久しぶりのお茶会
この前の日曜日に、久しぶりにお茶会に行ってまいりました。茶会に行くのは、去年春に江戸千家さんの茶会に招かれて以来で、一年半ぶりです。 鎌倉の東慶寺で、祀られる水月観音の御縁日に近い日曜に掛る月釜で、席は寺内の寒雲亭(本歌)一席だけ。席主は毎回違う方が奉仕されるのですが、今回の席主は竹芸家の池田瓢阿先生、水屋を娘の知人の鎌倉在住の茶人が担当され、娘も手伝いに入ると言うので、妻もかって十年ほど先生の竹芸門下であったご縁もあり、妻と出掛けてみることに。予約制で入席時間が午後三時なので、昼食後出発とゆったりではありますが、我が家から鎌倉への往復は約4時間、それほど楽ではありません。正味30分ほどの時間で抹茶一服を飲むためにじゃ、タイパが悪いだろうと茶の湯を知らなない人は思うでしょうが、良さそうな茶会ともなれば、京大阪へでも行く、と言うのが茶人の一般的心理ではあります。今回の茶会のように、入席時刻が事前に決まっていれば、行列して待つ無駄な時間もなく、一席の参加人数が十人内外と、わりと少数で、ワサワサしないだろうことも、大寄せとしては、私の一番好む形式の茶会です。 東慶寺をご存知ない人のために、簡単に書くと、北鎌倉駅に近い、臨済宗円覚寺派の寺で、明治以前までは尼寺。皇室、北条氏、豊臣氏など高貴な家系出身の住職が多く、松ヶ岡御所とも言い、俗称、縁切寺、駆け込み寺とも呼ばれました。封建時代、離婚の権利は、男性サイドからしかなかったのを、この寺に訴え出れば、女性側からの離婚請求が許されるという慣習が、時の政権にも認められていたからです。明治以降は、釈宗演など名僧の住職が続き今日まで繁栄が続いています。鈴木大拙や和辻哲郎など多くの大哲学者や、小林秀雄、岩波茂雄などの多くの文化人、野上弥生子、高見順などの作家と著名人の墓が多いのも有名ですが、茶の湯界では、宗偏流正伝庵歴代家元の墓があります。ここの先々代住職がこの流儀の後援者でした。家元とは面識もあったので、少し早く着いたので、この墓にお参り。本尊や水月観音にもお参りして、待合に。待合は庫裡の大書院が当てられ、天井の高い床間に 長めの軸が掛かっています。以前拝見した覚えのある益田鈍翁の筆。初代瓢阿の名付け親である鈍翁が、初代に与えた「瓢(ふくべ)」の狂句で、席主池田家の秘蔵の品で、いかにもその茶会らしい。席主の作と思われる大きめの山籠に七種以上の秋草花が絢爛と入れてあります。やがて時間となり、ご案内に従い、庫裡を出て、向かい側の茶室の一廓に向かいます。中門を潜ると、右手に立派な腰掛け待合、左手の枝折戸の向こうに広い露路を隔て、寒雲亭が望めます。寒雲亭は、京都裏千家にあったのが、明治維新後、主家の久松家に買い取られ、東京に移築され、その後、豪商堀越家に譲られ鎌倉に移築、昭和戦後に当寺に寄進されました。室内の絵襖(有名な探幽作の手違いの図)は、堀越家から裏千家に返納されたと聞きます。こういうことは、茶の湯をやる人にはご存知の方が多いでしょう さて、通常の大寄せと同様、手水は使わず、貴人口から入席。本席の様子は次回に。 萍亭主