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ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

 
 ねえねえ、しってた?
 あそこにカキ氷のうつわを
 さかさにしたような照明があったこと

 ねえねえ、しってた?
 たったいまコーヒーに虫がはいって
 コーヒーにまみれておぼれ死んだこと
  
 ねえねえ、しってた?
 朝のトラックは「もうたくさんだ!
 ってほえながら走っていること
 
 ねえねえ、しってた?
 陽の光はたしかにあたたかいけど
 わけへだてなくふりそそいでいるわけでも
 無限の愛でもないこと
 
 ねえねえ、しってた?
 時間は自然じゃなくて
 人がつくりだしたモノだということ
 
 ねえねえ、しってた?
 けさここまで歩いてきたとき
 キミに足があったこと

 ねえねえ、しってた?
 あなたが両親からうまれてきたこと
 
 ねえねえ。
 
holga04
10/2005 曇/店内  Baby-holga 


既成

火は水を熱し、料理を煮炊きしたり、一風呂浴びたりする環境をつくりだします。
すべてがおさまるところにキッチリおさまっている状況ですが、反面、そのような状況には、あそびや変化が入り込む余地はありません。
また、いつまでも変わりなく、一定不変であるものは存在しえないのが、私たちをもその中に含むコスモスのことわりです。
もうすこし余裕、または許容性があってもいいかもしれません。
そして、現在うまくいっていたとしても、状況に満足してその上に居座ってしまうことなく、
必ずやってくる変化にそなえてください。

夢枕獏の「陰陽師」などの小説を読んでいると、
「呪(しゅ)」というコトバがでてきます。
いろんな解釈があると思いますが、ひとことで言うと
「あるものの活動を制限する、または、あるものと別のものを結びつけるシンボル・手段」
……かな。
 
電車に貼ってある「ケータイ電源OFF」のラベル。
呪です。
何線だったか忘れましたが、これをシルバーシートの辺りに、
これでもか、と、貼りまくっている車両がありました。
ありゃ完全に、結界ですな。
 
パッケージ、コピー、ブランドを含む広告は呪のカタマリで、
代理店とそのクライアントに利益をもたらすようにできています。
 
自転車の防犯登録シール。
所有者と車体を結びつける呪です。
あのシールでどの程度「盗難を防ぐ」ことができるのでしょうか。
よくわかりませんが、盗難そのものを防ぐことよりむしろ、
その自転車が本当に乗っている当人のものかどうかを確認する手段として
使われているようでもあります。
 
さて、このブログでも、六四卦、各大成卦の大意を順を追って載せています。
この六四卦も、使い込んでくると、
自分が好きな卦、なんとなくヤダナーと思う卦、フシギだなと思う卦、
いろいろ出てきます。
それが面白い……というか、アタリマエというか、
使う人それぞれによって異なるわけです。
 
使い込んでくると、個々人独特の、
各大成卦との「つながり」が生じてくるわけです。
これはある種ラポール(心理的つながり)ともいえるし、
「呪」ともいえる。
 
この「呪」を介して、各卦がトモダチや、
相棒のように思えることさえあります。
『やあ、また出たね』
とか、
『来ると思ったよ』
ってな感じです(あ、同じコトか)。
いってみれば各大成卦を人格化してみているいるわけですね。
 
陰陽師は、式神と呼ばれる精霊を自由に使役することができた、
という伝説がありますが、
六四卦とトモダチになることができたアナタは、
一気に六四の式神、使い魔を得たことになる
……のかもしれません。
それとも、それは
現実をまた違った角度から見ることのできる
六四の言葉……でしょうか。

Baby-Holgaを買った。
学校帰りの雑貨屋で1890円。
フィルム付き。
中国製のトイカメラ。
 
トイカメラというからにはオモチャなんである。
オモチャなんだからあまり文句をつけてはいけない。
隣のミカちゃんが
ママレンジでつくってくれた
ホットケーキを食って、
「コレ、マジぃー!」
と、いってはいけないのと同じことである。
 
しっかし、ホントにゆるいカメラだ。
話には聞いていたが。
自分が何を撮っているか、
現像してもらうまでわからないんである。

holga01
 
おまけにできてきた写真はみんなボケボケで、
”記憶の中にある映像もこんな感じ”って記事を
どこかで読んだことがあるが、
なるほどそういう言い方もある。
 
とりあえずオマケでついてたフィルムで24枚全部撮ってみたが、
だいたい以下のような調子。
 
 24枚中、
 ○ なんとか使えそうな写真:4枚
 △ トリミングとかすればなんとか使えそうな写真:7枚
 × こりゃいかん:10枚
 
おや、3枚足りないよ。
 
3枚はミスショット。
ぼくのような凡人には想像すら許さない、
神のみぞ知る神秘の理由により、
なんにも撮れていないのである。
 
なんにも撮れていない中に、
かみさんを撮ったつもりの一枚が混入しているのは、
ちょっと問題かもしれない。
かの現実合理主義者に、
神の采配をどう説明したらいいのだろうか。
ま、いいか。
撮ったことを忘れているかもしれないし。
でも女性というのは、
だいたいこちらが忘れて欲しいことを、覚えているもんなんである。
 
付け加えると、
「× こりゃいかん:10枚」のうち3枚は、
「どうせダメだろう」と思いつつ、
確信犯的に夜撮ったものだから、「こりゃいかん」は実質7枚である。
精進すればもう少し打率もあがるかもしれない。
 
holga2
 
フィルムは、コダックがつくった規格の、
MICRO110という、スゲーちっこいフィルムを使うのだが、
これって、小学生だか中学のころにはやった、
同社製のポケットカメラ用のフィルム……だよなあ。
 
♪ ポケットにポケットが
  ポケットがポケットに
 ここ~に コダックポケット
 カ~ぁメラ~ ♪
 
思わず口ずさんでしまうんである(テレビばっかり見てた。おかげで今はド近眼だ)。
 
まだあったんだ。こんなフィルム。
 
ポケットカメラは高くて買ってもらえなかったけど。
スパイカメラってのもあった。
あれはミゼットフィルムだったかな。
 
今となっては、ワンテンなんて、
でかい店にいかなければそうそう売ってない。
ていうか、フィルムというシロモノ自体、
今はそこらへんの店にはあんまり置いていない。
使い捨てカメラはたくさんみかけるけど。
 
そういうワケでフィルムも入手しづらい。
カメラの裏ブタが異様にカタイ(ここはゆるいと困る)。
現像に出しに行くと笑われる。
60分なんかじゃできない。
できあがるまで数日待たされる。
 
holga3
 
ま、でも……
ケッコウ気に入ったな。
思えば、
デジタルじゃない写真を撮ったのは何年ぶりだろう。
おもしろいからまたこのブログにも写真のせるかも。
見せられる方はいい迷惑だけど。
 
Baby-Holgaといからには、親がいる。
姉だか妹もいるらしい。
ハリネズミ・カメラとかカメ・カメラとか、
得体の知れないネーミングの仲間もいる。
ゆるいひとたちなんである。
ほしいなあ、買っちゃおうかな。
 
また怒られるかな。


家人

あなたの定位置はどこでしょうか。
あるいは、どんなときがあなたの定位置でしょうか。
ホームグラウンド。軸足を置く場所。
ひとによってはそれが家庭かもしれませんし、
あるいはまた、特定の雰囲気なのかもしれません。
その場所、状況、時をふりかえってみてください。
普段のあなたの状態を、そのホームグラウンドにいるときと比べてみてください。
それが「あまりにも」かけはなれていると、実力を発揮することがむつかしくなります。
自分がホームグラウンドにいるときにくつろげる理由をよく考えて、
それを今の状況に応用することが問題解決の鍵になります。
会社を辞めてから、
左手首に腕時計をつけることはなくなった。
時計はケッコウ好きで、
いくつかもっているし、
昇進祝いに後輩がくれたものもある。
 
だけど、
ほとんど使っていない。
興味もなくなってしまった。
 
今はなにをするにせよ、
バカっ早く腰を上げるようにしている。
 
たとえば、
 
学校も9時から行けばいいのだが、
大抵8時前には近くのコーヒーショップにいる。
試験前は試験勉強をするが、
普段はだらだら本を読んでいる。
 
バカっ早いので、時計を気にする必要はない。
代わりに、自分の身体感覚を気にする。
腹具合とか、気分とか、
現れては消える
うたかたのような想念たちの質……
とか。
 
本当は日の出とともに起きて、
日の入りとともに寝たいところ。
だけど、日の出の方はともかく
(時々、日の出前に起きることもある)、
さすがに日の入りとともに寝ることはできない。
 
カイシャに勤めていたころは、
7時半に起きて40分に出て、9時半までに入って、
21時から、遅いときは0時近くまで、非人間的な仕事して、
メシ食って帰って、風呂はいって、寝るのは2時ごろ。
すべてが切羽詰っていて、
すべてがギリギリだった。
ひとことでいうと、
なんだかよくわからない状態。
もうごめんだ。
 
それを思えば、
日の入りに就寝できないことなど……
悩みのうちには入らない。
カラスじゃあるまいし。
 
あ、カイシャを辞めて変わったことが、もうひとつあった。
お金がぜんぜんなくなった。
貯金もない。
 
おかげで、
のんだくれて終電におくれて、ホテルに泊まるとか、
無意味な贅沢をすることもなくなった。
 
めだたしめでたし。
 
※タイトルは吉田秋生氏の同名コミックより

無筮立卦のハナシが続いております。
 
今回はちょっと基本に立ち返りまして、
 
「どうして無筮立卦がいいの、ケーサンとか面倒だし、
別にサイコロでもカードでもいいじゃん、
ねー、なんで、なんで??」
 
という、疑問(?)・話題に絡んだ話を。
 
先の、質問に対するコタエですが、
サイコロでもカードでもいいんです。
そのとき道具を持っていて、
かつ、それらを使うことができる状況であれば、
どんどんそれを使えばいい。
だけど、たとえば会議中とか、街中とか、道具を持っていても、
使えないという状況はあるし、そもそも道具を持っていないときもある。
 
そのときは無筮立卦の方法が役にたちます。
 
「あとで(カードなりサイコロなりで)やればいいじゃん」
 
という意見もあるかと思いますが、
ここで「機会」のハナシになるわけです。
 
その時そこでそういう「問い」が発生した、
そのタイミングをどうとらえるかによって、
あとでやってもいいか、
今この瞬間にやらなければならないか、が分かれると思います。
 
問いが生じた「その瞬間」を重視するなら、
今やんなきゃ(卦を立てなきゃ)ってハナシになるし、
その問いについては「その瞬間」ってのはさほどの重みはない、
と思うのであれば、取りあえず「問い」覚えておくかメモるかして、
あとでじっくりやればいいと思います。
 
要はケースバイケースです。
その場で即決を求められているのであれば、「その瞬間」重視、
10月2日のログ「イキナリ64卦でいこう」の話のように、
ずっと気になっていたことをじっくり観たいのであれば「あとでもいい」
ということになると思います。
 
これまで「その瞬間」「その瞬間」と書いてきた、
この、占うべきタイミングのことを「占機」といいます。
そもそも「意味のない偶然なんてない」
(2005年2月終わりごろのアーカイブを参照してください)、
という易システムの原則からいえば、「占機」は決定的に重要です。
時間がたつと、状況も変化するし、「問い」自体も変質するからです。
 
そういうニーズから無筮立卦の方法が開発されたのだろうと思います。
 
実はこれ、「梅花心易」という、易システムの別の応用例の手法です。
「梅花心易」では無筮立卦法を用います。
その場で手ぶらで卦を立てるのが基本なのです。
さらに得られた大成卦の観方も独特で、
大成卦を構成する八卦に割り当てられた五行(木火土金水)の相克、象意から主に判断します。
とりあえず、ぼくがこのブログでお伝えしようとしているシステムの範囲外ですので、
くわしく説明することはできません(要するに知らない)。
その立卦法だけを拝借している、というわけです。
 
無筮立卦の方法は、
「道具がなくても大成卦を得ることができる」
という利便性もさることながら、
この方法を用いると、世界は、
 
「無意味でいきあたりばったりの偶然に満ちた、
何が起こるかわからないところ」
 
から、
 
「凡そ身の回りでおこることに、
なんらかのメッセージがあるところ」
 
へと変貌をとげます。
 
そのメッセージを読み取るための言語が、
64種類の大成卦のシンボルと、
各爻(八卦)間におけるダイナミクス(変化変転)、
ということになります。
 
メッセージを読み取り、
それに適切に返答を返すならば(つまり行動するならば)、
コスモスは、また新たなメッセージを送ってきます。
ここにコスモスとの対話が成立するといっていいでしょう。
この対話は、またいままでとはちがった観点を
提供してくれるはずです。
この対話がスムースにいくこと、
それが「フローに乗ること」だとぼくは思います。

 
ウイングメーカーⅡ
現代の神話
 エンシェントアロー・プロジェクト
WingMakers LLC
shima 訳 大野百合子監訳
VOICE 2100円税抜き
 
1972年、アメリカはニューメキシコ州のチャコキャニオンで、
ハイカーが偶然に奇妙な遺跡を発見した。
人工的につくられた洞窟からは、
光ディスクを含む高度なテクノロジーによる複数の遺物と、
無数の象形文字と極彩色の壁画が見つかり、
その後この遺跡は政府の管理下におかれ、隠蔽される。
 
それがこうした本になるのは、
情報をリークした人物がいるからだが、
一作目はその人物に対するインタビューを含む、
ドキュメンタリーで構成されていた。
上記のウイングメーカーⅡは、
その話を物語(小説)形式にしたものである。
 
真偽のほどはともかく、読んでいて思い出したのは……
昔夢中で読んでいたSFにのめりこんでいた感覚だった。
ハインライン、ニーヴン、クラーク、
ブラッドベリ、ディレイニー、
ディック……
ウイングメーカーⅡに出てくる施設は、
マイケル・クライトンの「アンドロメダ病原体」に出てくる地下ラボや、
謎の円盤UFOにでてくる秘密地球防衛組織SHADOを思い出させる。
 
このウイングメーカーⅡの最後の方に、
遺跡から出てきた光ディスクを、
デコードした結果得られたテキストが一部出てくる。
内容は哲学、宇宙論、音楽・絵画を含むアート。
音楽・絵画はともかく、哲学・宇宙論は、
難しげなタームでかざられてはいるが、
みんなが、どこかで、なんとなくわかっていたような、
そんな原理について書かれている。
 
ちなみに、「セントラルレイス」と呼ばれる、
この宇宙におけるヒューマノイドの起源種族による遺伝情報の播種は、
デビッド・ブリンの一連のSF「知性化シリーズ」を思い出させる。
知性化シリーズでは、知的生命体の起源種は「始祖」と呼ばれる。
 
ここから我田引水話になるのだが、
上記のテキストが、
「読む人によって内容の変わるテキスト」なのである。
物語中では「読む人によって内容の変わる」のは1回、
1ページだけ、モノはデジタルデータなのだが、
ぼくがつくった以下のオハナシでは、
実際の実体を持った「本」で、
読む人の状態、状況、リクエストによって、
ダイナミックに書き換わる「本」が出てくる。
 
「空を飛んだ男」
空を飛んだ男
猫乃電子出版
(猫の本屋さん)
http://necom.cool.ne.jp/
 
なにがいいたいの?
 
……って、別に深い意味はない。
まあ、PRもあるけど、
似たようなコトを考える人もいるんだなあ、と。
お話の最後のほうで、その本(テキスト)の内容を引用するかたちで、
哲学・宇宙論……チックな内容を配置する構成も似ている。
 
実は、ぼくのオハナシに登場する「本」のイメージソースは、
昔読んだ、ルディ・ラッカーという人が書いたSF小説にある。
書名は失念してしまったが(カンジンなことを忘れるよなあ)、
「数学的あの世」が出てくる物語だったように記憶している。
ルディ・ラッカーは数学の先生だった……数学者だったかな。
このルディさんのお話の中で、
主人公は自分の一生について「すべて」書かれた本に出くわす。
「すべて」が書かれているのだから、各ページは微分的でページ数は無限である。
どこをみても細部にわたって自分のことが書いてある。
過去も。
未来も。
 
もちろん、そんな本、実際にあるわけがはなく、
お話(「あの世」)の中だけのことだと思っていたら、
そういう本が現実にあった。
 
易システム(易経)という本である。
 
紙でできた本という実体、
そして64パターンのシンボルという意味では、
そのブツや構成は有限だが……解釈は無限。
解釈するのはあなた自身である。
 
コード番号11から88まで。
このブログで展開している、
64パターンの解説は、
一般的に適用できるカタチにしているつもりではあるが、
あくまでぼくが解釈したもの。
 
つまるところ、「無限のページを持つ本」は
あなた自身の胸の中にあるということになる。
「自己」は、ぼくらが普段認識しているよりもはるかに深く、無限だ。
 
今日のテーマは「書棚」だが、
易システムの話になってしまった。

 
離
 
火。光。
好むと好まざるとにかかわらず、今まで隠れていたものが明るみにでます。
それはまた、明るみにあるものとそうでないものを明確に区分することでもあります。
それらは照らされることによって、お互いに引き裂かれてしまうわけではありません。
確かに火の光は強烈ですが、照らされたものとそうでないものは、
相変わらず、それぞれコスモスの部分であることに変わりはありません。
ためしに、明かりを照らされていないものの方に向けてみてください。
今度は照らされたものとそうでないものの立場が逆転するはずです。
あくまで便宜のために、照らされたものとそうでないものに区別されただけなのです。
それをわかった上で、「火」をかしこく使いましょう。

※この33(離)をとばして
43(豊)を先に紹介していました。
シツレイ!

豊

豊かさが現れていますが、その内容をよく点検してみてください。
それが外部からの評価や、なにかカタチあるものに依存している場合は、
ひょっとしたらただそれらのものがあなたの前を通り過ぎていく途中だというだけで、
ほんとうに豊かではないのかもしれません。
それらがあなたの手のとどくところにとどまっている時間を、
多少は長くすることができるかもしれませんが、
それでもずっとそのまま、未来永劫、保つことはできません。
もし、なにかが「惜しい」「もったいない」という感覚にとらわれているなら、
あなた自身も流転するコスモスの一部であることを思い出してください。
もし、自分はまだ豊かでない、というのなら、
自分が今手にしているものをよく点検してみてください。
ひょとしたら、あなたはすでにもう「豊か」なのかもしれないからです。