1494回目:自分が尊重されていると信じられるから、他者を尊重できる | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

姪っ子の付き添いで、母校の学校

説明会に行ってきました。

記憶が確かならば、卒業してから
大学時代に一度行ったっきりなので
25年以上ぶりでした。

時折届く同窓会報で、新校舎ができた
ことは知っていましたが、

あまりに新しくなりすぎていて
ほとんど懐かしさを感じさせません
でした。

ただ、当時積極的に理解しようとも
思っていなかったキリスト教に
基づく教育理念・教育方針は、

素晴らしいものだったのだなと
いまさら理解しました。

(以下、母校ホームページより抜粋)

キリスト教教育

隣人を愛し、隣人に仕える

本学園では、『主を畏れることは知恵の初め』
(箴言1章7節)、『心を尽くし、精神を尽くし、
力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神で
ある主を愛しなさい、また、隣人を自分のよう
に愛しなさい』(ルカによる福音書10章27節)
という聖書の言葉に基づく教育を行っています。

「主を畏れる」とは絶対者である神を知る
ことであり、それは自分が中心ではないと
知ることです。

そして神が私たち人間を愛してくださって
いること、その愛のうちに自分が生かされて
いることを知ることでもあります。

そのことによって、隣人を愛する心を持ち、
身につけた学力や能力を自分のためだけ
でなく、隣人に仕えるために用いるという
生き方ができるようになるのです。

(ここまで)

当時も今も、キリスト教に対しては
ニュートラルな立場でいますが

隣人を愛する前提として
自分が愛されていると知っている
ことが挙げられていることに
感動しました。

隣人を愛する、という聖書の言葉を、
私は他者を尊重することとして
理解しています。

他者を尊重できる人であるために、
まず自分が大切に思われていると
知っていることが必要。

残念ながら、姪っ子は駅から
学校までの急坂、階段と、
増設された校舎にたくさんある
階段が嫌だったようですが(笑)

(古い旅館で、増築していると

階段が増えたりする感じかも

しれません)

よい学校に行かせてもらったな、と
改めて思わせてもらいました。


【今日のまとめ】

他者を尊重するためには、
自分が尊重されていると
信じられることが必要。