橋の上では、杖を突かない。
橋の下で、お大師様が休まれているかもしれないから、、
十夜ヶ橋の話を思い浮かべる。
橋の無い時代は、じゃぶじゃぶ渡ったか、、
船で渡ったか、、
ありがたいな。
大勢の人が渡る、大明神川橋
続く。からです。
橋を渡った。
渡り切った橋のたもと、右側に二本の石碑。
裏側よりの写真
こんひら大門へ二十一里
天保十三壬寅歳十二月 世話人今治
古金屋浅七
願主
大西、、、
藤原義明
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新町 西山 久妙寺
生木地蔵 大峰寺 道
(明治の横峰寺が廃寺の時、大峰寺が御本尊を守られていたという)
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前札ヨリ
四國六十番前札所清楽寺へ 五十余丁
仝六十一番札所香園寺へ 四丁
仝六十二番一ノ宮へ 八丁
施主 北条 近藤為七 仝 近藤助久朗
小松 戸田兼松 仝 能勢勇助、、、、、
明治四十年一月建之
すぐ横の道の脇にも、石碑が建つ
四国のみちの道標そして
愛媛県生涯学習センターデータベース『えひめの記憶』によると、
大明神川を渡るとすぐに道は分岐点にさしかかり、そこに茂兵衛道標
がある。茂兵衛道標の多くは、「中務」の名字を使っているが、ここの
道標は「中司」の字を使っている。ここから南東の方向に直進すると、
六十一番香園寺への香園寺道(東まわりの遍路道)、右に進むと生木(いきき)
地蔵経由の横峰寺への生木道(西まわりの遍路道)となる。
と、記されています。
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大師御作生木地蔵是より四十丁
四國六十番霊場横峯山大(峰寺) 是より百六十八丁
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國分寺 二里余
施主 兵庫縣加東郡高岡村 菅野、、、
仝群屋戸村 服部、、、
明治三十六卯年十二月
壱百九十八度目 中司茂兵衛
地元の地図発見
川を渡って、斜めに入って行く。
行こう👣
東予市のマンホール
足元の絵画
ツツジと、櫻
製材屋さんだな
木の香りがする
薪も売ってるんだね。
この道も、、商店の並ぶ道だったのだろうか
呉服屋さんだ
ん?
可愛い飾りだな
道々の景色も楽し、、遍路道
酒屋さんを通って、、
そろばん塾
僕も行ったな。
今は小学校で、そろばんじゃなく、電卓なんだよね、。
下駄箱も懐かしの景色
そうだよな、、写真はデジタル、
記録は、パソコン、
電信でやり取り、、、。
何もかも、電気で動かすものだなぁ、、、。
何でも、電気。
何でも、デジタル。
仏像も、、電影になるのだろうか、、
ねこさんの標識だ
ねこさん 多いのかな
ここにも、、
お花さん、、こんにちは
15時40分過ぎ、、
お宿まで、頑張らないと、、
歩き始めの初日。
疲れてきた。。
続く。