育てた人の手。

お米を作った農家さんの汗。

お肉になってくれた動物たちの命。

 

すべてが、

今の自分に繋がっています。

 

そう考えると、

私たちは、

決して一人で生きているわけではありません。

 

地球全体の営みを、

毎日のように、

体の中にいただいているのです。

 

これは、

スゴイことです!!

 

私たちは、

宇宙のエネルギーを、

毎日、

美味しくいただいている。

 

そう表現しても、

決して大げさではないと思います。

 

では、

なぜ私たちは、

そのことに普段は気づけないのでしょうか?

 

それは、

あまりにも日常が当たり前になりすぎているからです。

 

当たり前すぎて、

ありがたさを忘れてしまう。

 

空気と同じです。

 

呼吸していることを、

いちいち意識しないのと同じように。

 

食べることもまた、

空気のように、

素通りしてしまっている。

 

けれど、

本当は、

そこにあるのは奇跡の連続なのです。

 

奇跡の連続の上に、

私たちの今日の命は成り立っています。

 

だからこそ、

目の前の一口を大切にしたい。

 

そう思うのです。

 

『いただきます』

 

という言葉。

 

そのたった一言の中に、

どれほど深い意味が込められているでしょうか。

 

命をいただきます。

作ってくれてありがとう。

生かしてくれてありがとう。

 

そんな感謝の気持ちが、

その五文字の中に、

すべて詰まっています。

 

言葉の力は、

スゴイんです。

 

ただの音ではなく、

心を変える力がある。

 

日常の景色を、

一瞬で変えてしまう力がある。

 

そう考えると、

毎日の食事は、

自分を磨くための修行の場でもあると言えるかもしれません。

 

特別な山にこもらなくてもいい。

難しい本を読まなくてもいい。

 

ただ、

目の前のご飯を、

しっかりと味わうこと。

 

ただ、

目の前の人に、

心を向けること。

 

それだけで、

私たちの心は、

驚くほど豊かになっていきます。

 

少し、

話しが変わりますが、

 

人生も、

これと似ているのではないでしょうか。

 

苦しいこともあれば、

嬉しいこともある。

 

味が薄いと感じる日もあれば、

スパイスが効きすぎて、

涙が出るような日もある。

 

甘いも、

辛いも、

苦いも。

 

すべてが、

人生という大きなコース料理の一部なのです。

 

そう思えたなら、

たとえ今がどんなに辛い時期であっても、

 

「あ、これも大切な味付けなんだな」

 

と、

受け止めることができるかもしれません。

 

人生に、

無駄な瞬間なんて一つもない。

 

すべての出来事が、

あなたを創るための、

大切な栄養素なのです。

 

苦しみも、

悲しみも、

いつか必ず、

あなたの血肉にかわっていく。

 

だから、

焦る必要はありません。

 

ゆっくりでいい。

噛み締めるように、

一歩ずつ歩いていけばいい。

 

あなたの人生という物語は、

今日も、

しっかりと進んでいます。

 

今日の夕食が、

あなたにとって、

ただの栄養補給ではなく、

 

自分自身を抱きしめる、

温かい時間になりますように。

 

そして、

明日という日が、

また新しい味わいに満ちた、

素晴らしい一日になりますように。

 

・・