後天動因図(後天動因図 その1) | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を
使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう!
というただそれだけのブログ……
だったんですが、
最近はまた淡々と経文に向かっております。

先日、何年かぶりに人様の前で易システムのお話をさせていただく機会に恵まれ、少々疲れましたがそれはまた心地よい疲れでもありました。

易レク

【講釈師見てきたような嘘をいい】

「易システム」は筆者独自の易解釈のことで、何冊かの私家版のコピー本ドキュメントがありますが、その最新版として「後天動因図」というタイトルのドキュメントをまとめました。

今回の集まりはその後天動因図のお披露目のつもりだったんですが、後天動因図のお話をするためには一応「易システム」の話もしなきゃ、いやまて、その前に伝統的な易(レガシー)の話もしなきゃ、とやってみたら、肝心の動因図の方はほとんど駆け足でのお話になってしまいました。

そこで今回は、お話の補足がてら、後天動因図のご紹介をさせていただきます。
なお、後天動因図は現時点では未公開ですが学研が運用するデジタルブックライブラリーwookにて無料公開の予定です。

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まず易システムですが、これはつまるところ64卦を用いた種々の地図の作成です。
易はまずは占いの書ですが、占うということは質問に対応したあるひとつの卦にフォーカスするということです。その背景には常にフォーカスされなかった63の卦が伏在しています。

地図はこの背景に注意をむけるためのものであり、その中での自分の位置(フォーカスされている卦、つまりは座標)を確認するためのものです。
易は64卦というシンボルで森羅万象をあらわそうとするものですので、さまざまな地図はそれぞれのやり方で、この宇宙をとらえようとした世界観のバリエーションともいうことができると思います。

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さて後天動因図ですが、これは64卦を放射状に配置した一種のマンダラです。
易システムでいうマンダラはほとんど地図のようなものですから、これも結局は地図、ということになります。

後天動因図

【後天動因図】

易システムの他のドキュメントからは独立に、もう一度自分なりに易というシンボル体系全体をみなおしてみようと思ったことが後天動因図というマンダラを描くきっかけとなりました。

そんなわけで、後天動因図自体はそれだけで読める独立した作品です。
B5横開きの絵本のようなものしようと思っていたので、半分は絵(図)になっています。結果的には絵本にしてはずいぶん字が多くなってしまいましたが。

ホゼ・アグエイアス氏によれば、マンダラには、

・中心がある
・対称性がある
・方位がある

そうで、後天動因図は一応その条件を満たしています。

本の内容は、そのマンダラがどのように作られたかを書いた物語であり、手に汗握る息もつかせぬ冒険譚でこそありませんが、創作神話の一種と言えるかもしれません。

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ただマンダラ(地図)を描くといっても、なにもないところからいきなり描くことはできません(できる人もいるかもしれませんがぼくにはムリ)。

後天動因図の場合、次の三つを基盤にしています。

・先天図における数理
・神聖幾何学におけるFlute Of Life(以降「FOL」) 
・トーラスという形

後天動因図では数は陰陽と並ぶ認識の基盤ととらえています。
そしてさらに、トーラスはFOLから導かれる、と後天動因図ではとらえています。

FOL

【FOL】

三次元空間内で、あるひとつの球に同じサイズの球をいくつ接して配置することができるかという空間充填の問題の答えは12で、これはそのままFOLの円の数でもあります(中心の円をのぞいた)。

この球の最密パッケージで各球の中心を結ぶと立方八面体という多面体ができます。この多面体はまたベクトル平衡体とも呼ばれます。

ベクトル平衡体

【球による空間充填とベクトル平衡体(小野満麿、METATRONIC METALOGUEより)】

このベクトル平衡体はまた、たとえば以下のようにトーラスの骨格として観ることもできるでしょう。

骨格

【トーラスの骨格としてのベクトル平衡体】

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結局のところ後天動因図は、先天図、後天図という八卦のダイヤグラムを重ねてできる64卦というネットワークで、トーラスを包み込むことによってできたマンダラ、地図です。

先天図後天図

【先天図後天図】

64卦がトーラスを包み込むプロセスは、父母が引き合い、家族を創り、子供たちが旅をしてまた家に帰って来るというひとつのストーリーを形成します。
本自体は、このお話を絵(図)と文で簡略にまとめたもの、というわけです。

で、いったいこれがなんなのよ、という話ですが、MAP13とは異なり、冒頭から、使い方も含めて一切は読者に丸投げしています。

ずるいようですが。

ずるいといえば確かにずるいのかもしれませんが、正直なところ筆者自身にもその使い方がよくわかっていないというのが実情です。

長くなりそうなので今回はこの辺で。
次回につづきます。