阿波 第3日目 藤井寺~焼山寺~番外霊場・善覚寺大師堂 | 四国八十八カ所 お遍路日記

四国八十八カ所 お遍路日記

お遍路日記・感謝と合掌の遍路道

  平成27年10月11日

        (日) 第3日目

6:30  端山休憩所を発ち、急坂を一歩ごと喘ぎながら長戸庵に向って登る。

  焼山寺は標高700m、そう聞くとさほどの山道とは思われないが、上り下りを繰り返し標高745mの浄蓮庵に前後した3つの峠を越える難所である。

   「右 焼山寺道」と刻まれた自然石の道標を過ぎると視界が開け、長戸庵が見えてきた。

            右、焼山寺へ

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 7:10 長戸庵に着く。

            標高440m。

端山休憩所より1.7km

         本尊 弘法大師 

         開基 弘法大師

   長戸庵は弘法大師が焼山寺山に登られた時に、ここで休息されたという。その時、大師が一息入れるのに「ちょうど、よい按排」という意味で名付けられた。

            長戸庵

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長戸庵を発ち、柳水庵に向う。所々に石仏や町石が祀られている遍路道を歩く。

   暫くは上ったり下がったりしながら進み2度目の遍路こがしの急坂をなんとか乗り越えると、再び平らな尾根道となった。

           休憩所

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  しかし急な上り坂下り坂が続くとリュックの重みが肩に食い込んで辛い。肩の負担を軽くしようと手を後ろに回し、リュックを持ち上げるようにして歩くが腕が痺れて長くは続かない。

  標高600m付近から急坂を谷に下ると行程の半分の地点、柳水庵がある。

           馬の背の遍路道

          

 8:10 標高500mの

             柳水庵に着く。

   長戸庵より3.4km。

        ご本尊 弘法大師 

          開基 弘法大師 

  大師がこの地で休息されたとき、付近に水が無いので柳の枝を採って加持されると、清水が湧き出してきたので、一宇を建立し尊像を刻まれ安置された。

  山中、三里間の難所に欠くことのできない恵水の霊地である。

   大量の汗をかいた私も美味しい霊水を有り難く頂戴し、ペットボトルに補充。

  境内には六地蔵も祀られ、以前は庫裡も在り、宿泊も出来たが現在は無人となって、納経は焼山寺で受付けている。

             柳水庵

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            六地蔵

         

  その変わりではないだろうが柳水庵のすぐ下に立派な休憩所が在り、7~8人は休憩出来る。

   日暮れになった時や緊急の場合には避難、仮眠できるようになっている。昔から数多くの人々が歩いてきた道なだけあって、地元住民の心遣いが有難い。

           柳水庵の休憩所

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   少し下って林道を横断すると急な登りがあり、その後は比較的なだらかな道となる。昔ながらの遍路道でも、コンクリート製の擬木丸太を横にした階段が続いている処もある。

   段差があるので重力に逆らって、足を垂直に1歩1歩持ち上げて階段を上る。

            擬木の遍路道

         

   土砂の流出を防ぐために整備されたのだろうが、もし歩き易いという発想で造られたとしたら、歩き体験の少ない人の考えである。

  滑り易そうに見えても、自然の斜面をすり足で歩く方が楽に歩ける。木の根や石ころの自然の道を残して欲しいとも思うのは私の勝手だろうか。 

 (しかし、加齢と共に整備された道が有難く、整備された人々に感謝の心が湧いてくる)

           大師像と一本杉

         

   柳水庵から50分ほど鬱蒼とした木立の続く遍路道を登っていくと、目の前に突然石段が現われ見上げると、立派な杉を背にして

弘法大師像がこちらを向いて立っていた。

            霧の中

         

9:20 標高745mの

          浄蓮庵に着く。

     柳水庵より 2.2km

       ご本尊 阿弥陀如来 

          開基 弘法大師
  杉の大木は根の付近から、幾筋にも枝分かれした老樹である。杉がこんなにも最初から枝分かれする樹かと初めて知った。

   杉の大木は「左右内の一本杉」として、県の天然記念物に指定されている。

           樹周 7.6m

          樹高約 30m

     樹冠東西   6.2m

          南北14.8m

  弘法大師がこの地を通過されるとき、木の根を枕に仮眠された。夢の中に阿弥陀如来が現れたので、誓願を込めて尊像を刻み、堂宇を建立し安置された。

  その時、お手植えになった杉は崇高霊気あふれる老大木となり、通過する遍路に感動を与えている。

            浄蓮庵

         

 「柳水庵」同様、現在は無人となっており、納経は焼山寺で受付けている。

  遠くから鐘の音が響いて、焼山寺が近いことが分り、元気が湧いてきた。

  普段はむやみに鐘を突かないが、寺に着いたら後から来る人の為に鐘を撞こうと思った。

   浄蓮庵からひたすら急な下りが続き、トタンで覆われて屋根の家屋が建ち並ぶ集落に降り立った。

   石垣を築いて整地された土地には、家屋の他に柑橘類の木が植えられている。

  非常に素朴な集落だ。

あまりひと気は感じられず、空家となっている家が多いようだ。

  焼山寺みちと共に昔ながらの風景を残す左右内(そうち)の集落だ。  

            谷間の集落

          

  この集落の標高は400m、林道を横断し左右内谷川に架かる橋を渡ってから急な坂道になる。すぐに「ここからが一番苦しい頑張ろう」の案内札が木に掛かっている。「遍路ころがし 6/6」である。

  まだ苦しい所が続くのかと落胆もしたが、これを乗り切ると寺も近いと勇気も湧いてくる。

  標高700mへ最後の「遍路ころがし」は吊り下げられた木札や金属板が特に多い。

  道行く遍路が様々な思いを込めて書き込み、枝に残して行ったものだ。文字の消えかかった札から新しい札まで色々である。

        焼山寺50分の表示

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  「南無大師遍照金剛」「同行二人」「遍路道」「心を洗い 心を磨く」「心を洗う遍路道」なかには「頑張ろう、もう少しだ」等の札がある。

   「心を洗い 心を磨く」いい言葉だと思う。

  あたかも以前、参加した「日本掃除に学ぶ会」のキャッチフレーズのようで、見知らぬ人の励ましにも感謝する。

             最後の遍路道

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  道沿いのお地蔵さんを見るたびに「助けて」と手を合せたり、般若心経・南無大師遍照金剛を唱えらがら、杉木立の約2.5km道程を喘ぎながら登る。

   因みに「南無大師」とは大師への呼びかけで、名を呼び心から帰依しますという気持を表現し、「遍照金剛」は大師の潅頂名で「太陽のごとくすべてを照らす慈悲と、人々を幸せにする智慧の持主」という意味が込められている。

  弘法大師の身代りだという金剛杖に助けられ、やっとの思いで登りきった。

11:20  標高700m

     焼山寺に着く。

   浄蓮庵より4.3km

 第十二番 摩盧山焼山寺

         高野山真言宗

     ご本尊 虚空蔵菩薩

     開基 役の行者小角

御詠歌 

  後の世を思えば 恭敬 焼山寺 

   死出や 三途の 難所ありとも

虚空蔵菩薩真言 

     のうぼう あきゃしゃ

      きゃらばや  おん 

    ありきゃまり ぼりそわか

             仁王門

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             霧の仁王門

         

    鬱蒼とした杉の巨木の並ぶ中、参道より石段を上ると摩盧山の扁額も鮮やかな仁王門が迎えてくれる。

  山門を潜ると左手に手水場、右手に鐘楼が在り、正面に本堂が建っている。

  本堂右手には平成20年に落慶した大師堂が建ち、本堂左手に三面大黒堂、大師堂の右手に十二社神社が並んで建っている。

      大黒天堂・本堂・大師堂

         

            三面大黒天堂

         

  三面大黒天堂には中央に三面大黒天像、右に毘沙門天像、左に弁財天像が安置されている。三面大黒天は日本三体の一つとしてその霊験は遠近に聞こえていると云われる。

           参道を覆う老杉

         

            霧の参道

         

   焼山寺は古くは、役行者小角が修験道の修行の地として開山し、蔵王権現を祀って庵を結んだのが始まりと云われる。

  役小角(634~701)は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者である。

   姓は君。実在の人物だが、伝えられる人物像は伝説によるところが大きい。

   通称を役行者と呼ばれ、修験道の開祖とされる。

   その後の弘仁5年、弘法大師が開基したと伝えられ、本堂には虚空蔵菩薩、大師堂には弘法大師の尊像が安置されている。

   虚空蔵菩薩は虚空が無辺の功徳を包み入れるように、限りない智恵と慈悲とを備えた菩薩で、人々に福徳円満を授ける。

   丑・寅年生れのお守本尊

             金剛力士像

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            金剛力士像

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  縁起によるとその昔、この山一帯は毒蛇の棲む魔域で、大雨を降らし或いは大風を起こし、また諸作物を害するなど災いをなし、付近の人民を虐げていた。

 大師はかかる魔境こそ仏法鎮護の霊域とすべきであると山に登られた。

 開創を恐れ魔生共は全山を火焔として聖者の行を阻み妨げたが、大師は恐れず印を契んで敢然と登られるや不思議と劫火は消え衰え、法力により天変地異あとを絶ち、楽土と甦った。

   そこで山中に一宇を建立して、焼け山の寺と名付けたという。故に山号を摩盧山と呼んだ。

  摩盧とは梵語で水輪の意、すなわち火伏せに因んだ山号である。

             本堂

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            霧の本堂

          

   最大の難所、焼山寺の遍路転がしは遍路を二分してしまう。

   焼山寺を歩き通したことで自信が出来た遍路、2度としたくない苦痛として残った遍路。

   前者はその後も遭遇する遍路転がしを焼山寺と比較した乗り越えて結願、後者は今後も続くと思われる遍路転がしを想像して、耐え切れず辞めていく。

            大師

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             霧の本堂

         

  鐘楼の梵鐘についても説明文があった。

  本寺の鐘は蜂須賀2代藩主が、慶安2年に寄進されたものである。

  当時、蜂須賀公は2つの鐘を造り1つを本寺に、いま1つを徳島市内の寺に寄進された。

   本寺の鐘は撞けば殷々たる響きが、徳島市内まで届いたという。

  あと一つの市内の鐘は少しもよい音を出さず、公は人を使わして本寺の鐘と替えたいと申されたという。

  然し鐘は「いなーん、いなーん」と鳴って、果たされなかったという。

  昭和16年、大東亜戦争に供出の命下り、青年多数によって山麓まで運ばれ、其処より馬車に積んだが馬俄かに腹痛を訴え、もだえ苦しんだ。馬子は遂に鐘を運ぶことを断念して他の器物を運んだ。

  かくして戦争は終わり、県文化財の指定を受け別の場所に保存し、今は2代目の鐘が響いている。

             鐘楼

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  遍路に詳しい民宿の主人は、霊山寺を出発した遍路のうち結願するのは6~7割だと云う。

  体調を悪くして挫折する遍路、区切りの遍路も多いであろうが日々、顔見知りの遍路が減ってくる。

  私も体調管理を充分おこない、無理をしないよう改めて思った。

   参拝を終え見晴らしのよい所に出て休息すると、下から吹き上げてくる冷気が身に沁みて心地よい。

  ここからは剣山や白髪山など山々が見え、その眺望は誠に素晴らしく、汗にまみれて登って来た苦労を忘れさせてくれた。

           境内から眼下を

         

  休憩を終え、奥の院に向かうと後から柳水庵で暫く話をした千葉県の I 君(33歳)がついてくる。

 彼は奥の院に参拝すると聞いてなかったので訳を聞くと、焼山寺で2冊持っていた納経帳を一人で巡拝している者には1冊しか出来ないと断られたと云う。

   奥の院を参拝して、再度頼んでみる云う。原則はそうか知らないが、この山奥に明日来いとは少し薄情ではないか。

   以前にも同じ光景を目にしたことがある。納経所で私の前の婦人が納経帳に朱印をもらうと、掛け軸を何幅か差し出している。

  「何人でいらしゃいましたか」、「一人で」、老僧の問いに婦人が答える。

   「本当はね、一人一本なのです。お参りした証しですから。これは一応、致しますけれど、またどうぞ、お参り下さい」。

   代理参拝で納経印だけ貰うことは、納経本来の趣旨に合わないのですと、老僧はやんわり窘めていた。

   しかし一人1冊と厳密に云うなら、バスガイドが沢山の納経帳を持ってくるが、バスの乗客数と照合しているか問い質したい。

 しかし、納経だけは他の寺でという訳にいかないので、文句をいっても仕方ないのか。 

   本堂左奥からのかなり険しい遍路道を40分、標高 938m焼山寺山頂の奥の院に着く。

       蛇を封じ込めた岩窟

         

             遍路道

         

 遍路道の途中には、三面大黒天を刻んで大蛇を封じ込めた岩窟と祠が在り、山頂には蔵王権現を祀った小堂が在った。

   残念ながら標識が無く、他の大師ゆかりの遺跡の所在は分らなかった。

            蔵王権現堂

          

   蔵王権現堂の参拝を終えて再び焼山寺に打戻り、

番外霊場・杖杉庵に向う。

 14:10 杖杉庵に着く。

 焼山寺より1.8km。

       本尊 弘法大師

       開基 弘法大師

   境内の杖杉庵縁起には、

平安時代前期の天長年間に、伊予国の人であった衛門三郎は四国巡錫中の弘法大師に行った無礼な行いを詫びるため弘法大師を追って旅に出たという。

            杖杉庵

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  21回目に逆回りを行っている途中、12番札所焼山寺近くのこの地で力尽き病に倒れた。

  そこに弘法大師が現れ、衛門三郎は非礼を詫びた。

  大師が衛門三郎に来世の望みを訊くと、生まれ変われるなら河野家に生まれたいと望んで息を引き取った。そこで大師は「衛門三郎再来」と書いて左の手に握らせた。

 天長8年10月20日と伝えられる。

           大師と衛門三郎

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   大師は衛門三郎の亡骸を埋め、彼の形見の杉の杖を立て墓標とされた。其の杖より葉を生し、大杉となった。故にこの庵は杖杉庵と呼ばれ、今も尚、大師の遺跡とした残っている。

   この杉は享保年間焼失した。その頃、京都御室から「光明院大居士」の戒名が贈られ、四国遍路の元祖としてこの地に祀られた。

            おへんろ駅

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   杖杉庵を下ると「おへんろ駅」がある。

   地元の左右内振興協議会の人々が運営して、観光バスで来たお遍路がマイクロバスに乗り換える「駅」であり、神山町の農家が作ったスダチやミカン、柿等を販売もしている。

 「おへんろ駅」にスダチ館という善根宿がある。

(残念ながら、平成29年頃から、休業している)

    以前、お世話になったが1泊2食・弁当付で、4、000円の低料金である。

  料金も魅力的であるが、御夫婦のもてなしが素晴らしい宿であった。

  神山温泉まで送迎してくれ、入浴券も頂ける。

  山奥の温泉には大勢のお客が入っていて、いかにも効能がありそうだ。

  朝、出発する時に宿泊客全員の集合写真を撮り、その場でプリントして、弁当と一緒に渡してくれた。今回は時間の関係で民宿前で目礼して先に進む。   

  ここから大日寺へは鮎喰川の右岸と、左岸を行くルートがある。

  右岸を行くルートは鍋岩より県道43号を下って、鮎喰川を渡ると国道438号線に出る。

   神山町役場前を通り、鬼籠野で国道と別れ、県道21号を進み、広野の集落から再度、鮎喰川に沿って下るルートである。

  距離は左岸を行くより、5km程長いが途中に「神山温泉」「道の駅・神山」等が在り、色々便利であるが交通量も多い。  

  左岸を行くルートは鍋岩から少し下ってから左の野道に入り、玉ヶ峠を経て番外霊場・鏡大師へ向かう遍路道である。

 鏡大師を過ぎ、県道20号と鮎喰川に合流するので、鮎喰川沿いを下る。

 阿野集落に旅館が1軒あるが他に施設は殆ど無い。

  月の宮の集落で入田春日橋を渡ると、大日寺へは2km余りである。

  因みに河川の右岸、左岸とは川が流れる下流方向を向いた人の右手、左手で、流域の土地を区別する呼び方であり、例えば北方向に直流する川では、右岸は東岸にあたり、左岸は西岸にあたる。

  屈曲する河川、蛇行する河川については右岸、左岸の呼び方で川筋の両岸の土地を一括区別できるので、よく用いられる。  

  今回は右岸を行く。

  神山町役場前を通り、

しばらく進むと「神山温泉」が在り、山手に進むと善覚寺大師堂がある。

     番外霊場 善覚寺大師堂

          本尊 弘法大師

          開基 弘法大師

            山門

       

   境内には元禄8年に建立の大師堂と、大師所縁の弁天鉱泉があると言われるが、誰も居らず留守のようで事情が分からない。

  右手の長い階段を上がった処の赤い屋根が大師堂であろうと参拝する。

   結局、弁天鉱泉については分らなかった。

             本堂

         

   境内に六地蔵が祀られているが、六地蔵は六道輪廻の思想に基づき、六道のそれぞれを地蔵菩薩が救うとする説から生まれた。

            大師堂

         

   六道とは私達が生まれ変わる可能性がある世界、罪を償う地獄道(檀陀地蔵)、困った人を見捨てた罰としての餓鬼道(宝珠地蔵)、動物として生まれ変わる畜生道(宝印地蔵)、常に戦いを強いられる修羅道(持地地蔵)、煩悩を抱える人間道(除蓋障地蔵)、天人が住むとされる天道(日光地蔵)がある。

  像容は合掌のほか蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠などを持物とするが、持物と呼称は必ずしも統一されてはいない。

            六地蔵

          

17:00 参拝を終え、道の駅・神山温泉」の東屋にテントを設営して野営する。

 杖杉庵より8.5km

       第3日目の歩行距離

            24.5キロ

          計 76.5キロ