So what? —— で?(後天動因図 その3) | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を
使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう!
というただそれだけのブログ……
だったんですが、
最近はまた淡々と経文に向かっております。

後天動因図のお話、前回の続きです。

タイトルにありますとおり、ドキュメントをまとめた後に想うのは、いつもそのことです。

「何の役にたつのか」、と。

後天動因図は、トーラス面に64卦を配置してそれを展開してできたマンダラで、解釈はユーザーに丸投げです。
解釈の指針みたいなものは、後天動因図の本の最後の方に「応用」という章を設けてお話しています。
まあしかし、とても「何の役にたつのか」という質問の答えにはなっておりません。

しかしながら、どこがどんなふうに「役に立つ」はケースバイケース、文字どおり千差万別、臨機応変、システムの抽象度が高ければ高いほど「これだ」というひとつの答えにしぼることはできにくくなり、それぞれの現場にいるそれぞれの人によって異なってきます。

「占う」意味の一端はここにあるのではないでしょうか。
質問者の問いに、抽象的な枠組みを具体的に結びつけるライブな過程がすなわち占う(解釈する)ことなのではないでしょうか。
文や絵、図表等に示せるものはいわば固着したイメージ、土産物屋で売られている樹脂で固められたチョウで、目の前を優雅に舞う生きたチョウとは似ても似つかないものではないか……
そんなふうに思います。

そんなワケで、あやしい土産物屋は、ライブのチョウとは似て非なるもの、解釈の指針程度のものしかお伝えすることができないのです。

   *

後天動因図におけるトーラス面への易卦の配置は、原則として図の緯線上に下卦(D)、経線上(U)に上卦を配置して、緯線と経線の交点にその上下卦でできる大成卦を配したものです。

ud

【U:上卦、D:下卦、U+D=大成卦】

図中、方位が書かれていますが日常的な時間は経線を右回りに、東南西北の方向へ流れるものとしています。
後天動因図の本を読まれた方はオヤと思われるかもしれません。
父と母が出会って生まれた子供達の旅は緯線方向に往って還ってくる旅だからです。時間はその方向に流れるんじゃないの?
そこでも時間は流れています。
しかしそれは日常的な時間ではありません。

組織図

【後天動因図組織図】

この図はレクチャーの最後に配ったものですが、列方向(縦方向)が先のトーラス面の経線方向にあたり、行方向(横方向)が緯線方向にあたります。
列方向(経線方向)の矢印にはtとあり、行方向(緯線方向)の矢印には T とあります。
 t は日常生活で私たちが経験する時間(Daily Time)で、「初」~「上」までの大成卦の爻位がそのインデックスとしてふられています。
一方、T の方向の矢印には爻位のようなインデックスはありませんが、易数、つまりコード番号がそのままインデックスになっています。易数、コード番号、数です。数はFOLとともに、アプリオリな前提としている後天動因図の設計図です。図中で T は、Deep Timeとコメントされていますが、Daily Timeとはまた別種の「創造の時間」ということです。

以前の「易システムハンドブック」「風と羅針盤」「MAP13」などでは、T は、どちらかというと「無時間」「永遠」といったニュアンスでとらえられており、ツイストペア・ホイールのなりたちを説明するために「創造の6ステップ」という言葉で「初」~「上」のインデックスを使っています。
ここでの「初」~「上」は、「創造の6ステップ」とは切り離して考えてださい。

 T についても、「無時間」「永遠」というよりも、日常的な時間である t の延長上にある同種の時間であるのではないかと最近は想っています。
ただ、そのスケールが t と T ではあまりにちがいすぎるために、t から観た T はほとんど「悠久」ともいえるのではないか、と。

 T はこの宇宙という舞台が組み上がる時間、t はその舞台を生命が旅する時間です。
 
 T は一番左の列に書いてある子供達(長男、長女……少男(三男))が、地、沢、火、雷、天とでかけていき見聞し、再び天から地へ還ってくる旅(行方向への旅)でもあります。この旅は T 、t から観れば永遠の時間内での旅です。
 レクチャーでは後天動因図は創作神話でもあります、というようなことを申し上げたかと記憶しておりますが、旅する舞台は神的領域、舞台をつくった父も母も、旅する役者も神々といえるかもしれません。わたしたち個別の生命が旅する物語ではないのです。

わたしたち個別の生命の物語はトーラスの経線方向、上の表でいえば列方向 t への、多くの場合は循環する旅です。この経路が周期的に緯線方向へ切り替えられると、旅路はトーラスの表面全面をたどる成長するスパイラルになります。
後天動因図では t は家族が増えていく順番でもあります。長男、長女、次女、三女、次男、三男。
それはまた東南西北と太陽が昇って中天に達し、沈んで地中をくぐり、また再び東からあらわれる周期でもあります。
日常時間t、ドーナツの穴の淵ではそんなドラマが展開されているわけです。

スケールがちがうとはいえ、T と t は地続きです。
それはつまり神々と生命が地続きであるということでもあります。くりかえします。スケールはちがいますが。
易卦はその間をむすぶ尺度不変のシンボルであり、だからこそ巫術のツールになったのだと思っています。

頚から下げられた水晶。
水晶もそれを身につけている人も「おなじ時間」の中にいますが、水晶が経験している時間  T と、それを身につけている人が経験している時間 t はまるで別種のものです。
昨日今日明日という時間と、億年単位の地質学的時間とは尺度がちがいすぎて、同じ「時間」といっても同列に論じることすらできないのではないでしょうか。

「時間」そのものについても「風と羅針盤」などでは、意識がバリアント(可能性のある現実のバリエーション。一種の平行世界)を実現する単なる順番だなどと簡単にとらえていましたが、ことはそう単純ではないようです。
覆水が盆に返らない以上、不可逆的現象は客観的にも観察できるわけで、時間は単なる主観、個別の顕在意識の創作物などではなく、リアリティのもっと根深い所でこの宇宙そのものとふかく絡み合っているようです。

   *

さて、前回「易システムの位相空間」では、トーラス面上の座標を

(U,D,En)

U:上卦、後天動因図が定めるトーラス面の経線上の一点
D:下卦、後天動因図が定めるトーラス面の緯線上の一点
En:トーラスの形状を決定する任意のパラメータ・セット(E1,E2,E3……En)

として、

En は易システムの位相空間を満たすさまざまなトーラスを示すが、U、Dは変わらないというお話をしました。

U、D はつまり易卦、大成卦ですから、それはつまり、無限個のトーラスを64の符号で(後天動因図の場合は60の符号で)、示すというか統べるというか包み込むというか、とてもムチャな話のような気もしますが、トポロジー的にはそんなにムチャでもなさそうな気もします。
「トポロジー」とかいったって、なんだかよくわかってるわけじゃあないんですが。

ミルフィーユ

【無限枚数のトーラスの面(部分)をつらぬく有限の易卦】

上の絵ですが、一枚一枚の味がしっかり個別に判っちゃったりしてたら、おちおちミルフィーユなんか食べていられません。全部食べ終わる前に日が暮れてしまいます。
同じミルフィーユを朝から日が暮れるまで食べている人もあまりみかけませんから、ニンゲンは有限の結び目を持つ網で無限のなにかを包み込むことができるような、自分でもよくわかっていない天分の仕組みがあるのかもしれません。
ひょっとしたらそれが、意識という位相空間——トポロジー・スペースなのかもしれません。

水晶を頚からさげるのはパワーストーンから「パワー」かなにかそういったものを「得る」ためだけではないのではないのでしょうか。 
t と T が地続きであることをふまえつつ、 t (水晶を身につけた人)が T (水晶)という「永遠」を身体で感じるための方便なのでは?……と、個人的には想っています。
その方の身体自体が、実は T の中で久遠のプロセスを経た材料から、期間限定的にある一定のパターンとして組み上がっています。
文字通りの意味で、私たちは皆星の子なのだ、とはたしか、今はもう星に還ったカール・セーガンの言葉でしたか。

   *

ということで、今回のお話は「で?」といわれても、ちょっと答えられませんというお話でした。
だんだんボロが出てきたところで、後天動因図のお話はもう一回くらいで終わりにしようかと思っています。
御用とお急ぎでない方、ご興味のある方はよろしくお付きあい願えればと思います。

ではまた。