COPDのエアロゾル吸入シンチ論文の詳細検討(2)
エアロゾル吸入シンチグラフィについて最も深く研究した日本人研究者は、京都大学放射線核医学科(当時)の伊藤春海先生であろう。伊藤先生は米国留学から帰国後は、Heitzmanの伸展固定肺標本を用いてRadiologic-Pathologic Correlationを深く追求し、肺のCT画像診断の基礎を築かれたが、それ以前はエアロゾルシンチを専門とされていた。1974年に京大工学部の高橋幹二教授と共著でエアロゾル沈着の理論計算の論文を発表されている[1]。1976年に気管支癌の[2]、1997年に上気道腫瘍の[3]、吸入エアロゾルシンチに関する論文をRadiologyに発表され、癌の存在部位に一致してホットスポットが形成されることを報告された。1976年から1978年までJohns Hopkins大学に留学し、強制呼気中のエアロゾル沈着の実験論文を発表された[4]。陽圧換気中のイヌの口側(気管切開部)に陰圧を負荷して強制呼気を模擬し、吸入したエアロゾルの沈着率を部位ごとに計測した実験である。気道内圧も同時に計測することで、気流制限と沈着の関係を直接調べることができる。図1は計測データの1例である(色矢印は筆者の加筆)。図1.強制呼気中の気管内の圧、気量、気流量(文献4より引用)横軸の時間スケールは論文中には示されていないが、気流量と呼出気量の関係から1目盛0.2秒と推算される。強制呼気開始時(赤矢印)に気流量のピークがあり、直後に半減している。気流制限部位(図のFLS)より口側では、同じタイミングで気道内圧も激減している。右上のグラフは、呼出気量が肺活量の約50%になった時点(左グラフの青矢印)における気道内圧を異なる地点で計測した結果である。左右を反転させて、左側の図と方向が一致するようにしたものが右下の図である。FLSは気管切開部から16㎝上流にある。左下の模式図には限局的な狭窄が描かれているが、右下のグラフを見ると、狭窄は気管切開部の下方5-6㎝まで続いていると解釈される。イヌの体重は記載されていないが、縦郭内気道(=胸郭内でかつ肺外の気道)の範囲とほぼ一致していると思われる。 図2の左は沈着率を部位ごとに計測したグラフである。小さな丸のグラフは受動呼気、大きな丸のグラフは強制呼気の場合である。右上は左右を反転した図で、右下は部位ごとの気道内圧のグラフである。強制呼気による縦郭内気道の狭窄部位に一致して、沈着率が増加していることが分かる。図2. 強制呼気中のエアロゾル沈着の分布(文献3より引用、改変) 強制呼気中の平均気流量は、図1によると約500L/min(≒8L/s) で、ヒトの最大努力呼気と同程度の乱流である。狭窄部の壁や輪状軟骨の凹凸に慣性衝突して沈着したと考えるのが妥当である。気管の胸郭入口部とおぼしき部位に沈着率のピークがあるのは、狭窄が解除された部位にエアロゾルが滞留して沈着したと考えられる。すなわち、この実験結果は、呼気中に気道の機能的狭窄が生じると、その部位に一致してエアロゾルが沈着することを示している。 以上は私の解釈であるが、元の論文では図3左のような、異なる説明がなされている。図3.沈着の模式図(左)とプラスチック管の物理実験の概略(右) 図3左では、狭窄部位はピンポイントのきわめて狭い範囲とされている。そして、上流は層流であるため、狭窄部の上流側では沈着は起こらず、狭窄部の下流で沈着する、とされている。つまり、図2で示された強制呼気中の過剰沈着はすべて、狭窄部(FLS)の下流で起こっている、という解釈である。そして、この解釈の根拠となったのがItohらの物理実験の論文で [5]、図3右のようなイヌの気管を模したプラスチック管を作成し、様々な条件(狭窄部の断面積、エアロゾルの粒径、ガスの組成)の下で沈着率が計測されている(文献4では、論文として発表される前の学会抄録が引用されている)。 上記の解釈をCOPDに適用すると、肺内の気道が呼気時に狭窄するため、下流の肺門部にエアロゾルが沈着する、ということになる。1980年前後は、COPDの呼気流制限のメカニズムとして、肺胞壁の破壊によって末梢気道を開存させる力が減弱し、呼気時に虚脱するとする仮説が有力であった。したがって、本論文はこの仮説を補強する実験事実を提示したことになる。伊藤らの和文の総説でも同じ解釈が述べられている[6]。 しかし、この解釈には致命的な誤りが2つある。第1点は狭窄部の形状である。気管にこのようなピンポイントの狭窄が起こるとは考え難い。気管の後壁は膜様部が長軸方向に連続しているので、狭窄は広範囲で生じると考えられる。実際、1970年代までにシネブロンコグラフィで広範囲の狭窄が観察されている[7,8]。第2点は気管内を流れる気流量である。文献5の物理実験では管内の流量は15L/min(= 0.25L/s)に固定されており、イヌの実験時の気流量の数10分の1しかない。確かに、この条件では狭窄部の下流でしか沈着しないが、それをイヌの実験に適用してはならない。Smaldone(注*)もItohも流体力学に精通しているので、狭窄部の形状や気流量の違いが意味することに無自覚だったとは思えない。なぜこのような誤った解釈を論文で述べたのだろうか? 前頁で記したTaplinらと同様、末梢気道閉塞仮説と矛盾しない解釈が選択される何らかの事情があったのだろう、と憶測せざるを得ない(先日、伊藤先生にお尋ねしたところ、「換気力学の知識はSmaldoneが圧倒的に上まわっていたので、Smaldoneの意見をそのまま受け入れた」とのことだった)。 1990年以降は、COPDの肺門部ホットスポットの原因を大気道の呼気時狭窄と主張した論文は、私が調べた限りではみつからなかった。もしもイヌの実験結果の正しい解釈が文献4に記されていたら、COPDの肺門部ホットスポットは呼気時の縦郭内気道の狭窄が原因であるとの認識が学界で共有されていただろう。最大努力呼気後半では胸郭の動きはわずかなので、1980年代のCTスキャナーでもCOPDの虚脱した気管と主気管支が画像化できたであろう。呼吸機能イメージング研究の失われた40年である。文献1.高橋幹二、伊藤春海.人体呼吸器官内のエアロゾル粒子沈着量の新しい計算モデル.保健物理 9:3-10, 1974.2.Itoh H,Ishii Y, Suzuki T,Hamamoto K,Torizuka K, Oyamada H, Yoneyama T.Inhalation scintigraphy with radioaerosols in bronchogenic carcinoma.Radiology 119:623-636,1976.3. Itoh H, Ishii Y,Suzuki T,Yonekura Y,Morita R,Torizuka K. Radioscintigraphy in the diagnosis of upper airway obstruction.Radiology 123:135-140,1977.4.Smaldone GC,Itoh H,Swift DL,Wagner HN Jr.Effect of flow limiting segments and cough on particle deposition and mucociliary clearance in the lung.Am Rev Respir Dis 120:747-758, 1979.5, 1toh H,Smaldone GC,Swift DL,Wagner HN Jr.Quantitative evaluation of aerosol deposition in constricted tubes. J Aerosol Sci 16:167-174, 1985.6.伊藤春海,藤堂義郎,村田喜代史,米倉義晴,藤田透,鳥塚莞爾: 放射性エアロゾルによる吸入シンチグラフィー. 呼吸 3: 495-504, 1984.7. Rainer WG, et al. Major airway collapsibility in the patho- genesis of Obstructive Emphysema. J Thorac Cardiovasc Surg 46: 559-567, 1963.8. 折田雄一.強制呼出の生理学的研究 : 第 1 編 気管支虚脱の部位に関する研究. 京都大学結核胸部疾患研究所紀要 7: 15-24, 1973.注*(追記)Gerald Smaldone博士は現在、Renaissance School of Medicine の呼吸器内科の主任教授で、工学部でChemical engineeringを履修したのちに医学部に入学された。拙著「コペルニクスな呼吸生理」でエアロゾルの沈着率から肺胞個数を推算した工学博士と記したが、正しくはMD, PhDだった。誤りをお詫びする。