怪獣映画で重要なことは、怪獣が現れ、都市を破壊するに足る十分な根拠と理由があること。例えば、ゴジラは原子力エネルギーを求めて、原発のある都市を襲うというものだ。これがないと、たあデカいのが周りのビルを壊して回っているだけで、なんの面白みもない。
次に、怪獣との戦い、怪獣同士の戦いの背景に、しっかりとしたストーリーが流れていること。怪獣以外の何かメインのテーマとなるようなストーリーが必要だ。
前作「シン・ゴジラ」では、突然の巨大な危機に対して、戸惑い混乱する日本の政治体制を描き、危機対応とはどういうことか。国を守るとはどういうことかがテーマのストーリーがあった。今回のテーマはおそらく、「復活」ではあるまいか。
時は1945年、太平洋戦争末期。特攻に飛び立った1機の零戦が、太平洋上の航空整備基地、大戸島に着陸する。戦闘機に不具合があると申し出たパイレットだが、いくら整備士が調べても、不具合は見つからない。特攻から逃げたのか。ある夜、多くの深海魚が打ち上げられているのをみつける。島の言い伝えでは、深海魚が死ぬとき、「ゴジラ」が来ると。その夜、巨大な怪獣が島を襲い、整備隊は全滅。生き残ったのは、逃げた戦闘機乗りと、整備隊の隊長だかけ。
彼らが引き揚げ船で帰国してみると、東京は米軍の空襲で瓦礫の山と化し、家族は全員死んでいた。戦後復興が始まる東京湾で、深海魚が大量に死んでいるのが見つかる。「やつがくる」
米軍は例によって、ロシアとの関係を重視して、この怪獣に対して攻撃をしない。日本には敗戦で軍はなく、残された船は武装解除で武器はなく、戦闘機はすべて葬られた。民間の力だけで、この巨大な脅威と向き合わねばならない。元帝国海軍の軍人、兵士が集められるが、「戦時でもないのに、命をかけろというのか」と立ち去る者、未来の日本のため、日本の復興のため、立ち上がる者もいた。特攻を逃げた戦闘機乗りは、自らの中の戦争を終わらせるため、倉庫に眠る一機の試作機を整備して、ゴジラに立ち向かおうとする。最後の戦闘機を整備できる人間は。
それはあの島で部下をすべて失った、あの整備隊長しかいない。
最後の日本人戦闘員対ゴジラの復興、復活をかけた最後の戦いが始める。
ゴジラのフォルムは基本的には「シン・ゴジラ」と変わらないが、数段凶暴で、巨大になった。復興途中の銀座の街を、巨大なゴジラが進む。なんのためか、どこへ向かっているのかは分からないが、圧倒的な力と、グレードアップした爆発的な熱線。
愛する者のため全てを捧げるのか、過去と向き合うため、その愛すら受け入れることのできない者。ドラマはここにある。全ての人は、国のため、家族のため、自身のために「復活」をなしとげようと懸命に戦う。ゴジラがさらに巨大になって復活したように、失ったもの、失っているものの復活を目指す。