さきほど、オンライン学習『日本中世の自由と平等』の第4週目を見終えた。

 あとは。課題を提出するだけだが、課題レポートが追加されている。

 人間味溢れる本郷和人講師の語り口は、新視点の歴史をさまざまな史料を使い解き明かしてくれた。

 近世、封建制への幕開けにあたる事実として織田信長と一向宗との戦いを取り上げていたのには驚いた。

 この提出された問題意識はよく考えなければならないと思ったが、本郷講師のおかげで、読むことになった本を完読した。

 五味文彦著『鎌倉と京 武家政権と庶民世界』である。講談社学術文庫から2014年1月10日に刊行された。

 史料として吉田兼好『徒然草』、鴨長明『方丈記』を使用していると記載されていたので読む気になったのである。

 中世から武家政権は成立したのだが、保元の乱から筆者は解き起こし、わたしが知りたいと思っていた歴史事実を簡明に解説してくれていた。

 わたしは、鎌倉執権政権がなぜ得宗専制を選んだのか疑問であったのだが、それを見事に論証してくれていた。

 中世の魅力を網野善彦さんが教えてくれたが、その魅力に輝きを増してくれる多くの史家が健在なのはうれしいことである。

 ゴールデンウイークにこんなに学んだことはなかった。


 警察官の注意が響くなか、午後6時の花火を合図に神輿渡御が始まった。わたしは、どこで見物すべきか迷った末、神輿が必ず通ると考えられる大鳥居の右側で待つことにした。午後5時40分である。
前から数えて6列目である。
まず、お祓い太鼓が6張、神輿を先導するために境内から出てきた。
写真を撮ろうとしたが、うまく撮れない。
大太鼓の上には人が5人ほど乗っていて、左右にいる人が提灯でお浄めをしているのである。
見物をしているわれわれを浄める意味があるらしく、時々止まっては提灯の動作と、太鼓の打つ動作を規則正しく繰り返す。
ありがたみが伝わってくるが、足の関節部位が痛くなってきた。
どうしても、神輿は見なくてはいけない。
午後7時を回ったところで渡御する神輿の登場である。
写真を撮ったが、金色の神輿なので乱反射した写真しか撮れなかった。周りは精一杯腕を掲げて撮りあっている。
神輿渡御は午後9時半まで続くのだが、わたしの関節部位は悲鳴を上げている。早々に引き上げることにした。






 東京の気温は23度になると予報が出た。

 朝方はどんよりしていたが、みるみる室内が蒸してきた。

 出かけないといけないので、思わず出したばかりの半そでポロを着用してしまった。

 爽やかさが押し寄せた。

 しかし、外に出てすぐに、えっ間違えたのではないかと思った。

 部活に行くのであろう、複数の男子高校生と出合った。

 長袖シャツ姿ばかりである。

 同世代は、薄手のセーター、ジャンパーを羽織っている。


 しかし、目的地の府中市の大國魂神社に着いたとき、人出の多さに圧倒された。

 関東では「くらやみ祭り」として知られている祭りの真っ最中であったのだ。

 露店が軒を連ねているところを冷やかしながら歩く。

 境内では今日姿を現す山車の準備で関係者が立ち働いている。

 明日が本番であるので、早々に祭りの喧騒から遠ざかった。

 最近のテレビはおもしろくない。

 観るのはTVKの『キンシオの旅』、日本テレビの『ぶらり途中下車の旅』とニュ-スぐらいになってしまった。

 さらに時々、放送大学は「いま、何をやっているかと確認のため12チャンネルを押す」程度である。

 昨夜、午後11時に12チャンネルを押してみた。

数学、情報通信などであればパスするのだが、外国人が流暢な日本語を駆使して、「死を迎えた患者は5段階のプロセスを辿ると言われている。私は一つ付け加えて6段階で考えている」と言葉が染み入ってきた。

 画面を見ていると、放送大学の特別講座で、1988年にアルフォンス・デーケンさんが「生と死を考える」として死の準備教育をしていると受け止めることができた。

 吉田兼好は、死はいつ来るかわからない、40になれば長生きなど考えない方がいい、と主張し、若いうちから死を受け入れる準備をしなければいけないと言っている。

 しかし、医療の発達した現代では自ら望めば長生きが可能である。

 デーケンさんは兼好が言わなかった、死の受け入れ方を講義しているのだ。これは聞いた方がいいと思い、メモを取りながら聞いた。

 そのメモから講義内容を自分のためにまとめてみた。


 死のプロセスは6段階のステップを踏む。がん患者などの観察から導き出している。

  1.否定

  2.怒り

  3.取り引き

  4.抑鬱

  5.受容

  6.期待と希望

 デーケンさんはご自分の友人であったジャーナリストの友人の死を例に、上記を丁寧に説明する。

 デーケンさんが付け加えた6.期待と希望にはジャーナリストは士の三日前まで書いていたと言うことで、わたしには伝わってきた。

 がんの告知態度は、アメリカの例を紹介し、1966年では告知しないが90パーセントであったのが、1977年では告知するが97パーセントになったと紹介していた。


 デーケンさんの対象は肉親などにも向かう。

 これは悲嘆の12段階のプロセスで説明していた。

 1. 精神的打撃と麻痺状態

 2. 否認

 3. パニック

 4. 怒りと不当感

 5. 敵意と恨み

 6. 罪意識

 7. 空想形成、幻想

 8. 孤独感と抑鬱

 9. 精神的混乱と無関心

10. 諦めー受容

11. 新しい希望ーユーモアと笑いの再発見

12. 立ち直りの段階ー新しいアイデンティティの誕生


 死に逝こうとする人間もその肉親も大きな心の変遷を経ているのである。

 デーケンさんの最後の言葉が印象的であった。

 「デス・エデュケーションはライフ・エデュケーションである」

 死と向き合った時、良く生きることを覚悟するのかもしれない。

 デーケンさんはイエズス会の司祭であると同時に上智大学名誉教授であった。

 

 むっと暑い。

 あまりの天気のよさに出かけた。

 服装は冬の上下であった。

 歩き始めて、5分ぐらいで汗がにじみ出だした。

 半袖はいくらなんでも気が早いのでないか、と昨日思った。

 しかし、その判断は間違いていたと考えなおした。

 アイスクリームを専門店で購入した。

 夏のアイスクリームはうまい。

 1年中、コンビニでもスーパーでもアイスクリームは販売されているが、これはアイスクリームフェチがいるからだと思っていたが、ようやくアイスが似合う季節が一足早くやってきてしまった。

 汗を冬用の上下にためて早々に帰宅した。

 暑さの名残りが体にしみこんで一向に引こうとしない。

 やはり、夏用の衣服を準備しようと、引っ張り出した。

 クールビズは昨日から始まったというが、世間の流れは。季節に合わせるようにやってくるのだ。

 今日は朝7時半からベランダに出て、幹線道路を眺めていた。

 駅に通じる道路であるから幹線道路なのだと考えている。

 車道を挟んで2本の歩道が走っているのだが、電車が着いて7,8分後になると2本の道路は若者で満杯になる。

 わたしは駅に向かって立っているので、右側の歩道を歩く若者たちの群れと左側を歩く生徒の群れに違いがあると気づくことができる。

 右側の若者の身長には際立って凸凹がある。

 左側の若者にはちらほら女の子が混じっている。

 右側を歩く若者は私立の中高生なのである。

 左側の若者は都立高生なのである。

 それにしても、彼らは群れるのが好きなのである。

 頭の中は大学進学のことしかないのであろうが、その瞬間までは友達と一緒にいることに慰めや喜びを感じているのだろう。

 歩みは遅い。ゆったりとか、のどかとは違う。


 さて、午前10時を過ぎたときに、またベランダに出た。

 御歳をめした女性、男性が買い物袋をぶら下げて駅に向かって歩く。

 駅のそばのスーパーに行くのだ。

 中高生と同じぐらいの歩くスピードである。

 これは、枯れた歩き方というのであろう。


 若者は血気にあふれてはいるが、いまの社会ではステップアップを考えなければいけないことを知っている。

 老人はやり遂げたことを誰にも話せず、肉体の老化に脅かされている。


 若者には若者の、老人には老人の、いま越えなければならないことがあるのだろう。

 わたしは駅に向かって歩きながら、そうだお金を下ろしておこうと考えていた。

 いま降る雨は明日まで続くと天気予報が言っている。

 これを予測して。昨日買い物を済ませてしまった。

 こんな日は、本を読むしかない。

 手に取ったのは『全集 日本の歴史 第6巻 京・鎌倉二つの王権』、本郷恵子筆である。

えっ、ちょっとタイム。

 慌てて、インターネットを調べてみた。

 gaccoの本郷和人さんと関係ある人ではないかと思ったのである。

 ご夫婦であった。

 つまり、お二人とも中世史家で、職場結婚なのである。

 公私が一緒ならば、さぞや仲がいいのであろう。

 さて、二つの王権論は、新しい史料を使いこなし、人を説得する。

 歴史学界では、権門体制論と東国国家論は対立しており、権門体制論を支持する史家は80%、東国国家論は20%。

 わたしは本書を読んで、わたしが学んだ高校、大学の歴史とは何であったのかと考えざるを得なかった。

 静的な歴史、支配者のイメージだけ解説しており、庶民の顔が見えない。それは事実を積み上げるだけの歴史であった。

 二つの王権論は、京都王権と鎌倉王権の姿を鮮やかに活写している。

 ここでおもしろいのは本郷和人さんは網野善彦さんの言いなりにはなっておらず、自分の史家としてのパーソナリティをいかんなく発揮しているのである。

 しばらくはお二人の著作物を読み漁ろう。

 雨もいいものである。

 今週で3週目講義を受講中である。

 gaccoはNTTナレッジ・スクウェアがサービスを提供している。

 講師陣は東京、関西などの大学の先生である。

 講座によって、通常コース(無料)、反転コース(対面授業 有料)が用意されている。

 受講者同士のコミュニケーションをはかるため、ディスカッションもできるページもある。

 以上のような講座の中で選んだのは、東大史料編纂所の本郷和人先生の『日本中世の自由と平等』であった。

 わたしは、中世の研究者、網野善彦さんが好きである。歴史を生き生きと甦らせた功労者であろう。

 本郷先生は講座テーマから推測できるように網野先生に近い立場なのであろう。

 この講座は1週ごとに課題を提出しなければならない。ただし、楽しみを求める人は提出しなくても構わない。

 このコースの課題は4問について解答する。

 問の文章全体が正しい、一つ間違いがある、二つ間違いがある、文章全体が間違い、の四択から選択しなければならない。

 わたしは、1周目の課題4問の中すべてに「歴史資料」の言葉があったので、本郷先生の史料(古文書、古記録)の解説ページを繰り返し読んだ。先生は資料と史料の使い分けを解説しているし、講義中に「歴史史料」と表記していた。

 わたしは、「歴史資料」は間違いと判定して解答した。

 結果は3問不正解。

 この課題は2回解答できるのだが、1週目は課題を見ていた時いじっていたようで、やり直しができなかった。

 課題は60パーセント以上の正答がないと修了証がもらえない。

 考え方、捉え方を学ぼうとしているので、しつこく学習を続けようと気を取り直している。

 姉の家が竣工まじかである。

 いまスロープの工事中である、

 コンクリートと滑り止めの耐用年数を聞いた。

 最後に、見積もりを出してもらう時に、ウッドデッキの形、布団を干せるように柵で囲ってもらえるようにと、再三再四要望したのだが、実際は柵がついていない。

 これはおかしいので、説明した営業とよく話すようにと現場監督に申し入れた。

 姉は終の棲家として建てたので、思い入れも深い。

 わたしは公団の賃貸住まいである。

 大風にも、大雨にも、大雪にも耐えてくれている。

 借り物だからいつでも出て行けるのだが、仕事の関係でここにまだ住み続けなければならない。

 引き留める要素があるので、転居は当分は無理である。

 内装も傷み、8年分の雑貨もたまっている。

 気分を変えるためにも片づけなければならないと思うのだが、気力がわかない。

 団地暮らしの弱みは、孤独死であろう。

 こればかりは、月に1度は会う、友人によくお願いしなければならないと考えている。

 この時代小説はくどいほどの江戸の長屋の風俗を描いている。

 それが笑いを誘い、涙を誘う。

 この長屋の住人はお店ものであったり、職人であり、生業を持ちながら暮らしている。

 住人が苦境に立つと助ける。

 住人が悲しんでいると手を差し伸べる。 

 余計なお世話をするのである。

 ここの住人は、助けるために存在している。

 出色は、優れた壁塗り職人の女房が結婚後20年もたつのに、自分が愛されているのか疑問を持ってしまう。

 夫婦げんかのあげく家を出てしまう。

 周りは、冷静に見守る。

 サイドストーリーは壁塗り職人同士の曰く因縁である。

 その両方がいつの間にかやわらかに融けていく。

 嫌みのない、人間関係こそ江戸にはあったと確信しているこの作家の筆勢はとどまることはない。

 すべては元のさやに納まる。

 これが幸せなことなのであろう。

 筆者の名前も普通なら普通の江戸の庶民を描くのも仏に出来るのであろう。