ぼくは占い師じゃない -36ページ目

ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

前回の占例、辞めるか辞めないかの話は一応完結していますが「易システム」的にも観てみます。
「易システム」は筆者独自の易解釈のことです。

   ☆

易システムには「一般化された十二消長卦」という観方があります。

十二消長卦(または十二消息卦)は、純陰の坤からはじまって初爻位から順次陰陽を反転させていくとできる一連の大成卦のことです。
上爻までの陰陽を反転させ終えた時点で坤は、純陽の乾になっています。
そうしたらこんどはまた再び初爻から順次陰陽を反転させていき、またふたたび坤にもどす。
そのようにして「坤→乾→坤」のサイクルができます。
爻を反転するたびに新しい大成卦ができますが、ひとつのサイクルでできる大成卦は全部で十二ありますので、この一連の卦を十二消長卦といいます。

十二消息

【十二消長卦】


「一般化された十二消長卦」は十二消長卦におけるスタートの大成卦であった坤を、坤にかぎらず任意の大成卦とした場合の一連の大成卦のサイクルのことです。
易システムでは「一般化された十二消長卦」はまた「バリアントの流れ」でもあります。

前回の占例で中心になっていたのは「目癸<ケイ>」の五爻変です。
この得卦がバリアントの流れのどこに位置するか観てみます。
占例は五爻変ですから初~四までの爻の陰陽を反転すればこのバリアントの流れのスタート、基準になる大成卦がわかります。
「目癸<ケイ>」の初~四爻を反転すると艮になりますので、これが「目癸<ケイ>」がのっているバリアントの流れにおける基準卦です。

艮基準十二消息

【艮を基準としたバリアントの流れ】

前回の占例では、占ったその時は「目癸<ケイ>」の五爻という段階にあたりますが、バリアントの流れという観方をすると、おおもとは艮から来たということがわかります。
占的では「不本意ながらやっている仕事」ということでしたが、その始まりには艮、動かしがたい理由、背景があったことがうかがえます。

前回の占例は分占でしたが、おもしろいのは上のバリアントの流れの中に、仕事を辞めた場合の回答として出た坎の之卦、困があらわれているということ。

基準となる艮から数えて5番目が「目癸<ケイ>」で、困がさらに3つ先の8番目。
困と共に四難卦といわれる蹇<ケン>がさらにその3つ先の11番目にあらわれています。
占った時点を示す「目癸<ケイ>」の先は、困と蹇にあたる時期が、おそらく節目になるでしょう。

前回の占例の見積もりによれば、1爻あたり4.2ヶ月なので最初の節目である困に至るのが3×4.2ヶ月、約1年後。
さらに3×4.2ヶ月、約1年たった後に2度目の節目である蹇に至ります。
進路はこの節目のどちらか、あるいは両方で再検討することになるかもしれません。

   ☆

「バリアントの流れ」という言葉はヴァジム・ゼランドの「トランサーフィーン」から借用してきた言葉です。
易システム的には放っておけばそうなる状況(=バリアント=起こり得る現実のバリエーション)の推移ととらえています。
いわば自然な流れでもあるのですが、バリアントの流れはある卦からはじまってまたその卦にもどる閉じたループです。

「閉じたループ」という観方をするならこの経路はとらわれの輪であり、輪廻のようなものと観ることもできます。
この輪から離脱するにはそのバリアントの流れ以外の卦が示すバリアントへ、爻を変じることによってジャンプしなければなりません。
それがすなわちトランサーフィンということなのでしょうが、ふつうはできないような微妙な選択によってなされるもののようで、おそらくは目先の功利とは無縁です。

事象はだまっていればバリアントの流れに沿って推移していくわけですが、易卦を十二消長卦のルールで変じて未来の傾向とする観方は、たいていの場合、このループから逃れ得ないことを利用した観方であるといえそうです。
リンゴは熟れれば重くなって樹から落ちるのは自然な流れです。この場合はそんなあたりまえのことを占いと称してやっているわけです。
しかしまあ、地面に落ちないで自由に飛べる(?)リンゴもあるようです。
そんな「人生の達人」には、ぼくがやる程度の占術は必要ないでしょう。
占術はあくまでもツールです。
その必要がなくなれば、いつまでもしがみついているものではないとも思います。
傷が癒えて、歩けるようになった人に松葉杖はもう必要ありません。

   ☆

いずれにしても占術が問題を解決するわけではありません。
問題を解決するのは当事者自身です。

では占うことにどんな意味があるのか。

いろいろな答えがあるとは思いますが、ふだんとはまた違った視点から問題を観ることができるようにすることが、占術の役割のひとつであるように思います。

占術は魔法ではありません。

占うことによって問題が消えてなくなるわけではなく、新しく与えられた視点の下で「問題」は問題ではなくなる……その緊急性を失うか、思っていたほど重大なことでもなかったことが判るのだと思います。

まああくまで、うまくいけば、ということですが。

ではまた。
占例です。

右へ行くか、左へ行くか。
だれしも迷うところです。
おそらくはよくある占的です。
そしておそらくは易が最も得意とする占的です。

   ☆

自分では本意ではないと思っている仕事をしている人からの相談。
受かるはずがないと思っていた資格試験にたまたま受かってしまった都合上、なりゆきでその仕事をしているということです。
本意でないばかりでなく、まったくその仕事に向いていないと思っている。

いつからその仕事をしていますか?
もしくはいつから「本意ではない」と思い始めましたか?

だいたい1年と9ヶ月前。

ささいなことがきっかけで、この一月ほど辞めようかどうしようか悩んでいるということでした。

シロクロはっきりさせたいのなら、占的はできるだけ明確な文にしましょう。

たとえばこんな感じですか。

「『現時点における判断で』この仕事を継続する方向でいくのか辞める方向でいくのか。『現時点』における方向性は?」

「現時点」を強調しています。

将来、別の時点で占えばまたちがった結果がでます。
たとえ同じ卦が出たとしても判断は変わってくるでしょう。
状況は時とともに変わるからです。
こういう二者択一的占的については分占法が適しています。
この占的の場合は今(現時点で)仕事を継続した場合(辞めない)と、中止した場合(辞める)に分けて卦をたててみました。
分占法です。

分占

【継続=睽の履に之く、中止=坎の困に之く】

明白な回答といったところでしょうか。

「継続」の方にでた「睽」は、ひとつ屋根の下に中女(離)と少女(兌)が同居しておりかつ、反目しあっている象(カタチ)といわれています。
相談者に確認したところ、職場の中にそのような反目的なことはないとのこと。
イヤな上司も先輩も足をひっぱる同僚もいなくて、派閥もいがみ合いもイジメもないなんて、なんとまあ、ケッコウなことじゃない。
なんで辞めたいなんていうのかなあ……という言葉はひとまず飲み込みます。

ひとつ屋根は相談者自身と観ました。
相談者自身の内的葛藤がそのまま卦に出たのではなかろうか、と。

「睽」の卦辞は、拙作「易システムハンドブック」によれば、「ささいなことはOKだが、重要なことはNG」。
これだけで答えになっていますね。

生活に直結する辞める辞めないなんてことを今決めちゃアカンでしょ。
「今でしょ」ってのが流行ったけど、今(現時点)じゃない。

「睽」の五爻が変じて履に之ってます。
「睽」の五爻辞もみてみます。
我田引水、手前味噌の「易システムハンドブック」によれば、

「同族どうし肌をかみあわせるような深い関係にある」

とある。
相談者が思っているより、相談者と職場の人たちとの結びつきは強すぎるほど強い。
簡単には辞められそうにありません。
聞けばなるほど、小さな仕事場だといいます。
それでもって之卦は「履」だ。
意味は「ふみおこなう」。
先人の轍(てつ)をふんで進む。
儀式とか伝統的なことを示す卦でもある。
「履」がフォーカスしているのは継続です。
今のところは従来どおりの路を往けってわけ。
今のところはね。

辞めるとどうなるか。

「中止」の方に出た卦を観ます。
これが「坎の困に之く」ですから、まあふつうに考えてあまりいい判断はできません。
辞めてしまうと、前にも後にも穴があって(「坎」)、身動きがとれないような事態になってしまう。
この事態はやがて四爻変で「困」に。
大成卦の三、四爻は上下卦の境界をはさんだ不安定な位です。
「困」は上卦に水をたたえた沢があって、その沢の水が下卦で示されるように(「坎」)漏れているカタチ。
エネルギーのだだ漏れ。
疲れ切ってしまうことになるだろう、と。

総じて、すべてのベクトルは「継続」の方向を指しているように観えます。易としては全力で「今辞めるな」と言っているようでもあります。
占的で「現時点」を強調したのは先に述べたとおりですが、状況は変わります。
変わるのが易だ。
ではいつ変わるか。
次のターニングポイントはいつか。
辞めたいと悩んでいる今の仕事を始めてから1年9ヶ月。
葛藤はその頃から始まっているとするなら、1年9ヶ月前が「睽」初爻位、と観る。
時間は大成卦上を、初爻位から上爻位に流れていきます。
現在が五爻位ですから、1年9ヶ月の時間が五爻分にあたると観ました。
この例においては1爻あたり約4.2ヶ月となります。
現在が五爻位ですから、あと1爻で「睽」で示される状況を抜けると観ることができます。
あと4.2ヶ月。
占ったのは3月下旬の頃でしたら、次のターニングポイントは7~8月頃ということになります。

   ☆

易は原則、同じ占的で二度三度占ってはいけないことになっています。
でも、状況が変わればこの限りではない(とぼくは思っています)。
いつ状況が変わるのか、次のターニングポイントはいつか、というのは言い換えればこの占の「賞味期限」のようなもので、それが過ぎれば同じ占的でまた占いなおしてもいいと(ぼくは)思います。
易の場合は卜占であるというその性質もともなって、「賞味期限」は他の占術に比べて比較的短い気がします。
一月、三ヶ月、長くて半年ってところでしょうか。
よくもわるくも瞬発力の占術です。

次のターニングポイントは7~8月頃。
もし気持ちが変わっていなければまた相談にみえてください。
ぼくは占い師じゃないけれど。
ZIAは、Zentangle Inspierd Artの略です。
ゼンタングルというのを始めました……
というのは、「ゼンタングル!」の記事に書いたとおりです。

ところで、易のシンボル(卦)には64種類あってその64のパターンで森羅万象をあらわすということになっています。

明示的にどこかにそう書いてあるわけではないけれど、そうでなければ人事百般を占うことはできません。
森羅万象、人事百般は実際には有限多ですが日常感覚的にはまあまあ「無限」といっていいのではないかと。

64卦は見るからに有限で、相手にしているものは「無限」。
有限のシンボル・セットで無限をいかにしてとりあつかうのか。

ミルフィーユのように薄皮が無限に重なったトーラスをさしつらぬく爪楊枝がひとつの易の卦のようなものですよ……というのは後天動因図の話ですが(前回記事参照)、いまひとつピンとこないたとえです。
あいすみません。

こんなたとえはどうでしょう。

描いたのはこの9cm四方くらいのゼンタングルです。
この単位を64卦のシンボル・セットとかんがえる。

units


一枚描いたゼンタングルをスキャンして、コピーをタイルのように並べていくと……

hebi

maru

いろんなパターンができる。
これが無限。

易の有限のパターンはこんなふうにして「無限」をとらえるインデックスのように働くのではないか……

そんなお話でした。

ゼンタングルに描いたパターンはオリジナルではなくて、公園で下を向いて歩いていたときに見つけたパターンです。

park


上を向いてあるこうという歌がありますが、下を向いてあるくとたまにはこんなこともあります。
いいこともまれにあります。
一円玉を拾うとか。

でも安全のためには前を向いて歩いた方がいいと思います。

ではまた。
再度掲載になりますが、
またこの絵からはじめさせていただきます。

   ☆

反転


そんなにタイソウな絵ではないのだけれど、積み残していたことがある。
「反転」から「再創造」へのお話だ。

「人間の本質」を象徴していた正八面体の水平断である正方形は、図の「反転」の段階でなくなっている。
人間は人間でなくなった。

同時に「創造」の段階では上にも下にも無限だと思われていた(-∞、+∞)世界軸、世界樹、アクシス・ムンディが、「再創造」の段階では閉じて環になってしまう。

というより、「-∞」「+∞」が、実は同じものというより、無始無終であり元来「環」であったことに、反転することによって気づく……
といったほうが正しいかもしれない。

図の「創造」の段階ではこの巨大な環の微小部分を眺めて、上にも下にも無限だと思い込んでいたのである。

かくて、この宇宙はこの環の上で、今度は符号的には上下さかさまの「再創造」を行う。

ここでは(ダイヤグラム上)上下さかさまの「人間」があらわれる。
この「人間」は今の私たちと同じ人間かどうかはわからない。

たぶんちがう「人間」だろう。

彼らがどんな葛藤を抱えて、どうやってにそれを乗り越え、どんなふうにしてふたたび「環」に気づいていくかもわからない。

わかるのは「彼ら」は、今の私たちと同程度の深度をもったホロン(*1)……
「人間ホロン」であるということだけだ。

「創造」の図の「t」は、私たちが創造している日常時間をあらわしているが、「再創造」における「「t」」はカッコ付きになっている。

カッコをつけたのは私たちが創造する日常時間とは似て非なるものであることを示すためだ。
この「時間」は、「再創造」の段階にある「人間ホロン」が創造する「時間」であって私たちのそれではない。

そしてまた彼らは彼らなりの「反転」、「創造」を行っていき、これをくりかえし、この宇宙はそのスパイラル(渦巻線)の深度を深めていく。

このプロセスは日常時間とはまったく異なった時間「T」で進んでいく。「T」は通常の意味での時間とはまったく次元のちがう過程であり、いわば創造のプロセスそのものである。

この観方によるなら、現在の私たちという存在も、無限に反転をくり返していまここに至っているということができる。

この観方はレガシー(*2)おける、大成卦の並び順にあらわされているのではないか……そんなことを想ってみる。

以下に示すのは、その、レガシーにおける大成卦の並びである。

最初の卦からふたつづつが、上下さかさま(△▽、リバースを意味する)にした大成卦の組み合わせになっている(*4)。

序卦1


序卦2


たとえば、坤為地や乾為天など、リバースしてもカタチのかわらない大成卦がいくつかある。
そんな大成卦については、インバース(*3)した大成卦とのペアになっている(△▲)。
また、リバースしたカタチとインバースしたカタチが一致する大成卦もいくつかある(△▼)。

まあしかし、細かいことはさておき、こうして全体を眺めていると、図中のコメントに描いたとおり、

「創造」と「再創造」、呼気と吸気……

この並びが、実は、宇宙の息吹をかたどったように観えるのは、やっぱり思い過ごしなのだろうか。

そうだろうなあ。

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*1 ホロン
アーサー・ケストラーによる、上には「部分」としての、下には「全体」としての側面をもつ概念単位。
ギリシア語で全体を意味するholos に部分を意味する-on をつけた造語。
深さ(デプス)と4つのベクトルを持つ。

*2 レガシー
伝統的な易(周易)。

*3 インバース
各爻の陰陽を反転する操作。
その卦と元の卦は「ツイストペア」を構成する。
これに対し、易卦全体の上下をひっくり返す操作は「リバース」。
後天動因図のお話。
いくつか積み残したお話をさせていただいて、いったんこのテーマのお話をしめさせていただきます。
前回の続きです。

   *

名称の由来についてはお話していなかったと思います。
易の64卦を放射状に丸く並べただけの図をどうして「後天動因図」などというものものしい名前で呼ぶのか。
本の中でもちゃんと説明していません。

後天動因図にはふたつの設計図があります。
ひとつは先天図をベースにした数であり、もうひとつは神聖幾何学におけるFOL(Flute Of Life)です。
本では先天図(数)はその名のとおり先天的にあるものとし、後天図はFOLから導かれた、としています。

後天動因図の基礎

【後天動因図の基礎】

伝統的な易には先天図と後天図という、八卦を方位にわりあてたダイヤグラムがあります。上の絵では「先天」「後天」とある図がそうです。
「易システムハンドブック」では、数理的に整っているようにみえる先天図を中心にお話が展開しており、その事情は、続く「風と羅針盤」「MAP13」などでも同様でした。
後天図は外野におしやられてしまっていたのです。

今回の本では先天図は舞台、後天図は役者として、この日常世界は後天図をその駆動原理としてまわっていく……
そんなお話になっていますので、テーマになっているマンダラを「後天動因図」という名前にしました。

易システムとしては、ここにきてようやく積み残していた後天図にコミットしはじめたわけです。
独自に変更が加えられていますが、トーラスの穴の淵は後天図によって成り立っています。
実際の占術でもどちらかというと後天図が用いられます。

易システムの後天図

【易システム流「後天図」】

図では8:坤(地)上にあって1:乾(天)が下になっています。
逆のようにも思えますが、ここでは、陰気(8:坤)は下降し陽気(1:乾)は上昇し、その中心になる人(生命)が陰陽を和合させる、という意味合いを表現しています。
人(生命)の活動はこの宇宙という舞台が創られたプロセスの縮小版になっています。

原理(舞台)は先天図を基盤としていますが、合意的現実(役者が演じる即興劇。眼に見え計測できる宇宙の側面)は、その動作要因として後天図を基盤とするという世界観です。

   *

「後天動因図」という名前がぱあっと「降りてきた」わけではなくて(そうだったらカッコいい?んですが)、ぼくの場合は何日も同じ疑問やらテーマをこねくりまわしていると、じわじわと回答……というほどでもない、イメージの連鎖がわきあがってくる感じで、「後天動因図」の前には「Difference Generator」などと呼んでいた時期もありました。

ディファレンスは差異、差分で、ジェネレーターは、まあそのまま、発生器、発生させる仕組み。「差異発生器」というわけです。

陰陽をこの差異ととらえようとしていることは後天動因図という絵本の冒頭でも書いていますが、差(たとえば気圧差)のあるところには流れ(たとえば風)が生じます。
流れは運動です。
易でいうところの「変化」、シンボル的には爻が変じることがその運動にあたりますが、運動は……運動こそは生命そのものです。
運動が生命を創るのではなく、無形・不定の運動それ自体が生命の本質なのです。

動きへの衝動(4:震)と動き(5:巽)は、先天図を易数順にたどってみると、はじめてゼロポイントというギャップを渡る、その前後のタイミングでもあります。

先天図の流れ

【先天図を易数順にたどる】

マスターマトリクスは先天図からできていますので、先天図同様、その中心に4:震(衝動)と5:巽(運動)の八卦でできた大成卦が位置しています。すべてはこの中心から始まった……と想像することもできます。

マスターマトリクス

【マスターマトリクス】

運動はおそらくやむことはないでしょう。
不可逆性は時間が創ります。時間は運動と表裏一体です。
運動という意味では、あるいは時間も生命の一側面なのかもしれません。

   *

「風と羅針盤」では、大成卦をひとりの人間と観たてて「どこまでを自分とみなすか」という自己の境界が、ツイストペア(TP)からはじまってFO(ファースト・オーダー)、SO(セカンド・オーダー)、TO(サード・オーダー)と広がっていくお話をしました。

TPは大成卦ふたつ、FOはTPふたつ(つまり大成卦4)、SOはFO4つ(つまり大成卦16)、TOはSOふたつ(つまり大成卦32)で構成される単位で、そしてその上は、大成卦64、すなわち森羅万象すべて=貴方というたったひとつの単位だけがある……というヴィジョンです。

tpfosoto

【マスターマトリクス上のTP、FO、SO、TO】

なんかすごくみえる……かもしれませんが、それほどでもないかもしれません。後天動因図の文脈でいえば、結局、トーラス面上の話にすぎないからです。

含んで超えて広がって

【含んで超えて広がって】

面。ペラペラの面上の話なのです。面はトーラスを形作るものではありますが「トーラス本体」とはちょっといえそうにありません。

   *

では何がトーラス本体かといえば、いろいろ観方はあるとは思いますが、穴そのものが「本体」とはいえないでしょうか。
何はともあれ「穴」あってのトーラスだからです。

後天動因図ではトーラス面には60の易卦が配置されています。
易は64の大成卦で構成されています。
残り4つの大成卦は「穴の働き」そのものを表現するシンボルとして割り当てました。
トーラス面は「すべて」ではありません。
「穴」こそがすべてなのです。

穴の舞

【穴の淵で舞う女神】

どこからどこまでが「穴」なのかというお話ですが、図と地を反転させると判るとおり、すべてが「穴」です。
トーラスのリングが囲っている空間を「穴」と思いたくなりますが、四次元方向から観れば、リング自体の中身も「穴」です。
トーラス面すべてが「穴の淵」です。
この「穴」が運動を生じさせているわけです。
いや、「穴」の本性が運動なのだといった方がより近いかもしれません。

トーラスの穴、本源、マトリクス、母体。

本源と呼ぼうとマトリクスと呼ぼうと、トーラスの穴こそが本体であって、じつはその穴が生命の大本たる生命なのかもしれません。
穴はすべてであるということは、生命こそはすべてで、ひょっとしたら生命以外のものはないのかもしれません。
もし、時間も生命が創るのだとしたら、めぐりめぐってすべての原因は生命で、錬金術師が血眼になって探していた「第一因」は生命、つまりは、錬金術師自身だったのではないでしょうか。

   *

後天動因図がテーマのお話は一応これでおしまいです。
とりとめのないお話です。
結論はありませんがご容赦ください。
ではまた。
後天動因図のお話、前回の続きです。

タイトルにありますとおり、ドキュメントをまとめた後に想うのは、いつもそのことです。

「何の役にたつのか」、と。

後天動因図は、トーラス面に64卦を配置してそれを展開してできたマンダラで、解釈はユーザーに丸投げです。
解釈の指針みたいなものは、後天動因図の本の最後の方に「応用」という章を設けてお話しています。
まあしかし、とても「何の役にたつのか」という質問の答えにはなっておりません。

しかしながら、どこがどんなふうに「役に立つ」はケースバイケース、文字どおり千差万別、臨機応変、システムの抽象度が高ければ高いほど「これだ」というひとつの答えにしぼることはできにくくなり、それぞれの現場にいるそれぞれの人によって異なってきます。

「占う」意味の一端はここにあるのではないでしょうか。
質問者の問いに、抽象的な枠組みを具体的に結びつけるライブな過程がすなわち占う(解釈する)ことなのではないでしょうか。
文や絵、図表等に示せるものはいわば固着したイメージ、土産物屋で売られている樹脂で固められたチョウで、目の前を優雅に舞う生きたチョウとは似ても似つかないものではないか……
そんなふうに思います。

そんなワケで、あやしい土産物屋は、ライブのチョウとは似て非なるもの、解釈の指針程度のものしかお伝えすることができないのです。

   *

後天動因図におけるトーラス面への易卦の配置は、原則として図の緯線上に下卦(D)、経線上(U)に上卦を配置して、緯線と経線の交点にその上下卦でできる大成卦を配したものです。

ud

【U:上卦、D:下卦、U+D=大成卦】

図中、方位が書かれていますが日常的な時間は経線を右回りに、東南西北の方向へ流れるものとしています。
後天動因図の本を読まれた方はオヤと思われるかもしれません。
父と母が出会って生まれた子供達の旅は緯線方向に往って還ってくる旅だからです。時間はその方向に流れるんじゃないの?
そこでも時間は流れています。
しかしそれは日常的な時間ではありません。

組織図

【後天動因図組織図】

この図はレクチャーの最後に配ったものですが、列方向(縦方向)が先のトーラス面の経線方向にあたり、行方向(横方向)が緯線方向にあたります。
列方向(経線方向)の矢印にはtとあり、行方向(緯線方向)の矢印には T とあります。
 t は日常生活で私たちが経験する時間(Daily Time)で、「初」~「上」までの大成卦の爻位がそのインデックスとしてふられています。
一方、T の方向の矢印には爻位のようなインデックスはありませんが、易数、つまりコード番号がそのままインデックスになっています。易数、コード番号、数です。数はFOLとともに、アプリオリな前提としている後天動因図の設計図です。図中で T は、Deep Timeとコメントされていますが、Daily Timeとはまた別種の「創造の時間」ということです。

以前の「易システムハンドブック」「風と羅針盤」「MAP13」などでは、T は、どちらかというと「無時間」「永遠」といったニュアンスでとらえられており、ツイストペア・ホイールのなりたちを説明するために「創造の6ステップ」という言葉で「初」~「上」のインデックスを使っています。
ここでの「初」~「上」は、「創造の6ステップ」とは切り離して考えてださい。

 T についても、「無時間」「永遠」というよりも、日常的な時間である t の延長上にある同種の時間であるのではないかと最近は想っています。
ただ、そのスケールが t と T ではあまりにちがいすぎるために、t から観た T はほとんど「悠久」ともいえるのではないか、と。

 T はこの宇宙という舞台が組み上がる時間、t はその舞台を生命が旅する時間です。
 
 T は一番左の列に書いてある子供達(長男、長女……少男(三男))が、地、沢、火、雷、天とでかけていき見聞し、再び天から地へ還ってくる旅(行方向への旅)でもあります。この旅は T 、t から観れば永遠の時間内での旅です。
 レクチャーでは後天動因図は創作神話でもあります、というようなことを申し上げたかと記憶しておりますが、旅する舞台は神的領域、舞台をつくった父も母も、旅する役者も神々といえるかもしれません。わたしたち個別の生命が旅する物語ではないのです。

わたしたち個別の生命の物語はトーラスの経線方向、上の表でいえば列方向 t への、多くの場合は循環する旅です。この経路が周期的に緯線方向へ切り替えられると、旅路はトーラスの表面全面をたどる成長するスパイラルになります。
後天動因図では t は家族が増えていく順番でもあります。長男、長女、次女、三女、次男、三男。
それはまた東南西北と太陽が昇って中天に達し、沈んで地中をくぐり、また再び東からあらわれる周期でもあります。
日常時間t、ドーナツの穴の淵ではそんなドラマが展開されているわけです。

スケールがちがうとはいえ、T と t は地続きです。
それはつまり神々と生命が地続きであるということでもあります。くりかえします。スケールはちがいますが。
易卦はその間をむすぶ尺度不変のシンボルであり、だからこそ巫術のツールになったのだと思っています。

頚から下げられた水晶。
水晶もそれを身につけている人も「おなじ時間」の中にいますが、水晶が経験している時間  T と、それを身につけている人が経験している時間 t はまるで別種のものです。
昨日今日明日という時間と、億年単位の地質学的時間とは尺度がちがいすぎて、同じ「時間」といっても同列に論じることすらできないのではないでしょうか。

「時間」そのものについても「風と羅針盤」などでは、意識がバリアント(可能性のある現実のバリエーション。一種の平行世界)を実現する単なる順番だなどと簡単にとらえていましたが、ことはそう単純ではないようです。
覆水が盆に返らない以上、不可逆的現象は客観的にも観察できるわけで、時間は単なる主観、個別の顕在意識の創作物などではなく、リアリティのもっと根深い所でこの宇宙そのものとふかく絡み合っているようです。

   *

さて、前回「易システムの位相空間」では、トーラス面上の座標を

(U,D,En)

U:上卦、後天動因図が定めるトーラス面の経線上の一点
D:下卦、後天動因図が定めるトーラス面の緯線上の一点
En:トーラスの形状を決定する任意のパラメータ・セット(E1,E2,E3……En)

として、

En は易システムの位相空間を満たすさまざまなトーラスを示すが、U、Dは変わらないというお話をしました。

U、D はつまり易卦、大成卦ですから、それはつまり、無限個のトーラスを64の符号で(後天動因図の場合は60の符号で)、示すというか統べるというか包み込むというか、とてもムチャな話のような気もしますが、トポロジー的にはそんなにムチャでもなさそうな気もします。
「トポロジー」とかいったって、なんだかよくわかってるわけじゃあないんですが。

ミルフィーユ

【無限枚数のトーラスの面(部分)をつらぬく有限の易卦】

上の絵ですが、一枚一枚の味がしっかり個別に判っちゃったりしてたら、おちおちミルフィーユなんか食べていられません。全部食べ終わる前に日が暮れてしまいます。
同じミルフィーユを朝から日が暮れるまで食べている人もあまりみかけませんから、ニンゲンは有限の結び目を持つ網で無限のなにかを包み込むことができるような、自分でもよくわかっていない天分の仕組みがあるのかもしれません。
ひょっとしたらそれが、意識という位相空間——トポロジー・スペースなのかもしれません。

水晶を頚からさげるのはパワーストーンから「パワー」かなにかそういったものを「得る」ためだけではないのではないのでしょうか。 
t と T が地続きであることをふまえつつ、 t (水晶を身につけた人)が T (水晶)という「永遠」を身体で感じるための方便なのでは?……と、個人的には想っています。
その方の身体自体が、実は T の中で久遠のプロセスを経た材料から、期間限定的にある一定のパターンとして組み上がっています。
文字通りの意味で、私たちは皆星の子なのだ、とはたしか、今はもう星に還ったカール・セーガンの言葉でしたか。

   *

ということで、今回のお話は「で?」といわれても、ちょっと答えられませんというお話でした。
だんだんボロが出てきたところで、後天動因図のお話はもう一回くらいで終わりにしようかと思っています。
御用とお急ぎでない方、ご興味のある方はよろしくお付きあい願えればと思います。

ではまた。
前回の続き、後天動因図のお話です。

☆ 位相空間?

今回記事のタイトルには「位相空間」という言葉がありますが、ぼくは専門家ではないので位相空間といってもよくわかっていません。
複雑系関連の本を読んでいる時に知った言葉で、数学的な意味と物理学的な意味があってそれぞれ意味はちがうようです。

感覚的なお話しかできませんが、数学的には位相幾何学が展開する空間(トポロジカル・スペース)のことで、物理学的には質点の運動量や位置、時間展開を表す高次元の座標空間のことだそうです。高次元座標ですから、位相空間内の点にはさまざまな意味(パラメータ)がオーバーチャージされています。

どちらかというと物理学的な意味合いになるかと思いますが、「位相空間」というのは、直接観察することのできない、現実のある断面をあらわす仮想的な空間といえるのではないでしょうか。
いかなる断面であるかは、その空間の座標軸である次元=パラメータをどう定めるかによります。


☆ 易システムの位相空間

アナロジーですが、易卦の地図も現実に対応した現実のある種の断面、主観的・仮想的な位相空間「のようなもの」として観ることができるのではないか、と思ったわけです。
数学的意味、物理学的な意味、どっちつかずのアバウトなものですが、まあこれを、易システムの位相空間と呼んでもいいのではないかと。

後天動因図は、枠組みとしてはトーラス面に均等に配された6本の経線と、8本の緯線の交点に易卦を配置したものです。
というと、6×8で48の易卦しか配当できないようにみえますが、中心の穴の小径円と最大径の大径円には同じ交点にふたつづつの易卦を配置していますので、48+6×2で60の易卦が配置されています。易は64卦です。残り4つの易卦の配置は……ちょっと表現しづらいのですが、このトーラスが存在するフィールドというか、このトーラスを成り立たせている「動きそのもの」に配置しています。

これが「易システムの位相空間」ですが、とりあえずはシンプルにトーラスの中心を原点とする三次元空間としましょう。
その前提で後天動因図があらわす48(64)各点の座標を考えてみます。

トーラス全体

【易システムの位相空間】


☆ トーラスの形状を決める

後天動因図の本の中では、ストーリーとの絡みもあって、トーラスの形状を決定する要素として、「中心の穴の直径」「一番外側の円(赤道部)の直径」「その二つの間の断面の形状」という具合に感覚的かつ雑駁に説明しています。

雑駁な定義

【トーラスの形状を決めるもの】

一口にトーラスといってもきわめて多様な立体で、その中でも典型的なのは上記断面の形状が真円であるドーナツ型で、一般的には以下の大半径Rと小半径r、R > rで定義されるようです。

torusofwiki

【大半径Rと小半径r(ウィキペディア日本語版より)】

典型的なドーナツ型の断面に楕円も加えるとしましょう。楕円も表現方法はいろいろあるとは思いますが、ドーナツ型の断面である真円に対する以下の扁平率cも加えます。

楕円の軸

【楕円の長半径(mejor axis)aと短半径(minor axis)b(ウィキペディア日本語版より)】

一般的な扁平率は1-b/aで、a=rとすれば、c=1-b/rで、b < rとするなら、cは、半径rの円内に含まれる楕円の扁平率ということになるでしょう。


☆ 尺度不変

まとめると「易システムの位相空間」にある易卦があらわす点は以下の五次元座標であらわすことができます。

(U,D,R,r,c)
U:上卦、後天動因図が定めるトーラス面の経線上の一点
D:下卦、後天動因図が定めるトーラス面の緯線上の一点
UとDはひとつの大成卦を構成します。
R:U、Dで構成される大成卦が載るトーラスの大半径
r: U、Dで構成される大成卦が載るトーラスの小半径
c: U、Dで構成される大成卦が載るトーラス断面の扁平率(真円(ドーナツ型)の場合は0)

U、D以下の3つ、R、r、cはその大成卦が載るトーラスの形状を決定します。

トーラスの形状を決定するやり方はこのやり方だけではないと思いますので、UとD以下をEnとしましょう。
Enはトーラスの形状を決定する任意のパラメータ・セット(E1,E2,E3……En)です。

(U,D,En)

この2+n次元座標が「易システムの位相空間」を、無限個のトーラスで、無限小から無限大まで満たしていきます。

無限のトーラス

【さまざまなトーラスの断面】

ここでのポイントはU、Dは、Enにかかわらず一定だということです。
いいかえると後天動因図上の易卦が示すある一点は、トーラスの形状にかかわらず、同じということです。

これが、後天動因図の本の中で「応用」の後の、「フラクタルに折り畳まれる」と「フラクタルに展開される」という節で書いた内容を、別の側面から説明したお話ということになります。

無限小のトーラスであろうと無限大のトーラスであろうと特定の易卦が示すパターンは変わりません。易卦のパターンはトーラスの尺度に依らない、尺度不変のパターンだということになります。


☆ 易と幾何学的図形、立体

MAP13以降、唐突に幾何学図形や立体が易システムに登場してきたので少々面喰らっておられる方もひょっとしたらいらっしゃるかもしれません。

なんで易に多面体やらヘンテコな立体複合体が関係するのか、と。

もちろん作者のイメージ連鎖の結果であり、決して必然や論理的に導かれたもの等ではありません。

空間的に易卦を配置してその相互関連を眺めることによって何か新しい視点が得られるのではないかと思って展開してきたファンタジーです。
そんな流れで、易卦と幾何学的な図形や立体、その間を取り持つ媒介として「易システムの位相空間」があると想ってくだされば幸いです。

さて、今回はこのへんで。

後天動因図のお話は、もう少し続く予定です。
先日、何年かぶりに人様の前で易システムのお話をさせていただく機会に恵まれ、少々疲れましたがそれはまた心地よい疲れでもありました。

易レク

【講釈師見てきたような嘘をいい】

「易システム」は筆者独自の易解釈のことで、何冊かの私家版のコピー本ドキュメントがありますが、その最新版として「後天動因図」というタイトルのドキュメントをまとめました。

今回の集まりはその後天動因図のお披露目のつもりだったんですが、後天動因図のお話をするためには一応「易システム」の話もしなきゃ、いやまて、その前に伝統的な易(レガシー)の話もしなきゃ、とやってみたら、肝心の動因図の方はほとんど駆け足でのお話になってしまいました。

そこで今回は、お話の補足がてら、後天動因図のご紹介をさせていただきます。
なお、後天動因図は現時点では未公開ですが学研が運用するデジタルブックライブラリーwookにて無料公開の予定です。

   *

まず易システムですが、これはつまるところ64卦を用いた種々の地図の作成です。
易はまずは占いの書ですが、占うということは質問に対応したあるひとつの卦にフォーカスするということです。その背景には常にフォーカスされなかった63の卦が伏在しています。

地図はこの背景に注意をむけるためのものであり、その中での自分の位置(フォーカスされている卦、つまりは座標)を確認するためのものです。
易は64卦というシンボルで森羅万象をあらわそうとするものですので、さまざまな地図はそれぞれのやり方で、この宇宙をとらえようとした世界観のバリエーションともいうことができると思います。

   *

さて後天動因図ですが、これは64卦を放射状に配置した一種のマンダラです。
易システムでいうマンダラはほとんど地図のようなものですから、これも結局は地図、ということになります。

後天動因図

【後天動因図】

易システムの他のドキュメントからは独立に、もう一度自分なりに易というシンボル体系全体をみなおしてみようと思ったことが後天動因図というマンダラを描くきっかけとなりました。

そんなわけで、後天動因図自体はそれだけで読める独立した作品です。
B5横開きの絵本のようなものしようと思っていたので、半分は絵(図)になっています。結果的には絵本にしてはずいぶん字が多くなってしまいましたが。

ホゼ・アグエイアス氏によれば、マンダラには、

・中心がある
・対称性がある
・方位がある

そうで、後天動因図は一応その条件を満たしています。

本の内容は、そのマンダラがどのように作られたかを書いた物語であり、手に汗握る息もつかせぬ冒険譚でこそありませんが、創作神話の一種と言えるかもしれません。

   *

ただマンダラ(地図)を描くといっても、なにもないところからいきなり描くことはできません(できる人もいるかもしれませんがぼくにはムリ)。

後天動因図の場合、次の三つを基盤にしています。

・先天図における数理
・神聖幾何学におけるFlute Of Life(以降「FOL」) 
・トーラスという形

後天動因図では数は陰陽と並ぶ認識の基盤ととらえています。
そしてさらに、トーラスはFOLから導かれる、と後天動因図ではとらえています。

FOL

【FOL】

三次元空間内で、あるひとつの球に同じサイズの球をいくつ接して配置することができるかという空間充填の問題の答えは12で、これはそのままFOLの円の数でもあります(中心の円をのぞいた)。

この球の最密パッケージで各球の中心を結ぶと立方八面体という多面体ができます。この多面体はまたベクトル平衡体とも呼ばれます。

ベクトル平衡体

【球による空間充填とベクトル平衡体(小野満麿、METATRONIC METALOGUEより)】

このベクトル平衡体はまた、たとえば以下のようにトーラスの骨格として観ることもできるでしょう。

骨格

【トーラスの骨格としてのベクトル平衡体】

   *

結局のところ後天動因図は、先天図、後天図という八卦のダイヤグラムを重ねてできる64卦というネットワークで、トーラスを包み込むことによってできたマンダラ、地図です。

先天図後天図

【先天図後天図】

64卦がトーラスを包み込むプロセスは、父母が引き合い、家族を創り、子供たちが旅をしてまた家に帰って来るというひとつのストーリーを形成します。
本自体は、このお話を絵(図)と文で簡略にまとめたもの、というわけです。

で、いったいこれがなんなのよ、という話ですが、MAP13とは異なり、冒頭から、使い方も含めて一切は読者に丸投げしています。

ずるいようですが。

ずるいといえば確かにずるいのかもしれませんが、正直なところ筆者自身にもその使い方がよくわかっていないというのが実情です。

長くなりそうなので今回はこの辺で。
次回につづきます。
11月の話ですが、「ゼンタングル」のワークショップに行って来ました。
「ゼンタングル」を知ったのは、さらにそのひと月前くらいの10月のこと。

パソコンで、ぼけ~っとマンダラぬり絵のページをみていて、ただのぬり絵だけじゃつまんないなあ、自分でなんか描けないかなあなどと思いつつ、ネットをふらふらしていたら「ゼンタングル」っていうのを見つけました。

その時点ではなんかおもしろそうだな、って程度だったんですが、だんだん気になりだして、帰るころには、丸善に寄ってゼンタングルの本を二冊ほど買い込んでしまうくらいになってました。

見よう見まねで描いてはみたものの、なんかイマイチ。
おまけになんか肩に力が入っちゃって、肩甲骨のあたりが痛くなってくるし。

我流

【我流ゼンタングル】

やっぱりこういうのは一度でも、ちゃんと人から教わらんとあかんのとちゃうやろか、と思っていたら、さとういずみさんという先生が主催されるワークショップが11月にあるということで早速申し込んじゃいました。

この先生はゼンタングル公認の先生(CZT(サーティファイド・ゼンタングル・ティーチャー))で、普段はアメリカにお住まいなので日本では決まった期間だけWSをやっている……ということで、タイミング的にも丁度よかったわけです。

こんな本↓も出されています。

はじめのゼンタングル

「はじめてのゼンタングル」
さとういずみ 著
自由国民社 (2014/12/20)

ゼンタングルは、タイルと呼ばれる9cm四方程度の画用紙に鉛筆で境界線を引き、その間をパターンとよばれる模様で埋めていく手仕事です。

できたものを他人と比較したり、技を磨くというより、その手仕事そのものが目的で、描くという行為が一種の瞑想として位置づけられています。

どういう境界線を引くか、どういうパターンを使うか、特に決まりはありません。

上下もありません。
マチガイはありません。
正解もありません。

なので、

消しゴムは使いません。
ないないづくしです。
すべて一発勝負。

宿題

【WSでのゼンタングルと宿題のゼンタングル】

上の写真で左上がWS当日描いたもので残りの4枚が宿題として後から描いたものです。
まじめに宿題をやると同じパターンを何度か描くことになります。

最初は、な~んだ決められたパターンを描くだけかあ、なんて思っていましたが、同じパターンを描いてもそのたびごとに表情は変わり、アレンジも加わって同じにはなりません。

つまり、決して同じものは描けないのです。

これが優劣や比較と無縁である大きな理由になっているのだと思います。

いくつあるかは知りませんが、オフィシャルなパターンはダテにオフィシャルではないようで、冒頭の「我流ゼンタングル」でやったみたいに、なにがなんでもオリジナルでなければ……

な—んて気負い込んでガリガリやるよりは、まずはオフィシャルなパターンを踏襲していけば、スムースに作業に入り込むことができるようです。

もちろんオリジナルのパターンを考えてもぜんぜんかまわないわけですが。

タイル(用紙)のサイズは、正式なものは最初はとても小さく感じられました。
ちょっとしたコースターのようなものです。

けど、この大きさもよく考えられています。

ゼンタングルに上下はないので描く時には紙をくるくる回して描き込んでいきます。
あまり大きいとそういうわけにはいきません。

もうひとつは集中力が必要な作業時間が、このサイズによって決まるということです。
細かい作業ですから大きいと根気がもちません。
そうかといってあまり小さいとすぐ完成してしまい、満足感を得にくくなるでしょう。

ちなみに我流ゼンタングルはCDに付いてるブックレットの大きさで描きましたが、その大きさと気負いとでちょっと疲れてしまったようです。
リラックスしようとしてはじめたことで疲れてしまっては身も蓋もないですね。

ずんどこべろんちょ

【口のような眼のような貝のような】

あと気に入っているのは、そのポータビリティでしょうか。
必要な道具は安価なドローイング用の極細ペンと、タイルと鉛筆、擦筆。

かさばるものは一切ありません。

ゼンタングルのゼンは「禅」からきているそうです。
必要最小限。
少欲知足。
ミニマムは美しい。

といういわけで、長居して怒られるところでなければ、どこでも描けます。

ゆくゆくは易に絡んだマンダラのようなものを描いてみたいな~なんて思っています。

ではまた。