なぜ無筮立卦なのか~コスモスとの対話 | ぼくは占い師じゃない

ぼくは占い師じゃない

易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

無筮立卦のハナシが続いております。
 
今回はちょっと基本に立ち返りまして、
 
「どうして無筮立卦がいいの、ケーサンとか面倒だし、
別にサイコロでもカードでもいいじゃん、
ねー、なんで、なんで??」
 
という、疑問(?)・話題に絡んだ話を。
 
先の、質問に対するコタエですが、
サイコロでもカードでもいいんです。
そのとき道具を持っていて、
かつ、それらを使うことができる状況であれば、
どんどんそれを使えばいい。
だけど、たとえば会議中とか、街中とか、道具を持っていても、
使えないという状況はあるし、そもそも道具を持っていないときもある。
 
そのときは無筮立卦の方法が役にたちます。
 
「あとで(カードなりサイコロなりで)やればいいじゃん」
 
という意見もあるかと思いますが、
ここで「機会」のハナシになるわけです。
 
その時そこでそういう「問い」が発生した、
そのタイミングをどうとらえるかによって、
あとでやってもいいか、
今この瞬間にやらなければならないか、が分かれると思います。
 
問いが生じた「その瞬間」を重視するなら、
今やんなきゃ(卦を立てなきゃ)ってハナシになるし、
その問いについては「その瞬間」ってのはさほどの重みはない、
と思うのであれば、取りあえず「問い」覚えておくかメモるかして、
あとでじっくりやればいいと思います。
 
要はケースバイケースです。
その場で即決を求められているのであれば、「その瞬間」重視、
10月2日のログ「イキナリ64卦でいこう」の話のように、
ずっと気になっていたことをじっくり観たいのであれば「あとでもいい」
ということになると思います。
 
これまで「その瞬間」「その瞬間」と書いてきた、
この、占うべきタイミングのことを「占機」といいます。
そもそも「意味のない偶然なんてない」
(2005年2月終わりごろのアーカイブを参照してください)、
という易システムの原則からいえば、「占機」は決定的に重要です。
時間がたつと、状況も変化するし、「問い」自体も変質するからです。
 
そういうニーズから無筮立卦の方法が開発されたのだろうと思います。
 
実はこれ、「梅花心易」という、易システムの別の応用例の手法です。
「梅花心易」では無筮立卦法を用います。
その場で手ぶらで卦を立てるのが基本なのです。
さらに得られた大成卦の観方も独特で、
大成卦を構成する八卦に割り当てられた五行(木火土金水)の相克、象意から主に判断します。
とりあえず、ぼくがこのブログでお伝えしようとしているシステムの範囲外ですので、
くわしく説明することはできません(要するに知らない)。
その立卦法だけを拝借している、というわけです。
 
無筮立卦の方法は、
「道具がなくても大成卦を得ることができる」
という利便性もさることながら、
この方法を用いると、世界は、
 
「無意味でいきあたりばったりの偶然に満ちた、
何が起こるかわからないところ」
 
から、
 
「凡そ身の回りでおこることに、
なんらかのメッセージがあるところ」
 
へと変貌をとげます。
 
そのメッセージを読み取るための言語が、
64種類の大成卦のシンボルと、
各爻(八卦)間におけるダイナミクス(変化変転)、
ということになります。
 
メッセージを読み取り、
それに適切に返答を返すならば(つまり行動するならば)、
コスモスは、また新たなメッセージを送ってきます。
ここにコスモスとの対話が成立するといっていいでしょう。
この対話は、またいままでとはちがった観点を
提供してくれるはずです。
この対話がスムースにいくこと、
それが「フローに乗ること」だとぼくは思います。