
惑星X内の紛争により、X星人は宇宙を漂っていたが、一部のものが地球にたどり着いた。惑星Xからの避難民は、地球人をスキャンしたあと、その地球人と同じ姿形、言語を話し、アメリカ社会に溶け込んで生活している。アメリカ政府は、X星人の受け入れを表明すると宣言sた。
日本もこれに追従する形で受け入れを承認した。
分かっていることは、X星人は決して地球人を傷つけないということ。だが、社会に紛れこんで暮らしているいう異星人に、社会は不安を抱き始める。隣にいる人がXかもしれない。
発行部数が下がり始めていた雑誌社が、ラーメン紹介記事ばかり書いている記者の笹憲太郎(林遺都)に、これをスクープすることを命じる。金に困っていた笹は、会社から調査を命じられた二人の人物、バイト女子の柏木良子(上野樹里)に近づき、情報を得ようとするが、恋に落ちてしまう。果たして彼女はX星人なのか。
良子が働くコンビニに、台湾人のリン・イレンがいた。彼女もマークする一人だ。台湾から日本に留学し、地震予知の研究者になりたいというリンだが、日本語がマスターできず困っている。コンビニ以外で居酒屋でもバイトしているが、客から「何いってんだか、わかんねぇよ」と頻繁に言われ、その都度傷ついている。
良子との関係を深めていた憲太郎だが、X星人の話をしたとき、初めて良子と意見が分かれる。「ねぇ、もし私がXだと分かっていても、私を好きって言った?」
良子の言葉が胸に刺さる。
憲太郎は、金に困っていた。このまま記事を書けないでいると、彼は雑誌社をクビになる。
そんな切迫した状況の中、良子の父親の話を聞き、良子がもしXなら、父親もXではないかと考え、父親に会わせてくれと良子に頼む。二人で良子の実家を訪ね、そこで会った柏木紀彦(酒向芳)は、無口な人物だった。脱サラしてコンビニを経営するが、店を潰してしまう。そんな紀彦の印象に、Xの疑惑を深める憲太郎は、彼のことを記事にする。
発売された雑誌には「これがXだ!」とキャッチーな見出しが躍り、あたかも決めつけるような論調の記事が載った。「フェークじゃないか!」とかみつく憲太郎に「雑誌は完売したんだ。これがギャラだ。続編を早くかけ。金がいるんだろ?」と編集長に金を差し出され、これを受け取ってしまう。
その後、良子の実家にはマスコミが押し寄せ、四六時中追い回す。良子の自宅にもレポーターやカメラが群がる。一歩も外へ出られなくなった家族を代表して、ついに紀彦が記者会見を開く。
しかし、「自分を証明」することは、悪魔の証明に等しい。身分を証明するパスポートや戸籍、住民票を提示し、「私は日本人だ」と名乗ったところで、誰も信用しないのだから、証明のしようがない。
マスコミの「面白ければ何でもいい」の姿勢は、現在でも問題だし、いたずらに不安を煽り、確証もないままに家族を「X星人」と決めつけ、前へ出すことで、さらに不安を煽る。時に、人を死に追いやることさえある。まったくマスコミというものの姿勢や有り様には、心の底から怒りと恥辱が湧く。SNSに投稿される非難や中傷と等しいことを、紙面でやっているくせに、SNSを非難する記事もかく。自分のことは棚に上げて、毎日、毎日同じ話題をTVで一日中流している。お笑いタレントも面白おかしくこれを煽る。無責任な業界だ。吉田拓郎の「ひらひら」に歌われている通り、僕は軽蔑している。
台湾人のリンも同様に、異種なものとして、自分たちの柵から外へ追い出す、日本人の村社会文化も、X星人への差別と同様のものだと思う。多様性という言葉がもてはやされているが、本当に自分たちとは違うものを受け入れるというより、見ないことにする=無視する。いても気にしないようにする。受け入れているわけではない。ジェンダー問題も、その一つだと思っている。難しいことなど何もない。愛する女性同士、男性同士に結婚を認めてあげればいい。そうなっても、太陽はやっぱり東から上る。公衆浴場や公衆トイレ問題は、この枠とは別のところにあると思っている。
クライマックスへ向けたそれぞれの人物の考え、行動。そしてそれを陰ながらも支え、支えながらも戸惑う登場人物達。考えさせられる映画であった。
なのに後味が悪くないのは、一重に上野樹里のおかげではないだろうか。

上野樹里がいい。ヨガのインストラクターの役をドラマでやっていて、なんだか綺麗になったなぁと思っていたけど、この映画での彼女は、本当に素敵だ。可憐、可愛い、弱々しい中に、芯の通った女性の役を好演している。また大スクリーンで会いたいものだと、本当に思った。