【4】自己憎悪社会 |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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突きつめれば「命どぅ宝」!
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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

前回記事ページには
載せきれなかったのですが、
石油ショック以降の
日本企業によるグローバル化

プラザ合意後の超円高化
それを受けての生産拠点の海外移転などの一方で

人件費コスト節約策としての
ある種の″国内版の南北問題”、
"国内的アウトソーシング"は、
《外国人労働者の請負雇用》、
《外国人技能実習生制度》
の理不尽をもって
日本国内で行なわれ来ています。

〇「プラザ合意」について
→【4-10】日本は対米従属国家?官僚主権国家?財界支配?②~権力空間を〈人々〉が「揺り動かす」~
「シャープ亀山工場パラドックス」に見る《道州制》の帰結
【48】《グローバル化》《価格移転操作》《租税回避》の❝先駆者❞、ヴェスティ兄弟!

〇【19-⑭】《「悪魔の排泄物=資源の呪い」》 ~【監視-AI-メガFTA-資本】~
〇【19-⑬】《石油依存文明アメリカ》と《資源の呪い》~【監視-AI-メガFTA-資本】
19-⑪】《石油ショック》 ~OPEC(中東産油国)とメジャー(国際石油資本)との抗争~
(明文&立法)壊憲推進の御用議員たちが《改憲》に熱心なワケ

【関連】
「新自由主義」って何?
新自由主義(市場原理主義)は「征服の武器」(ジャン・ジグレール『私物化される世界』)
「新自由主義化」の政策措置は、どんなもの?
【26-a】 ① デヴィッド・ハーヴェイ「略奪による蓄積」~監視-AI-メガFTA-資本~
【26-b】②デヴィッド・ハーヴェイ《あらゆるものの商品化》 ~AI-メガFTA-資本~
〇【26-c】③《略奪による蓄積》の〈主要な4つの特徴〉~【監視-AI-メガFTA-資本】~
〇【30】⑦《民営化》は、《国家権力と企業との癒着》で、もたらされる ~AI-資本~


①【ラスト】《経済的徴兵制》は《貧困の監獄》で完成する~安倍政権による日本の《階級社会》化~
奴隷労働者供給構造と経済的徴兵制 ~貧困と監獄と軍隊と/日本版プラン・メキシコへの罠(最終回)~
新自由主義政策と”雇用不安定化”(「貧困」と「刑罰国家」と「軍隊」と<新自由主義>と(その1))
囚人は”とても優秀な労働者”!?~日本版プラン・メキシコへの罠(20)~
福祉国家から刑罰国家へ」~アメリカ刑罰制度の変貌Ⅰ)<日本版プラン・メキシコへの策動(8)>~
⓶国立大学の「独立行政法人化」》と《奨学金ローン》~政府に手懐けられ「経営体化」する国立大学~
【72】〈負債〉は、社会をどのように変えたか?〈三つの負債――私的負債・国家の負債・社会的負債〉

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

『悪について』が出版されたのは1964年。
トンキン湾事件を通じて勃発させた、
ヴェトナム戦争(1960年~1975年)の最中であり、
その2年前の1962年には、
核兵器戦争勃発が危ぶまれ
地球破滅寸前まで進んだ《キューバ危機》が起こっている。

フロムは、
その本のイントロダクションの中で、
なぜ『悪について』のような本を
書くようになったのか、
その事情背景を書いている。



“本書はある面において『愛するということ』と対をなしている。
『愛するということ』の主題は人間の愛する能力だったが、
本書の主題は
人間の破壊能力、ナルシシズム、近親相姦的固着
である。
愛以外についての議論がページの大半を占めているものの、
愛の問題も新たに、より広い意味でとりあげられている。
具体的にいうと、
生を愛することである。
生への愛、独立心、そしてナルシシズムの克服が、
“成長のシンドローム”を形成し、
逆に 死への愛、近親相姦的共生、悪性のナルシシズムが
“衰退のシンドローム”を形成してしまうこと
を示すつもりだ。

 私をこの衰退のシンドロームの研究へとかりたてたものは、
自分の臨床的な経験だけでなく、近年の社会や政治の展開でもある。
人々は善意のあふれ、核戦争の結果についてもよく知っている。
にもかかわらず、
戦争勃発の危険や可能性の高さに比して、
それを回避しようとする試みは いかにも頼りない
核兵器による軍拡競争と冷戦が続いている状況のなか
なぜそのような試みが十分なされないのか
が、
これまで以上に差し迫った問題となっている。
こうした懸念から私は、
機械化がどんどん進んでいる
産業主義における生への無関心という現象を

研究したいと思った。
産業主義の世界において、
人はモノへと変化し、その結果、
生への憎しみとは言わないまでも、

不安や無関心が満ちている

しかしそれを別にしても、
ジョン・F・ケネディ暗殺だけでなく
少年犯罪にも見受けられる昨今の暴力的なムードについて、
その原因を説明し理解することが必要だ。
(中略)
フロイトの基本的な発見は
ある哲学的な枠組み、
つまり二十世紀初頭に生きたほとんどの自然科学者に見られる、
機械論的唯物主義の流れのなかで考えられている。
私はフロイトの思想をさらに発展させるには
違う哲学的枠組み、
つまり弁証法的ヒューマニズムが必要だと考える。”
(エーリッヒ・フロム【著】/渡会圭子【訳】
『悪について』
ちくま学芸文庫、2018年、7-9頁)

 フロムは、
「真の悪」は、
死への愛(ネクロフィリア)、
肥大化した自分イメージを守ろうとする悪性ナルシシズム
近親相姦的固着だといい、

反動的暴力、
嫉妬や羨望などの欲求不満からくる暴力や敵意、
復讐の暴力、
信頼の崩壊から生じる破壊性、
生への絶望からくる生への憎悪、
無力感からくる生への復讐、としての補償的暴力

ではない、という。

 しかし、たとえば、
京王線刺傷事件、ウトロ放火事件
社会に渦巻く憎悪、ヘイト、
ルサンチマン(怨念)
の節ぶしを見ると、
その根底には《死への愛》が横たわっているとしても、
また《悪性ナルシシズム》も働いているとしても、
そうした現象は、どちらかというと、
後者の各種「暴力」のように思える。

その事から、以下に、
フロムが分類・紹介する各種暴力について
見て行きたい。


フロムは『悪について』
第2章〈さまざまな形態の暴力〉で
いくつかの暴力を分類整理している。

・反動的暴力
・欲求不満から生じる暴力/羨望と嫉妬から生じる敵意
・復讐の暴力
・信頼の崩壊から生じる破壊性
・補償的暴力



―――【反動的暴力】―――

〈反動的暴力〉とは、
自分あるいは他人の生命、自由、威厳、
財政を守るために使われる暴力
」のことを言い、
この暴力は、
現実であろうと観念的なものであろうと、
「恐怖に根ざす」暴力であるが故に、
たとえば、
「政治や宗教の指導者は、
敵に脅かされていると支持者たちに思い込ませ、
反動的な敵意からの主観的反応をかきたてる

そのため、
正義の戦争不正な戦争とは違うという、
ローマ・カトリック教会だけでなく
資本主義・共産主義政府も使っている主張は、
きわめて疑わしいものになる。
どちらの側もだいたい、
自分たちは攻撃に対して防衛しているという立場を主張するからだ。
どんな侵略戦争でも、
防衛という名のもとに行なわれる
ことがほとんどである。」

(エーリッヒ・フロム【著】/渡会圭子【訳】
『悪について』
ちくま学芸文庫、2018年、22-23頁)


そうした反動的暴力を可能にするために
「攻撃される危険があるので、自衛しなければならない」
と信じ込ませる必要がある
が、
そう信じ込ませるのは難しくない、という。


 いまの日本政府や与ゆ党が
敵基地攻撃能力」を進めるための口実は、
この「反動的暴力」の典型の一つではないか。

かつてナチスドイツの
ヘルマン・ゲーリングが1946年に
ニュルンベルグの刑務所で語った言葉は
「敵基地攻撃論」の論理と似ている。

「国民は戦争を望まない。
しかし、国民を戦争に駆り立てるのは簡単だ。
国民に向かって攻撃されつつある、と語る

平和主義者には愛国心が欠けている、と非難し、
おまえ達(平和主義者)が
国を危機にさらしているのだ、と主張する。
これ以外何もする必要は無い。
この方法はどの国でも有効だ
。」


ー【欲求不満から生じる暴力/羨望と嫉妬から生じる敵意】ー


 また、反動的暴力には、
「何らかの希望や欲求が満たされない時」に
欲求不満から生じる種類の暴力」もあるという。
ただ、その暴力の目的は、
破壊することが自己目的になっているものではなく、
生きることがベースにあって、
そこから生じるものだという。

また、
自分の望みや欲求が満たされない、
その「欲求不満」から生じるもの
として、
「欲求不満による敵意」がある。
「羨望と嫉妬から生じる敵意」。
その羨望や嫉妬は、欲求不満だ
という。

たとえば、
Aさんが欲しがっているものを
Bさんが持っている。
Aさんが恋焦がれている相手を
Bさんが付き合っている。

〈自分(Aさん)が欲しがっているのに
手に入れられないものを、
Bさんが持っている時に、
そのBさんに対して
Aさんのなかで生まれる憎しみや敵意〉。

羨望や嫉妬のかたちの欲求不満は、
「Aが望むものを手に入れられないばかりでなく、
他の人にそれが与えられていることで悪化する」
(24ページ)。

旧約聖書のカインとアベルの兄弟の物語は、
その典型だとフロムは挙げる。
旧約聖書の唯一神ヤハウェに、
兄弟それぞれが、それぞれの収穫物を捧げた。
神ヤハウェは、
弟アベルの供物には目を留めたにもかかわらず、
兄カインの供物は目を留めなかった事から、
兄カインは、弟アベルを殺すのだった。

自分には何の落ち度もないのに
自分のほうは愛されなかった、
という羨望や嫉妬心から、
神に贔屓にされた弟アベルを、兄カインは殺した。

〈嫉妬や羨望からくる敵意〉という形の
「反動的暴力」の事例としては、
昨今では例えば、
竹中平蔵たちが
非正規雇用労働者に対して
こうした〈反動的暴力〉を
掻き立てるかのような様々な言説

まき散らしてきたように見える。
(「正規社員の身分と既得権益に関する質問主意書 - 参議院

「正規社員の身分は守られすぎであり、既得権益者である」と。


同一労働同一賃金よろしく、
行なっている労働内容は
たいして変わらないのに、
《置かれている身分の違いだけ》で、
非正規雇用労働者が欲しがっている待遇を
正規雇用労働者は手にしている


竹中たち自身が
非正規雇用拡大化(プレカリアート化)の制度化を進めつつも、
他方で、
正規労働の破壊化も煽り立てているかのような言動。
その結末は
「雇用破壊」や「ワーキングプア」化しか
もたらさない言動を、竹中平蔵たちは見せてきた。


――――【復讐の暴力】――――

それでも、反動的暴力は、
予想される害を
未然に避けようとする心理から生じるものであり、
生存という生物的機能に根ざしたものであるが、
この〈復讐の暴力〉のほうは、
すでに害を受けた「あとに行なう暴力」であるが故に、
身を守ることを目的としてはいない

では何故“復讐の暴力”をふるうのか?というと、
現実的に自分が被っている害を
《心理的に帳消しにするため》に
行なうのだという。



“復讐の動機は、
集団あるいは個人の強さと生産性〔引用者:能動的生産性〕に反比例する。
能力に欠けていたり、障害を持っていたりする人が、
害をこうむって自尊心がそこなわれた場合、
それを回復する手段は一つしかない。
それは「目には目を」の法に従って復讐すること
である。
しかし生産的な生活をしている人は、
そのようなことをする必要が
まったく、あるいはほとんど感じない。
もし傷つけられ、侮辱され、害を与えられても、
生産的に生きるというまさにそのことが、
過去の傷を忘れさせてくれる。
何かを生み出す能力は、復讐の願望よりも強いことがわかっている。
この分析が正しいことは、
個人そして社会的規模での実験データですぐに証明できる。
精神分析の知見では、
独立してきちんとした生活ができず、
復讐願望に全存在を賭けるような神経症的な人に比べて、
成熟した生産性の高い人は、
復讐したいという気持ちに突き動かされることが少ないことが
示されている。
精神病理学的に深刻な症状において復讐が人生最大の目的となるのは、
復讐がなければ自尊心だけでなく、
自己意識やアイデンティティが崩壊する恐れがある
からだ。
同じく、
多くの後進的な集団(経済的、文化的、情緒的な面で)では、
復讐の願望(たとえば過去の国家の敗北に対して)が
特に強いことがわかった。
そのため工業先進国の多くでは、
もっとも搾取されている下層中産階級に、
復讐したいという感情が集中する
ことになる。
そこにはまた、
人種差別や愛国主義の感情も集中する
“投影的質問票(※)”を使えば、
復讐願望の強さと経済・文化の疲労度との相関を、
簡単に証明できるだろう。
多くの原初的社会には、
強烈で慣習化さえかれている復讐の感情とパターンがあり、
仲間に害が加えられたら、それに対して報復しなければならないと
集団全体が感じるようになっている。
ここでは、
二つの要因が決定的な役割を持っているように思われる。
第一は、
先に述べたことと同じになるが、
原初的集団に広がる心理的欠乏状態と、
失われたものを回復するには復讐以外の手段はないと思わせる雰囲気だ。
第二はナルシシズムで(中略)…、
原初的集団が持つ強烈なナルシシズムという見地からすると、
セルフイメージに対する侮辱は重大な攻撃であり、
激しい敵意を生む
のが当然だと言っておけば十分だろう。”
(フロム『悪について』25-27頁)

(【※】213頁)
答えを選択するかたちではなく、自由なかたちで回答できる質問票。
その答えから
回答者の無意識あるいは意図していなかった意味について
検討され、
その人の“意見”ではなく、
個人内部で無意識に働いている力についてのデータとなる。”

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

――【悪性のナルシシズム】――

「真の悪」として、フロムは、
《死への愛》
《悪性ナルシシズム》
《近親相姦的共生》
を挙げるが、
うえの〈復讐の暴力〉のなかで
“ナルシシズム”について出てきた
ので、
その関係で《悪性ナルシシズム》について、
見ていきたい。

対中国への「敵基地攻撃能力」を
支えているマインド
は、
若者たちや子ども達(の未来)を犠牲にし、
日本を滅亡・自滅させてでも、
根強く執着している“アジアの盟主”マインドであり、
悪性ナルシシズム》なのではないだろうか。

ミサイルの数、戦争を遂行する国力、
経済構造、原発を抱えている現実、
ドローン兵器やネット攻撃問題、
ロジスティック事情、
日本の人口問題

(アジア太平洋戦争ですら、
日本人の働き手が戦場に駆り出されて
人手不足となり、
大陸から中国人や朝鮮人を
強制労働に徴用したのにもかかわらず)…
中国と構えて攻撃するつもりならば、
これら日本の国内事情などを見てみれば、
自殺行為(自滅行為)であるのにもかかわらず、
戦争準備を進めている



猿田佐世:ND政策提言
「戦争を回避せよ」コメント

軍備増強しても国は守れない
「43兆」は軍拡競争の号砲となるか
【田岡俊次の徹底解説】

ポンコツ武器は購入停止!日本にそんな金はない
【半田滋の眼 NO.80】20230622



フロムは、〈ナルシシズム〉を
次のように説明・紹介する。

・ナルシシズムが強い者ほど、
自分が失敗した事実、
他人からの正当な批判を受け入れない

・ナルシシスティックな者は、
自分の持ちもの、
自分の考えや自分の知識、自分の“興味の範囲”など、
自分につながる「自己像」に対して
ナルシシスティックな愛着を持つ


・ナルシシズムは
必ずしも悪いものではなく、
他人から自分を守り、
自分の生存のために闘ったり、
他人と持論や自分の主張をぶつけ合うためには
ナルシシズムという生物学的な機能は
むしろ必要なものと言えるが、
しかしそれは、
他の人との間の社会的協調を保つ範囲内では
健全なナルシシズムといえる。

・大工や科学者や農業従事者が、
セルフチェック、
自分が手がけているものやその過程、
自分が作り上げているものへの関心
自分の仕事に対してプライドを持つのは、
「良性」のナルシシズムと言える。


しかし、そうしたナルシシズムが
“危険”な《悪性ナルシシズム》と言えるのは、
次のような傾向や特徴と言う。

〇価値判断に《先入観があり、偏っている》ため、
合理的判断が《歪んでいる》

主観的には“自分は世界の頂点にいる”かのような感覚にあるが、実際には《自己が肥大化しているだけでしかない》

〇自分にはバイアスなど無く、
自身の判断は客観的で現実的だと信じているが、
その判断は《偏っており》、
自分が生み出したものや所有しているものを
高く評価する傾向がある


〇《自身と自分のものは過大評価する他方で、
他のものに対しては過小評価する
》。

〇受けた批判が公正で悪意のないものならば、
健全な人は、
自分の過ちや反省点を受け入れるが、
危険な者は《感情的に反応する》。
公正な批判に対しても
《自分に対する“悪意ある攻撃”》だと感じやすい。
そのため、批判を、公正なものだと想像できない


ここでは、
国際的関係を“考慮にいれずに”考えると、
身の丈に「合わない」
《対中国への軍事的強硬姿勢を支える、
マッチョ的なマインド》は、
このフロムの言う、
「悪性ナルシシズム」や「危険なナルシシズム」に当たる
のではないだろうか?



《悪性ナルシシズム》や《危険なナルシシズム》のせいで、紛争に発展し、双方に多くの犠牲者や悲劇をもたらしてしまう、
多くの者が想像を絶する地獄を経験するのは、
非常に馬鹿げている
ことは、言うまでもない。



ナルシシスティックな人は、批判されると激しく腹を立てる。
そういう人は批判を悪意ある攻撃と感じやすい。
まさにナルシシズムのせいで、
批判を公正なものだとは想像できない
のだ。
その怒りの激しさを完全に理解するためには、
ナルシシスティックな人は世界と関わらず、
その結果、孤独でありおびえている
ことを
頭に入れておく必要がある。
この孤独と恐怖の感覚を埋め合わせるのが、
ナルシシスティックな自己肥大化
である。
彼が世界なら、外部には彼を脅かす世界はない。
彼がすべてなら、彼は孤独ではない。
したがって
ナルシシズムが傷つけられたとき、
彼は自らの全存在が脅かされていると感じる

恐怖から身を守ってくれるはずの自己肥大化が
脅かされたとき、
その恐怖が噴出し、
激しい怒りがもたらされる
ことになる。
その怒りがいっそう激しいものとなるのは、
適切な行動によって恐怖が和らげることができないためである。
批判者、あるいは自分自身を破壊する以外に、
ナルシシスティックな平穏への脅威から救われるすべはない

(エーリッヒ・フロム【著】/渡会圭子【訳】
『悪について』
ちくま学芸文庫、2018年、97-98頁)

――――――

“ 悪性のナルシシズムの場合、
その対象はその人がしたことや生み出したものではなく、
その人が持つものである。
たとえば、
身体、外見、健康、富などだ。
このタイプのナルシシズムの悪質さは、
良性のものに見られる補正要素が欠けていることにある。
自分が偉大なのは、自分が成し遂げたことではなく、
自分が所有しているものに由来する。
したがって、
誰とも、あるいは何とも関わる必要はないし、
何の努力も必要ない。
偉大さを維持するために、
どんどん現実から自分を分離していく。
そしてナルシシスティックに肥大化したエゴが
空虚な妄想の産物だと暴露される危険から身を守るため、
ナルシシズムは自己統御できず、
結果的に、露骨に自己中心的なばかりでなく、
他者を嫌うようになる

何かを成し遂げた人は、
他人が同じことを同じように行なったという事実を認めるが、
そのナルシシズムによって、
自己の業績のほうが他人より優れていると考えるかもしれない。
一方、
何も成し遂げなかった人は、他人の成果を認めにくいため、
無理に世間から自分を切り離して、
しだいにナルシシスティックな輝きのなかに
閉じこもらざるを得なくなる。


 ここまでは個人のナルシシズムのダイナミクスについて、
その現象、生物学的機能、病理を論じてきた。
この説明から、今度は
社会的ナルシシズムの現象
それが暴力戦争の原因として果たしている役割

と理解を進められるはずだ。

 ここから先の議論の中心的な問題は、
個人的なナルシシズムが
集団的ナルシシズムへと変形する現象
である。
(中略)
集団の存続は、ある程度、
成員がそれを自分の生命より重要と考え、
さらに
他の集団より自分たちのほうが正しく優れているという事実で決まる。
そうした集団のナルシシスティックな備給がないと、
集団に使えるのに必要なエネルギー、
あるいは集団のために重い犠牲を払うだけのエネルギーが、
大幅に減少してしまうだろう

 (中略)

 …〔集団的ナルシシズムに関して〕
成員の多く(あるいは大部分)が満足できるだけのものを供給する手段のない社会において、
その不満を取り除きたければ、その成員に
悪性のタイプのナルシシスティックな満足を
与えるしかなくなる。
経済的、文化的に貧しい人々にとっては、
その集団に属しているというナルシシスティックなプライドだけが満足の源になる
(それは非常に効果的なことが多い)。
人生に“面白い”ことがなく、
興味が生じる可能性がないからこそ、
極端なかたちのナルシシズムが発達する
かもしれない。
この現象の最近の好例が、
ヒトラー時代のドイツに存在した人種的ナルシシズムであり、
これは こんにちのアメリカ南部にも見られる。
どちらの例でも人種的な優越感の中心だったのは、
下層中産階級
である。
ドイツだけでなく
アメリカ南部のこの階級も、
経済的、文化的に恵まれず、
状況を変えるような現実的な望みも持てず

(彼らは古くさく滅びかけている社会形態の遺物だからである)、
満足をもたらしてくれるものは
一つしかない

それは、
自分たちは世界でもっとも賞賛されるべき集団であり、
劣等とされた別の民族集団より優秀であるという
肥大化した自己イメージ
である。
そのような後進的な集団は次のように考える。
たとえ自分は貧乏で教養がなくても、
世界一すばらしい集団に属しているから重要な人間なのだ

――私は白人だ」、あるいは「私はアーリア人だ」
と。”
(フロム『悪について』102-105頁)



《京王線刺傷事件》の暴力性や破壊性に関しては、
以上に見てきた種類の暴力ではなく、
《信頼の崩壊から生じる破壊性》
《補償的暴力》に当たるように思われる。



【5】に移る。