ぼくは占い師じゃない -35ページ目

ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

外はよく晴れている。
ガラスの向こうを連休の人たちがすぎていく。
表のテーブルとイスにはだれもいない。

 

いや、ほんとうか?
ほんとうにだれもいないのか?

 

交差点の植え込みの草が光っている。
クルマが光って流れている。
カフェのBGMが混じる。
めずらしいところでこれを書いている。
シャーマンになろうとして一所懸命だ。

 

料理の匂いが流れてくる。
風はぴたりとおさまる。
光が交差点を照らしている。
空は白っぽい。青くはない。
青が脱色して色あせた感じがする。
そういう春なのである。

 

こうしているとここが海だったことがわかる。
明るく、波のない海。
この交差点の下には海が埋もれている。
考えるまでもない。検証するまでもない。

 

歩道の敷石は自転車にふみつけられて、ぐにゃぐにゃおどる。
そのうちの一枚が飛び出してきてガラスの近くまで飛んできてこう言うのである。
「やあ、楽しいか」
答えようによっては石をおこらせてしまう。
「なんのためにオレがあそこで敷石やってるんだかわかってんのか」
怒る。若き日の父親のように。

 

空はやっぱり白くあせているが、どことなく銀がかっているようでもある。
添加物のように銀の粉がまぶされてあっという間に溶けて広がって膜になったのである。
だれもいないと思っていた表のイスが一休みする敷石でいっぱいになる。
敷石がひきあげた所は冷たい土がむきだしになっている。
その下にはあたたかくおだやかな海。
春分の交差点での出来事である。

 

青チェックのフリースをきたお父さんと
緑色のチェックのフリースをきた子ども。
話してたと思ったら消えてしまっていた。
光か風かどちらのせいか。
いやまた現れた。
スマホをいじってる。
風はやっぱり吹いている。
ガラス一枚へだてて。

 

眠気にひとしきりさらされたあと、眼をあけるとたしかにあたりは急にあかるい。
これから仕事だがゆっくりいくとしよう。
そんな気になるのである。
みてごらん人の影もクルマの影もずいぶんみじかくなったよ。
ぼくはやっぱりうす白青の都会の空をみあげてみるのである。
 

 

33:離
66:坎
TP02:生命

 

   ☆

 

花札の中に「雨」と呼ばれる一連の札がある。
十一月のグループ。
「柳」とも。

比較的具体的なものが描かれていることが多い花札の中で、きわめて抽象的なデザインの札が「雨」のカス札である。
抽象的なだけでなく、赤と黒だけの構図には、なんでこれがカスなんだ?と思うくらいの強烈なインパクトがある。

 


【雨のカス札】

 

離と坎のペアのゼンタングルをどうしようかと想っていたのだが、雨のカス札のパターンを借用することにした。

 

なんで?

 

それは……よくわからない。

 

昔、妹とコイコイ(花札のゲーム)をやって、ひどい目にあわされた記憶がある。
賭事と勝負事の才能がないことに気がついたのはそれがきっかけだった。
今思えば安い授業料だったともいえるが、そんな思い出ともあまり関係はなさそうだ。

 

易で雨は陰物だが、同時に恵みの雨でもある。
降りすぎると災害をもたらすが、小蓄の卦辞「密雲あれど雨降らず」にもあるように、恵みの雨を待ちこがれる様子はいかにも乾燥した大陸的である。

 

そのように意図したわけではないが、TP01:呼吸で始まった宇宙の動きは、この、TP02:生命で、自他を区分する単位としていったん結実する。
大地に滋養をもたらす雨(水=坎)は生命の基盤であり、火は変容をもたらす作用であり自他を区分する原動力だ。

 

水も火もどちらも浄化の作用があるとされている。

 


【66:坎】

 

水のゼンタングルは、泡のような網目状になったパターンを何層かに重ねて、黒い深淵を取り囲むように描いた。
水が持つ得体の知れない深さと、その不定形性をあらわしたつもり。

 

一般に「坎」は窪み、暗闇、湿った低い所など、あまりいいイメージはない。
四難卦と呼ばれる4つの大成卦にはすべて「坎」が含まれる。

 

しかし「坎=悪い」と決めつけてしまうのはいかにも早計すぎる。

「水は方円の器に従う」のことわざどおり、水は素直さの象徴でもある。
水は高いところから低いところへ流れる。
素直であると同時に自然の法則そのものをなぞろうとする純粋さでもある。

 

易卦の象では、陽爻が上下の陰爻でサンドイッチになっているが、これは外柔内剛、外面はものやわらかだが芯は強くゆるぎない象でもある。
坎には一本筋がとおっているのだ。
誠心いう筋が。

 


【33:離】

 

離は火である。
離は離別と付着という相矛盾する意味を持っている。
どちらかというと離すという意味の方が強いかもしれない。

 

何を何から離すのだろう?

 

火は明かりをもたらし、不明確なものを明確にする。
光を闇から(あるいはその逆)分離分別し、照らし出すことにより物事を明確にする。
それは文明の光であり、技術であり、知性、知恵でもある。
それは「見る」ことであり「見える」ようにすることであり、その「眼」を「離」のゼンタングルはあらわしている。

 

他方、火自体に実体はない。
ローソクの芯なりマッチの軸なり必ずなにかに「くっついて」あらわれるものでもあ

る。
そんなところから「付着」という意味が出てくる。

 

易卦全体においてそうだが、特定の象(カタチ)に与えられた意味はひとつであることはなく、多義的重層的である。
それらの意味の中には、この「離」の「分離」と「付着」のように、互いに反対の意味を持つものさえある。

 

易卦を中心に広がる意味の空間の中からどれが選ばれるかは、占者のセンスとその象があらわれた時の状況、タイミングによる。
結局のところ、易システムは道具であり、それ自体がなにか特別なパワーを持っているわけではない。
道具ということでは同列の、包丁の例を出すまでもなく、道具はつかう目的によってよくも悪くもなる。
また道具はいずれそれを乗り越えていかなければならないものでもある。

 

足の怪我が回復して歩けるまでになった人が、それまで使っていた松葉杖を手放すように、自ら物を食べ、飲み物が飲めるようになった子供は、いつまでもほ乳瓶をくわえていることはない。

 

   ☆

 

「ゼンタングル」、「易タングル」については、「六十四卦雑想ーはじめに」を参照してください。
 

44:震
55:巽
TP01:呼吸

   ☆

「乾兌離震巽坎艮坤」。

いわずと知れた八卦。

「乾」から「坤」には1から8の、易数または先天数と呼ばれる番号が割りふられている。

この番号を易システム(筆者独自の易解釈)ではコード番号と呼ぶ。

大成卦は八卦が二つ組み合わさってできた易卦。

コード番号順に上下卦を組み合わせてできた大成卦のマトリクスを易システムではマスターマトリクスという。


【マスターマトリクス(易システムハンドブックより)】

マスターマトリクス上では、ツイストペア(互いの爻の陰陽が反転した関係にある易卦のペア。易システムの言い方)は、中心から対称に並んでいるようにみえる。

もとになっている「乾兌離震巽坎艮坤」の並びが、中心から対称にツイストペアを構成しているからだ。


【ツイストペアを構成する「乾兌離震巽坎艮坤」の並び
(易システムハンドブックより)】

六十四卦は森羅万象。

ということは、マスターマトリクスはそれだけでひとつの宇宙をあらわしているといえそうだ。

あるときそれは、中心から端に向かって爆発的に広がった……

ビッグバン?

いやいやそれは、物理的時空はいかに始まったかというお話。

ここでお話しさせていただいてる「場」はそんなに確固としたお話ではない。
物理的な三次元時空の鋳型になった「かもしれない」形而上学的な空間である。

マスターマトリクス上で、すべての始まりにも観える中心に、「巽」と「震」があるのは象徴的だ。

風(「巽」)が、動く(「震」)のである。

すなわち「呼吸」ということではないのか。

そんなことから、「巽」と「震」のツイストペアには「呼吸」という意味を付けさせていただいた。

マスターマトリクスの中心にある、このひと「呼吸」から宇宙のすべては始まった。

ゼンタングルのストリングのパターンは、その中心から四方へと広がる形になった。
つまり、これらのゼンタングルはそれぞれマスターマトリクスそのものであるともいえる。


【55:巽】


【44:震】

「震」は動きだが、とくに衝動的な、激しい動きをあらわす。
対応する自然物は雷である。

「巽」=風
「震」=雷

この対は「風神雷神図」を思い起こさせる。

「風神雷神図」にはさまざまなバリエーションがあるそうだが、それらが、易と関係があって描かれたものかどうか……
までは、勉強不足でよく知らない。

「風」が「動いて」、今私たちが眼にする、あるいは触れる、感じることのできるすべてのものになったのである。

というよりも……

私たちが感じているすべてもの。

それはそのまま宇宙の「呼吸」なのかもしれない。

   ☆

「ゼンタングル」、「易タングル」については、「六十四卦雑想ーはじめに」を参照してください。

18:否

81:泰

TP11:鏡

 

   ☆

 

前回記事で「乾坤泰否」はふたつのづつのペアであると同時に、後天動因図では4つでワンセットであるというお話をした。

 

「乾、坤」が軸だとすれば、「泰、否」はその軸を中心に回転する運動するものの本体だ。

 

【「乾坤」軸と回転する「泰否」(後天動因図より)】

 

「乾、坤」のゼンタングルではリング状の部分が白抜きになっていたが、「泰、否」のペアではちょうどそのリング部分のみを描いた形になっている。図と地でいえば「図」の方にあたる。

母体となる海からたちあがったトーラスの活動そのものをあらわしたつもりである。

 

【本源と、そこからたちあがったトーラス】

 

「否」と「泰」は意味も見た目も正反対である。

そこから、このペアには鏡という意味をつけた。

 

【18:否】

 

「否」は陰陽の疎通がとぼしく活動がおきにくい。

まるで二層に分かれたままのドレッシングの中身のようだ。

このタングルもそんなパターンになっている。

 

黒い半円を連ねてでききたような右側は「クレセントムーン」とよばれるゼンタングルの公式パターンだが、左の縁取りはオリジナルのパターン。

 

この二つの領域には「いまのところ」連絡がなく、分離してしまっている。

縁取りのパターンは寒冷前線と温暖前線の記号をヒントに描いたもの。

寒冷前線と温暖前線が接するところには雨が降る。

 

【81:泰】

 

雨。めぐみの雨。

乾いた大地にようやく雨が降る。

 

「泰」のゼンタングルではそんな様子を太極図になぞらえて描いた。

 

陰と陽が混じり合って、○のパターン、「ティップル」であらわされた生命が誕生し、解き放たれていく。

「否」の状態はいつまでもそのままということはなく、やがて豊穣な生命の活動を生む。

豊穣な生命の活動も、永久にそれが続くということはなく、やがて「否」であらわされる停滞状態に至る。

 

そんなふうに運動そのものは永遠に続いていく。

 

この運動が、私たちのいるこの宇宙ですべてのものを動かす動因になっている。

 

私たちの肉体にそなわった三次元時空を観察するのに適した感覚器官には、少なくとも、そのように映じる。

 

ようこそ、日常世界へ。

ようこそ、記号で満ちあふれたこの世界へ。

ようこそ、このろくでもない、すばらしい世界へ。

(ってCM、ありましたよね、昔)

 

   ☆

 

「ゼンタングル」、「易タングル」については、「六十四卦雑想ーはじめに」を参照してください。

易システム関連のドキュメント(PDFファイル)については、学研グループの株式会社ブックビヨンドが運営する、デジタルブックライブラリー「wook」にて一部有償で公開しておりますが、2016年10月31日より新しいコンテンツ配信サービス「Beyond Publishing(ビヨンド・パブリッシング)」への移行が開始されました。

 

従来の「wook」につきましては、読者様・出店者様とも、2016年12月までのご利用となっているようです。

 

これにともない、本ブログのメッセージボード(ブログトップで最初に表示されるメッセージ)にて、易システムの全ドキュメントを無償公開することといたしました。

 

従来の電子書籍をお買い上げいただいた方々にはあつく御礼申し上げるとともに、何卒ご了承くださいますようひらにお願い申し上げる次第です。

 

以下にメッセージボードの文言を引用いたします。

各ドキュメント名がそのままPDFファイルへの直接リンクになっています。

 

日に20PVにも満たない月イチブログですが、どうかこれからもよろしくお願い申し上げます。

 

----------以下引用

 

易システム関連ドキュメントの無償公開を開始しました。

閲覧・ダウンロード・印刷・配布自由です。

以下、各ドキュメント(PDF)への直接リンクです。

 

● 易システムハンドブックV2.03

● 風と羅針盤ー易システムハンドブックその後

● MAP13ー易システム・空想世界地図

● 後天動因図

占例です。

 

祖父が使っていた時計をもらいました。

 

昔の懐中時計です。

機械式、手巻きです。

ゼンマイを巻いてみると、ちゃんと動きます。

 

ずっとタンスの中にあったものなので、オーバーホールしてから使うことにしました。

風防の内側に水滴様のものも付いてるし。

 

メーカーではこんな骨董品のオーバーホールはしてくれません。

いや、してくれるかもしれないけど、スイスへ送り返してジャッジして、ゴーとなっても、そりゃ運賃、工賃で、10万、20万は……

 

とまあ、正規代理店ではそんなことをいわれました。

 

けどありがたいことに、こういうビンテージを専門にオーバーホールや修理してくれるお店もありまして、そういうお店にお願いすることにしました。

もちろん費用はそれなりにかかりますが10万、20万なんてことはない、と。

 

お願いしたのが4月の半ば過ぎで、やれやれと思っていたのですが、これが待てど暮せど音沙汰なし。

 

まあ最低でもひと月くらいはかかると聞いてはいたのですが、5月、6月……とうとう9月になってしまいました。

 

そんなに苦戦してるのかな。

まさかぶっこわしたとか。

不安にかられるとロクなことを考えません。

 

さすがにこれは、ちと電話してみよう、

いやその前に、ということで、

易に軽くお伺いをたててみました。

 

占的はこんな感じです。

 

「オーバーホールに出した時計、どうなってる?」

 

あまりいい質問ではありません。

 

アバウトすぎる。

 

占的(質問)がイイカゲンだと回答が読みづらくなります。

まあ自業自得っていうか。

作用反作用っていうか。

 

「ベストな質問ができたときにはすでにそこに答えがある」

 

っていうのは、真理なんでしょうね。

 

それはともかく、このイイカゲンな占的でもって、サイをふって出た卦が「比」の五爻変でした。

五爻変なので之卦は「坤」になります。

 

おおまかにいって周易には象占と辞占というやり方があります。

象占というのは易卦のカタチと大意から占う方法です。

辞占というのは卦爻辞という文章から占う方法です。

たいがいはそのふたつを適宜ブレンドして判断します。

 

経文を全部覚えていればハナシは別ですが、ぼくにそんな芸当はできません。

辞占をしようと思えば易経を見なければならない。

易経がいつも手元にあればいいのですが、そうでないときもある。

スマホにPDFは入っていますが、スマホのPDFビュワーってのもなんか見づらい。

 

いきおい、象占のウエイトが高くなります。

 

だいたいそれで事足りるんですが、今回はさっぱりわかりませんでした。

いや、いろんなことが頭をよぎることはよぎるのですが、占的がエーカゲンなこともあって、どれもしっくりこない。

みなさんもちょっと、以下の卦のカタチを眺めてみてください。

 

「オーバーホールに出した時計、どうなってる?」

 

の答えがでてるでしょうか。

 

   

       【水地比】

 

答えが出てきた方もいらっしゃるかもしれませんが、ぼくはサッパリでした。

 

それでまあ、しぶしぶめんどくさげに拙作の易システムハンドブックをひっぱりだす。

まあったく、手近にテキストがあってもこの有様です。

ニンゲンってのはつくづくものぐさにできてるんですね(ぼくだけかもしれませんが)。

 

で、68:水地「比」の五爻の文章を読んだら、すぐに答えがやってきました。

「比」の五爻にあったのは次のような文章です。

 

「親しむことをしめす。

三方から狩りたてるが前方に逃げる獲物は追わない。

領土の人民、警戒を解き親しむ。」

 

回答はスイングしています(と、ぼくは観ました)。

 

スイングというのは、ぼくが勝手にそう呼んでいる現象で、易が占的そのものに答えないでその周辺状況を指し示すことです。

 

どうスイングしているかというと、時計のそのもののことというより、電話をかけようとしているぼくの態度に関するアドバイスに観えたわけです。

 

まずは、親しむことを示す、狩り立てるんだけれども獲物は追わない、つまり、相手をせめるような態度はとらない、せかさない、ということ。

 

クレームはもとより、クレームにつながりかねないこういう確認は、ついつい「おれは客だぞ文句あんのか」的な、どちらかというと、あまりお品のよくないバイブレーションが発散されてしまって、よけいに事態の悪化を招くこともあるのではないか……

易はそこのところを指摘しているように観えました。

 

つぎは「領土の人民、警戒を解き親しむ」と続きます。

この「領土」が、電話しようとしている相手先の会社のように観えました。

追い込まないようにした結果、こうなりますよ、ということです。

 

なるほど、ということで、易のアドバイスに従って電話。

 

もちろん先方は平身低頭ですが、せめない、せかさない。

いえ是非じっくりやってください、確認で電話しただけです、ってな感じで。

まあ実際、急ぐ用事じゃない。

たとえ時間がかかってもちゃんとしてもらうに越したことはないわけで。

 

ランニング→調整のくりかえしで時間がかかっていたようで、実際に仕上がったてきたのは10月に入ってからでした。

 

風防もきれいになって、日差+15秒の精度で、ひと巻き40時間動きます。

オーバーホール後、半年の保証もついて、けっこうなことです。

 

こういう、ちょっとした易占……

お伺いは、気持ちを静める一息の深呼吸のようなものでもあります。

 

それではまた。

88:坤

11:乾

TP04:元素

 

   ☆

 

易タングルでは「後天動因図」の組織に従ってインデックスをわりふった。

後天動因図は易システム(作者独自の易解釈)の集大成だ(ていうほどのものでもないんですが)。

 

後天動因図では「乾」「坤」「泰」「否」は他の60の大成卦とは別格になっている。

「乾」「坤」「泰」「否」は森羅万象、すべての事象が発生する基底、基盤となる場と、そこからたちあがった運動をあらわす。

 

易タングルは原則ツイストペア、2枚づつのタングルが組になっているが「乾」「坤」「泰」「否」の場合はちょっと特別で、2枚づつの組(乾/坤、泰/否)であると同時に「乾坤泰否」の4枚でひとつの組になっている。

 

「乾坤泰否」であらわされるのはやむことのない運動とその母体(ようするにすべて)である。

そこではあらゆる可能性(ポテンシャル)が同等にあるために、どこを見渡しても何もないように観える。

そこは、無とか、虚しいとかいった誤解を受けることがあるが、そんなことはない。

 

無……なにもないわけではなく、虚しくもない。

 

沸騰した水に生じる泡のように、そこではあらゆるポテンシャルが、あらわれては消えていく。

この活動には休止も停止も終わりもないのである。

 

「乾坤」と「泰否」では着眼点がちがう。

 

「乾坤」では基盤となる母体、マトリクスにそのフォーカスが向けられている。

「泰否」ではそのマトリクスにおける無限の可能性のうちのひとつが発展してできた組織、つまりわたしたちのいるこの宇宙にフォーカスがある。

 

今回は「乾坤」の話である。

 

【88:坤】

 

坤のゼンタングルには線の束でできたパターンだけが描き込まれている。

エネルギーの力線をあらわす筋が束になって、白抜きのリングを取り囲んでいる。

このリングは後天動因図で、本源(マトリクス)から立ち上がった自律的実体の象徴であるトーラスを示している。

 

【本源とそこから立ち上がるトーラス】

 

そこが白抜きになっていて、パターンはそれ以外のスペースを埋めているが、それはこのゼンタングルのテーマが、トーラスの方ではなくて、それがもともとあった「地」の本源の方にあるということを意味している。

 

「乾」のゼンタングルも白抜きのリングを囲む同じストリングで描かれているが、こちらのパターンは「坤」よりもカッチリした、規則的なパターンで埋められている。

 

「坤」も「乾」も実質同じ基盤を描いてはいるのだが「乾」の方はどちらかというとゆるやかな「坤」のパターンよりも幾何学的なパターンを選んだ。

流れるような「坤」の母体と比べると、より硬質な、結晶化していくように観える母体である。

 

【11:乾】

 

中央の円はギザギザの線で構成された「スタティック」と呼ばれるパターン(ゼンタングルの公式パターンには皆、奇妙な愛称がつけられている)で描かれている。

 

易タングルにおいてはこの「スタティック(Static)」というパターンは、衝動的なエネルギー、動き、といったようなものを、なんとなくあらわしている。

 

【スタティック】

 

「乾」の中央の円はスタティックだが、坤の中央の円は「スィーナ(Scena)」と呼ばれる線でできた渦巻きのようなパターンだ。

 

「乾」においてその運動の中心になるのは衝動的なエネルギーだが、坤においてはあらゆる可能性の海におけるゆるやかな凝り(こごり)またはゆらぎである。易タングルの「坤」における「スィーナ」でもって、そんなことをあらわしているつもり。

 

【スイーナ】

 

「坤」のタングルの右上の方を見てみると、泡のような「まる」が線でできたパターンの上に描かれている。

ただの○なのだが、これが集まるとゼンタングルでは「ティップル(Tipple)」と呼ばれるパターンになる。

 

【ティップル】

 

銭湯のタイルというか、子供の頃に見せられた色覚診断のパターンというか(どっちも古い話です)、そんなものに似ていないこともないが、「坤」の易タングルに描かれたティップルはバラバラの○だ。

この個別ティップルでもって、分離という幻想に巻き込まれた各個々人をあらわした。

 

あらわした……とかいっても、なにか明確な意図を持ってそうしたわけではなくて、これを描いた時にはそんなことはぜんぜん考えていなかった。

 

少なくとも意識的には。

 

一連のゼンタングルを描いていく中で、このティップルがちょいちょい顔を出し始めて、だんだんそのような……これって……分離した「個人」かしらん、といった感じになっていった。

 

ゼンタングルを描き続ける旅は、ここで生まれた分離した個人の(個人というのも幻想だが)旅でもある。

それぞれの易タングルに必ずティップルがあるというわけではないが、折に触れ顔を出す、といったところ。

 

「坤」のティップルには、公式パターンのティップルとちがって、中心にヘソのような点がある。

この点は幻想である各個人の中心に埋め込まれた唯一の帰り道「ゼロポイント」である。

この点を道しるべに各個人は母体、マトリクスへと帰っていく。

64枚のゼンタングルはその旅路をあらわしているともいえるかもしれない。

それはつまり「ティップル(=分離という幻想にとらわれた個人)の旅」ともいえそうである。

 

旅には始まりがある。

始まりがあれば終わりがある。

理屈ではそうなる。

だけどいつも見えるのは目の前にあるものだけ。

 

旅とか終わりとか始まりとか。

 

ほんとうはそんなこと、どうでもいいのかもしれない。

 

   ☆

 

「ゼンタングル」、「易タングル」については、「六十四卦雑想ーはじめに」を参照してください。

○ことはじめ

 

六十四卦の自分なりのイメージを描いてみようと思った。

「ゼンタングル」というものをネットでみつけたことがきっかけ。

2015年の10月のことだ。

ゼンタングルはコースターくらいの紙にパターンを描き込んでいく瞑想アートである。

本を買い込んで2、3枚のゼンタングルらしきものを描いてみた。

 

【我流ゼンタングル】

 

どうもうまくない。

 

やっぱりこういうのは誰か先生に一度でもちゃんと習った方がいいのでは?

と調べてみたら、その同じ年11月にさとういずみさんという先生の講習があるということをネットで知った。

 

ゼンタングルはアメリカのリック・ロバーツとマリア・トーマスによって創始された様式と技法の総称である。

「Zentangle」は登録商標だ。

 

さとう先生は日本人ではじめてのゼンタングル認定講師(CZT)であるということだった。

さっそく申し込んで、BASIC101という最初の最初、「はじめてのゼンタングル」と呼ばれる講座だけとりあえず受講。

 

習ってみるとそれなりに描けるようになる。

 

実地に人から人へという伝達は効果的である。

ただ本をながめるのとはちがう。

 

どうだろう。

 

【習ったあとのゼンタングル】

 

一定の手法さえ踏めば誰にでも描ける。

特に絵心は必要ない。

ゼンタングルのゼンは禅からきている。

禅ではミニマムを尊ぶ。

使う道具も材料も必要最低限だ。

 

少なくして足ることを知るのである。

 

まずは講座の課題をこなしてから何枚かタングルを描いているうちに、この一枚一枚のゼンタングルで易の六十四卦を描いてみたらどうだろうか……

と思うようになった。

 

最終的には、おおぶりのカードが64枚できる。

 

これを束にして書物占いのように一枚のカードを引き当てる。

そんな易占ツールのようなものができればいいなと思った。

 

易の六十四卦をカード化した商品はすでにたくさん世に出ている。

以前に自分で大成卦そのものと卦爻辞を印刷した64枚のカードを作ったこともある。

なにを今さらと言われるかもしれない。

描くのは大成卦そのものではなく、ゼンタングルの手法を用いたイメージだ。

作者自身と各卦のプライベートなつながりをあらわしたイメージである。他の人には使いづらい、あるいはまったく使えないツールということになるかもしれない。

他の人は他の人で、それぞれの大成卦について持っているイメージは異なるはずだからだ。

完成すれば、非常に個人的なツールになるだろう。

そうするとこうしてブログに書くことに何の意味があろうか、という話にもなる。

しかしまあ、作者以外の人から見れば『ああ、こういうとらえかもあるのかなあ』という例のひとつとして、何らかの参考になることもある……

くらいのことはあるかもしれない。

 

 

○フォーマット

 

ふつうにゼンタングルを描くときのやり方を少しアレンジした。

 

ゼンタングルは自由なものなのでルールというほど厳格なものはない。

トラディショナルなゼンタングルとのちがい、

あるいはこれから描こうとしている「易タングル(もう少しましな呼び方はないかなあ)」の統一的表現といっていいかもしれない。

どこをどうアレンジしたのか。

以下に2、3述べてみる。

 

 

・グラデーション

 

トラディショナルなゼンタングルでは最後に鉛筆でグラデーションをつけて作品に深みを持たせる。

易タングルではこれをやらない。

グラデーションをつけないゼンタングルは単なる黒と白のラインアートである。

大成卦は陰と陽で構成されていることにちなんで黒と白のみの表現にすることにした。

 

 

・タイル

 

ゼンタングルではパターンを描き込む小さな画用紙を「タイル」と呼ぶ。

トラディショナルなゼンタングルではタイルは約9cm四方のコースター位の大きさだが、易タングルではこれをCDジャケット位の大きさのタイルに描いた。

これについては実はそうすることにした積極的な理由はとくにない。

 

コースター・サイズの通常のタイルを注文するつもりでまちがって「Apprentice(見習い)」と呼ばれるタイルを注文してしまったのである。

 

このタイルはその名が示すとおり主に教育目的で子供たちが利用するものらしく、通常のタイルよりも大きくCD位の大きさに作られている。

コースター・サイズに切り出して使うこともできるが、せっかくだからそのまま使うことにした。

作者自身もついこの間ゼンタングルを始めたばかりの初心者だし、まあ「見習い」だ。

 

易タングルはこの大きめタイルに描くことにした。

まちがって注文したものだがそれでいいのだ。

ゼンタングルには「まちがい」がない。

たとえまちがいに見えるものがあったとしてもそれは長い目で見ればまちがいなどでは決してない。

やりなおしもない。

ゼンタングルのメソッドは人生そのものである。

 

とはいえ、この「見習いタイル」を使っているにもかかわらず、トラディショナルなコースターサイズになった易タングルもある。この場合、大きいものをわざわざ小さく使っているわけで、Apprenticeタイルの意味がなくなってしまうが、結局、最初習った様式からはなかなか抜けられない。

 

融通がきかないのは歳と性分のせいかもしれないが、それが吉と出たか凶と出たかは易タングル(なんかもう少しいい呼び方は……)を観る人の判断にゆだねるしかない。

 

 

・シグニチャー

 

トラディショナルなゼンタングルでは最後に作者の署名を入れることになっている。

易タングルではこれをやらない。

その代わりにそのタングルに対応した大成卦とその大成卦のコード番号(各大成卦にふった易システム独自の番号)、ゲート番号(ゲートという言い方はヒューマンデザインからきている。伝統的な易における大成卦の並び順)、さらにその易タングルを変爻を定めるために引いた場合の爻位をあらわす「初、二、三、四、五、上」といった文字を入れている。

 

これらの情報が署名の代わりだ。

 

その易タングルを描いたの作者個人ではなく、各大成卦であるということを表現したかった。

 

トランプでいうと札の隅にかかれた小さなスートと数字、インデックスにあたるが、大成卦、コード番号、ゲート番号、爻位は、易タングルではトランプのように一定の位置に描かれているわけではない。

 

タングルによってはパターンの一部になってしまっているようなものもある。ちょっと見づらいかもしれないが必要な情報は各易タングルを眺めながら探し出してほしい……

といっても、そんなに隠し込んで描いたわけではない。

一応目立つようにはしてある。

本来ゼンタングルに上下はない。

インデックスを入れた時点でその易タングルにはどうしても上下が生じてしまう。

特に上下にこだわりなく描いた易タングルもあるが、上下が生じたことを利用して描いたタングルもある。

 

 

○ 初二三四五上、爻位について

 

爻位についてはもうすこし説明が必要かもしれない。「初、二、三、四、五、上」という六つの爻位を64の易タングルにまんべんなくわりふろうとすると、4枚の易タングルがあまることになる。

 

60:4の構造は、易システム(「易システム」は作者独自の易解釈のこと)の総まとめである「後天動因図」の基本構造そのもので、詳しくは「後天動因図」を参照してほしいとは思うが、つまるところ、乾、坤、泰、否の四つの大成卦にはこの爻位を割り当てていない。

 

動因図では乾、坤、泰、否はこの四つで、すべてのベース……マトリクス(母体)、本源、タオ、「それ」、永遠の運動、周期……etc,etc、それしかないあるひとつのもの、ダルマをあらわす。

 

爻位は時間と密接な関係を持っているが、マトリクス(母体)そのものに時間はない。

この意味でも乾、坤、泰、否に爻位はわりふれない。

爻位を得ようとしてこの四つの易タングルのうちいずれかを引き当てた場合は「変爻なし」としなければならない。

略筮で変爻なしということはありえないが、中筮、本筮ではままありえることだ。

 

ゼンタングルを描く時はまず最初に鉛筆でタイルの四隅に点をを打ち、各点を結んで境界線を引く。

もっともシンプルなのはおそらく単純な正方形だが、別に正方形でなくてもいい。

中に何本の境界線があってもいいので境界線の引き方は無数にある。

この境界線をストリングというが、ゼンタングルではストリングで区切られた領域をパターンで埋めていく。

こうして決められた手順を踏むことで、一見複雑な絵(パターン)をだれでも描くことができるわけだ。

 

易タングルでは、お互いが「ツイストペア」の関係にある大成卦どうしのストリングに共通性を持たせて、その2枚の易タングルが「ツイストペア」であることが判るようにした。

 

「ツイストペア」は易システム独自の用語で、お互いの爻が陰陽の反転関係にある大成卦どうしのペアのことである。

大成卦は全部で64あるから、ツイストペアは全部でその半分の32ある。易システムではこれら大成卦のペアそのものにも意味をつけている。

 

易タングル(しつこいようですが、もう少しいい呼び方があればどなたか教えてください)をカード化するときこのツイストペア(TP01~TP32)の意味もコメント的に付け加えることにした。

 

ツイストペア2枚一組で同じ意味(コメント)が付いている。くりかえしになるが、そのコメントはペアそのものにつけられた意味だからだ。

 

ちなみに伝統的な易では「ツイストペア」にあたる関係にある大成卦を、片方をもう一方の「裏卦」と呼び、背景、含み、隠された事情等の意味で解釈することがある。

易システムにおいては自分が認識していない自分の半側面、シャドウであり、自分の境界を拡張していく過程で最も重要な足がかりとなる。

 

ツイストペアをつくる易タングルのストリングに「共通性を持たせる」という曖昧な言い方をしたが、この2枚の易タングルをまったく同じストリングにしたという意味ではない。

 

まったく同じこともあるが、少々アレンジを加えていることもある。いずれにしても、ペアを構成する2枚を比較したときにそれとわかるようにしたつもりではある。

 

【最初に描いた「易タングル」のペア】

 

 

○ 抽象・具象・旅

 

ゼンタングルはおそらく「絵」ではない。

 

原則としてパターンの複合体であり、それが物的なものであれ心的なものであれ、なにか対象を描写しようとして描くものではないからだ。

 

具体物の描写などにゼンタングルの手法や様式を応用した作品はZIA(Zentangle Inspired Art)と呼ばれ、通常のゼンタングルとは区別される。

ZIAは必ずしもタイルに描かれるとは限らず、また必ずしもトラディショナルなゼンタングルの手法に則って描かれるとも限らない。

 

【ZIAの例。「星を見るもの」】

 

またZIAとは別にゼンタングルの手法で描かれたマンダラは「ゼンダラ」と呼ばれ、これも通常のゼンタングルとは区別される。

 

【ゼンダラ?もどき。本来のゼンダラは円形のタイルを使って描かれる】

 

ゼンタングルは抽象的なものであり、そういう点では易のシンボルと似ている。

 

易のシンボルときたら抽象的も抽象的、切れた線とつながった線を積み重ねたものでしかない。

抽象的であるということは「何にでも観える」ということであり、占術のツールとして作るのならより抽象的に、占者のイマジネーションやインスピレーションを刺激しやすいものにした方がよい。

 

何かに観えてしまうとイメージがその「何か」に固定されてしまい、占者の判断が限定されてしまう。

 

とはいえ、なにものにもならないように描くというのはかえってむずかしい。描いているうちになんとなく、なにかになっていくのである。

人はいかなる混沌の中にもパターンを見いだそうとする。

図と地を区別しようとする。

それが認識の基盤だからだ。

 

抽象度が高いデザインとは、観るたび観るたび、図と地がちがって観えるようなデザインだろう。

 

努力はしたつもりだが、それがどの程度うまくいっているかは、易タングルのセットを実際に占断に使ってみて判断してみるしかない。

 

描きながら思ったのは、瞑想アートであると同時に少なからず手間をかけてゼンタングルを描くことは、その日その日の時間そのものを刻みつけているのではないかということだ。

 

何事もないような日でも実は常になにかが起こっている。

 

その積み重ねが人生ということなのだろうが、おそらくは二度ととりもどすことのできないその時その時が、その時その日に描いていたゼンタングルに織り込まれていく。

 

ゼンタングルをマラソンのように描き続けることは一種の「旅」である。

 

64枚の旅が終わったときに(ほんとに終わるのかなあ)それがどんな道になっているかは今の段階ではわからないが、とにもかくにも始めてしまった旅だ。

 

あともどりはできなさそうである。

 

易タングルの組織は「後天動因図」をベースにしていることは先に述べたが、描いていく順番は動因図には関係ない。

 

動因図をもとにした64卦の一覧表を眺めながら、その都度大成卦を適当に選んで描き進めている。

描き終わった大成卦は一覧表に×をつけていく。

そんなふうにして気の向くままに大成卦を選んでいった。

 

この後に続く易タングルの紹介では、ツイストペアごとに2枚づつの易タングルを、ゲート番号順でも、コード番号順でも、ツイストペア番号順でもなく、描いた順番で紹介していくことにしたい。

 

ずいぶんと前置きが長くなってしまった。

 

自分の作品についてその作者があれこれ述べるのは、野暮の最たるものだということは一応はわかっているつもりではある。

 

しかしそうでもしないと、易タングルにコメントしてくれそうな人などとてもいそうにない。

 

どうか大目にみていただきたい。

いちおう前回で、
このシリーズのお話は終わっています。

蛇足。
なのはわかっていますが、
もうひとつ、以下のお話をさせていただいて、
このシリーズをしめくくりたいと思います。

   ☆

「反転」を経なければ次の段階にすすむことはできない。
同じレベルに捕われつづける。
「反転」を通過することは、天地がひっくりかえるようなことで天地がひっくりかえって結局、当たり前になるのかもしれないが、そんなようなターニング・ポイントである。

留意しなければならないのは大成卦が逆立ちする「反転」は、単に符号上の話であって、実際に起きる上述のような経験としてのターニング・ポイントとは別物であるということだ。
符号は符号だ。
地図は現地ではない。
易システムという地図と、実際の経験である現地をむすぶ架け橋は「占うこと」である。
ベースになっている易経自身がまずは占筮の書だからだ。

正八面体を大成卦と照らし合わせながらこれまで長々と進めてきたお話も、占術に応用できなければたいした意味はない。

   ☆

そこで反転を「起こしやすそうな」大成卦のグループを設定してみることにした。

特定の大成卦は占者の観たてによって、ある状況になったり、ある個人になったり、ある出来事になったりする。
「大成卦と正八面体」シリーズのスタートは一生に一度の問い、「私(人間)っていったいなんなの」から始まった。
その問いの回答としての大成卦にフォーカスしてお話おを進めてきた。
だからとりあえずは、大成卦=個人という観たてになるだろう。

そうすると「反転」を起こしやすそうな大成卦のグループとは、「反転」を起こしやすい人のタイプということになる。
実際の占術では、そんな意味あいで参照してもらうことにしよう。
では、どんな卦がそのグループに入るのか。
ここからは符号的な話になる。

   ☆

「反転」は以下の図では、
まず、図の真ん中が「谷折り」になって、
それから、天地がひっくりかえるプロセスだ。

heimen

大成卦でいうと、三爻と五爻、二爻と四爻、そして初爻と上爻が「引き合って」折りたたまれて、さらに反転……倒卦(リバース)になる過程である。
「引き合う」のは異符号どうし。
陰と陽の組み合わせ……レガシーでいう応じた関係である。
三爻と五爻、二爻と四爻、初爻と上爻が「応じている」易卦を選ぶ。
ダイヤグラム上、初爻と上爻の組み合わせはもっとも離れているので(働く力が弱いので)この組み合わせを除外する。

そうすると、「谷折り」の線をはさんで向かい合った、三爻と五爻、二爻と四爻が「応じて」いる易卦が、とりあえずは反転しやすい易卦ということになる。

二〜五爻のうち、下半分、二爻三爻の陰陽の組み合わせは次に示す4つのパターンである。

2、3爻

【(1) 二爻三爻の陰陽の組み合わせ】

(1)に「応じる」四爻五爻を上乗せすると次のようになる。

4−5爻

【(2) 二爻三爻の全陰陽パターンとそれに「応じる」四爻五爻の組み合わせ】

「反転」を起こしやすい大成卦とは、二〜五爻が上図のパターンになっている大成卦ということになる。

   ☆

大成卦の中核(*1)ともいえる二〜五爻のカタマリである(2)のパターンそれぞれに、初爻、上爻のパターンとして(1)のパターンを組み合わせると、4×4で、16種類の大成卦ができる。
その組み合わせを次に示す。
これを「反転のマトリクス」と呼ぼう。

hantenmatrix

【反転のマトリクス】

この16の卦が「反転を起こしやすい」大成卦のあつまりである。

先に、除外して考えた初爻、上爻が陰陽で「応じて」いる大成卦は、なかでも「特に」反転を起こしやすい大成卦ということになるだろう(真ん中の2列)。

マトリクス中、「R」とあるのはリバース(倒卦)の関係、「I」とあるのはインバース(裏卦、ツイストペア)の関係、「IR」とあるのは、インバースであり、かつリバースである関係の大成卦である。

レガシーにおける大成卦の序列では、原則リバースの関係にある大成卦が対になって並ぶが、リバースかつインバースの関係にある対は「反転のマトリクス」における中央2列、「特に」反転を起こしやすい8つの大成卦(IR)となっている。

  ☆

このシリーズのお話も長くなっているけど、それでもそのお話がなくて、最初からいきなりこの図だけを見せられても「ふーん」といったところだろう。

いかにシンプルな構造であっても、いや、シンプルであればあるほど、そこに至るまでの「物語」が大切なのではないだろうか……そんなふうに思う。

さて、新しい地図の誕生だ。
あなたの大成卦はどこにあるだろう。

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*1) 大成卦の中核
この二〜五爻のカタマリは、互卦の母体でもある。
互卦は、易システムの文脈ではその大成卦の「本質」。
互卦は、銀河ツールでいうところの「還元コドン」。
梅花心易では互卦を使って占う。

長々と続けてきましたこのシリーズも次回で最終回です。
よろしくお願いたします。

さて今回は、前回のお話をもう少し。

(前回……といっても
ずいぶん間があいてしまいました。
ふりかえってみたら前回は2月。
「後天動因図」とか「占例」とかで
遊んでましたからねぇ)

   ☆

お話は、正八面体とはずいぶんかけ離れてしまった。

ダイヤグラムとしては「すべて」つまり「本源(*1)」を一本の線としてしまっているので、正八面体だろうとなんだろうと、結局はその一本の線の「たわみ」にすぎなくなってしまう。

なぜそのような「たわみ」が生じたかというと、たわんだ各頂点から、もともとの一本の線を改めて眺めてみたいという宇宙の衝動があったからである。

tawami

【正八面体様にたわんだ一本の線または円環の無限小の一部】

その線は実は巨大な円環(スパイラル)だったのだが、この円環はウロボロスがシッポを飲み込むところで閉じる。
スパイラルとしては、もう一段深度を深める。
またはステージを一段高める。

ryuuring

【ウロボロス(「易システムハンドブック」の表紙より)】

ウロボロスが、自身のシッポを飲み込むということはどういうことだろうか。
そこではなにが起こっているのだろうか。
シッポの方から観てみる。

「反転」が起こると、一個の人間=大成卦はその「自己の境界」
を広げていき、「自己」はひとつの大成卦では収まりきらなくなり、その範囲はFO:地球意識、そしてSO:太陽系意識へと拡大する(以下の各図は「風と羅針盤」より)。

fo

【FO。ひとつの円には4つの大成卦が所属する。全64卦(*2)】

so

【SO。ひとつの円には4つのFOが所属する。全64卦(*2)】

そして、アタマがシッポをくわえこむ。

TO=サード・オーダー、日常的な感覚からは、このレベルは「超マクロ」に観える。
「TO:銀河意識」においては、この宇宙のすべてによるすべての経験は、たったふたつのホロン(*4)におさまってしまうからだ。

「反転」=再創造の始動によってなにが起こるかと言えば、この「マクロ」は「ミクロ」に、再創造段階におけるもっとも小さな、もっとも基本的な構成要素、陰と陽、両儀にたたみこまれてしまうのだ、と、言い切ってしまっていいものかどうかは……

わからない。

ぼくの勝手な夢想だ。

to

【TOというシッポと、シッポをくわえる「両儀」というアタマ】

FO、SO、TOをマスターマトリクス上で示すと次の絵のようになる。

fosotoo


FOは中心から四隅に広がっていくように定義される。
(各セルの右肩隅の「FOn、n=1~16」)

SOは中心の水平線から上下に広がっていくように定義される。
(茶、青、緑、黄で色分け)

TOは左側に示した四元素単位で、外側がTO2、内側がTO1なっており、「風と羅針盤」においては、女性原理・男性原理の、統合原理という観方をしている(*3)。

その意味は……

ひょっとしたら、「この宇宙」における女性原理と男性原理は、再創造における宇宙の素材として次の宇宙のためにパッケージングされる……ということなのかもしれない。

全宇宙が、陰と陽につめこまれている。

その素材を使って、次の創造がなされる。
次の宇宙の再創造で新しい「大成卦」が創られる。

ということは、今、この宇宙における陰と陽には、これまでの宇宙における、すべての構成要素の、すべての経験が、すべての情報が、つめこまれている……とはいえまいか。

創造、情報のパッケージング、再創造。
再創造された情報のパッケージング、そしてまた創造。

たぶん一瞬の休みもなく、今も、私たちの両儀の中で、あるいはまた、私たち自身が新しい「宇宙」の「両儀」となって……

この活動は不断になされている。

両儀が八卦になり八卦が大成卦を構成し、さらに大成卦をこえてゆく「上」にも、その創造の素材であった両儀、「下」にも、無限である。

とてもイメージや、想像が追いつく話ではないが、それでも、わたしたちの「心」はそのすべてを収容することができる。

「心」は決して、物質の狭間に偶然生じた、物質の属性などではない。
物質も時間も空間もありとあらゆる宇宙も、すべてを包含する「背景」である。
この「背景」は無限である。
どこにでもある。
あるいはまた、どこでもない。
そこでは何も「死なない」。
なぜなら、そもそも何も「生まれて」いないからだ。
大切なことは、その「背景」はあなたでもあるということだ。

hanten-kokoro

【一般的な常識(左)とその反転(右)】

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*1 本源
宇宙の宇宙。「すべて」のはじまり。
ここでいう「すべて」とは、わたしたちがくらすこの宇宙も含めた、(あるとすれば)他のすべての「宇宙」の大本という意味。

*2 全64卦。
これは変わらない。
この宇宙に入ってきたものも出て行ったものもいない。悟空があばれたお釈迦様の掌(たなごころ)。

*3 統合原理
一般的にいって火(太陽)と風(天)は男性原理であり、水(太陰、月)と地(大地)は女性原理である。
したがって、TO1、TO2 はそれぞれに男性原理、女性原理が配分されていることになる。

*4 ホロン
易システムにおけるホロン構造を以下に示す(「風と羅針盤」より)。
図で「生命場」とあるのがFO(ファースト・オーダー)、幅=4単位・深度=96ビットにあたるのが、SO(セカンド・オーダー)、幅=2単位・深度=192ビットのレベルがTO(サード・オーダー)である。オメガポイントは宇宙そのもの、本源。
本記事においては、最終的にはオメガポイント=「人間」であるといっちゃったりしている。

holon-eki

【易システムにおける符号的ホロン構造】