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ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

 街はずれの
 田んぼの中の施設
 99になる祖母。
 
 こづかいを渡せなかったことを
 何度も何度もわびる。
 いいんだよ、ばあちゃん
 どうせ何十年も前のことだし。
 
 それに
 
 どうせわかってないし
 カネの意味なんて。
 
 手紙がだせないことを
 今度は泣きながら
 何度も何度もわびる。
 いいんだよ、ばあちゃん
 どうせ字なんぞ読めないし。
 
 それに
 
 どうせなくしちまうし
 手紙なんて。
 
 
 
 玄関に昼下がりのタクシー。
 
 たった今思い出した。
 洗面所の排水口を掃除しながら、
 
 あの軒下の燕の巣を。
 
 排水口は
 ひどい悪臭と汚れで、
 
 親鳥は巣のまわりを
 いそがしく飛び回っていた。
 
 からみついた髪の毛と水垢を
 キッチンペーパーで丁寧に拭き取り、
 
 あれは昨年と
 同じ光景なのだろうか。
 
 洗剤を念入りに吹き付け、
 
 たぶんそうだ。
 そしてそれは
 来年も続くのか。
 
 しばらく時間をおいて
 夏のプールの匂いを流す。
 
 
 おそらくは。
 
 来年もかわりなく続く。
 おそらくは。

(当初タイトル、「人生はクソだ」を改題)

あんまりムツカシー、ムツカシーとばかりいっていると嫌われてしまいますので、
ちょっとそれとは離れた、判断のヒントになるかもしれない話を。

システムを利用する際に、
その結果のシンボル(八卦、大成卦)だけでなく、
そのとき、あなたのまわりで起こっていること、
ご自分の内的な身体感覚に、注目すべきものがないかどうか、
注意してみてください。

たとえば、

目の前にたまたま貼ってあったポスターのメッセージや、
断片的に聞こえてくる隣の人たちの会話、
ウエートレスが、たまたま少しこぼしたコーヒーのしみ、
問題に関係のあるあるコトバや、
イメージを思い浮かべたときに感じる胃の辺りの重み、
背中のざわついた感じ、
……
そんなものが回答のヒント、
いや、回答そのものになっていることだってあるかもしれません!

「今日の天気は?」

と、聞かれたとき、
答えへの近道は、
必ずしもポータルサイトのお天気案内を
クリックすることではなく、
ちらりと視線を横にやることかもしれません。
窓の外の空へ。


革

なにもかもが大きく変わっていく。
一定不変、変わらずにあるもの、人、ことなどはそもそもないのですが、変化の波があまりにおおきいときはどうしてもめんくらうものです。
いまおきている変化は、自分をとりまく環境の変化かもしれませんし、自分の内奥の大きな変化かもしれません。いずれにしてもそれを恐れていては学びを深めることはできません。
オープンにその変化をうけいれてみてはどうでしょうか。
短期的には損害があるかもしれませんが長い目で見れば必ず成長につながる変化であるはずです。

学校から帰る途中の本屋で(いつもそこだな)、
本……ではなくてパズルを買った。
半分はやっぱり美しいパズルだと思ったから。
半分は懐かしさに駆られて衝動買い。
 
ルービックキューブ。
 
25年前に爆発的に流行ったヤツだ。
25年もたったか……
『うそ!おとといだろう?!』
と感じるアナタはちょっとヤバいかも。
ぼくもそう思った。
でも同梱されている台座には「25周年記念」って書いてある。
25年……ええと、おれ、19…いや、18(そこッ、計算しない!)。
うんうん、まあそうかも。やっぱ25年だ。
あのころは学生だったよな~(何の因果か実はいまも学生)。
当時ツクダが販売してたんだが、
ブームだったのでゼンゼン在庫がなくて、
しょーがないから、ニセモノ買って。
これがひどいシロモノで、
動かしているうちに中心軸が削れて
ボロボロ黒い粉が落ちてきてさ。
こうなってくると、いじっているとバラけてしまうこともあった。
この現象、サイキンは「ポップする(跳ねる・弾ける・ポップコーンのポップ)」
っていうらしいけど、
ぼくがいじっていたのはニセモノ。事情がちがう。
ふつうにトロトロいじっていても「ポップして」しまうのだ。
ご丁寧に、バラけたキューブの組み立て方の説明書まで入っていた。
壊れることが前提の粗悪品。
でもまあ、そのおかげで中身がどうなってるかわかって、
それはそれでおもしろかったんだけど。
粗悪なコピーでも構造はモノホンとおんなじだったからね。
 
で、25年前にはできたの?
 
できませんよお。
 
凡人だもの(お、"あいだみつお"みたい)。
 
くやしまぎれに、それぞれのキューブをばらして、
それからはめこんで色をそろえて組みなおしたけど、
トーゼン自慢にもなりゃしない。
「どーだ!」
なんってったって、トモダチはだれも信用してくれない。
シールをはりかえて色を合わせてた大バカ野郎もいた。
意味ないっつうの。
でも、無理もないっつうの、という気もする。
当時はまわりにだれも回答(攻略法)を知っている人がいなかったのだ。
 
さすがに今は研究も進んで攻略法がある。
ぼくが思うに、フツーのひとには、あれは攻略本がなければほとんどムリだ。
それはわかっていたので、パズルと一緒に攻略本も買った。
ま、当然だよね。
だけど、それがあっても、
スクランブルして、もどすまで半日かかった(写真参照)。
若い人ならもっと手際よくやるだろう。
 
Start!
cube_before
 
Goal!
cube_after
 
「できたぞ!すげーだろ!」
「どうせ本見ながらやったんでしょ」
 
かみさんは冷ややかな目で言うが、
攻略本をみながらやっても、けっこういい頭の体操になると思う。
 
「なんだその言い方は!じゃ、おまえやってみろよ!できんのか!」
「なんであたしがやんなきゃなんないのよ!ばかじゃないの!そんなことしてないでトイレ掃除しなさいよ!」
 
ま、女の人はあんまりこういうのに興味がないらしい。
 
最近はノーの活性化トレーニングとかいって、
ひたすら暗算とかをやらせるドリルとかが流行っているらしいが、
それよりははるかにおもしろいと、ぼくはそう思う。
 
いまは第二次ブームらしいけど、
ぼくぐらいのおとーさんが、子供のためにとか言って、
買ってやったりしているのカナ。
 
そんな時、傍らにいる奥さんは、
 
『たーちゃんがあんなモノよろこぶワケないじゃない。
結局自分が欲しいのネ……
ま、たいした値段じゃないからいいケド』
 
などと思いつつ、やっぱり冷ややかな目をしているのだろうか。
 
あれ?
よく考えたら「ホンモノ」の
ルービックキューブを買ったのは
初めてじゃないかい。
 
「皆のもの、入荷したぞお!」

つって、討ち入りのような形相で、
デパートの売り場に走らなくても、大丈夫。
今なら落ち着いて本屋などで買える。
 
いい時代……なんだろうな、きっと。

 
先に書いたことと矛盾するようなタイトルですが、
先の書き込みは、イキナリ64卦で判断することを
否定しているわけではありません。
ただ、ムツカシーというお話をしたかっただけで。
 
もし特定の「問い」をずっとかかえていて、
その「問い」を、じっくり吟味する時間と、
心の余裕と、集中力があるなら、
こんな方法もいいかもしれません。
 
筮竹もサイコロもカードも使わないで、ご自分の判断で、
現在の状況をもっとも適切にあらわすと思われる
適切な大成卦をひとつ、「じっくりと」選びます。
 
あとは、この大成卦を様々に分析して、
現状の打開策を模索します。
漠然と「様々に分析しろ」といわれても困ると思いますので、
アプローチの仕方をいくつかあげておきます。
 
○之卦を観る
初から上爻まで、順番に、一回にひとつずつ陰陽を反転させていき、
そのつどできる大成卦を検討する(全部で6パターンできますね)。
 
○裏卦を観る
初から上爻まで、すべての爻を反転させます。
反転させて出来上がった大成卦の意味を探ります。
物事の背景や、隠れた意味を表すことが多いカタチです。
(かならずそうだというわけではありませんが)
文字通りウラの卦、「裏卦」といいます。
 
○倒卦を観る
大成卦全体を上下ぐるりとひっくり返したカタチ(大成卦)を観ます。
自分とは反対側、つまり相手の立場から観た、
ものの観かた・考え方などを考慮するときに観るカタチです。
錯卦ともいいます。
 
易システムではこのように、ひとつの大成卦を多重に読み込んでいきます。
上記では基本的なパターン三つを示しました。
他にもいくつか「多重に」見ていく方法がありますが、
それはまた折に触れ、別の機会に説明していきたいと思います。
本卦=井(コード番号:65)の場合を図に示します。
 
例:之卦裏卦得卦
 
判断は、ふつうに占うときと同様でOKです。
 
ここでご紹介している方法と、ふつうに占うときとの違いは、
カードやサイコロを使って本卦を選ぶのか、
「じっくり自分で考えて選ぶ」のか、ということだけです。
 
 
と、こういえば「自分で選ぶ」ということがいかに難しいか、
すぐにおわかりになると思います。
まず、64卦すべての意味について、
おおまかにでも把握していることが前提になります。
それから、前にも書きましたが、
自分の思い込みや偏見を限りなく小さくして選ばなければ、
正しい判断はおぼつかないというところが、
なんといってもムツカシイ。
 
逆にいえば、それが難しいからこそ、
普段は、サイコロやカードを利用して、
色眼鏡を排除している、ともいえます。
それでも、判断の段階でどうしてもエゴのバイアスがかかり、
誤占ってことになってしまうことも多々あるわけです。
 
分析のヒントになるかもしれませんので、
「オズボーンのチェックリスト」を再掲載しておきます。
(2005年5月16日のログ「行き詰ったときはこれかな」より)
 
・転用したら?
・応用したら?
・変更したら?
・拡大したら?
・縮小したら?
・代用したら?
・置換したら?
・逆転したら?
・結合したら?
 
「考具(加藤昌治・阪急コミュニケーションズ)」より。


チキウの話をしたのでついでに書こうと思ったんだけど、この7月から「13の月の暦」というのにハマってしまった。
この暦のコトは前々から知ってはいたんだけど、下の本が出版社を変えて復刊されたのをタマタマ見つけて、なんだか、イキナリ、どどど~っとハマってしまった。

時空のサーファー
ホゼ・アグエイアス著
住倉良樹・椎原美樹 訳
高橋徹 監修

モデラート
1600円(税抜き)

13の月の暦については、VOICEというところから、「マヤンカレンダー」という本が出た頃から知ってはいた。
本も読んではいた。
けどなんだか、「乗れなかった」んだねえ。
ま、なにごとも、はじめるにはカンペキなタイミングがあるって、つまりはそういうことらしい。

「マヤンカレンダー」で、この暦が日本に紹介されてからのことを思うと、ぼくが「乗った」のはかなり後発ってことになるが、それはそれで、この7月からはじめたってことが、ぼくにっとってカンペキなタイミングだったのだろう。
まあおかげで、「マヤンカレンダー」のころとは(ショボかったなあ、あの頃は。一所懸命普及に努めていた人にはホンマ、アタマさがるけど)比べものにならないほどの乗りやすい環境が整えられていた→http://www.panlibrary.org/。

通常の壁掛けカレンダーはもとより、手帳、ノート、なんでもござれ。
今は、たいてーのもんはそろってるシアワセな時代だ。
ぼくの方はとはといえば、ひょんなことから、おそろしく迅速なタイミングで、13の月の波に乗るキョーリョクなデバイスまでころがりこんできた(テレクトノン~預言のゲーム;ヤムナさんありがとう!ここで礼をいうなってか)。
後発の利ってやつ?

ああ、そうか、「13の月の暦」が何か説明してなかった。
一週間7日×4週間×13ヶ月+1日=365日
というシンプルなカレンダーで、これに沿って生きてみよう……
っていう、それだけの話なんだけど。
+1日っていうのは曜日も日にちもない、
静かに、「大いなる自己」を感じる「時間を外した日」。
マア要するに祭日でお休みだ。
だから、別に温泉にいったっていいし、
友達と近所の居酒屋で祝杯をあげてもかまわない。
そう、この「なんでもない日」に乾杯!

それがどうした、って思われるかもしれないけど、このシンプルってとこがいいんだな。
だって、一ヶ月は必ず7×4=28日で、曜日も毎月同じ。
このシンプルさ故に、一種の万年カレンダーともいえる。

ぼくたちが普段(無意識に)使ってるカレンダー、あれってすげーイビツじゃん。
月の長さは31日だったり30日だったり、28日だったり29日だったりさ。
おかげで曜日もずれるし、日取りのケーサンなんかしづらいこときわまりない。
イビツなカレンダーを使ってると、心も身体もイビツなってくるのは道理で、それが、今の世の中、こんなにオカシナ状態だっていう元凶で……
というのはまた別の話。
だけど、「13の月の暦」を使うと、キモチよく生きられるようになるってのは、たしかにあるみたい。

ところでこの13ヶ月のカレンダー、ベースは古代マヤ暦らしいんだけど(同じものじゃない)、その関係で、フツーのカレンダーでいう7月26日が一年の始まりになってる。
ぼくが上記の本をみつけてビビッときたのがこないだの8月5日、13の月の暦の一年が始まって間がない頃(11日目)。
んでもって、ガッコーの夏休みが本当は7月27日からだったんだけど、台風のおかげで一日早まって7月26日からになって、13の月の暦の一年の始まりにドンピシャ!
因縁めいたものを感じるとともに、考える時間はたっぷりあったってわけ。

上の本は、まったく何も知らない人にとっては、スキキライが分かれると思うので、はじめての人には以下の本をすすめるナ。

宇宙の暦は13ヶ月(改訂増補版)
~ちょうどよいが美しい
小原大典 著
プレアデス出版
1300円(税抜き)

読めばわかるが、かめばかむほど味が出るスルメみたいな本だ。
読みにくいところはまったくない。
実用情報もマンサイだ。

13の月の暦には「太陽の紋章」っていう、20種類のふざけたマークが描いてある。
一日ひとつの紋章が割り当てられていて、20日で一巡りするってわけ。
これが手足の指20本に対応している。
チャクラにも対応している。
もひとついうと、
地球を20分割した各エリアにも対応している。
これってすごいことだよ。
だって自分のボデーとチキウを結びつける公式があるってことだもんね!
まあ、そんなわけで、一日一個づつ、
その日の紋章に対応した自分の身体と地球のエリアを思い浮かべる(意識する)瞑想、ってのがサイキン一番気に入っているワークだ。
大丈夫、やりかたは上の本にも書いてある。
20日間世界一周。
タダだよ、タダ!

そして何よりもあなたの人生はそのままゲームになる!
バーチャルな話をしているんじゃない、
コイツは完全にリアルだ。
そこのキミ、プレステとかやってる場合じゃないぞ。
キミの人生、日々の暮らしはそのままRPGなんだ。

もちろん主人公は、ほら、おまいさんだよ。


どうじん

こころざしを共にする他の人間が頼りになるときもあります。
その人は友人かもしれないし、親かもしれないし、あるいはまったくの他人であるかもしれません。
だれであれ、鍵になるのは「目的、めざすものが一致している」という点です。
いまは、単独でことにあたるよりも、そういう人と共に行動した方がいいのかもしれません。

※同人誌の「同人」はここからきています。

 
前回ご紹介した、手ぶらで卦をたてる方法、
「目についたモノ、コトを即座に八卦に変換」する方法、
試してみられた方はおられるでしょうか。
 
どうでしょうか。
やさしかったですか?
 
ひとによるとは思いますが、
ぼくの感覚としては、
ケッコウむつかしいな~、といったところです。
 
これをやるには、
八卦の各シンボルとキーワードに精通していることが前提だからです。
なにかモノ・コトが起こった瞬間に、即座に卦を組み立てる必要がある。
なにかが起きたときに、
「えと、えと、あれは、う~んと……」
などといいながら、メモ帳や本を見ているヒマは……
多分ないと思います。
周囲は常に変化していますので、
八卦の各シンボルとキーワードに精通していることと、
かなり柔軟な連想力、発想力が要求されることも、
想像に難くないと思います。
 
そんなわけで、前回、
「やや上級です」てなことを書いたのでした。
 
八卦でもこの調子ですから、
なにかの事象をとらえて、いきなり六四卦に変換するのは
さらにムツカシイ……とうことになります。
 
それと、
 
八卦ならまだしも、
六四卦になるとどうしてもスキキライの問題がでてきます。
この話題についてはまた日を改めて書きますが、
だんだんこのシステムに慣れてくると、
六四種類の各パターンと、
一種の「お友達関係」ができてくるのです。
 
オトモダチといえばおわかりになると思いますが、
まあ、イイヤツもいればワルイヤツ……とまではいかないまでも、
ちょっと敬遠したいなア……というのもいる。
易システムでの話をすれば、
たとえば、以下のグループなどは「四難卦(しなんか)」と呼ばれていて、
通学路をはばむ不良グループじゃないけれど、
一般的には、打破するのが困難な状況をあらわします。
 
屯(コード番号:64)
 =(ちゅん)大地が固く、出たくても芽が出ない。
坎(コード番号:66)
 =(かん)坎は穴。穴二つ。はまって、這い出したと思ったら、またはまる。
険(コード番号:67)
 =(けん)字からしてケワしい。前に急流(坎:外卦)、背後に山(艮:内卦)。
  にっちもさっちもいかんぜよ。
困(コード番号:26)
 =(こん)上卦の沢から下卦の水へ。水がダダ漏れ、枯れた沢。
 
いずれも「坎」がらみでございまして、
こう書くといかにも「どーしよーもない」という感じがします。
嫌われても仕方ない。
以上は一般的な話ですが、システムを使い込んでくると、
個人的に好きな卦、嫌いな卦というのがどうしても出てきます。
好きな卦はともかくも、嫌いな卦を、好きな卦とわけへだてなく、
自分の周囲に起こっていることに、
「常に公平に」当てはめることができるでしょうか?
 
やっぱりムツカシイと思います。
 
最終的に出来上がる大成卦のことはできるだけ考えずに、
八卦レベルで状況を読み取り、先入観をできるだけ捨てて、
出来上がった大成卦に相対する、という方法が、
やっぱり一番適当かな、と思います。
 
ま、でも、
偏見や思い込みを捨てるのは、やっぱむつかし~。
 
これが「誤占」の最大原因なんですけどね。

 
「地球にやさしく」
 
何の本だったかは忘れてしまったが、
だれかがどこかで同じようなことを書いていた。
なにって、
このコトバが好きじゃないってハナシ。
 
誰が言い出したのか知らないけれど、
ぼくもあんまりこの言葉が好きじゃない。
 
なんとなく、
地球と同じ目線で言ったコトバじゃないような気がする。
どっちかっていうと、人間様のほうが上というか、
見下しているというか、どことなく不遜で高飛車な感じがする。
いかにも対岸のなにかを眺めているみたいに、
「地球」といっているが、この感覚も正しくない。
では「環境」といったら?
このコトバにも「自己をとりまく『モノ』」というイメージがあり、
なんとなくワンクッション置いている感じがする。
そりゃ、自分が生きていけなくなるのは困るが、
そうでなきゃ、別に自分とはカンケーない、
といったニュアンスがただよう。
 
こんなことを感じるのはぼくだけかもしれない。
 
だけど、よく考えてみると、自分を構成している素材のうち、
なにひとつ、自分が(人間が)無から創ったものはない。
すべてすでにあったものを使っているだけ。
 
ぼくら自身が、黙っていても地球なのである。
 
物質は生命を生み、生命は心を生み出した。
物質は生命の土台であり、生命は心の土台だ。
このプロセスもぼくたちが創ったものではない。
ぼくたちが創ったものといえば、いろいろあるが、
目に見えるところでは、技術や文明は間違いなくそうだろう。
技術や文明は心を土台にしている、といってよさそうだが、
どうも、それら自身が土台になっている心や、
心が土台になっている生命をも、
侵害するハタラキもあるようだ。
自分で自分の土台を壊しているわけだから、
世話がないといっちゃあ、世話がないのだが、
「地球にやさしい製品です」
は、やっぱりオカシイ。
 
ここは正直に、
 
「ちょっと自己破壊的な製品です」
「すごく自己破壊的な製品です」
「どうしようもなく自己破壊的な製品です」
 
この3ランクぐらいでいったらどうだろう。
だれも買わない……かな。
完全に自己破壊的「でない」製品を
つくることは可能なのだろうか。
 
そもそも人間って、
自己破壊的なイキモノなのだろうか。
仮にそうであっても、別に問題はないそうだ。
地球上に何千万種(?)とある生命のパターンは
人間が自己破壊的な選択をしたときの保険なんだそうで。
生命のカタチは別に人間のそれだけではないのである。

……っと、
これもなんかの本で読んだハナシだが、
何の本だったか忘れてしまった。
 
とまあ、台風一過、快晴の空の下、
かみさんのパンツを干しながら、
ガラにもなく、チキウのことなど
考えてしまうのであった。


りん

問題、あるいは、うすうす感じてはいたけども、さけていたようなことに向き合うときです。
この状況では、ほぼ必然的にそのことに「向きあわさせられる」ことになるかもしれません。
大事なのは、そうした成り行きではなく、実際にそれと向き合ったときのあなたの考え方や態度です。
それによって、その出会いから何を学ぶかはずいぶんと変わってくるでしょう。
もしそこで、その状況から充分に学ぶことができなかった場合には、コスモスは手を変え品を変え、また同様の状況を提示してくるでしょう。
そこでまたその状況・問題に向き合うことになるわけです。