本の話です。
こんどは通学途中で買ったのではなく(夏休みですから)、
アマゾンでふらふら~っと買った本。
「スローライフでいこう」
エクナット・イーシュワラン著
スタイナー紀美子訳
早川書房(ハヤカワ文庫)
以前に、流行のリラックス本かと思ったら実は瞑想の本だった、
ってな本の話をしましたが、
こんどは、流行のエコネタの本かと思ったら実は瞑想の本だった、
というハナシ。
著者はアメリカの大学で働いていたインドの方で、
99年に亡くなっていますが、60年代から瞑想指導を始め、
センターまで設立しています。
アメリカでは有名な方らしく、著書も多いようですが、
ゼンゼン知りませんでした。
まあ、それもそのはずで解説によると、
邦訳されているのは、現在、この一冊だけみたいです。
本の中心になるのはさまざまな側面で、
今現在に在るようにして、心にゆとりを持つことです。
個人的には、後半の「崇高なイメージ」の章で、
マントラの活用方法を説明した部分が大変参考になりました。
瞑想方法は独特で、自分の好きな聖なる言葉を黙念するというもの。
また、その次の章の「静かな中心」では、瞑想の効用について書かれています。
このあたりの記述は、瞑想をすることによってたどりつく最終的な状態について、
平易な日常の言葉をつかって説明できる限界なのではないかと思います。
想念と想念の間隙の話。
センターでは「エイトポイントプログラム」とよばれるプロセスを
指導しているそうですが、その要約も巻末に載っています。
ざっと、こんな感じ(( )内は、ぼくの勝手なコメント)。
1.スローダウン(すべての生活側面でスローダウンする。
まずは早起き(ぎりぎりに起きない)して
一日をバタバタとはじめないこと……からはじめる)
2.一点集中(一時に複数のことをやらない)
3.感覚器官の制御(自分のスキ・キライをいわない)
4.人を優先させる
5.精神的な仲間をつくる
6.啓発的な本を読む
7.マントラ
8.瞑想
ざっとこんなこんな感じです。
ご興味があればどうぞ。
さて、困ったことになりました。
変爻が多すぎるのも困りますが、
ひとつもないというのも困ります。
加藤大岳著 紀元書房刊「易法口訣」という本では、
かなりのページ数をさいてこの問題を論じています。
不変卦(「本卦=之卦」で、変爻がない卦のコト)を得た場合の、
判断における注意点として、以下のようなことが書かれています
(旧仮名使いを現代仮名づかいに変更、かつ読みやすくアレンジして引用)。
一、不変爻を得た場合は、占った問題自体に変化の気配が少ない。
一、不変爻を得た場合は、占った問題の将来の見通しは困難なことが多い。
一、不変爻を得た場合は、その問題をなりゆきのまま放置すると、ラチがあかなくなる事が多い。
一、不変爻を得た場合は、その問題に人為的に力を加えてなんとか解決をはかろうとして、非常な努力をしていることが多い(ようするにムリをしている)。
まあ、こういった点を踏まえて、変爻がないのでその代わりに、
主爻(*1)で判断したり、断易(*2)の方法で判断したりする方法が説明されています。
それはそれで参考になりますが、主爻や断易の概念は、
ここで紹介しているシステムの範囲外ですし、
「変爻がない」=「之卦も実質上ない」、
という状況には変わりありません。
そもそも、
「本卦=之卦」→変爻がない。
という状況は、システムの原理からいって、
どのように考えたらいいのでしょうか。
「変化しないものはない」というのがシステムの原則です(2005年2月28日、2005年8月2日のログを参照してください)。
そこへもって、「変化しない本卦」を得てしまった、というのは、明らかな矛盾、
すなわち、方法そのものに問題があるのではないか、とも思えますがどうでしょうか。
前述の本では、方法そのものはそのままで不変卦がでるのは仕方ないとして、
「出た不変卦をどうとらえるか」という観点で論がすすめられています。
カンタンにいうと、同著では、
「変化するという原則は変わりないが、
不変卦はその変化がまだ現れていない状況を示す」
という結論になっていると思います。
不変卦がでないような方法はあるのでしょうか。
それはまた次回に。
---------
*1:主爻
その大成卦の主になる爻。上下の八卦それぞれにも「八卦の主爻」があります。
このブログでは説明しません。
ていうか、このブログで紹介しているシステムではオミットしています。
*2:断易
象数易ともいいます。八卦の五行や断易特有の法則で占う方法。
このブログでは説明しません。ていうか、ぼくもよく知りません。
変爻が多すぎるのも困りますが、
ひとつもないというのも困ります。
加藤大岳著 紀元書房刊「易法口訣」という本では、
かなりのページ数をさいてこの問題を論じています。
不変卦(「本卦=之卦」で、変爻がない卦のコト)を得た場合の、
判断における注意点として、以下のようなことが書かれています
(旧仮名使いを現代仮名づかいに変更、かつ読みやすくアレンジして引用)。
一、不変爻を得た場合は、占った問題自体に変化の気配が少ない。
一、不変爻を得た場合は、占った問題の将来の見通しは困難なことが多い。
一、不変爻を得た場合は、その問題をなりゆきのまま放置すると、ラチがあかなくなる事が多い。
一、不変爻を得た場合は、その問題に人為的に力を加えてなんとか解決をはかろうとして、非常な努力をしていることが多い(ようするにムリをしている)。
まあ、こういった点を踏まえて、変爻がないのでその代わりに、
主爻(*1)で判断したり、断易(*2)の方法で判断したりする方法が説明されています。
それはそれで参考になりますが、主爻や断易の概念は、
ここで紹介しているシステムの範囲外ですし、
「変爻がない」=「之卦も実質上ない」、
という状況には変わりありません。
そもそも、
「本卦=之卦」→変爻がない。
という状況は、システムの原理からいって、
どのように考えたらいいのでしょうか。
「変化しないものはない」というのがシステムの原則です(2005年2月28日、2005年8月2日のログを参照してください)。
そこへもって、「変化しない本卦」を得てしまった、というのは、明らかな矛盾、
すなわち、方法そのものに問題があるのではないか、とも思えますがどうでしょうか。
前述の本では、方法そのものはそのままで不変卦がでるのは仕方ないとして、
「出た不変卦をどうとらえるか」という観点で論がすすめられています。
カンタンにいうと、同著では、
「変化するという原則は変わりないが、
不変卦はその変化がまだ現れていない状況を示す」
という結論になっていると思います。
不変卦がでないような方法はあるのでしょうか。
それはまた次回に。
---------
*1:主爻
その大成卦の主になる爻。上下の八卦それぞれにも「八卦の主爻」があります。
このブログでは説明しません。
ていうか、このブログで紹介しているシステムではオミットしています。
*2:断易
象数易ともいいます。八卦の五行や断易特有の法則で占う方法。
このブログでは説明しません。ていうか、ぼくもよく知りません。
ちょいと復習します。
易システムでは、ある問題(問い)にたいして、
切れた線またはつながった線六本で構成されるパターン(本卦)と、
本卦から派生する同様のパターン(之卦)を無作為に取り出して、
その答えを判断します。
使う道具の違いによって、本卦から6種類の之卦が派生する方法と、
64種類の之卦が発生する方法があります。
システムの原則からいって、できれば後者を使いたいのですが、
この方法だと「変爻」が複数生じてしまうという問題があったのでした。
「変爻」は、本卦という全体状況の中の段階を示すものだから、
できればひとつにしぼりたい……
というわけなのでした。
いろいろ考えたり調べたりしましたが、
いまは「現爻」という考え方でやっています。
調べた範囲ではこのような考え方なかったので、
ぼくのオリジナルの考えかもしれません。
とはいえ、なにせ世の中は広く、システムの歴史は深く、長い。
同じことを考えている人がすでにいるかもしれません。
いや、多分いるでしょう。
そんなにたいそうな手法でもないですし。
例をもとに説明したほうがわかりやすいと思います。
「道具のアレコレ5(2005-07-30)」でご紹介した
Iching Sticksで占って、
コード番号12の「履」が本卦として出て、
初爻・二爻・四爻・五爻が変爻となり、
之卦が、コード番号78の「剥」になったとしましょう。
図を参照してください。
従来ですと、本卦のどの爻を、
本卦という「全体状況」における「段階」として
観ていいかわからない、ということが問題でした。
初爻なのか、二爻なのか、四爻なのか、五爻なのか。
朱熹説も煩雑で、あまり実用的とはいえなさそうだ、
というお話もしました(2005年08月04日「変爻が複数ある場合」)。
そこで、変爻の位置ではなく、
数に着目するのが「現爻」の考え方です。
例では4つの変爻があります。
したがってこの場合は、本卦という全体状況における4番目のステップと判断しよう、
というわけです。
実際のシステム運用では四爻の爻辞を参照することになります
(爻辞はまだこのブログでは紹介していませんが)。
例では、コード番号12の「履」の第四爻の爻辞を参照するわけです。
現爻を、なぜ変爻ではなく、「現」爻と呼ぶのかというと、
この爻(例だと第四爻)が変じて(陰なら陽、陽なら陰に反転して)、
之卦が派生するわけでは「ない」からです。
「変爻」と言った場合、
それらが反転すると之卦が得られる爻のことですから(と、ぼくは思っていますので)、
例でいうと、変爻はあくまで、「初爻・二爻・四爻・五爻」です。
現爻は、「現在の状況における段階」を特定します。
現爻はひとつで、例の場合は、コード番号12の「履」(つまり本卦)の第四爻です。
これで、本卦から之卦として64種類のパターンを派生することができ、
かつ、ひとつの「段階」=現爻を特定する方法ができました。
これにて一件落着!
といいたいところですが、そうはいきませんでした。
本卦から64種類のパターンが派生する、ということは、
派生するパターン=之卦には、
必然的に本卦それ自身のパターンも含まれているからです。
もっとカンタンにいうと、Iching Sticksのような道具で占うと、
「変爻がない」ケースもありうるということです。
このような場合、本卦という「全体状況」における「段階」は、
どう考えたらいいのでしょうか。
長くなりそうなので、続きはまた次回以降に。
天気のいい日には……
といってもあまりカンカン照りや、
光化学スモッグ注意報が出ている日
(うち、市役所の近所なんですぐわかるの)は
まずいけど……
適度に天気のいい日には……
一時間、自転車乗って、
一時間、サ店で本読んで、
また一時間、自転車乗って、
うちに帰ってくるのが、
ベストだなあ。
キャネ(カネ)もそんなに使わないし。
わぁ~お!
この時期の大学横喫茶店の
午後2時半。
貸切だぜ!
本読んじゃうんだもんね。
といってもあまりカンカン照りや、
光化学スモッグ注意報が出ている日
(うち、市役所の近所なんですぐわかるの)は
まずいけど……
適度に天気のいい日には……
一時間、自転車乗って、
一時間、サ店で本読んで、
また一時間、自転車乗って、
うちに帰ってくるのが、
ベストだなあ。
キャネ(カネ)もそんなに使わないし。
わぁ~お!
この時期の大学横喫茶店の
午後2時半。
貸切だぜ!
本読んじゃうんだもんね。
変爻がひとつ生じる方法(たとえば、八面サイふたつと六面サイひとつを使う方法など)よりも、
変爻が複数生じる方法(たとえば「道具のアレコレ5」で紹介した”Iching Sticks”で占う場合など)
のほうが、システムの原理にかなっていてよさそうだ、という話をしました。
2005年05月21日「変爻のハナシ」でお話したように、
大成卦は、占った問題に対する「全体状況」を表し、
変爻は、その状況下で、どのような「段階」にあるのかを示すものです。
この変爻が複数あるということは、その「段階」を特定できない、ということになります。
とくにもともとの易経には、各爻ひとつひとつに意味(コトバ)がわりあてられていますから、
そのコトバを特定できない、ということになり、困ったことになるわけです。
昔の人も同様のことで悩んだようで、12世紀後半に朱子学を大成した朱熹は、
以下のような原則を立てています。
(中国の思想 第7巻「易経」 徳間書店より
~話の内容に合わせて適宜簡略化して引用)
○ 変爻がまったくない場合
本卦の彖辞(たんじ:*1)で占う。
○ 変爻が1つの場合
本卦の変爻の爻辞(こうじ:*2)で占う。
○ 変爻が2つの場合
本卦のふたつの爻辞で占うが、上の爻を主とする。
○ 変爻が3つの場合
本卦と之卦の彖辞で占う。
○ 変爻が4つの場合
之卦のふたつの不変爻の爻辞でで占うが、下の爻を主とする。
○ 変爻が5つの場合
之卦の不変爻で占う。
○すべて変爻の場合
之卦の彖辞で占う。
引用した本には続けてこんなことが書いてあります。
「しかしながらこの原則にあてはまらない占例もあり、
かならずしも妥当とはいえず、早くから多くの異論が提出されてきた……」
さもありなん。
朱熹さんは、過去の占例を調べて(たぶんすごくタイヘンだったと思う)、
上記原則を導いたそうですが、これはちょっと……
上を主にしたり、下を主にしたり、
パッと見でもめんどくさそー。
でも、変爻が複数出る方法は使いたい……
ではどうするか。
それはまた次回に考えてみたいと思います。
----------
*1
彖辞(たんじ)は、
大成卦全体にわりあてられたコトバ(全体状況)で、
現在このブログでご紹介している各大成卦の意味は、
この彖辞をもとにぼくなりに解釈した結果です。
*2
爻辞(こうじ)は、各「爻」にわりあてられたコトバ(全体状況における段階)です。
「各」爻ですから、ひとつの大成卦に6つあるわけです。
易システム全体では大成卦が64パターンあります。
したがって爻辞は、6×64で384あることになります。
いずれすべて、ぼくなりに解釈した結果を提示する予定です。
384個のコトバ……
ああっ、いったいいつのことになるのやら。
ホントーにできるのか??
変爻が複数生じる方法(たとえば「道具のアレコレ5」で紹介した”Iching Sticks”で占う場合など)
のほうが、システムの原理にかなっていてよさそうだ、という話をしました。
2005年05月21日「変爻のハナシ」でお話したように、
大成卦は、占った問題に対する「全体状況」を表し、
変爻は、その状況下で、どのような「段階」にあるのかを示すものです。
この変爻が複数あるということは、その「段階」を特定できない、ということになります。
とくにもともとの易経には、各爻ひとつひとつに意味(コトバ)がわりあてられていますから、
そのコトバを特定できない、ということになり、困ったことになるわけです。
昔の人も同様のことで悩んだようで、12世紀後半に朱子学を大成した朱熹は、
以下のような原則を立てています。
(中国の思想 第7巻「易経」 徳間書店より
~話の内容に合わせて適宜簡略化して引用)
○ 変爻がまったくない場合
本卦の彖辞(たんじ:*1)で占う。
○ 変爻が1つの場合
本卦の変爻の爻辞(こうじ:*2)で占う。
○ 変爻が2つの場合
本卦のふたつの爻辞で占うが、上の爻を主とする。
○ 変爻が3つの場合
本卦と之卦の彖辞で占う。
○ 変爻が4つの場合
之卦のふたつの不変爻の爻辞でで占うが、下の爻を主とする。
○ 変爻が5つの場合
之卦の不変爻で占う。
○すべて変爻の場合
之卦の彖辞で占う。
引用した本には続けてこんなことが書いてあります。
「しかしながらこの原則にあてはまらない占例もあり、
かならずしも妥当とはいえず、早くから多くの異論が提出されてきた……」
さもありなん。
朱熹さんは、過去の占例を調べて(たぶんすごくタイヘンだったと思う)、
上記原則を導いたそうですが、これはちょっと……
上を主にしたり、下を主にしたり、
パッと見でもめんどくさそー。
でも、変爻が複数出る方法は使いたい……
ではどうするか。
それはまた次回に考えてみたいと思います。
----------
*1
彖辞(たんじ)は、
大成卦全体にわりあてられたコトバ(全体状況)で、
現在このブログでご紹介している各大成卦の意味は、
この彖辞をもとにぼくなりに解釈した結果です。
*2
爻辞(こうじ)は、各「爻」にわりあてられたコトバ(全体状況における段階)です。
「各」爻ですから、ひとつの大成卦に6つあるわけです。
易システム全体では大成卦が64パターンあります。
したがって爻辞は、6×64で384あることになります。
いずれすべて、ぼくなりに解釈した結果を提示する予定です。
384個のコトバ……
ああっ、いったいいつのことになるのやら。
ホントーにできるのか??
道具のアレコレシリーズでご紹介した点棒ツールや、
このブログの最初の方で
(このブログは2005年2月からやっています。ご興味があれば参照してください)
ご紹介した八面サイをつかって占う方法では、
本卦と、変爻がひとつ出ます。(1)
ところが、道具のアレコレ5で紹介したツールでは、本卦と、
その変爻が0~6つの範囲の複数出ます。(2)
これが何を意味しているかというと、
変爻がひとつしか得られない(1)の方法で占うと、
その変爻は、初爻から上爻までのどれか「ひとつ」ということになりますから、
本卦から派生する之卦のバリエーションが6種類しかないことになります。
これに対し、
変爻が最大6つ得られる(2)の方法では、
本卦から、大成卦64パターンすべてが派生する可能性があるということになります。
さて、実際に易システムを使うとき、
どちらをとるべきか、という話ですが……
2005年2月28日のログ、
「易システムのルール」で易システムの根本原理のお話をしました。
冗長になりますが以下に再掲載します。
[ルールその1]:ものごとのはそれがいかに複雑に見えても、
その基本は単純(陰と陽のように)。
[ルールその2]:陰は陽へ、陽は陰へ、変わってしまう。
そういう可能性を「常に」はらんでいる。
つまり、ある一定の状態のまま、
変化しないものはなにひとつとして、「ない。」
[ルールその3]:「変化し続ける」というその法則自体は、変化しない。
[ルールその1]はともかく、2と3から考えると、
あるひとつの爻に対してのみ、変化する可能性が与えられている(1)の方法より、
6つの爻すべてについて、その可能性が与えられている(2)の方法のほうが、
この原則にのっとっているといえます。
また、
ある本卦に対し6つの之卦のバリエーションしか持たない方法より、
64のバリエーションを持つ方法のほうが、
システム側から見た場合の表現力も、
豊かになるにちがいありません。
では、(2)の方法には問題がなく、
いいコトずくめかといえば、
それはそうではありません。
長くなりそうですので、
続きはまた次回以降に。
このブログの最初の方で
(このブログは2005年2月からやっています。ご興味があれば参照してください)
ご紹介した八面サイをつかって占う方法では、
本卦と、変爻がひとつ出ます。(1)
ところが、道具のアレコレ5で紹介したツールでは、本卦と、
その変爻が0~6つの範囲の複数出ます。(2)
これが何を意味しているかというと、
変爻がひとつしか得られない(1)の方法で占うと、
その変爻は、初爻から上爻までのどれか「ひとつ」ということになりますから、
本卦から派生する之卦のバリエーションが6種類しかないことになります。
これに対し、
変爻が最大6つ得られる(2)の方法では、
本卦から、大成卦64パターンすべてが派生する可能性があるということになります。
さて、実際に易システムを使うとき、
どちらをとるべきか、という話ですが……
2005年2月28日のログ、
「易システムのルール」で易システムの根本原理のお話をしました。
冗長になりますが以下に再掲載します。
[ルールその1]:ものごとのはそれがいかに複雑に見えても、
その基本は単純(陰と陽のように)。
[ルールその2]:陰は陽へ、陽は陰へ、変わってしまう。
そういう可能性を「常に」はらんでいる。
つまり、ある一定の状態のまま、
変化しないものはなにひとつとして、「ない。」
[ルールその3]:「変化し続ける」というその法則自体は、変化しない。
[ルールその1]はともかく、2と3から考えると、
あるひとつの爻に対してのみ、変化する可能性が与えられている(1)の方法より、
6つの爻すべてについて、その可能性が与えられている(2)の方法のほうが、
この原則にのっとっているといえます。
また、
ある本卦に対し6つの之卦のバリエーションしか持たない方法より、
64のバリエーションを持つ方法のほうが、
システム側から見た場合の表現力も、
豊かになるにちがいありません。
では、(2)の方法には問題がなく、
いいコトずくめかといえば、
それはそうではありません。
長くなりそうですので、
続きはまた次回以降に。
.
実は、このごろはもっぱらこの道具ばかりつかっていて、
サイコロも、自分で作った棒もあまりつかっていません。
手のひらサイズの、赤いプラスティック製の箱に入った、
これまたプラスティック製の六本の棒。
青山の「回」という、精神世界関連書籍の専門店で買ったものです。
アメリカ製でIching Stickという商品名でした。
中身はこの箱と箱に入った四角い棒六本で、
簡単な使用方法のインストラクション(英文)がついているだけで、
易システムそのものに関する説明はありません。
その辺はわかったひと向け、ということなんでしょう。
この六本の棒を、ウリャッ、と投げるか、
無作為にとりだし、コッソリ見るかして(なぜかコッソリ)、
大成卦を得ます(……って、前に同じこと書いたな)。
各棒の各面には、以下のような図が描かれています。
(1)切れた線
(2)つながった線
(3)真ん中に○印のあるつながった線
(4)真ん中に×印のある切れた線
切れた線は「陰」、つながった線は「陽」を示す……
のはすぐにお分かりになると思いますが、
シルシのある面は何をあらわすのでしょうか。
実はコレ、(3)が老陽、(4)が老陰を表しているんです。
老陰、老陽については2005年02月22日のログ、
「グラデーションをつけてみよう(その2/3)」
で、軽く触れていますが、字のとおり、年老いた陰陽で、
老陰はもうすぐ陽に反転する陰、
老陽はもうすぐ陰に反転する陽、
です。
このツールの棒(つまり爻)は、
実際のつくりもそのようになっているところがユニークです。
老陽;○がついたつながった線(3)の裏側が「陰(1)」、
老陰;×がついた切れた線(4)の裏側が、「陽(2)」
というふうに、表と裏で陰陽の関係になっています。
まずエイヤと六本まとめて投げて、本卦を得て、
○または×のついた棒をそのままひっくり返せば、之卦が得られる、
というわけです。
サイコロをはじめ、易占いには、さまざまな道具が使われます。
まったく道具を使わないで大成卦を得ることもできます。
写真は、自分で作った易システム用の道具で、
一回で、大成卦ひとつと変爻をひとつ、求めることができます。
マージャンはしないのですが、
あるときマージャンの点棒をみて思いついた道具で、
ホームセンターで買ってきたヒノキ材の表面に、
アクリルニスを塗ってあります。
モノ自体は、
1センチ×7センチ、厚さ6ミリ位の平たい棒で、
片方の面の真ん中にミゾが入っています。
全部で六本あるうちの一本には、
裏表の端っこに小さな穴が彫ってあります。
すでにおわかりのことと思いますが、
この六本の棒を、
ウリャッ、と投げるか、
無作為にとりだし、
コッソリ見るかして(なぜかコッソリ)、
大成卦を得ます。
真ん中にミゾが彫ってある面が、陰。
真ん中にミゾのない面が、陽。
端っこに小さな穴がある棒が変爻、というわけです。
一見、ぼくのオリジナルのように見えますが、
実はそうではなく、これに類するツールは、
「投げ算木」といって市販されているものもあるようです。
とはいえ、やはり自分がつくった道具は愛着がわくもので、
会津に旅行に行ったとき買ってきた小袋にいれて持ち歩き、
しばらく使っていました。
現在は、また今度ご紹介する別の道具(既製品)を主につかっています。
地震の次は台風です。
ここ千葉も暴風波浪警報がでました。
台風7号がせまってまして、
今夜にも首都圏上陸か?ということですが……
なんでこの時間にこんなもの書いているかというと、
台風のせいで休校になったからです。
親のすねをかじっていた頃と違って、
身銭を切って通っているので、
「休校!」と言われても、ナンカ複雑な気分です。
昔だったら、「やったあ!」などと無邪気に叫んでいたものですが。
こんな日は静かに本を読んだりします。
そんなわけで、今読んでいる本のご紹介。
「エンリケ・バリオスの
魔法の学校」
エンリケ・バリオス著
さいとうひろみ訳
徳間書店
定価1600円(税抜き)
これが、どんな本かというと、同書に記載されている理由により
詳細を説明することはできません。
魔法の本です。
「魔法」といっても、「宇宙人アミ」で有名なエンリケ・バリオスの本ですから、
「奥様は魔女」に出てくるような「魔法」を期待しているとあてが外れます。
そうですね、たとえて言うなら……
いつもの駅でいつものように降りて、
歩いているとビラ配りに会います。
いつもは無視するところですが、
その朝はなんとなく手にしてしまう。
そのビラを見てみると、白紙でした。
印刷ミスかと思って、
ふりかえって確認してみると、
どうもそうじゃない。
道行く人たちは皆、
白い紙を受け取っているようです。
さて、そのビラは、
あなたにとってなんのビラですか。
そんな本です。
ていうか、まー、同書に記載されている理由により、
まだ全部読み終わってないんですが。
