得卦の「バリアントの流れ」を観る | ぼくは占い師じゃない

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易経という中国の古典、ウラナイの書を使いやすく再解釈して私家版・易経をつくろう! というブログ……だったんですが、最近はネタ切れで迷走中。

前回の占例、辞めるか辞めないかの話は一応完結していますが「易システム」的にも観てみます。
「易システム」は筆者独自の易解釈のことです。

   ☆

易システムには「一般化された十二消長卦」という観方があります。

十二消長卦(または十二消息卦)は、純陰の坤からはじまって初爻位から順次陰陽を反転させていくとできる一連の大成卦のことです。
上爻までの陰陽を反転させ終えた時点で坤は、純陽の乾になっています。
そうしたらこんどはまた再び初爻から順次陰陽を反転させていき、またふたたび坤にもどす。
そのようにして「坤→乾→坤」のサイクルができます。
爻を反転するたびに新しい大成卦ができますが、ひとつのサイクルでできる大成卦は全部で十二ありますので、この一連の卦を十二消長卦といいます。

十二消息

【十二消長卦】


「一般化された十二消長卦」は十二消長卦におけるスタートの大成卦であった坤を、坤にかぎらず任意の大成卦とした場合の一連の大成卦のサイクルのことです。
易システムでは「一般化された十二消長卦」はまた「バリアントの流れ」でもあります。

前回の占例で中心になっていたのは「目癸<ケイ>」の五爻変です。
この得卦がバリアントの流れのどこに位置するか観てみます。
占例は五爻変ですから初~四までの爻の陰陽を反転すればこのバリアントの流れのスタート、基準になる大成卦がわかります。
「目癸<ケイ>」の初~四爻を反転すると艮になりますので、これが「目癸<ケイ>」がのっているバリアントの流れにおける基準卦です。

艮基準十二消息

【艮を基準としたバリアントの流れ】

前回の占例では、占ったその時は「目癸<ケイ>」の五爻という段階にあたりますが、バリアントの流れという観方をすると、おおもとは艮から来たということがわかります。
占的では「不本意ながらやっている仕事」ということでしたが、その始まりには艮、動かしがたい理由、背景があったことがうかがえます。

前回の占例は分占でしたが、おもしろいのは上のバリアントの流れの中に、仕事を辞めた場合の回答として出た坎の之卦、困があらわれているということ。

基準となる艮から数えて5番目が「目癸<ケイ>」で、困がさらに3つ先の8番目。
困と共に四難卦といわれる蹇<ケン>がさらにその3つ先の11番目にあらわれています。
占った時点を示す「目癸<ケイ>」の先は、困と蹇にあたる時期が、おそらく節目になるでしょう。

前回の占例の見積もりによれば、1爻あたり4.2ヶ月なので最初の節目である困に至るのが3×4.2ヶ月、約1年後。
さらに3×4.2ヶ月、約1年たった後に2度目の節目である蹇に至ります。
進路はこの節目のどちらか、あるいは両方で再検討することになるかもしれません。

   ☆

「バリアントの流れ」という言葉はヴァジム・ゼランドの「トランサーフィーン」から借用してきた言葉です。
易システム的には放っておけばそうなる状況(=バリアント=起こり得る現実のバリエーション)の推移ととらえています。
いわば自然な流れでもあるのですが、バリアントの流れはある卦からはじまってまたその卦にもどる閉じたループです。

「閉じたループ」という観方をするならこの経路はとらわれの輪であり、輪廻のようなものと観ることもできます。
この輪から離脱するにはそのバリアントの流れ以外の卦が示すバリアントへ、爻を変じることによってジャンプしなければなりません。
それがすなわちトランサーフィンということなのでしょうが、ふつうはできないような微妙な選択によってなされるもののようで、おそらくは目先の功利とは無縁です。

事象はだまっていればバリアントの流れに沿って推移していくわけですが、易卦を十二消長卦のルールで変じて未来の傾向とする観方は、たいていの場合、このループから逃れ得ないことを利用した観方であるといえそうです。
リンゴは熟れれば重くなって樹から落ちるのは自然な流れです。この場合はそんなあたりまえのことを占いと称してやっているわけです。
しかしまあ、地面に落ちないで自由に飛べる(?)リンゴもあるようです。
そんな「人生の達人」には、ぼくがやる程度の占術は必要ないでしょう。
占術はあくまでもツールです。
その必要がなくなれば、いつまでもしがみついているものではないとも思います。
傷が癒えて、歩けるようになった人に松葉杖はもう必要ありません。

   ☆

いずれにしても占術が問題を解決するわけではありません。
問題を解決するのは当事者自身です。

では占うことにどんな意味があるのか。

いろいろな答えがあるとは思いますが、ふだんとはまた違った視点から問題を観ることができるようにすることが、占術の役割のひとつであるように思います。

占術は魔法ではありません。

占うことによって問題が消えてなくなるわけではなく、新しく与えられた視点の下で「問題」は問題ではなくなる……その緊急性を失うか、思っていたほど重大なことでもなかったことが判るのだと思います。

まああくまで、うまくいけば、ということですが。

ではまた。