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なんのこっちゃホイ!

世の中の、これでいいのか、こんなことでいいのかを描くブログ。そんなにしょっちゅう怒っていられないので、ほどほどに色々な話題も混ぜていきましょう。

1967年公開された007シリーズ6作目の女王陛下の007を4Kリストアーの劇場公開で鑑賞してきた。

初代ボンドのショーン・コネリーが5作品に出演したのち、自らのイメージの固定化を嫌い降板。後を継いだ2代目ボンドは、ジョージ・レーゼンビー。モデルから俳優に転向したばかりだった。コネリー・ボンドとはイメージの違う、「甘いハンサム・ボンド」であり、評判も悪くなかったが、映画がヒットし、残り契約2作を前に、突然のギャラアップの申し出を行い、プロデューサーの怒りをかい、あえなく首に。一作だけのボンドとなった。

冒頭、海沿いの道を行くボンドの車をクラクションを鳴らしながら追い越していったのは、若い女の車だった。路肩に停まっている車を不審に思い、ダッシュボードから射撃用のスコープを取り出しながめるボンド。女は入水自殺を図ろうとしていた。あわてて駆けつけ、助けあげたボンドを何者かが襲う。その隙に、女は車で逃走する。ちょっと驚くイントロ。

ボンドはスペクター壊滅作戦(ベッドラム作戦)に従事していたが、2年もかけて成果がなく行方不明もたびたび。今回も上司のMが秘書のマネーペニーを通じて居所を探し出し、オフィスへ呼びつけた。「作戦からはずれろ」というMの命令に、ボンドは怒り、辞表の作成と提出を秘書に要求。再び秘書から呼ばれてMのもとを訪れたボンドにMは一言「許可する」と。辞任を許可されたと思ったボンドは、怒りのまま秘書室へ。秘書の機転で、2週間の休暇願いにすり替わっていた。感謝を述べるボンド。直後に、上司のMからもマネペニーは感謝を受ける。

そんなボンドがカジノでバカラに興じていた。巨額の掛金に、誰も手を出さない勝負に、テーブルの外から女性が一人、掛けに応じるという。勝負はすぐについて彼女の負けは2万フラン。彼女はボーイに「金がないの」と耳打ちする。ボンドは「彼女の責任は自分が持つ。負けも自分が払う」と2万フランのチップを投げてよこした。気の強いその女性は、海岸で助けたあの女性だった。「借りを残すのは嫌なの」というテレサと一夜を過ごしたボンド。翌朝、テレサはチェックアウトし、ボンドの部屋には2万フランのチップが残されていた。

ゴルフにでかけようとしたボンドは、ホテルの玄関で見知らぬ連中に呼び止められ、ある工場へ。そこで出会ったのはドラコという、巨大企業を経営する社長であった。ドラコは裏では犯罪組織「ユニオン・コルス」の首領であり、なんと、あのテレサの父親だと知らされる。娘を甘やかせたせいで、国際的不良娘となってしまったテレサを手なづけてくれたら、100万ポンドを支払うという。金はいらないと断るボンドだが、代わりにスペクターの首領、ブロフェルドの情報提供をドラコに持ちかける。

ドラコの誕生日パーティーに出席したボンドは、テレサと三度目の出会いを果たす。「父に言われて私を追っているのでしょ?」と涙ぐむテレサに、「誤解を受けたままでいるのは嫌だ」と、テレサの涙をぬぐう。

一方、ブロフェルドの行方を今でも追っているボンドは、ドラコからの情報でスイスの弁護士を探し出し、その弁護士を通じてブロフェルドが、英国での爵位を要求していることを知る。紋章学者に化けたボンドは、ブロフェルドが経営しているアルプス頂上にあるアレルギー研究所を訪れる。そこでボンドは、スペクターの恐るべき企みを知り、その実行を阻止すべく、ドラコの助けを求めるのであった。

 

この映画は、これまでのボンド作品としては珍しく、ボンドの恋愛が50%を占める。シリーズの中でも、この作品でだけ、ボンドは結婚する。驚くべき事件でボンドの結婚は終わりを迎えるが、原作の流れでも同じように、ロマンスが主体なのだ。

直近のダニエル・ボンドの最終作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」も、ボンドのロマンスが中心になった作品で、この映画で流れる音楽は、「女王陛下の007」の主題歌「We have all the time in the world」が使われている。

今回のボンドガールは、ダイアナ・リグ。気の強いテレサ役を、魅力的でセクシーに演じています。

少しシリーズでも毛色の違う作品を、たった一作だけのボンド俳優が演じる。それもまた、楽しである。

 

 

デンゼル・ワシントンが、極めて几帳面だが、めっぽう強い元CIA捜査官ロバート・マッコールを演じているシリーズの3作目。

巨悪ではなく、自身の身近にいる人の困りごとを解決するために、悪者をやっつけるのだが、それが段々大きな話に膨らんでいくというのが、おなじみの展開。

1作目では、DIYショップの店員であった。

レジに静かに押し入って、金とレジ係の女性の指輪を奪った男をやっつける。金槌を持って出たものの、どのようにやっつけたのかは描かれない。ただ、レジスターの中には、例の指輪が返されていて、マッコールは金槌を拭きながら、元の棚に戻す。

几帳面なマッコールは、「読むべき100冊」というTIMEの記事の順番に、100冊の本を読み続けている。彼の習慣は、夜になると近所のダイナーで一人テーブルに座り、本を読むこと。自身のスプーンを丁寧にペーパーナプキンに包み、ダイナーのテーブルでそれを広げて、きちっとたたむ。頼むのはお湯。ポットのお湯に持参のティーバック紅茶を入れ、丁寧にかきまぜ、さらに水気を取ったスプーンを広げたナプキンの決められた場所に置く。そのダイナーのカウンターにやってくる、まだ未成年の売春婦。彼女はヤクザに仕切られており、暴力を受けている。見かねたマッコールは、マフィアの組織を解体させる。マフィアの事務所に入ると、四方に視線を配り「19秒だな」とつぶやき、TIMEX製の時計のストップウォッチをスタートし、全員をやり終えたところで時計を観て、「29秒か」と首をかしげる。

2作目は、UBERのドライバーをやっている。いつも本を買う書店の女性主人の娘が誘拐されたので、トルコまで探しに行く。オリエント急行の中で、またもや犯人一味を「秒」の単位で全滅させる。そしてそれが元で、マフィア組織と戦い全滅させる。

そして3作目は、イタリアのシシリア島が舞台。あるワイナリーに乗り込んだマッコールは、ドラッグ密売組織を例によって全滅させる。だが今回は不覚をとり、傷を受けてしまう。マッコールは、小さな街の一室で目が覚める。そこには、彼を助けた憲兵と、医者が彼の面倒を観てくれている。救急車も呼ばず、警察にも届けず、黙って治療をする老医師。目覚めたマッコールに「キミは良いやつか?」と問う。「分からない」と答えたマッコール。手厚い看護のお陰で体力を回復しリハビリに務める。ようやく街の人々とも顔見知りになり、排他的であった人々も、彼を受け入れはじめた矢先、地元マフィアが街の商店から、手荒いやり方で金を巻き上げていることを知る。苦しむ街の人々のため、マッコールは立ち上がる。

また、CIAの特別な番号に電話して、ワイナリーで事件があり、密輸されたドラッグで悪事をやっている組織を密告する。その事件の担当するのが、ダコタ・ファニング演じるCIAエージェント、エマ・コリンズ。

聡明な彼女と、テロ事件とワイナリーの謎に挑み、街の人々を苦しめるマフィアの組織を壊滅させていく。

 

これまでの作品では、マッコールが暗殺のスゴ技を披露して、瞬時に敵を倒していく場面が出てくるが、それほどエゲツなく詳細に描かれない。今作では、残虐な殺しの現場をあからさまに描写している。これは、あまり頂けない。描くべきは、マッコールの病的なまでの几帳面さを持った殺人の技術と、その素早さや。それこそが、このシリーズの中心であったはずが、几帳面さよりも、残虐な戦いの描写に移ってしまったのは、非常に残念だ。

邦題では「ファイナル」とあるが、映画のどこにも、タイトルロールにすら、ファイナルの文字はない。どういうことなんだろう?

続編を期待し、原点回帰を、強く望む。そして、強者によって虐げられる弱者を助け、世の中を公平 (Equalize) にしてくれ。

まずは我が国総理大臣あたりから願いたい。

 

 

ジェームズ・ボンドの大ファンの僕であるが、さすがにショーン・コネリーの時代の作品を劇場では観たことがない。

テレビの再放送、その後DVDを前作買い揃えた。それでもやっぱり、暗闇の大スクリーンに映るボンドを観たいと思っていた。

そんな時、イオンシネマが、過去のボンド作品を4Kリストアーにして公開すると聞いて心が沸いた。①「ロシアより愛をこめて」②「007は二度死ぬ」③「女王陛下の007」④「ゴールデンアイ」⑤「私を愛したスパイ」の5本だ。

シリーズの年表を見ると、①が第2作目で1963年、②5作目で1967、③6作目1969年、④10作目1977年、⑤17作目で1995年。

年齢的に①〜③を劇場で観ることは、できなかったはずである。

 

ジェームズ・ボンドを演じた役者は、直近のダニエル・クレーグが5人目となる。①と②はショーン・コネリー、③はジョージ・レーゼンビー。彼は本当は3作に出演予定であったが、③がヒットしたことで、ギャラの積み上げを要求し、アルバート・ブロッコリーに首にされた。④はロジャー・ムーア。シリーズ最高の7作に出演している。だが僕は、この7作がシリーズ中で最もつまらない、いや、くだらない作品になったと嘆いている。とにかく荒唐無稽なストーリーでフレミングの原作からは遠く逸脱し、ボンドがピエロに扮して、爆弾を爆発させるとか、いきなり宇宙に飛び出して、悪者と宇宙でレーザー銃で撃ち合うとか。もう、観るに堪えない。

 

さて、今回のリバイバルの中でもまずは、「ロシアより愛をこめて」を鑑賞。

画像はキレイになっていて、音もデジタルでクリアーだ。

ダニエラ・ビアンキの美しさとセクシーさは、やはり大画面で観ると更に映える感じだ。

ストーリーはすでにおなじみだが、イスタンブールのロシア情報局の女性職員が、最新式の暗号解読機「レクター」を持って、亡命したいとトルコ支局長のケリムに連絡があった。ただし条件は、レクターの受け取りと、英国亡命までのエスコートに男性のイギリス諜報員を指名すること。こういう事件となると、生え抜きの007ジェームズ・ボンドの出番だ。彼は「これはロシアの罠だ」と確信しながら、「罠であるなら尚更挑んで、暗号解読機を手に入れたい」とイギリス人気質とスケベ心を発揮して、美人スパイ、タチアナ・ロマノワと接触する。冒頭にチェスのシーンがある。世界最強のロシアのプロ棋士が、この作戦を筋書きし、実効している。ソビエト諜報部隊スメルシュの仕業と思わせて、実は悪の集団、スペクターの仕業だ。スペクター一番の殺し屋グラントが、影に日向にその姿をちらつかせる。映画史上有名になった、オリエント急行でのグラントとボンドの格闘シーンは、アナログだけに、迫力がある。

ショーン・コネリーも、1作目のDr. NO (007危機一髪)からは役がこなれてきているが、まだギコチなさを感じる。第3作目「ゴールドフィンガー」では、コネリーボンドは完全に形になっている。次のリバイバルは、ぜひ「ゴールドフィンガー」を入れていただきたい。

 

原作には衝撃を受けた。

近所にある全てのBookoffを回って、その日の内に全巻そろえて夢中で読んだ。

設定が非常にユニークで、日本の防衛、世界の軍隊の状況をコミックに詰め込んであった。

手に汗握り、考えさせられた。

その実写化不可能と言われた超大作の実写化とあって、楽しみにしていた。

予約を間違って2回も観てしまったが、後悔はない。

 

日本近海某所、海上自衛隊の通常動力潜水艦が、アメリカの原子力潜水艦と接触事故を起こし、

沈没圧潰してしまう。艦長の名前は「海江田四郎」。海上自衛隊屈指の艦長である。

しかし、この事故には裏があった。

日米防衛の一環として開発・製造された1隻の最新鋭原子力潜水艦があった。

その名は「シーバット」。米国第7艦隊に所属するこの潜水艦の艦長は、死んだはずの海江田。

搭乗員も全て沈んだはずの潜水艦の搭乗員76名。

処女航海に出た「シーバット」は、第7艦隊所属原潜3隻を振り切って、深海に潜って消えた。

米国太平洋艦隊司令官は、「シーバット」の捜索に加え、全力を挙げてこれを排除せよと命令。

海上自衛艦「たつなみ」艦長「深町洋」は、海江田の死に疑問をいだく。

そんな時、横須賀司令部から命令が。「シーバットを捜索し、捕獲せよ」

深町は「たつなみ」を出港させ、海江田を追う。

マリアナ海溝近辺に浮上したシーバットは、第7艦隊と向かいあい、驚くべき宣言をした。

「独立国やまと」の建国だ。

そして第7艦隊を足止めした海江田が言う。「日本政府と軍事同盟を結びたい」

 

冒頭、潜水艦沈没のニュースを伝えるキャスターが「戦闘があったとの噂もあるが」と

専門家に問う。専門家が「それはない」と否定すると、「では日本は安全ということですか?」

これには笑わされた。しょせん、この程度の認識しか、多くの国民は持たないのだろうなと。

逃亡したシーバットへの対応を協議する日本政府。

「自分の国は、自分で守る。そのためには、力が必要だ」

こんな当たり前のことでも、日米関係が悪化する。国民の理解が得られないと議論している。

これも、日本人の多くが、頭では分かっていても、現実が想像できない現状を描いている。

 

しかし、今回の映画は、原作ではまだほんの冒頭に過ぎない。

続編必至。全3作くらいになるのではないかな?

これは、今作り、今国民が観るべき映画だと思う。

 

シリーズ4作目のジョン・ウィック。映画の冒頭に過去作の簡単なレビューが出るので、大体のストーリーは理解できるようになっている。

しかし、よ〜分からん。

とにかく、敵味方に分かれて、拳銃撃ちまくり、人を殺しまくる。

最後は決闘シーンで終わる。これでどうやら、ジョンは解放されたらしいのだが・・・

舞台は大阪らしい。

しかし、中国並のケバケバした赤だらけの町並みや看板、大阪コンチネンタルホテルの屋上の「初志貫徹」の看板はなんの意味があるんだ?

韓国丸出しの居酒屋で韓国焼酎を飲む日本人やくざ。ボスの部屋の出入りを監視するガードが、浴衣姿の相撲取りだった。

まぁ、アメリカ人、ハリウッドという場所や人たちの、日本のイメージってこんなものだ。

一気に観る気をなくさせてくれる、素晴らしい舞台設定だった(皮肉満々)

言わずとしれた、アガサ・クリスティーが作り出した名探偵ポアロ。

ケネス・ブラナーがポアロに扮したシリーズの第3弾である。

「オリエント急行殺人事件」「ナイル殺人事件」と、原作もシリーズ中で最も有名な作品であったことと、これまでの誰のポアロより、活発で行動的、活動的なポアロを演じたことで、評判になった。仕掛けも大掛かりで、VFXも多用し、まさにデジタル時代のクリスティーを見せてくれたので、大変好評だった。しかしこの作品は・・・・

 

ポアロは事件や相談事を持ち込まれる日常に疲れ切り、ベニスで休暇を過ごしている。

静かで平凡な日常を求めて。

そこへミステリー作家で旧友のミセスオリバーに強引に誘われて、ハロウィーンの夜に開催される降霊会に参加する。その家の娘がバルコニーから運河に落ちて死んだ。警察は事故死で片付けたが、彼女はそれが信じられない。そこで、霊媒師のレイノルズ夫人(ミシェル・ヨー)を招き降霊会を行い、娘の死の真相を探ろうとする。

レイノルズ夫人は助手を一人連れており、到着から不思議な言葉を発し、娘の部屋を言い当てる。その部屋で降霊会をやろうと言い出す。集まった家族の前で、降霊会が始まると、奇妙な現象が。ポアロは冷静に「これはトリックだ」と言い当て、その一部を暴いて見せる。だが、彼自身にも不思議な現象が起こり、奇妙なものを見たり、話かけたりするようになる。やはり、心霊現象は本物なのか。

そんな時、霊媒師のレイノルズ夫人が屋根から落ちて、庭の銅像に突き刺さるという事件が起こる。事故か殺人か。彼女はなぜ殺されたのか。死んだ娘の死の真相は。灰色の脳細胞が動き出す。

 

デビッド・スーシェが演じたポアロが、僕の中で最もイメージに近い。NHKで再放送が繰り返されているので、見た人も多いだろう。

もともとケネス・ブラナーはイメージから遠いことと、今作はオカルトじみて、画面が全体に暗く、どんよりと重い。謎はオカルトで、ポワルの言動もおかしい。謎解きも、「なるほど!」と腹に落ちない。原作は「ハロウィーン・パーティー」という、クリスティーの長編31作目、つまり晩年の作品ということになる。いつものテイストと大きく違うので、どうにも映画に入って行けず、ポップコーンばかり進んでしまう。映画の半分ですでにMサイズを食べ終わってしまった。ちなみに、原作とはすべてが全く違うそうだ。じゃ、クリスティー原作って、どういうこと?

 

山間のドライブウェーを疾走する1台の車。突然、ふらついたと思ったら、ガードレールを破って崖下へ転落。大破炎上する。

8年前の出来事だ。

 

現代。

狩集汐路(かりあつめしおじ)という少女が、犬童我路(いぬどうがろ)と話している。

「それならば、彼がいいでしょう。何を考えているのか分からないところもありますが、細かいことまでよく見ています」と紹介したのが、久能整(くのうととのう)であった。

 

その久能整は、大学の授業の合間に広島観光の最中だった。その整を付け回してる少女は、汐路。

「なぜ僕を付け回しているのですか?」

汐路が言うにはは、命と金のかかったボディーガードを頼みたい。犬童我路の紹介だという。

困惑する内に整は、汐路の実家、狩集家の遺言の場に連れ出されてしまう。

狩集家の顧問税理士真壁軍司の立会の元、顧問弁護士車坂義家が遺言を読み上げる。

「代々、相続を受けるのは直系の娘か息子だが、8年前の事故で全員が死亡したので、その子供たち4人の中から、ふさわしいものに、狩集家の全財産を相続させる。4人の候補者それぞれに狩集家の4つの蔵と鍵をわたし、それぞれの蔵において、あるべきものをあるべき所へ過不足なくせよ」というものだった。

広大な土地を有する狩集家には、重大な秘密があった。

横溝正史を彷彿とさせる舞台設定だが、そこはそれ、シリーズの持ち味を存分に活かして、暗くおどろおどろしくはしない。

さて、トリビアでおしゃべり大学生の久能整は、その秘密を解明し、真実を暴けるのか。

 

コミカルなタッチで描かれる謎解きの面白さは、ドラマの時からずっと観ていた。

柴崎コウは、ガリレオ以来だが、この人は番宣なんかでTVに出ると、華奢な身体で衣装も似合わないが、不思議とスクリーンで見ると、しゃんとして、凛としている。不思議な女優だと思う。

 

 

MEGとは、超深海(6,000-10,000m)に住む古代のサメ。メガトロンの略。とにかくでかい!

「MEG 1-ザ・モンスター」で原子力潜水艦の乗組員を救助しようと深海へ潜ったテーラー(ジェイソン・ステイサム)は、巨大なサメの襲撃を受け、救助に失敗する。上海沖合の海上研究所と協力して、巨大なMEGを倒したお話の続き。

ざっと話すと、前作と同じストーリーである。大体、サメの映画ってのはJAWSから始まり、同じようなストーリーの展開になってしまうのは仕方ない。何しろ、海に住むと舞台は限定され、人を襲うがテーマになっているのだから、それほどバラエティーに富んだアイデアは出ないだろう。

MEG2でも、代わり映えのしないシーンが続く。前半に、6,000mの海底を平気で歩けるスーツとか出てきて、銃を持ってスタスタ歩いてる。そんなアホな。さらにはステイサムが、やはり海底6,000mで素潜りで泳ぐに至っては、あきれて寝ようかと思った。その後も、中国的なご都合主義な場面が続き、最後はとにかくハッピーエンド。

中国が金を出している映画だから、中国人は絶対に死なない。どんな窮地に陥っても、そこは安心して観ていられる(笑)

MEG1の中国人少女(ソフィア・ツァイ)も成長して、再演している。14歳になったらしい。ちょっと上白石萌歌に似た少女に成長した。これからどうなるか、まぁめったにお目にかかれるとは思わないが、少し楽しみにしている

「ラプラスの魔女」シリーズの3作目。

相変わらず、円華の能力が冴えている。

ストーリーは、東野圭吾ならではのスピーディーな展開に、ずんずん引き込まれていく。中学生あたりが登場するストーリーはあまり好きではないが、まぁ今回も許してやろう。

それより衝撃なのは、「ゲノムモンタージュ」という技術?だ。

DNA解析から本人の顔をAIが予測して、それを写真並の精度で書き上げる。ある程度、年齢も予想して、犯人の現在の年齢からその顔の変化も予想して書き上げる。さらに驚いたのは、マイナンバーカードとの連携。DNAはそこら中でやろうと思えば採取できる。喫煙所のタバコの吸い殻。自販機横のペットボトルや缶飲料のゴミ。DNAを集めるのはそれほど問題がないが、それらは不特定多数のDNAであって、これを特定個人と紐付けることは並大抵ではない。もちろん、犯罪歴のあるものは別だ。ところが、「ゲノムモンタージュ」と「マイナンバーカード」の情報を使えば、DNAと個人を紐づけて特定できる。マイナンバーカードには、個人を特定するあらゆる情報が含まれている。顔写真まである。DNAから分析したモンタージュの顔とを突き合わせれば、簡単にDNA情報を紐付けられる。

ますます国家権力(警察を含む)による、巨大な管理システムへの恐怖が湧き出した。

管理システムは、防犯等の分野では良いと思うが、管理する側の人間の倫理観、公正性等によって、乱用されることがあってはならない。今の政治家、地方自治等を考えると、そら恐ろしい。

そういう恐怖を、引き出してくれた点で、読んで良かったと思う。

 

 

 

時は大正後期。関東大震災の翌年。震災からの復興で新しいビルが建ち始めていて、活気にあふれていた頃。歓楽街玉ノ井の銘酒屋に一人の女がひっそりと生活していた。彼女の名前は「小曽根百合(綾瀬はるか)」。彼女は国家諜報機関「幣原機関」により台湾でスパイと人殺しの技を学び、16歳で実地任務につき、東アジアを中心に3年間で57人の要人を殺害した。各国大使館から「最も排除すべき日本人」と呼ばれた、美しき諜報員。20歳を迎えたとき、突然消息を絶つ。

秩父で発生した「細見一家殺人事件」の犯人とされた筒井国松とは旧知の中で、きになった百合は秩父へ出向く。しかし、国松の住居には、銃弾の跡が残り、陸軍の軍人達が家を調べていた。腑に落ちないまま百合は帰りの汽車の中で、軍人に追われる一人の少年を助け出す。この少年は、国松が犯したという一家殺人事件の生き残りで、父・細見欣也から「玉ノ井の小曽根百合の元へ行け」と命じられていることを聞き出す。

玉ノ井の「ランブル」にたどり着いた二人は、店に出入りする腕利き弁護士・岩美良明(長谷川博己)にこの事件の調査を依頼する。結果、少年の父親は、陸軍の機密事項に関与しており、それは上海に設けられた秘密口座に眠る大金についてであった。特殊な契約になっているこの口座は、1年おきに更新が必要で、更新を怠ると、全て銀行のものになってしまう。そのためには、少年・細見慎太の指紋と、暗証番号が必要で、その暗証番号を見つけるための暗号文を書いた書類を、慎太が大切に持っていることがわかる。

闇の大金をめぐり、陸軍と海軍山本五十六大佐がしのぎを削る争いの渦中に、百合と慎太は否応なしに放り込まれ、二人の危険な旅が始まる。

 

綾瀬はるかが実によろしい!美しいだけではなく、残酷な殺人者である小曽根百合の、冷徹な部分を口元の薄ら笑いで表現し、女性らしいキメの細かさは、抑えた笑顔で表現する。いい女優さんだなぁと、心から思う。

ポップコーン度50%。お薦めです。