平成27年5月4日
(月) 第3日目
6:30 国道沿いの休憩所を発ち、海庭庵に向かう。
国道の休憩所
播磨灘の向こうに淡路島が望める国道を南下する。
島の東海岸は朝の陽光が波間に光り輝いて、ひときわ美しい景観を楽しませてくれる。国道が岩谷地区に入ると国の史跡に指定された「大坂城石垣石切丁場跡」がある。
石切丁場跡
小豆島は石材の産出が非常に多く、上質な花崗岩の産地として有名です。
大坂城再築の際には、その巨大な城の石垣の石として、小豆島から多くの石が切り出された。
その中でも最大規模を誇るのが岩谷地区にある「天狗岩丁場跡」です。天狗岩丁場には、666個もの種石やそげ石が残っている。
八人石と五輪塔
八人石の説明板がある。
高さ4mの巨石がノミ跡も生々しく、2つに割られている。石を割っている時、8人の石工が犠牲になったという言い伝えが残る石で、傍に供養のための五輪塔がある。
鑿跡の巨石
7:10 第八十七番・
海庭庵に着く。
野営地より0.9km。
本尊 十一面観世音菩薩
十一面観世音菩薩真言
おん まかきゃろにきゃ そわか
御詠歌
おきつ風 いたくふく日は この
庵の松の梢に 波ぞかかれる
瀬戸内海の波涛が飛沫となって軒を濡らす国道沿いに、民家のような佇まいで建っている。
海庭庵
昔は海庭庵と海の間に大きな松の木が在り、遍路はその老松を目印にして目指したと云われている。
本尊の十一面観世音菩薩像は漁師が海底より釣り上げたと云われ、島内随一の安阿弥作と伝えられる。
安産・子授けのご利益が特に顕著で、全国にその信者が多いと云われる。
参拝を終えて、楠霊庵に向かって国道を進む。
橘の集落に入り民家が多くなって、国道沿いの高台に楠霊庵が見えてくる。
順番どうり回ればこの札所が結願の霊場である。
7:50 第八十八番・
楠霊庵に着く。
海庭庵より2.1km。
本尊 延命地蔵菩薩
延命地蔵菩薩真言
おん かかかび
さんまえい そわか
御詠歌
いつの世に 花橘の 種蒔きて
この一村の 名に残しけん
4mほどの高い石垣の両脇に階段が在り、そこを登って境内へ進む。背後にロッククライミングで知られる拇指嶽が聳え、遙か播磨灘の向こうに淡路島が望める雄大な眺めである。
楠霊庵
楠霊庵の由来は、境内にあった楠木をもって堂宇を建立したことによる。
本尊は延命地蔵菩薩をお祀りしている。
参拝後、堂守の老夫人からお茶と駄菓子のお接待に与かる。この方に「橘の集落」から橘峠越えの遍路道を尋ねると、猪が出て危険なので国道を行くよう注意される。
猿や猪がこの里の浜辺まで出没して、農作物の被害が大きいと言われる。
最近、高松でも海岸沿いの繁華街に猪が出没して、テレビで報道されていたが小豆島から海を泳いで来たのだろうか。猪は泳ぎも達者だと聞いた。
橘トンネル
4年前に開通した橘トンネルは、標高175mの橘峠を越えることなく、橘の集落から安田の集落に楽に行けるようになった。
国道は海岸沿いと別れ、橘トンネルを越えて下っていく。麓の安田の集落に着いて標識に従い、国道から右折して路地道を進むと岡之坊が見える。
8:50 第十二番・
岡之坊に着く。
楠霊庵より2.5km。
本尊 六地蔵菩薩
六地蔵菩薩真言
おん かかかび
さんまえい そわか
御詠歌
み仏の たむけに今日は つみて
まし 岡の庵の 朝の若菜を
鐘楼門
岡之坊は安田全戸の墓地の管理坊として、六道能化の六地蔵を本尊として祀っている。
本堂
六道とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上であり、各界の衆生を救うために地蔵菩薩が六道に配されているのである。
涅槃の仏
岡ノ坊のある安田の辺りは、香川県の無形民俗文化財に指定されている「安田踊り」が有名である。
参拝を終えて南の方向に下って、国道を横断して川沿いに道を進む。
馬木という付近から左折して、佃煮工場が並ぶ迷路のような細い路地を歩き、地元の人に尋ねながら観音堂に向かう。
9:15 第十一番・
観音堂に着く。
岡之坊より1.0 km。
本尊 聖観世音菩薩
聖観世音菩薩真言
おん あろりきゃ そわか
御詠歌
年月に 重なる罪も きえなまし
頼む仏の 誓ひたがはで
観音堂は鄙野の台地に小堂を構えている。一風変わった造りで、山門から本堂まで屋根が繋がっており、これが江戸時代から続く構えだという。
本堂
伝説によると、観世音は伯耆大山よりこの海辺に流れ着き、大石の上に居られたが、いつのまにか姿が見えなくなった。
ある時、上の竹藪の中で多くのイタチが群れ遊んでいたので、村人がそばに寄るとそこに大楠が在り、朽ちた根元の洞窟から光明がさして、観世音菩薩が安座されていた。
そこで村人はこの地に小堂を建て、観世音菩薩を安置した。以来この本尊は、イタチ観音とも言われるようになった。
いたち観音堂
本堂の左手の白壁には、「ぼけ封じ・頭がよくなるいたち観音・お線香のけむりで頭を撫でてください」とか、「いたちのように足が丈夫で寝たきりにならないように」とか、「難しいお願いは、日本で1ヶ所いたち観音へ。お願いを白壁に書き、幸運の大銀杏をさすってください。
大願成就して次々お礼に来られます」などと書かれていました。
銀杏の樹
僅かな境内に弘法大師の錫杖の井戸が在り、「鏡の井」とも称して万病に効くと云われて、遍路がこぞって持ち帰ると伝えられているが見つからなかった。
境内には願い事をして擦れば叶うという銀杏の大木も在り、秋には沢山のみを結ぶという。
三匹かえると狸
参拝を終えて、庚申堂に向かう。
観音堂から県道28号線に出て、南下して小豆島警察署の角を左折して狭い路地を進むと、小高い処に大木と小堂が見えてくる。
9:40 第九番・
庚申堂に着く。
観音堂より1.3 km。
本尊 不動明王
不動明王真言
のうまくさんまんだ
ばざらだん せんだん
まかろしゃだ そわたや
うんたらた かんまん
御詠歌
動けなき 心一つを かたくして
石のうてなの 上にこそおけ
本堂
高台にある札所で、近年境内が整備され、明るい雰囲気になっている。
本尊は不動明王であるが庚申・青面金剛を合祀している。もとは内海八幡宮の別当寺の本尊であったが明治初期の神仏分離令で、この地に移転安置された。
鐘楼
庚申信仰は人間の体の中にいる「三戸」という霊物が庚申の夜、眠っている間に体から抜け出し天に登って、天帝にその人の罪を告げ口に行くと云われている。そのため庚申の夜は「三戸」が抜け出さぬよう、眠らずに居ようと信者が庚申堂に集まり語り明かしたとされる。
「見ざる、云わざる、聞かざる」の3猿の彫刻が残っている。
祈り申
銀杏の老木
来た道を戻り、左手の川を渡り道なりに真直ぐ東の方向に歩くと 常光寺の白塀が見えてきた。
極楽橋
10:00 第八番・
常光寺に着く。
庚申堂より0.4km。
本尊 薬師如来
薬師如来真言
おん ころころ せんだり
まとうぎ そわか
御詠歌
この寺に ひとたび参る 世の人は
よろずの願い 叶わぬはなし
鐘楼門
常光寺は日本で最も早く咲く桜と言われる「常光寺桜」が有名である。
形は手毬のようにころっとして、早い年は2月下旬頃から咲き始め、3月中・下旬には満開になる。
本堂
常光寺桜や河津桜、梅などの参道を抜けて鐘楼門を潜ると、正面に本堂を、左に大師堂、右に庫裡、信徒会館が並んで建っている。
大師堂
当寺は行基菩薩により開基かれ、本尊の薬師如来も行基菩薩により刻まれたと伝えられる。
弘法大師も止錫し、霊地に定められたと云われる。
さつき
その後、南朝の武将佐々木信胤の祈願所となる。
信胤は暦応2年、当時京洛三美人の一人、お才の局と共に小豆島へ渡る。星ヶ城を築き、9年間小豆島を支配した。
貞和3年(1347)に北朝の細川師氏の合戦に破れ降伏、自害した。これは「太平記」に記されている。
境内に蘇鉄と見事なさつきが植えられている。
蘇鉄
参拝を終えて、向庵へ向かう。常光寺から南の僅かな処の、集落を見渡す小高い丘の上に向庵はある。
第七番・石柱
10:25 第七番・
向庵に着く。
常光寺より0.2km。
本尊 阿弥陀如来
阿弥陀如来真言
おん あみりた
ていぜい からうん
御詠歌
わがたのむ はるけき西の 山の
端に 心もすめる 有明の月
この辺りの地名、苗羽(のうま)は「野馬」を意味し、昔は牛や馬の放牧地であった。
江戸時代の村明細帳の数字によると、島内に牛馬が2184頭いて、苗羽には牛96頭、馬47頭が飼われていたという。
因みに苗羽に隣接する馬木(まき)という地名は「牧」を意味していて、同じく放牧地であったと考えられている。
向庵
本尊は阿弥陀如来。
弥陀の第18願に「衆生の臨終に際して、ただ一度の念仏でも極楽往生す。
そうでなければ仏に成らない。ただし、罪を犯した者や仏法を批判するような人は除く」とある。
眼下の展望
ここから東の方向には「大嶽」と呼ばれる奇峰が聳え、碁石山へと続く山並みが見える。
参拝を終えて、庵の傍の小さい池を回り込むようにして、遍路道を碁石山に向かって上り始める。
遍路道の石仏
途中から険しい遍路道に入り、上り詰めると岩窪の中に石塔が在り、更に少し上ると広い境内に出る。
碁石山は標高435mの山頂付近にある。
11:15 第二番・
碁石山に着く。
向庵より1.3km。
本尊 波切不動明王
波切不動明王真言
のうまくさんまんだ
ばざらだん せんだん
まかろしゃだ そわたや
うんたらた かんまん
御詠歌
頼もしき 誓いによりて いきしにの
海の波を やすくよぐらむ
弥勒殿と大師像
門前に立つと弥勒殿の上からひときわ高く、1丈6尺余の立派な修行大師像が迎えてくれる。
参道を登りつめると、明るく開けた空間に出て、眼下に穏やかな内海湾、二十四の瞳の田ノ浦半島、右に転じれが寒霞渓・星ケ城の山々が展望できる。
本堂
内陣
更に岩壁を切り開いて作られた石段を下ると、入母屋造りの本堂が岩肌にへばり付くように建っている。
本堂は鳳が羽をひろげた様子から「鳳凰窟」と称される大きな洞窟になって、波切不動明王が安置され護摩壇が設けられている。
板壁から岩盤が露出
暗い洞窟の中で蝋燭と護摩の焔の明かり、庵主の太鼓に合わせ読経していると一瞬の別世界である。
行者堂への岩場
碁石山は行基菩薩によって開基され、弘法大師も止錫されたと伝えられ、本尊は海難事故を防ぐ不動明王としてはるか昔より、猟師や海運関係者に篤く信仰されている。
不動明王像
眼下に草壁港
参拝後、岩場の遍路道を洞雲山に向かう。