○ことはじめ
六十四卦の自分なりのイメージを描いてみようと思った。
「ゼンタングル」というものをネットでみつけたことがきっかけ。
2015年の10月のことだ。
ゼンタングルはコースターくらいの紙にパターンを描き込んでいく瞑想アートである。
本を買い込んで2、3枚のゼンタングルらしきものを描いてみた。
【我流ゼンタングル】
どうもうまくない。
やっぱりこういうのは誰か先生に一度でもちゃんと習った方がいいのでは?
と調べてみたら、その同じ年11月にさとういずみさんという先生の講習があるということをネットで知った。
ゼンタングルはアメリカのリック・ロバーツとマリア・トーマスによって創始された様式と技法の総称である。
「Zentangle」は登録商標だ。
さとう先生は日本人ではじめてのゼンタングル認定講師(CZT)であるということだった。
さっそく申し込んで、BASIC101という最初の最初、「はじめてのゼンタングル」と呼ばれる講座だけとりあえず受講。
習ってみるとそれなりに描けるようになる。
実地に人から人へという伝達は効果的である。
ただ本をながめるのとはちがう。
どうだろう。
【習ったあとのゼンタングル】
一定の手法さえ踏めば誰にでも描ける。
特に絵心は必要ない。
ゼンタングルのゼンは禅からきている。
禅ではミニマムを尊ぶ。
使う道具も材料も必要最低限だ。
少なくして足ることを知るのである。
まずは講座の課題をこなしてから何枚かタングルを描いているうちに、この一枚一枚のゼンタングルで易の六十四卦を描いてみたらどうだろうか……
と思うようになった。
最終的には、おおぶりのカードが64枚できる。
これを束にして書物占いのように一枚のカードを引き当てる。
そんな易占ツールのようなものができればいいなと思った。
易の六十四卦をカード化した商品はすでにたくさん世に出ている。
以前に自分で大成卦そのものと卦爻辞を印刷した64枚のカードを作ったこともある。
なにを今さらと言われるかもしれない。
描くのは大成卦そのものではなく、ゼンタングルの手法を用いたイメージだ。
作者自身と各卦のプライベートなつながりをあらわしたイメージである。他の人には使いづらい、あるいはまったく使えないツールということになるかもしれない。
他の人は他の人で、それぞれの大成卦について持っているイメージは異なるはずだからだ。
完成すれば、非常に個人的なツールになるだろう。
そうするとこうしてブログに書くことに何の意味があろうか、という話にもなる。
しかしまあ、作者以外の人から見れば『ああ、こういうとらえかもあるのかなあ』という例のひとつとして、何らかの参考になることもある……
くらいのことはあるかもしれない。
○フォーマット
ふつうにゼンタングルを描くときのやり方を少しアレンジした。
ゼンタングルは自由なものなのでルールというほど厳格なものはない。
トラディショナルなゼンタングルとのちがい、
あるいはこれから描こうとしている「易タングル(もう少しましな呼び方はないかなあ)」の統一的表現といっていいかもしれない。
どこをどうアレンジしたのか。
以下に2、3述べてみる。
・グラデーション
トラディショナルなゼンタングルでは最後に鉛筆でグラデーションをつけて作品に深みを持たせる。
易タングルではこれをやらない。
グラデーションをつけないゼンタングルは単なる黒と白のラインアートである。
大成卦は陰と陽で構成されていることにちなんで黒と白のみの表現にすることにした。
・タイル
ゼンタングルではパターンを描き込む小さな画用紙を「タイル」と呼ぶ。
トラディショナルなゼンタングルではタイルは約9cm四方のコースター位の大きさだが、易タングルではこれをCDジャケット位の大きさのタイルに描いた。
これについては実はそうすることにした積極的な理由はとくにない。
コースター・サイズの通常のタイルを注文するつもりでまちがって「Apprentice(見習い)」と呼ばれるタイルを注文してしまったのである。
このタイルはその名が示すとおり主に教育目的で子供たちが利用するものらしく、通常のタイルよりも大きくCD位の大きさに作られている。
コースター・サイズに切り出して使うこともできるが、せっかくだからそのまま使うことにした。
作者自身もついこの間ゼンタングルを始めたばかりの初心者だし、まあ「見習い」だ。
易タングルはこの大きめタイルに描くことにした。
まちがって注文したものだがそれでいいのだ。
ゼンタングルには「まちがい」がない。
たとえまちがいに見えるものがあったとしてもそれは長い目で見ればまちがいなどでは決してない。
やりなおしもない。
ゼンタングルのメソッドは人生そのものである。
とはいえ、この「見習いタイル」を使っているにもかかわらず、トラディショナルなコースターサイズになった易タングルもある。この場合、大きいものをわざわざ小さく使っているわけで、Apprenticeタイルの意味がなくなってしまうが、結局、最初習った様式からはなかなか抜けられない。
融通がきかないのは歳と性分のせいかもしれないが、それが吉と出たか凶と出たかは易タングル(なんかもう少しいい呼び方は……)を観る人の判断にゆだねるしかない。
・シグニチャー
トラディショナルなゼンタングルでは最後に作者の署名を入れることになっている。
易タングルではこれをやらない。
その代わりにそのタングルに対応した大成卦とその大成卦のコード番号(各大成卦にふった易システム独自の番号)、ゲート番号(ゲートという言い方はヒューマンデザインからきている。伝統的な易における大成卦の並び順)、さらにその易タングルを変爻を定めるために引いた場合の爻位をあらわす「初、二、三、四、五、上」といった文字を入れている。
これらの情報が署名の代わりだ。
その易タングルを描いたの作者個人ではなく、各大成卦であるということを表現したかった。
トランプでいうと札の隅にかかれた小さなスートと数字、インデックスにあたるが、大成卦、コード番号、ゲート番号、爻位は、易タングルではトランプのように一定の位置に描かれているわけではない。
タングルによってはパターンの一部になってしまっているようなものもある。ちょっと見づらいかもしれないが必要な情報は各易タングルを眺めながら探し出してほしい……
といっても、そんなに隠し込んで描いたわけではない。
一応目立つようにはしてある。
本来ゼンタングルに上下はない。
インデックスを入れた時点でその易タングルにはどうしても上下が生じてしまう。
特に上下にこだわりなく描いた易タングルもあるが、上下が生じたことを利用して描いたタングルもある。
○ 初二三四五上、爻位について
爻位についてはもうすこし説明が必要かもしれない。「初、二、三、四、五、上」という六つの爻位を64の易タングルにまんべんなくわりふろうとすると、4枚の易タングルがあまることになる。
60:4の構造は、易システム(「易システム」は作者独自の易解釈のこと)の総まとめである「後天動因図」の基本構造そのもので、詳しくは「後天動因図」を参照してほしいとは思うが、つまるところ、乾、坤、泰、否の四つの大成卦にはこの爻位を割り当てていない。
動因図では乾、坤、泰、否はこの四つで、すべてのベース……マトリクス(母体)、本源、タオ、「それ」、永遠の運動、周期……etc,etc、それしかないあるひとつのもの、ダルマをあらわす。
爻位は時間と密接な関係を持っているが、マトリクス(母体)そのものに時間はない。
この意味でも乾、坤、泰、否に爻位はわりふれない。
爻位を得ようとしてこの四つの易タングルのうちいずれかを引き当てた場合は「変爻なし」としなければならない。
略筮で変爻なしということはありえないが、中筮、本筮ではままありえることだ。
ゼンタングルを描く時はまず最初に鉛筆でタイルの四隅に点をを打ち、各点を結んで境界線を引く。
もっともシンプルなのはおそらく単純な正方形だが、別に正方形でなくてもいい。
中に何本の境界線があってもいいので境界線の引き方は無数にある。
この境界線をストリングというが、ゼンタングルではストリングで区切られた領域をパターンで埋めていく。
こうして決められた手順を踏むことで、一見複雑な絵(パターン)をだれでも描くことができるわけだ。
易タングルでは、お互いが「ツイストペア」の関係にある大成卦どうしのストリングに共通性を持たせて、その2枚の易タングルが「ツイストペア」であることが判るようにした。
「ツイストペア」は易システム独自の用語で、お互いの爻が陰陽の反転関係にある大成卦どうしのペアのことである。
大成卦は全部で64あるから、ツイストペアは全部でその半分の32ある。易システムではこれら大成卦のペアそのものにも意味をつけている。
易タングル(しつこいようですが、もう少しいい呼び方があればどなたか教えてください)をカード化するときこのツイストペア(TP01~TP32)の意味もコメント的に付け加えることにした。
ツイストペア2枚一組で同じ意味(コメント)が付いている。くりかえしになるが、そのコメントはペアそのものにつけられた意味だからだ。
ちなみに伝統的な易では「ツイストペア」にあたる関係にある大成卦を、片方をもう一方の「裏卦」と呼び、背景、含み、隠された事情等の意味で解釈することがある。
易システムにおいては自分が認識していない自分の半側面、シャドウであり、自分の境界を拡張していく過程で最も重要な足がかりとなる。
ツイストペアをつくる易タングルのストリングに「共通性を持たせる」という曖昧な言い方をしたが、この2枚の易タングルをまったく同じストリングにしたという意味ではない。
まったく同じこともあるが、少々アレンジを加えていることもある。いずれにしても、ペアを構成する2枚を比較したときにそれとわかるようにしたつもりではある。
【最初に描いた「易タングル」のペア】
○ 抽象・具象・旅
ゼンタングルはおそらく「絵」ではない。
原則としてパターンの複合体であり、それが物的なものであれ心的なものであれ、なにか対象を描写しようとして描くものではないからだ。
具体物の描写などにゼンタングルの手法や様式を応用した作品はZIA(Zentangle Inspired Art)と呼ばれ、通常のゼンタングルとは区別される。
ZIAは必ずしもタイルに描かれるとは限らず、また必ずしもトラディショナルなゼンタングルの手法に則って描かれるとも限らない。
【ZIAの例。「星を見るもの」】
またZIAとは別にゼンタングルの手法で描かれたマンダラは「ゼンダラ」と呼ばれ、これも通常のゼンタングルとは区別される。
【ゼンダラ?もどき。本来のゼンダラは円形のタイルを使って描かれる】
ゼンタングルは抽象的なものであり、そういう点では易のシンボルと似ている。
易のシンボルときたら抽象的も抽象的、切れた線とつながった線を積み重ねたものでしかない。
抽象的であるということは「何にでも観える」ということであり、占術のツールとして作るのならより抽象的に、占者のイマジネーションやインスピレーションを刺激しやすいものにした方がよい。
何かに観えてしまうとイメージがその「何か」に固定されてしまい、占者の判断が限定されてしまう。
とはいえ、なにものにもならないように描くというのはかえってむずかしい。描いているうちになんとなく、なにかになっていくのである。
人はいかなる混沌の中にもパターンを見いだそうとする。
図と地を区別しようとする。
それが認識の基盤だからだ。
抽象度が高いデザインとは、観るたび観るたび、図と地がちがって観えるようなデザインだろう。
努力はしたつもりだが、それがどの程度うまくいっているかは、易タングルのセットを実際に占断に使ってみて判断してみるしかない。
描きながら思ったのは、瞑想アートであると同時に少なからず手間をかけてゼンタングルを描くことは、その日その日の時間そのものを刻みつけているのではないかということだ。
何事もないような日でも実は常になにかが起こっている。
その積み重ねが人生ということなのだろうが、おそらくは二度ととりもどすことのできないその時その時が、その時その日に描いていたゼンタングルに織り込まれていく。
ゼンタングルをマラソンのように描き続けることは一種の「旅」である。
64枚の旅が終わったときに(ほんとに終わるのかなあ)それがどんな道になっているかは今の段階ではわからないが、とにもかくにも始めてしまった旅だ。
あともどりはできなさそうである。
易タングルの組織は「後天動因図」をベースにしていることは先に述べたが、描いていく順番は動因図には関係ない。
動因図をもとにした64卦の一覧表を眺めながら、その都度大成卦を適当に選んで描き進めている。
描き終わった大成卦は一覧表に×をつけていく。
そんなふうにして気の向くままに大成卦を選んでいった。
この後に続く易タングルの紹介では、ツイストペアごとに2枚づつの易タングルを、ゲート番号順でも、コード番号順でも、ツイストペア番号順でもなく、描いた順番で紹介していくことにしたい。
ずいぶんと前置きが長くなってしまった。
自分の作品についてその作者があれこれ述べるのは、野暮の最たるものだということは一応はわかっているつもりではある。
しかしそうでもしないと、易タングルにコメントしてくれそうな人などとてもいそうにない。
どうか大目にみていただきたい。





