ここ3日間、
ネガティブを肯定する
ことについて書きましたが、
今日は苦手な人を
肯定したいと思います。
誰かのことを
苦手だと思うことも
悪いことでは
ないと思っています。
だって、苦手なものは
苦手なのですから。
ですが、
だからと言って
その人のことを
否定するべきでは
ないと思います。
誰かのことを
苦手、だと思うのは
おそらく自分の
予想外の行動や
発言をされた
ということが
原因のひとつに
あるのではないかと
思います。
ある行動や発言に対して
「あり得ない」、
「信じられない」
と思ってしまったことは
ないでしょうか。
自分が当たり前だと
思っていることと
まったく違う行動や発言、
またその背景にある
考え方や価値観に
出会ったときに
瞬間的に「え?」「は?」と
否定的に捉えてしまうことが
あります。
以前は、その後も
否定したままに
していたことも
ありましたが、
「よかった」を探す
陽転思考が習慣化
してきたこともあって
たとえ瞬間的に
否定してしまったとしても
次の瞬間に
「なんで、この人は
そういう行動を取るのだろう」
「そのような考え方を
するのだろう」と
考えるようになりました。
その理由が思いつくと、
「だからそのような
行動をとったのか」
「だからそう考えるのか」と
納得できたりします。
いま、理由を「思いつくと」
と書きました。
直接相手に理由を
聞くことができれば
よいのですが、
たとえば
その相手が初対面の
方であったり
目上の方であったり、
理由が聞きづらい
相手の場合も
あると思います。
そんな時は
自分で想像してみるしか
ありません。
そしてこれは
もしかしたら直接本人から
理由を聞くよりも
よい方法なのかもしれません。
なぜなら、
自分で理由を想像する
場合には、
相手がその行動や
考え方をする理由として
「こういうことなら
納得がいく」
というストーリーを
生み出すことになるからです。
例えば、過去に私が
生み出した
勝手なストーリーは
仕事に厳しい上司が
なぜそれほど厳しいのか
についてのもので
自身は頭が良すぎて、
しかも努力家でもあり
ほぼ完ぺきなので、
なぜ部下ができないのか
できない理由が分からないに
違いない、
と、自分ができないことを
棚に上げて(汗)
思っていました。
そう思うことで
厳しい対応も
気にならなくなり、
厳しさを恐れることなく
分からないことは
素直に分からないと言って
教えてもらうことが
できましたし
おかげで多少は
粘り強くもなったと
思っています。
もし自分が
その上司の厳しさを
「あり得ない」と
否定していたら
素直に教えを乞うことも
できていなかったと
思います。
かと言って、
その厳しさが好きだったか
というと
全くそうではなく、
苦手であることに
変わりはありませんでした。
それでも、否定はせず
「頭が良すぎて、
できない人のことが
分からないのだろう」という
勝手な想像から
その厳しさを肯定できたことで
良い関係とまでは
言えないかもしれませんが
少なくとも悪い関係には
ならなかったと思っています。
(自分だけの思い込み
かもしれませんが。。。)
結局、
苦手な人を肯定するのは
相手のためではなく
自分のためなのです。
必ずしも好きになる
必要はありません。
「あり得ない」を
「あり得るかもしれない」に
変えるだけです。
「自分はそうは思わないし
そういう行動もしないけれども
そう思う人もいるだろうし
そういう行動を取る人も
いるだろうな」
という、好きでも嫌いでもなく
ニュートラルに
見ることができれば
よいのだと思っています。
ここでもやはり
落ち着いて冷静に
考える必要があります。
ネガティブな感情に
なったときに
落ち着いて冷静に
考えられるようになるためには、
3日間言い続けていますが
やっぱり書くことです。
「あんなこと言われた!!!
あり得ない!!!」と書く。
そう書くだけで
ちょっとすっきりします。
それから、
なぜあの人は
あんなことを言ったのだろうか。
あんなこと言ったら
「あり得ない!」って思われると
思わないのだろうか。
(いや思うだろう)
それでも言うというのは
こういうことかもしれない。
たとえば、~~~
のように一人で
対話するようなイメージです。
そのうち、書かなくても
頭の中でこのやりとりが
瞬間的にできるように
なってきました。
ネガティブな感情や短所を
肯定することと同じように
苦手な相手を肯定することも
自分のためなのだ
と思って、
肯定することに
チャレンジすることを
お勧めしたいです。
【今日のまとめ】
苦手な相手も肯定する。
その相手を
必ずしも
好きになる必要はなく
苦手なままで
構わないけれども
否定はしない。
ネガティブな感情や短所を
肯定するのと同じように、
苦手な相手を肯定するのは
自分のためであるから。