続・茶の湯自在
先回書きました、23年前のNHK番組「茶の湯自在」に関して、本筋と関係はないのですが、私にとって、面白いなと感じた事が、二、三あります。 一つは、北野武氏が、一つの感想として述べた、「よく、一杯やりながら話しましょうというのがあるが、飲む打つ買うってくらいで、あれは、悪の共有だね」つまり、酒を飲みながら談合するのは、何がしかの悪いことをお互いに納得し仲間意識を持つ、その点、茶を飲みながら話そうというのは、精神文化を共有するという目的になるということだろう、というんですね。確かに、飲みながらとか一杯やりながらというのは、よくある話(特に商談などでは)ですが、それを「悪の共有」と表現するあたり、北野氏らしいセンスを感じました。 それと、宗之若宗匠(現在の家元)が、北野氏に安座を勧めながら「正座してみて胡座(あぐら)の有難味がわかります」という言葉。正座で痺れを切らし、「拷問だよ」と四苦八苦する北野氏の姿は、多くの人が共感されるでしょうし、あぐらの楽さは、正座してみてわかるという、ごく当然のことですが、意外に、このストレートな表現は新鮮に聞こえました。それにしても茶室での正座は、いつの時代から始まったのでしょう。論議はあるようですが、それほど真剣に研究はされていないようですし、まだ結論は出ないようです。もし、あぐらが通用したまま茶の湯が発展していたら、現代でも、もっと茶の湯は受け入れられ安かった?女性の参加から正座が始まったというのも、少々暴論だとは思いますが。 あと一つ、やはり若宗匠が述懐した「私も若い頃はヤンチャで、髪を長くしたり、ベ平連とか」その後、寺に入って修行して、勉強して自分を確立されたというのですね。実は、大学時代の家元のヤンチャぶりについては、昔、ある席で、同窓生だったという方から、噂話を聞いた事があるのですが、そのヤンチャぶりの中に、ベ平連というのは出た事がなく、まさに若者にとっての、そういう時代ではありますが、そんな政治的面にも興味をお持ちだったとは知りませんでした。どんなヤンチャぶりだったかは他言無用と当時も釘をさされたので省略しますが、家元を継がず詩人になった家元のご長男菊地明史ことChori,キクチ・ミョンサ氏に、その面影があるのかもしれません。危ない話はこれくらいに。 萍亭主