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ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

顎、口。
かみ合い、養う。

   ☆

[頤|おとがい]は「顎」のことである。
養い、養われるという意味も派生する。

口には食べ物が入り、言葉が出て行く。
物質とミームは循環し続ける。
よくもわるくも。

この卦を見るととにかくいつも、こちらに向かってぱかぁっと開けられた口を想像してしまう。中にはなにもない。

食べ物をよこせと言っているのか。
食べ物以外の、何か別のことを言っているのか。
威嚇しているわけではなさそうである。

では、なんなのか。
どういう状況なのか。
何か訴えようとしているのか。

その辺が判断のポイントになりそうだ。

積み上げる。高く。大きく。

   ☆

大畜。

進もうとして止められる。または、たくさん抱えて養う。
とにかくたくさん、たくわえる。天をつらぬく山のごとし。

停滞ととらえると、おもしろくない。だけど[資源|リソース]、または積み上げられた可能性ととらえれば、それはチャンスに見えてくる。

経文を見ているとおもしろいことに気がつく。

卦名は「大畜」なのだが、本文には「畜」の字は一文字も出てこない。
かわりに目を引くのは猪や豚類をあらわす文字と馬の文字(家畜)、それからクルマをあらわす文字だ。いずれも資産であり、重要なリソースだ。

「社畜」なんて言葉があるけど、「畜」はリソース、資源、資産のことなんですよ。被雇用者は大事にしてもらわないと。

あわててはいけない。
今はリソースを温存しておく時期なのかもしれない。

年何回かのイベントで頒布させていただいている本は「遊星出版」のホームページでは頒布していません。

イベントで頒布している本のご紹介ページを、「遊星出版」のホームページに追記しました。

ご覧いただければ幸いです。

→こちら

 

なるようになる。

   ☆

「ま、なるようになる……か」

映画やドラマの[登場人物|キャラクター]はかすかに笑みを浮かべながら、こうつぶやく。
なるようになる。

確かにそのとおり。
だがその先行きは、まったくの無意味で、はてしなく理不尽で、どうしようもなく理解不能かもしれない。
そういう出来事は映画やドラマにはならない。
自然には意図がある。意思もある。時として清算もされる。
意味、理屈、理解で人がそれを推し量ることは決してできない。

復帰。復活。

   ☆

もとへもどる。何故、復るのか。何のために、やりなおすのか。その動機がキーポイント。やりなおすにもエネルギーが必要だ。だがそのためのエネルギーは地中深く隠れている。やりなおすことを「正しい」「妥当である」と判断するのなら……早い方がいい。経文では手遅れというケースについても明確に言及されている。上六、迷複、凶。

剥落、剥離。

   ☆

冬。街道わきに一本の樹が立っている。

天辺にある実がひとつだけ残っている。
落ちず。食らわれず。

樹を見上げ、村人は、寒いねえ、とつぶやいて、通り過ぎる。
樹を見上げ、旅人は、もう一里、とつぶやいて、通り過ぎる。
樹を見上げ、狐は、つまらねえ、とつぶやいて、通り過ぎる。

実が落ちて樹が残る。
その樹のほんとうの姿があらわになる。

飾り。飾ること。

   ☆

花を咲かせれば、きれいだねと言われ、
新緑をまとえば、爽やかだねと言われ、
実がなれば、豊かに実ったねと言われ、
全てを失えば、白い枝と幹だけが残る。
最高の飾りは、そこになにもないこと。
白賁、无咎。

噛む。

   ☆

「がんばれ」
「食らいつけ」

そう言われるとかえって力が抜けてしまう。
しかし、かたくて噛み切れない肉のように、
乗り越えなければならない時は確かにある。

食わなければ死んでしまう。

死にたくはないので仕方なしに食らいつく。

経文はいう。

噛みきれないのは、
肉の中にある金の[鏃|やじり]のせいかも。

そんなこともあるかもしれない。
投げ出さないでいれば。

恐竜の足跡みたいだなと思って拾ってきた落ち葉。
太い葉脈もストリングにしてゼンタングルを描く。


【4枚目の「落ち葉タングル」。シンメトリカルに】

植物の事は何も知らない。
悲しいくらいに。

とはいえ、いつまでもうつむいて、
立ち止まっているわけにもいかない。

そろそろ顔を上げて歩き出さねば。
街路は冬枯れかもしれないけれど。

久しぶりにゼンタングルを描いた。
何かに夢中になることは、気持ちの整理をつけるにはいい。
描き終えるのにさほど時間はかからない。
何時間も何日も苦労してひとつのものを仕上げることで得られる達成感には格別なものがあるだろうけど、それよりも手軽に達成感・満足感が得られる。

「手軽に」とはいっても、インスタントというわけじゃない。
それなりに手間と時間は必要。けど、いわゆる「才能」は不要。
メソッドに従ってやれば誰でもできる。
システムとしての、このあたりのさじ加減が好き。

近くの公園で落ち葉を拾ってきた。

長いことゼンタングルを描いていると、どのような形にするかは悩みどころ。
月並みだけど落ち葉の輪郭を使ってみようと思った。
今までそんなことをしたことはなかったから。

最初の一枚はこんな↓感じで、アイディアは月並みだけれど、自然の造作はぜんぜん月並みじゃない。


【落ち葉タングル1】

太い葉脈に沿ってパターンを分けた。

これらのパターンはすべて「はじめてのゼンタングル さとういずみ著 自由国民社 2014」からのもの。

この本はバイブルのようなもので、2015年の11月あたりに著者のレクチャーに一コマだけ参加して描き始めてから、もう7年。

いまだにこの本から一歩も出られずにいる。
というより、あまり「出る」気もない。
バイブルに収録されている公式パターンが、五十音のワンセットのようにも思える。それらが集まってひとつの文章(物語)になる。

単語か文節かわからないが、パターンがひとつに絞られたものはモノタングルと呼ばれる。散文は定型詩に凝縮される。


【落ち葉タングル2】

パターンをふたつ使ったタングルはデュオ。
定型詩はちょっとした自由詩のようになる。


【落ち葉タングル3】

ゼンタングルは絵じゃない。

小さな「タイル」と呼ばれる画用紙を「ストリング」と呼ばれる境界線で区切って、区切られた領域をパターンで埋めていく。

基本はそれだけ。

パターンは、一定のモチーフを繰り返す模様のようなもの。
これを描く動作が瞑想的な効果をもたらすのだろう。

一服の清涼剤に過ぎないと言われるかもしれない。

まあでも、いいんだ。

そんなにすごいことをしてるわけじゃないし。