↓香園寺さんのページ
子安大師堂と本地堂の間の仏様方
続く。からです。
右の方から、、
宝珠をお持ちの仏様
その左前に、、座られている仏様
右の常香炉
中央の立ち姿の仏様
錫杖と宝珠をお持ちの、、お地蔵様ですね。
御供養の文字が刻まれている。
常香炉と花立て
左側の三体の仏様
宝珠を抱く仏様
こちらも、、凛々しいお顔
左端は、、優しいお顔に流れる衣の仏様
その前の常香炉
境内の左の方、、
真民さんの石碑
市指定有形文化財
工芸品 一柳直卿の扁額「教王院」「栴檀山」
大切に納められているのだろうか。
愛媛県生涯学習センターデータベース『えひめの記憶』によると、
参道右手には、昭和14年(1939年)10月に、香園寺を訪ねた
種田山頭火が詠んだ「南無観世音おん手したたる水の一すぢ」の
句碑が立っている。
と、記されている。
横に「秋の夜の護摩のほのほの燃えさかるなり」の石碑も並ぶ。
こちらは、、兵隊さんを抱く観音様
プロペラと翼のマークも入る紋章
顕彰慰霊塔
観音様
胸に戦闘機乗りの兵隊さん
顕彰慰霊塔 記念碑 協賛者
一、香園寺
一、小松町役場一同
一、各期遺族一同
一、旧乗員養成所教耺員一同
一、長崎乗員養成所有志一同
一、乗員養成所各期クラブ一同
一、溝田石材特殊研究所
本科六期生
名が刻まれている。
本科七期生
若人は 大空に夢を抱いて この愛媛小松に来たり
身心鍛え 技を練り 未来に パイロットを夢みん
大東亜戦争に 百有余名 祖国防衛の 人柱たらん
一機必中 大空に散る あゝその心 いかばかり
ここに同期生有志 集りて顕彰慰霊塔を建立し
永久にその功績と冥福を祈る 愛養会
昭和五十一年 十一月三日
建立者名 十一期操縦生、、、、
十二期操縦生、、、外十二期有志一同
十三期操縦生、、、十四期操縦生
本科十五期生、、、、、本科生、、、、、
顕彰慰霊塔由来
この顕彰慰霊塔は太平洋戦争中、は南
溟の雲の彼方や近くは本土周辺の空に海原に
戦場で戦い或は神風特別攻𨊥隊で出𨊥し青
春の思い出を残しながら、祖国日本の礎とし
て雄々しく散っていった。当時の逓信省愛媛
航空機乗員養成所出身者の霊を慰めようと
同養成所出身者同志生及び旧職員の手によっ
て昭和五十一年十一月三日に建立されたもの
です。
観音像は台座とも三メートルの髙さで 飛行
服姿の若鷲が右手掌、霊安らかに鎮まれと載
せられ、台座の中には特別攻撃𨊥隊散華英霊二
十一柱の外、戦死者百數名及び物故旧職員の
木札が納められています。
由来の石碑の裏
こちらは、、子安弘法大師六十周年参拝記念
四国八十八ヶ所霊場
奉納 巡禮記念碑
西国板東秩父観音霊場
広島県 豊遍照会
裏面
「偉い子はいぬが
どの子も親思い」
四国八十八ヶ所巡拝 全札八十八回満願 報恩謝徳の碑
建立の心、、、、お大師さまのお導ちびきで御遺跡を慕って
昭和三十九年初詣り以来遍路人生三十年今回宿願の八十
八回目を裏面の各位と共に満願できました。
お大師さまの御高恩を偲んで開創され六十二年目の佐渡
新四国も二九五回先達し今感謝いっぱいです。
平成五年五月吉日建立
佐渡れんげ会会長
四国霊場会公認大先達
田 中 茂
第八十八回巡拝者の名が刻まれていた。
境内入口のお地蔵様
南無、、お地蔵様m(_ _)m
根元が幾重にも広がる、、大きな木
境内中央の、、大きな木
どうか、、元気な姿を、、、また見させて下さい。
令和6年5月には工事中であった寺坊も、今は完成されて
いるようです。
令和6年5月には、仮の納経所でしたが、今は新しい建物の
方で行われているとのことです。
お寺の景色も変わっていくんだな、、、。
大きな高い木の境内の香園寺
お寺を打ち終って、、裏の神社に向かいたいと思いました。












































