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ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

齢還暦にして、初めてのイベント参加。

家に帰ったら、カミさんに「楽しかった?」って、きかれました。

まあ何というか、遊園地で乗り物に乗って楽しかったとか、映画観て楽しかったとか、そういう楽しさじゃなくて、「静かに楽しかったよ」と言ったら、「そ、よかったわね」だって。

そ、よかったんです。

   ☆

イベントが始まったばかり頃の時間帯は、ブースの前を素通りしていく人たちを、ぼけ~っと眺めているだけでした。

なんかこれ、マジ一冊も売れねんじゃね?

と、前の記事にも書きましたが、ちょっと不安にもなってきます。

もう少し時間がたって来場者も増えてくると、立ち止まって、時には本を手にとってくれる方が、ポツリ、ポツリと現れ始めました。

ブースにお立ち寄りいただいた皆様、有り難うございました。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

   ☆

参加してみてわかったのは、黙ってちゃだめだということです。

これを言うと、意外な顔をされることがおおいのですが、レクチャーのように一方的にしゃべる分にはいいんですが、ぶっちゃけ、人とのコミュニケーションはあまり得意な方ではありません。

   ☆

「トモルオン」と「夜の石は天に昇り空ゆく星に会えた」の二作品をもっていったのですが、「夜の~」は一冊も売れず(これはしょうがないかぁ)、「トモルオン」はまあまあ、がっかりしない程度には売れました。

「夜の~」の方は一応物語なんですが、「トモルオン」の方はちょっと「特殊」で、いわゆるオラクル・ブックです。

サイコロを振って読む本で、通読するものではありません。「お告げ」本、ウラナイみたいなもんです。

問題は、売っている本人が、あんまり「特殊」だと思っていなかったことで、卜占ばっかりやってるから、そんなことなっちゃったんだと思います。

ちなみにこの「トモルオン」は、ふだん自分自身でも使っていて、変になじんでしまっていて、まあ、説明もいらないだろう、と勝手に思い込んでいたわけです。




   ☆

トモルオンの中身は、120のセクション(個別の随筆や物語、詩など)に分かれていて、分厚いので(320ページとちょっと)、そこもちょっと特殊かもしれません。

小説なんかをがっつり読みたい向きには、なんじゃこりゃだろうし、気軽に楽しみたい向きには、分厚さがひっかかるかも。

つまりそういうことをちゃんと「説明」しなきゃだめだということです。

当たり前かもしれませんが。

そんなことも当たり前のこともふまえつつ、また参加したいと思います。

たった5時間のバザールは魔法のように始まり、また魔法のように跡形もなく終わりました。

   ☆

この場を創っていただいたスタッフの皆様方、お疲れさまでした。当日足を運んでくださった方々、ありがとうございました。
 

タイトルのとおりなんですが、右も左もわからない状態での初出店です。

(1) トモルオン 500円
(2) 夜の石は天に昇り空行く星に会えた 500円

頒布を予定しているのは上の2作品ですが、それぞれ7冊づつ持っていきます。決して勿体をつけているわけではないのですが、なにぶんにも、すべてひとりでやっているので、荷物を増やせないことと、そんなに売れるもんでもなかろうと……
自分からそんなことを言っていては仕方ないんですが。

(2)はいちおうは物語ではありますが、なんか支離滅裂だし、タイトルからして長すぎる。
そもそもこれらが「文学」と呼べるものなのかどうかもわかりません。


(1)に至っては読むというよりも、「引いて」「使う」(もし「使える」のなら、の話ですが……)といった方がよさそうなシロモノで……

カテゴリも「幻想文学」で出してはいますが、これも合ってるんだか、間違ってるんだか……正直、よくわかんないです。

ひょっとして一冊も売れないかもしれませんが……

ま、いっか。

「参加することに意義がある」

 

って、確か老子の言葉でしたよね。

(ちがうって)


【Info.】

 

第三十四回文学フリマ東京【入場無料】
2022/05/29(日) 12:00〜17:00
・会場: 東京流通センター 第一展示場
・詳細: https://bunfree.net/event/tokyo34/
#文学フリマ東京


上記2作品Webカタログ「遊星出版」


(2)については縦書きの文庫版を「遊星出版」のホームページで立ち読みすることができます。今回イベントにお持ちするのは、その元になった、挿絵つきのB6横版です。

 

陰気下降、陽気上昇。
相混じることなく、もの別れ。

   ★

「安定」とは逆。

上昇する性質を持つ陽気が上にあり、下降する性質を持つ陰気が下にある。

そのまま放っておくと、陰陽は互いにどんどん離れていってなにもおこらない。

陰気、陽気の性質・動きとしては、「安定」していたときと、なにも変わっていないことに留意する必要がある。

変わったのは、周囲の状況である。
成長もいつも順調、というわけではない。

そんな時もある。

   ★

この卦に出くわした時ポイントになるのは、どこが(なにが)閉塞していると観るのか、という事だ。

ふつうは自らの行く手が塞がっていると観る。
しかし必ずしも、そう観なければならないというわけでもないだろう。

気に入ってるのは視点を180度変えた観方だ。
塞がっていくのは行く手ではない。

今まで歩んできた道が用済みになる。

塞がっていくのは、そちらの[旧|ふる]い道。
そんな観方である。

暗い方ばかりではなく、明るい方も見たい。

   ☆

そんな時もある。

しかし、活路も必ずある。
活路のない状況などありえない。

決して、無責任な事は言えないけれど。

本を整理してます。

拙宅の本は4分の1以下になりました。


最近は主にバリューブックスさんのお世話になっています。

年始めの福袋キャンペーンに応募して写真の真澄ちゃんをいただきましたが、古本やさんにお酒をもらったのは初めてです。


すっかり忘れてたんで、なんかうれしかったんですが、地域振興も兼ねてるんでしょうが、こんなに太っ腹で本当に大丈夫なんかいな、と余計な事をかんがえてしまうのでした。


チナミに。

拙作物語の登場人物は、大概飲んでばっかりいます。



本ブログのブログ・トップのメッセージ・ボードからしか参照できなかった易システムの関連ドキュメントを、「遊星出版」のホームページからも参照できるようにしました。

「易システム」のページを追加したというだけのことなんですが、当のドキュメントの誤字脱字などを修正していたら、まる一日かかってしまいました。

ご興味のある向きはご覧いただければ幸いです。

※ 「WINDWATCHER」(易占カード)の説明を追記しました(3/26)。

 

 

滅多にないが「観てくれ」と言われることがある。
ブログのタイトルにもあるとおり、ぼくは占い師じゃない。こんなぼくでも「観てくれ」と言われること自体、有り難い話なんだけど、まずはそう言う。

そんなわけで大昔、[他人様|ひとさま]方に易の話をさせていただいていた頃は、占い方の説明は一応しますんで、占いたい方は自分でやりましょう、とか言っていた。

占いと夢はどこか似ていて、ある人を占った結果というのは、実のところ、その人にしか解釈できない。


これは今でもそう思っている。

   ☆

ひょんなことから突然占ってくれと言われた。
道具も本もない。まったくの手ぶらである。
事情があって断ることもちょっとできなくなってしまった。

まずは世間話風に話を聞きながら、占的と周辺事情をはっきりさせつつ、サイコロも筮竹もないので、とりあえず相談者に、三つの数を自由に選んでもらうことにした。易占のときにはいつも使っている三つのサイコロの代わりである。

占的に絡んだ数でもいいし、そうでなくてもいい。
単にその時思いついた数でも、以前から好きだった数でもいい。要は何でもいい。その相談者がその時その数を選んだ事自体に意味がある。卜占はそんなふうなものだ。

選んでもらった三つの数のうち、最初の二つを八払いして下卦・上卦を出して心易的に立卦した。最後のひとつは六払いして変爻とした。

[鼎|てい]の五爻。
そこまではいい。問題はその後だ。

聴いた事と易卦を紙に書き出して、いろいろ思いを巡らせてみたはいいものの、サッパリ! なんにも! 引っかからない。
本もない。手元には何もない。
経文なんか全部覚えてるはずもなく、覚えているのは卦象卦名と、それぞれの卦の大意くらいなものだ。

内心だんだん焦ってくる。

鼎の五。何これ! どういう意味?

ちょっとカッコ悪いがスマホがあればグーグル先生にきくという手もある。
だけど乏しい経験から言うと、心身がこういうステータスの時は経文を見たってわかんないものはわかんないのである(そして実際その時点では、何やらとりあえずは良さげだということ以外わかんなかった。「鼎黄耳金鉉利貞」)。

あれやこれやと話を続けてみる。でもしょせんは時間稼ぎ。そのうち、こっちの手の内がカラッポなのがバレてしまうかもしれない。

困った!

仕方なく種明かしふうに手法の説明などをしてごまかす。

「選んでもらった数から、まあ、ある決まった方法を使うと、特定のイメージが出てくるんだけど、今回の回答になってるシンボルは鼎っていう名前でね、鼎っていうのはこう……三本足の祭器で……」

などと言いながら落書きみたいな絵を書いて、さらに相談者の話を聴いていたら「わかった」。

唐突に。

この場合カギだと思ったのは、「3」という数と「安定」というイメージだった。
そのように突然「腑に落ちた」。

ひょっとしたら、たとえ落書きのような絵でも、文字でも、手を動かして「描く」という身体運動がきっかけになったのかもしれない。

相談者に内容を公開する許可をもらったわけではないので詳しくは書けない。

だけど、この「腑に落ちた」瞬間から、明らかに相談者とのやりとりの流れが変わったのを感じた。

軸足さえ定まれば、そこから話を展開するのはさほどむずかしいことではない。
でも、どうしろこうしろというのは多少は言ったかもしれないが、「腑に落ちた」ことを基盤にどちらかというとシンボル……イメージの説明ばかりしていたように思う。之卦や五爻という位が示す意味やイメージについても話をした。

「へえ。おもしろいですね」

ぼくが描いたヘタクソな落書きを見ながら、こんなようなことを相談者自身がつぶやき始めると、それは相談者自身が説明されたイメージを自分なりに解釈しはじめている証左である。

それでいいのだ。

バカボンのパパじゃないけど。

ぼくにはできない。
ぼくがするものじゃない。
あなたの夢の解釈は。

   ☆

これを言うと世代がばれるが、小学~中学の頃は空前のオカルトブームだった。
クラスではコックリさんが流行り、テレビでは有名な超能力者が来日して特番が組まれたり、「心霊特集」などもよくやっていた(ぼくはどちらかというと「UFO特集」の方が好きだった)。
ぼくの青春などは「こまわり君」(これはオカルトじゃない)と「エコエコアザラク」で終わってしまったようなものだ。

タロットもこの頃日本に紹介されて、ぼくが最初に出会った卜占ツールは実はタロットや悪魔のカードで、易はその後だった。

易の卦は抽象的で、タロットに見られるような具体性がない。水と油とまでは言わないまでも、異質のものと見られがちだが、ぼくは、易の卦は64枚のカードのようなものだと思っている。

今は易のカードも売られているが、シンボル(易卦)そのものではなくて、具体的「絵」になってしまっているのは、ちょっとどうかな、と思うこともある(な~んて言いながら、自分も「WINDWATCHER」とか称してカードを作ってしまっているが……それはさておき。少なくとも「WINDWATCHER」は「具体的な」絵じゃない)。

「絵」には風景があって、人物がいたりする。

そのように描かれてしまうと、そのようにイメージが固定化されてしまって、今回の占例のような「腑に落ちる」感覚が、かえって遠のく側面もあるのではないか……などとエラソーに思ったりすることもある。

そんなことをする人がいるのかどうか知らないが、あらかじめタロット一枚一枚の絵を正確に細部まで覚え込んでおいて、必要に応じてそれを想起して利用するのはおそらく至難の業だろう。つまり、あたりまえの話かもしれないが、カードがなければ始まらない。

一方易卦なら、64のパターンを覚えておくことは、アホなぼくでも何とかできる。
何とか頭に入れておくことができる64枚の見えないカードというわけだ。

もちろんタロットをけなしているわけじゃない(タロットも好きだし。ずいぶん売っちゃったけど)。

タロットはなんと言ってもわかりやすい。
と同時に、生きた人間にも似た、アンビバレントな二面性も持っている。具体的にそこに在るのだが、深読みしようとすればいくらでもできる……絵。
ひょっとしたら今回の占例だって、デッキがあれば一枚のカードを引くだけで一発で「腑に落ちた」かもしれない。

   ☆

いろいろな抽象度を持ったツールがある。

カップに残った茶殻のパターンや、数そのものなんていうのは、易卦より抽象度が高いかもしれない。
要はその時その時自分に合ったものを選べばいいのだが、プロの鑑定家の先生方は、いくつかの方法を併用したりするとも聞く。

だから「プロ」なんだろうけど、ぼくにはできない。そんなこと。

だからやっぱり占い師じゃないし、占い師にはなれないのである。

陰気下降、陽気上昇。
万物創成、万物安定。

   ☆

陰の気は下る。
陽の気は上る。

陰が上にあり陽が下にあれば、放っておいても互いに混じりあう。そこから、ありとあらゆるものが産まれる。

若木の成長は続く。
自然の原理にのって。
 

まだ全体は公開はしていないのですが、「トモルオン」というオラクル・ブック(?)もどきの本を作成中です(ほぼできています。限定的にリリースしました)。

ときどきpixivに載せているのは、この「トモルオン」に収録している、へたくそなお話や詩の一部です。

「トモルオン」は立方体のサイコロと正二十面体のサイコロをふって読むことになっていて、120(+α)のセクションがあります。
αはまえがき代わりの「ある幾何学者の夢」というお話と、あとがき代わりの付録です。

   ☆

あるときネットで、六方二十面体という立体があることを知りました。

幾何学的説明はできませんが、イメージ的には正二十面体と正十二面体が融合したようなカタチで、百二十面体です。

 

#オリジナル 人間の意識構造 - 白橋升のイラスト - pixiv

ちょっとびっくりしたんですが、百二十面体のサイコロもあるんですね(イメージミッション木鏡社というところからでています。以前にテンセグリティを買ったところ)。



120。

サイコロふたつじゃらじゃらいわせなくても、このサイコロならひとつあれば「トモルオン」は使えるというわけで、各セクションに1~120の連番をふって第二版としました(零版と初版は友人・知人に献本しました)。

ふたつのサイコロで使う方法はそのまま残してあります。

修正が大変なのと百二十面サイコロは2000円以上もするので、常用するにはあまり現実的ではなさそうだからです(本体の本より高い)。

   ☆

それでもさわってみたかったので、とりあえず買ってみました。

かみさんに白い目で見られながらゴロゴロやってます。

ころがるころがる。
でもちゃんと出目はわかります。

感触的にはほぼ「球」。
おおきさはゴルフボールくらい。

対面の合計はどの面も121だったり、各頂点に集まる数の合計も合わせてあったり、ちゃんと設計されているようです。

知らない人に見せたらちょっとした自慢になるかもしれません。

いや。ならないか、こんなの。

たいがいは「ふうん」か、「へえこんなのあるんだ」で終わりまさあね。
気のきいたカノジョなら、ウケる~とか言ってくれるかもしれませんが。

[履|ふ]み行う。

   ☆

苗木はまだ小さいが、格好だけは一人前の樹のようになる。

だけど、まだまだ。

見なければならないのは足下である。

道の前や後ではない。

ふりかえったり遠くを見ていばかりいても、あまりいいことはない。
多くの場合、不安は前から、憂鬱は後からやってくる。

目の前、足下。
いや。もっと直前。
足を動かすよりさらに直前。

息をすること。

ひょっとして、息をとめていませんでしたか。

「今・ここ」で確実にしなければならないのは、次の呼吸なのかもしれない。